第十八話:飢饉の夏
前回のあらすじ!!
ランカスターを、俺の戦いに巻き込みたくはない。
素直に話せば、ジョンソンやワシムやみんなも手伝ってくれるかもしれないが。
ただ、彼らにはランカスターを取り戻す夢があるし、俺は同じ夢を見るのを止めたんだ。
――アルバートの日記 帝国暦99年9月頃
入れ墨の呪いは女神の力への対抗策だと、アーサーがやかましく語りかけてくる。
ミランとかいう女が保険だとかスペアだとかどうとか、こっちには関係のないことなんだけど。
寝られないから黙っていてほしい。
――エリザベス=ランカスターの日記 同時期ごろ
アーサーが調子に乗って母を辱めずに、さっさとトドメを刺しておいてくれればこんなことにはならなかったのに。
むしろあの時彼が私を見逃さなければ、こんなに苦しむことはなかったのに。
傲慢で尊大、顔と声は良かったけれどどうしようもない悪党。そもそもの始まりはあの男が母に求婚を断られ……
――ミラン・ディケー・ミラクの日記 前帝国歴327年頃?
――帝国暦99年8月、ペルサキス城、夫婦の寝室
ニキアスは早朝に届いたエリザベスの家紋の入った封書を開けて、彼女からの手紙を読んでいた。
氷を浮かべたグラスを揺らし、爆睡するアレクシアを横目に。熱を放出する消術呪文を刺繍した布団で寝ている彼女が若干寒そうに寝返りを打っているところ、彼はなるべく静かに呟く。
「ふむふむ。エリザベスの方で処理するなら取引はさせてもいいかな。ウチからは余裕ないし勝手にやるならいい、ってとこかな」
涼し気な音を立てながら、氷水を飲み干す。
ことっ、とグラスがテーブルに置かれると、白金色の毛虫がのそのそと起き上がった。
「さ、寒すぎましたわ……冷房布団の出力は要調整ですわね……」
あ、起きたのかい。とニキアスは声をかける。
アレクシアは眠そうに目をこすって、彼の手紙を覗いた。
「へぇ。なかなかやりますわねエリザベス。いいんじゃないですの?」
通信網建設ついでにモロコシを売るために西側諸侯の交易路を作ったと。さすがですわねぇエリザベス。と彼女は本心から称賛をして。
ただ、それでも帝国西部が飢饉の直撃を受けることに変わりはないだろうなと考えた。
「セルジオスの計画だそうだよ。エリザベスは偶然出会ったというわけだ」
「……あぁ、ガブラス公の。てっきりソロンの親戚にやられっぱなしかと」
「あいつはそんな奴じゃあないな。スコルピウスの首謀者の一人だし。エリザベスを上手いこと使って、ランカスターとの協力を率先して提案したのも彼だよ」
へぇ。とアレクシアはどうでも良さそうに生返事をした。
どうせ貧しい西部なんて大して障害にならないだろう、と考えていた彼女は、ランカスター以外のスコルピウスなど興味がなかった。
「……アルバートの次に危険かもしれないけどね。セルジオスは」
ニキアスはぼやく。
昔から彼が語っていた、民が自分たちのために政治をするという夢。
貴族として民を導くことを使命として産まれ育ち、アレクシアを君主に抱き帝国を再編しようとする彼は、政治的にいずれ対立するであろうセルジオスが順調に力を付けているのを危惧していた。
「どうかしら。力なき理想などなんの意味も成しませんのよ」
アレクシアもセルジオスの危険な思想については、ニキアスから聞かされた。
ただ民主主義の国で生まれ育った前世を持つ彼女からしたら、それはこの帝国の統治体制よりも自然なことだと思っていたし。だからこそやれるものならやってみろ、とすら考えていたから。
「好きにさせとけばいいと思いますわ」
結局彼女は、西側諸侯に関しては触れないと決定した。
――数日後、ランカスター地域、ランカスター王城
「良かったわねアルバート。”ペルサキスは関知しない”のお墨付きよ」
エリザベスが届いた封書を読みながら、しばらく王城に寝泊まりしていたアルバートに声をかける。
一週間ほど前に交易路の整地を終え、ランカスターから出る最初の積荷を護衛するために残った彼は、準備を整えて待っていた。
「それは良かった。早速向こうに戻る」
