最終章プロローグ:解き放たれたもの
「さて、それでは皆様。帝国の後始末について考えましょうか」
アルバートが去って数日後、女神の支配から逃れた首都にて。
アレクシアは生き残りの中央貴族とセルジオスら西側諸侯貴族を集め、アトラースに設けられた会議室で腕を組む。
・ペルサキス家は、ペルサキス王国(以下王国と記述)として帝国首都を併合する。
・中央大平野は、西側諸侯の管理とする。
・王国において、出生地、民族、身分による移動の制限及び就労の制限は撤廃する。
・王国における貴族は、これを廃止する。
・西側諸侯は、独立国家として王国と同盟関係を結ぶ。
この五か条を骨子として書かれた提案書を配布して、それを読む様子を眺めていた彼女に。
中央貴族たちは、あまりに一方的な内容だと驚いた顔で言葉を返した。
「これはどういうことだ? お前が皇帝になろうというのか? 我らを排除して?」
アレクシアがその声に眉をひそめる。
更に続けようと、貴族の男が彼女を指さしたところで、影でクスクスと笑いをこらえるセルジオスがその声を遮った。
「どなたか存じ上げませんが、中央貴族の方ですよね? 貴方の身分を保証していた皇帝が崩御し、帝国自体も消滅した今。アレクシア様の提案に逆らう権利などどこにあるのです?」
「田舎貴族が何を言う! 我々は百年、この地で……」
「ですから、それはもう無いんですよ」
「ふざけるな!! いきなり現れたと思ったら首都をこんな廃墟にしておいて!」
セルジオスがからかうように言葉を紡ぐと、貴族たちは怒りを顕にする。
そうだそうだ補償をよこせと彼らが騒ぎ始め、セルジオスは火に油を注ごうかと次の言葉を考えていると。
「せっかく、最大限譲歩した提案をしましたのに」
アレクシアが焦れたようにぼそっと言うと、中央貴族の男は矛先を彼女に向けた。
「譲歩? どこがだ! だいたい我ら貴族を廃して、誰がこの地を治めるというのだ!」
「適任がいますのよね。お兄様。出番でしてよ」
彼女は、一度嫌そうな顔をして。
自ら土と泥に塗れながらもニキアスに協力して、廃墟の中から民を救い出していた兄の事を、ほんの少しだけ見直していたアレクシア。
まぁ、これくらいの見返りはあっていいだろうと手をたたく。
「……ベネディクト! あの無能を!?」
髭も剃らずに、薄汚れた格好。
しかしそれでも背筋を伸ばして、ベネディクトはゆっくりと会議室へ入ってきた。
そして室内を見渡すと一度目を閉じて、決心したようにため息をつく。
「無能、という誹りは甘んじて受ける。だが、君たちにこれから何ができるのかな」
「お前こそ、所詮芸術だのラングビだのにうつつを抜かしていた阿呆だろうが。何ができる」
「少なくとも、民のためにアレクシアの脚を舐めることができる」
お前は本当に舐めかねないからやめろ。と本気で怒りそうになったアレクシアだったが、流石に空気を読んで黙っていたところで。
中央貴族の男は、自信満々にその突き出た腹を張った。
「首都と中央大平野さえ持っていれば、我々はいくらでも復興できるのだ。ペルサキスの助力など不要で……」
この期に及んで、まだ立ち直れると思っているのか。
そうアレクシアは呆れて、兄の方を向いた。
「お兄様。最後の説得は無駄だったようですわね」
「……すまないアレクシア。私のわがままで」
「いえ。ではセルジオス。よろしくてよ」
申し訳無さそうに目をそらす兄から視線を外すと、彼女は再び手を叩く。
予めの打ち合わせどおりに、西側諸侯貴族たちは隠し持っていた剣を抜き。
「ご寛大な女王陛下のご厚意を、君たちが台無しにしたんだ。諦めたまえ」
実に愉快そうに笑うセルジオスの一声と共に、中央貴族たちへ斬りかかった。
――数時間後
死体は片付けられ、改めて西側諸侯貴族たちとベネディクト、そしてアレクシアは席に着く。
壁や机にこびりついた血を見つめて、アレクシアはふと声を漏らした。
「実に悲しいですわ。女神の魔法でみんな死んでしまうだなんて」
「全くですよ。貴族の中に生存者は誰もいませんでした。そういうことで」
女神の魔法に、中央貴族たちは全員殺されてしまった。
などとうそぶいて、ついでに粛清できたことを喜ぶ。
セルジオスは完全に彼女に同意して、言葉を続けた。
「では、先の提案通りに。こちらのことはこちらで。そちらのことはそちらで」
「まぁ構いませんの。良き関係を築けることを願っていますわ」
