第十六話:灼熱の夏
前回のあらすじ!
250年前、第一次世界大戦中、中東ファティマ地域で合衆国陸軍が見つけた中世の遺跡。
その中に安置されていたミイラ化した左腕は、遺伝子検査によりランカスター人の伝説の勇者アルバートの妻とされる女のものであることが明らかになった。
――『聖女の左腕』のミイラ(ペルサキス博物館所蔵)
「音声記録9874、646年3月5日。聖遺物として、地元の住民はこの腕を祀っていた。外敵に大いなる災いをもたらす物と言う伝承を調査。女の左腕と思われる、ミイラ化した物」
(合衆国軍のものと思われる銃声)
「「アストライア様万歳!! 帝国に永遠の呪いあれ!!」」(古王国語の叫び声)
「クソッ! 簡単に洗脳されやがって! 少しは静かにしろ!!」
「中佐! あの腕は置いて帰るべきです!」
「バカ言うな! 持ち帰って封印しなければ……邪神が復活する!!」
「……記録続行。触れたものの傷を癒やし莫大な魔力を与え、代償として精神を蝕み魂を食い散らかす呪い。呪術の症例から調査したところ、帝国暦末の、『隻腕の聖女』に治療を受けたオリオン州民の症状と一致する。掛けられている術式は解析不能。本国で調査を続行する」
(扉が開く音)
「中佐! もう保ちません!!」
「(舌打ち)発砲を許可する! 味方だろうが撃って撃って撃ちまくれ!!」
――合衆国陸軍技術中佐、ゲオルギウス・オーリオーンの音声記録より。746年、国家機密開示法により公開。
――帝国暦99年6月、ペルサキス城執務室
「……なぜ火山が噴火したというのに、今年はこんなに快晴なんでしょう?」
「昨年の夏は南風でしたが、冬からずっと南西からの風が非常に強くて。大陸中を観測飛行してきましたが、恐らく北東側に火山灰が運ばれていると考えています」
「なるほど、ですわ。ご苦労でしたテオ」
まだ6月だと言うのにジリジリと照りつける太陽。帝国暦上最大の酷暑に襲われる夏は、今は始まったばかり。
軍人であり気象研究者となったテオ将軍から報告を受け取り、うんざりしたように机に潰れるアレクシア。
彼女の代わりにテオを見送ったニキアスが話しかけた。
「んで、あの南洋から来た作物を作ってるわけか」
「モロコシとかいうそうで。高い気温と水さえあれば6月に蒔いて8月に収穫できるらしいですわよ。ってことでこの暑さで春小麦が採れなかったときのために実験農場で作ってますし、ランカスター地域では今年から夏の主力穀物にしてみましたわ」
気軽にそう言うアレクシアだが、大学のランカスター人研究者がこのモロコシ計画を完遂するのには十年以上の月日を掛けた。初年度の今年はあまりの暑さに害虫がおらず大成功を収めるのだが、翌年から虫害に悩まされ……と記録が残る。
「へー。春小麦が全滅ってなると特に北部で大飢饉になるから勘弁してほしいもんだが……しかし暑いな今年は」
「一番打撃を受けるのは西側諸侯でしょうねぇ。あそこは元々農作物があまり採れないのに、首都から中央大平野で飢饉が起きたら供給切られますし……いやほんと、暑いですわぁぁぁ……」
「ウチはどうだい?」
「備蓄はもうないので海外からですわ。9月にはイズミノクニからコメという穀物が笑っちゃうほど来ますので、中央大平野が全滅しようがこっちは無事ですのよ」
季節的に古米でしょうけど……とボヤいて、アレクシアはぐったりした様子で机に伏せる。
ランカスターの連中はよく毎年こんな夏を過ごしているなと少し尊敬して、ふと思いついた。
「氷、売りますか」
「は? 山から採ってくるのかい?」
「まさか。消術ですわよ」
そう言ってアレクシアは水を持ってこさせる。
「ここにふたつのグラスがありますわよね。両方に水を注ぎましてっと」
用意して、ニキアスに説明しながら水を注いだアレクシア。
ふむふむと相づちを打って見る彼。
「片方を凍らせて、もう片方のグラスに熱を移し替えますの」
そ、そう……とよくわからないニキアスが生返事をするところ。
アレクシアは両手でそれぞれのグラスに手をかざし、熱を引っ張り上げて移し替えるイメージで、思い切り掛け声を叫んだ。
「んぎぎ……よいしょぉぉぉぉぉ!」
「あ、呪文とか無いんだ」
みるみるうちに右手のグラスが凍りつき、左手のグラスが温まっていく。
ニキアスは思わず拍手をして、アレクシアはどうだと言わんばかりに見せつけた。
その氷のグラスを額に当てて、彼女はうっとりした顔でため息をつく。
「あ~。冷たくて気持ちいいですわ~」
「まぁできるのは分かったんだけど、それで商売にはなるのかい」
「貴方が壊された鎧に使われていた消術を応用して、大量生産することはできますのよ。さあ、実験に氷を作りがてらお風呂でも沸かしましょうか」
結果として彼女の氷事業は成功を収めた。
彼女の開発した消術式製氷機は飛ぶように売れ、新しい穀物や海外から入ってくる食料とも合わせて帝国暦末の地獄の猛暑を凌ぐことにペルサキスは成功していたのだが。
――同じ頃、帝国首都、オーリオーン城
「クソ暑い……暑すぎる……アストライア、貴様の加護はどうした!」
八つ当たりのように、汗だくの皇帝が聖女を怒鳴りつける。