「……ジョンソンとかワシムとか、あんたを待ってたわよ?」
会わせる顔がな……。と小声でつぶやく。
彼が何をしてきたか、だいたい予想がついたエリザベスは首をすくめた。
「西側で頻発してる貴族襲撃事件、本当はあんたの仕業でしょ。こっちでも義賊だ何だって話題になってるけど、結局卑怯なことやってるから後ろめたいってとこかしら」
「今の俺がやってることなんて、民から絞っていた奴らと変わらんからな」
弱い者いじめだ。と暗い顔で愚痴を言う。
神の力、エクスカリバーを使って貴族に奇襲をかけて殺している。ただ本当の悪であるクセナキス家や、彼らの取り巻きに手を出してはいない。
一応彼らも襲撃を恐れていて、以前よりは圧を掛けられなくはなっているのだが。
「間違ってるとしても、あんたは正しいと思ってたほうが楽よ。あんたを信じてくれる人々のためにもなるし」
エリザベスは、自分自身に言い聞かせるように話す。
既にニケの居なくなる百年祭を狙って、ランカスター独立の準備を進めている彼女は、アルバートと同じように迷っていた。
しばらく二人の間に沈黙が流れたが、エリザベスは背を向けて、口を開く。
「……行きなさいよ」
「あぁ。ありがとう」
その背中にアルバートは一礼して、顔を隠すと出ていった。
――小一時間後、ランカスター王都外れ
「……諸君、これから我々は港町ガブラスまで七日を、極力不眠不休で駆け抜ける。往路でも感じたと思うが、ランカスターから南西辺境領を抜けるまでの区間が最も危険だ。各々十分に注意を払え」
アルバートが輸送部隊に命令を下し、少数精鋭の部隊は力強く頷いた。
ガブラスからの代金である、金や宝石を運んできた帰り道。今度はかさばるモロコシを抱えながら走り抜ける。
急遽整備した交易路の一部は馬車を使えず、その区間は馬を歩かせて積荷と馬車自体を手で運ぶ。
金や宝石はそのまま投げ飛ばして運ぶことができるからまだ楽だったが、帰りの積み荷はあまり雑に扱うわけにもいかない。
だからこそ復路は遥かに辛い行軍になると、全員が理解していた。
「この一便で終わりではない。皆を餓えから救うために、何度でもやろう」
冷静沈着で力強いアルバートの檄に、彼の配下の者たちは力強く頷く。
こっそり覗きに来たエリザベスが思わず笑いそうになるほどに、彼の激励は板についていた。
「色々あったみたいねぇ。ま、いってらっしゃい」
――丸一日行軍したアルバートたちが、南西辺境領の中に勝手に建設された通信基地に着く。
開けた場所で焚き火を囲み、川魚を焼く。
運び出したモロコシ粉には誰一人として手を付けない。それぞれに祖国で待つ家族が居て、そのために運んでいるのだと、空腹を僅かな魚で紛らわせていた彼らの後ろの藪から、突然アルバートが顔を出した。
「熊を獲ってきた。捌くから誰か手伝って欲しいんだが」
夜は目立ちすぎるエクスカリバーを置いたアルバート。
巣穴を突き止めてその上から踏みつけて、怒って出てきた熊を一撃で殴り倒して首をへし折る。
身の丈の二倍はあろうかという山の主を軽々背負って出てきた彼を、部隊の面々は軽く引き攣った顔を浮かべて歓迎した。
「……勇者様、お怪我は……?」
「熊は魔法が使えないからな。大したことはない」
こともなげに言うが、当時の熊は現在動物園で見る事のできるそれよりも遥かに巨体で、かつ平均的な火や風の魔法では全く歯が立たない強敵であった。
建設中に何度も襲撃を受けたランカスターの強靭な兵士たちも、山の主が現れる時は息を潜めて小屋に身を隠し、去ってくれるのを震えて待つしかできなかったのだが。
「ほら、食べるぞ。余った肉は基地で干し肉にしておいてもらうから」
「あ、ありがとうございます」
アルバートにそのつもりは一切なかったが、彼の行動は部隊の面々に大いに勇気を与えていた。
この勇者のそばにいれば、どんな相手にも絶対に勝てる。何があろうと自分たちは彼に守られているし、彼を助けるために全力を尽くせば応えてくれると、彼の部下たちが信じ込むのには十分だった。
その尊敬の視線を受けたアルバートは照れくさそうに頬をかく。