「それはこちらもです。アレクシア女王陛下」
互いに儀礼的な握手を交わし、それでは。と出ていくセルジオス。
その背中を見送ると、アレクシアは隣で死者への祈りを捧げる兄に話しかけた。
「……お人好しが過ぎますわ」
「死者には、それ相応の礼を尽くしたい」
その言葉に、彼女は少し黙って。
ただ、祈りを捧げることはせずに話を続ける。
「首都は任せましたわよ。ただ少しでも不穏な動きを見せたら、首が飛ぶ事をお忘れなく」
物理的に。と親指で首を掻き切る仕草を見せて。
彼女は一枚の紙を手渡した。
「官僚の名簿か。彼らを使えば良いんだな?」
「使われるのはお兄様ですわ。貴方はいい感じに民を励まして下さいな」
「分かった。努力する」
人気取りだけは上手い。
実際それは事実だし、意外に男気もあるし。
そう分析していたアレクシアは、彼の下に官僚たちを付けて首都の復興を考えていた。
そしてベネディクトも、自分に求められている役割を理解してうなずく。
「では、期待していますの」
「……ありがたきお言葉にございます、女王陛下」
アレクシアの声に、ベネディクトは頭を下げる。
兄妹ではなく、女王と臣下。その立場を理解して、納得して。
畏まった言葉を返すと、頭を下げたまま彼女の足音が遠ざかるのを待った。
「さぁ、頑張らなきゃな」
やがてアレクシアが退出すると、彼は顔を上げ。
すっきりとした表情で呟いて、自分の頬を思い切り叩いた。
――アトラース艦長室
「ってわけで円満解決ですのよ。国王ニキアス陛下」
「うーわ、せっかく助けてやったのに」
呆れたように会議の成果を話すアレクシアと、大げさに反応するニキアス。
どうせ殺すことになるでしょ。と、わざわざ同席しなかった彼は酒を注いだ。
「せっかく助かったのに、命を粗末にしてしまったんですわねぇ……」
遠い目で相槌を打って、彼女は席に座り込む。
そんな彼女に紅茶を差し出して、ニキアスは笑った。
「これで邪魔者がいなくなった、と言う訳だね」
「ですの。暫くは首都の……いやもう首都ではなくなるんですけれど」
それを受け取って、一口啜る。
自分好みに淹れられた紅茶と、おやつに焼き菓子を齧りながら彼女は少し考えた。
「オーリオーン市、でいいんじゃない?」
ニキアスがそう提案して、アレクシアは小さくうなずく。
「まぁ仮にそうしておきましょうか。んでその、ベネディクト市長の再興計画に協力ですわねぇ」
「計画はこっちで全部立てるんだけどね。まぁ、平和が続くことを期待したいかなぁ」
「……それなんですけれど」
少し、気になることがあるな。とアレクシアは再び焼き菓子に手を伸ばした。
ニキアスが顔を向けると、彼女は首を傾げて言う。
「女神が『わたくしが消えたら』って言いかけてたんですわよねぇ」
女神アストライアの命乞い。
ただ、アレクシアの頭にはその一節が引っかかっていた。
「どうせまたろくでもない呪いだろ? もう一度破ってやればいい」
ニキアスは笑って、酒とともにその話を流そうとしたが。
なんでもありと言わんばかりに未知の魔法を次々と繰り出してきた女神のことを思うと、確かに不安が頭をよぎった。
「どうでしょ。負け惜しみではなさそうでしたので、ちょっと地下神殿の調査をしたいですわ」
「そうだな……とりあえずペルサキスへ凱旋して……その後になるか」
やれやれ、と二人はため息をつきあって、まだまだ忙しいなと諦めて。
ところで女王になるアレクシアが外に出て、ペルサキスは大丈夫なのかとニキアスが聞いた。
「その辺は問題ないでしょうに。ほんの数ヶ月ですわ」
「一人で貴族の連中とやり合うのはしんどいんだけどなぁ」
これから貴族を廃する、なんて言っちゃったし。
そうニキアスはぼやいて、しかし自分でやるかと諦めた。
「味方なら大勢居ましてよ。リブラ商会筆頭に、平民から実力で成り上がった金持ち……新貴族なんて言われてるみたいですが。彼らは既存の貴族を嫌っていますので」
「彼らにこの仕事は任せられないな。財産も命も奪おうとするだろう」
「ですわね。なので我々としては財産は没収しないし、今の状態は保証しますわ。ただしこれから貴族も平民も権利は平等、前皇帝陛下が与えた免税などの貴族特権は廃止。これを突きつけて納得するかどうかを迫りますの」
「その条件で文句言ったら殺しとくよ。これ以上譲歩する価値も理由もないしね」
既に譲歩して、安全も財産も保証してやるのだから。
それくらいの強権は振るうべきだろう。とニキアスは言って。
アレクシアはため息をついてうなずく。
「ぶっちゃけわたくしの雷が落ちると思えば、割と言う事聞くとは思うので」
「それには同意するねぇ……」
そもそも軍事と経済のトップ二人が、国王と女王。
自分たち夫婦に逆らうことなどできるはずがない。とふたりとも考えていて、ペルサキス王国の統治に関してはかなり楽観的に考えていた。
こうして一息ついたところで、ニキアスが話を戻す。
「とは言え、さっき言ったように凱旋しなきゃいけないんじゃないか?」
「あぁ、お飾り的な公務なら影武者に」
「は!? そんな娘がいたの!?」
アトラースは修理中だということで誤魔化せば良い。そうしれっと言うアレクシア。
貧民街の瓦礫の中から救助された、彼女によく似た背格好の美少女。
政務をこなせる訳がないが、笑って手を振るくらいならできるだろうと言った。
「まぁ見つけまして。ニキアス、手を出したら殺しますけど」
「……はい」
アレクシアによく似た美少女だなんて幸運だなぁと鼻の下を伸ばすニキアスは、その下心に釘を差されて押し黙った。
何度かうんうんと頷いた彼女は、それではと指を鳴らして。
「よろしい。ユース、お入りなさい」
おずおずと入ってくる、アレクシアによく似た少女を紹介した。
「女王陛下……国王陛下……あの……よろしくお願いします……」
「もうちょっと堂々としなさいな。わたくしの影武者なのですから」
縮こまる彼女の肩を、アレクシアがぺしぺしと叩く。
その度にユースの小さい身体がさらに小さく見えて、ニキアスは思わず笑った。
「その通りだねぇ。しっかしそっくりだ……妹?」
「だったら皇室のとんでもねぇスキャンダルですわ」
笑い返すアレクシアに、ユースには微妙にそばかすがあるなと微笑むニキアス。
これでとりあえず女王陛下の置物は問題ないなと二人は喜んで。
「夫のお墨付きですわユース。身なりや立ち居振る舞いはこれから厳しくやっていきますのよ」
「はい……頑張ります……」
「食事もちゃんと食べるんですのよ?」
「……お腹いっぱい、食べられるんですか?」
「ええ、いくらでも食べなさい……!」
食事がちゃんと食べられる。それを理解したユースは花が咲いたように明るい顔をして。
君と同じ食生活したら一ヶ月で体重が二倍になるね。とニキアスは言おうとして、ただそんな事を言ったら雷が落ちると飲み込んだ。
「とりあえず、まず領内をあちこち回るよ。頑張ってついてきてね」
「はい、国王陛下。私、頑張ります!」
深々と頭を下げて、面通しを終えたユースが従者に手を引かれて退室する。
ニキアスは彼女の背中を眺めていて、目を疑った。
「!?」
どこからか飛んできた羽虫が肩にとまって、ころりと落ちた。
ただそれは酔っていて見間違えただけかもしれないと目をこする。
そして彼女が去ったあと、おもむろに床を見て。
「……アレクシア。ユースの事なんだが」
羽虫の死骸を拾い上げて言った。
「なんですの?」
「疑い、で話すことになるんだが」
構いませんわ。との返答を受けて、ニキアスは語った。
「ユースの肩に虫が止まった瞬間、何か魔法陣が見えた。そしたらこの虫が死んでね」
「……ふむ?」
「とりあえず僕の方で監視をつけておく」
「勝手に出歩かれては困る娘ですし、許可しましょう」
ニキアスが席を立ち、アレクシアは頭を抱えて席に座り込む。
まさか女神の置き土産かとでも考えて、しかし彼女は首を振った。
「確かに、あのおファック女神は生前わたくしによく似ていたはずですが、ユースにその気配は一切しませんでしたし」
そうでなくては、ここに連れてきてなどいない。
しかも話してみた限りではどこからどう見ても普通の娘で、調べた限りでは過去もある。
アストライアはその辺の工作は杜撰だったし、聖女などと名乗るほどに無駄にプライドが高かった。
「それにアストライアほどの魔法使いなんて存在するはずがないですし。過去に居たとしても所詮奴に負ける程度ですわ」
まぁ、それならなんとでもなりますわね? と一人つぶやき、アレクシアは窓際へ向かう。
おもむろに窓を開けて、深呼吸して心を落ち着かせていた彼女。
ふと何かが視界の端を通り過ぎ、振り返ると。
”ありがとう”
ただ一言、そう書かれた一枚の紙片が机に置いてある。
「え? なんですのこれ。こっわ」
思わず素の声が漏れて、彼女はその紙片を恐る恐る拾い上げた。