「……なんか照れくさいな。ここで休んだらしばらくは野宿だ、今日は英気を養えよ」
食事を終えて寝こける部下たちを見守って、夜の監視に一人座るアルバート。
家にしまったアンナの左腕から外した、彼女の金の指輪を握りしめて祈る毎晩の日課。
せめて彼女の魂だけは安らかであるように。そして女神への復讐を誓い直す毎日。
「身体強化、明らかに強くなっているな」
誰も聞いていない中呟く。
それが神の力なのか、ミランが言っていたように女神と繋がったからなのかはわからないが、使えるものは使わなくては。
毎日毎日悩み続け、しかしそれをなるべく表に出さないように。
どんどん疲弊していく彼の心にとどめを刺したのは、輸送を終えたその日だった。
彼の前に待っていたのは、二週間に渡る封鎖により大量の餓死者と病人を出したガブラスの港町。
――帝国暦99年8月下旬、西側諸侯地域、ガブラス領
「……どういうことだ?」
アルバートを始めとして、輸送部隊の面々は絶句した。
あまりにも暑く、街は干からびたように息を止めている。それに道端で力尽きたのか倒れている老人や子供は軒並み悪臭を放ち、誰も近寄ろうともしない。
この街を出て三週間、すぐにまたランカスターへ戻ろうとしていた彼らは、この港町に戻ってきて目を疑った。
急ぎガブラス公の城まで走り荷解きをしたところで、出迎えたセルジオスを問い詰める。
「セルジオス、一体何があった!?」
頬がこけた様子のセルジオスは、力なくアルバートに歓迎の抱擁をして。
近くの椅子に座り込んで話す。
「……君らが出てってから、食料が全く入らなくなった。暑すぎて海に魚がいない。保存食を細々と食ってはいるが……船乗り病だろうな」
既に6月ごろから食料の供給が怪しくなって、保存食を中心に食べていたガブラス領の民は完全に栄養失調に陥っていた。
体の強い大人ですら動けるものは少なく、必死に捕まえた海鳥の血を啜る、船乗りに伝わる最終手段で命をつないでいる。
「まさか、こんな事になっているとは……」
「君たちはよくやってくれた。粉を粥にして配ろう……おっと」
「無理するな。俺たちがやる」
起き上がり、働こうとしてよろけたセルジオスをアルバートが抱きとめて、椅子に座らせようとしたが、セルジオスはその手を振り払い、無理やり立ち上がり、アルバートの目を見据えた。
「そんなことよりまた行ってきてくれないか。健康なのは君たちだけだからな……他の諸侯は頼れないんだ。どこも似たりよったりで、代表として粉を配分しなくては」
「先にお前が食え。ゆっくりだぞ」
「……今回ばかりはそうさせてもらう。ウチの食料は真っ先に全部配ったからね」
よろよろと歩き出す彼に、アルバートは忠告だけをして再びランカスターへ向かうことにした。
――その一週間ほど前、ペルサキス城
「ミランから手紙が来たんだけど……だ、そうだよ。西部は」
「ひっでぇですわ。この世の地獄ってやつですわね」
アレクシアは自分の肩を抱いて震え上がる。
帰ってきたシェアトもその話を聞いて、悲しそうな顔をした。
「こちらから援助しましょうか。連合国はあまり猛暑の影響を受けていませんし」
「ですわねぇ。南部港に干した果物とか、瓶詰めのジャムとかを中心に送ってくださる?」
飢餓の原因を、アレクシアはおおよそ突き止めていた。
翼竜大隊の観測で、南西からの強い熱風が大陸に吹き付けていると判明していたし、帝国が熱波の盾になって連合国では影響が少ないことも把握している。
そして流行っている病も、西部でも採れる食品や悪臭というキーワードから壊血病だろうと推測して、シェアトにお願いをした。
「あら、穀物じゃなくても?」
不思議そうに尋ねるシェアト。
アレクシアは小さくため息をついて、詳細な説明は省く。
「果物の方が良いのですわ。穀物ばっかり食べても体壊すだけですし」
珍しく優しいアレクシアだったが、彼女の気遣いは理解されずに。
その後百年近くに渡り、大陸西部では『甘いものばかり送りつけてきた世間知らずのお姫様』の扱いをされてしまった。