聖女の方もぐったりした様子で、数百年ぶりの肉体に打ち付ける暑さをしのごうと石床に寝そべっていた。
「天の方は管轄外ですわ……確か五百年ほど前もこれくらい暑かったような気がしますの……」
自分が殺された年も猛暑だったな……と思い出しながら。
あ゛。と声を漏らした。
「そういえばあの年、春蒔き麦や夏の作物が全滅したんですのよね。それで蜂起したアーサーに滅ぼされたのでしたわ」
「縁起でもないことを……。とはいえ中央だけならなんとかなる程度には蓄えはあるからな。最悪餓えさせておけば反乱軍共の勢力も衰えるだろうし」
「アーサー達は木の皮だの根っこだの食べて戦いに来ましたわねぇ……」
「……よくもまぁ、そんな奴らに勝てたものだな神祖は」
昔を懐かしんで現実逃避をするアストライア。
春の税を絞った後の首都にはまだ十分な蓄えがあったし、皇帝は最悪の事態を想定して流通量を抑えさせていた。
しかしリブラ商会から市場を取り戻したばかりの貴族商人たちが、それを逆手に取って私腹を肥やそう、帝国西部の民から巻き上げようと奮闘していたところまでは思い至らなかった。
――またまた同じ頃、西側諸侯、ガブラス領
「……麦の値段が十倍なんだが。これは死ねと言っているのかな?」
セルジオスが愕然とした表情で書類に目を通し、周りの貴族たちが項垂れている。
南西部にわずかに耕作可能な地域があるだけの彼らの食料は海産物と、中央で穫れる作物で賄われている。
ただ今年は猛暑で夏の収穫が期待できないということ、皇帝直々に流通を絞るとのお達しが出たおかげで悲鳴を上げていた。
「金の買取価格もおかしい、下げ過ぎだ。これじゃあ全員餓死するぞ。クセナキスの奴ら、好き放題しやがって」
リブラ商会が撤退した後、筆頭として入ってきたのがソロンの親戚であるクセナキス一族の商人たち。西側諸侯との取引を独占するお墨付きを得た彼らは早速金の値段を一気に下げて、更に麦や家畜の値段を数倍以上に釣り上げていた。
「誰か、いい考えはないか?」
セルジオスがそう言うと、ひっそりとその集まりに参加していたミランが手を挙げる。
誰だ? という周りからの目線を受けながら、彼女は話しだした。
「どうもどうも。ガブラス公の外国人顧問です。ペルサキスと直接取引しては? 一応ランカスター地域と領境を接していますし、密輸でもなんでもできるかと。調査によりますと向こうは暑さに強い新種の穀物を作っているとのことで」
「……ふむ。アルバートに任せようか。地理も詳しいはずだ。イクトゥスの元領地を通るから、彼から地図をもらうといい」
「私も手伝ってきますよ。こそこそとした商売は我が国の取り柄なので」
「頼む。くれぐれも中央からの役人に見つかるなよ」
はいはい。とミランは頷いて部屋を出る。
アルバートの家に向かったミランが、頭の中で計画を立てながら歩いていると、街の広場に作られた東屋の屋根の下、子どもたちに読み書きを教える彼を目撃した。
――
結局彼は、暇な時の仕事としてミランに勧められるがままに教師を選んだ。
学校などなかったこの地でペルサキスで見た学校を真似て子どもたちを集め、自分の神の力を集めるための偽善だと自嘲しながらも、彼は真剣に文字を教えている。
「よくできたな皆。それじゃあ、お父さんやお母さんを手伝ってくるんだぞ」
作り物の笑顔で笑いかけ、彼を先生と慕う子どもたちが去っていく背中に手を振って。
「なかなか様になってるじゃあないですか。戦後の人生設計も完璧ですね」
「からかいに来たのか?」
むっとして睨むアルバートに、ミランは違う違うと手を振って答える。
「仕事ですよ。輸送路の確保……ランカスターとのね」
「アレクシアに見つかるぞ」
「彼女は見つけたところで止めませんよ。ペルサキスはクセナキス家の独占で不利益食らってる側ですし、なんなら連合国側から手を回します」
いや、それでも大問題だろう。とアルバートは愚痴を言う。
イクトゥスが指名手配されて以来、ランカスターに通り抜けるための南西辺境領は帝国中央貴族の管轄になっている。イクトゥス本人ですら彼の鉱山に向かうには命がけだと言うのに、ランカスターとの取引など隠れて行えるのかと疑問だった。
「この夏、あなたにとっては大したことないでしょうが。暑さで恐らく北部の作物は全滅します。この作戦が無理だったら皆餓死ですよ。さっきまで教えてた子どもたちも」
母の国はそれで滅んだ。と心の中で呟いたミラン。
アルバートはそんな彼女の言葉をやけに重く感じて、顎に手を当てて考える。
「……嫌な言い方をするな」
「事実ですから。海路は全てクセナキス家かおともだちの貴族、陸路もリブラ商会が使っていた整備された道は全て同じく抑えられています。私達は悪路を切り拓いて、届ける必要があるというわけなので」
「最悪だな」
「残念ですが、そうなんですよね。外国人の私ですら命をかけてあげますので、やりませんか?」
ミランとしては、自分は食べなくても死なないし、いくら致命傷を負っても生き返る。
だから気軽に命を賭けるのだが、それを知らないアルバートからしたら彼女は聖人かなにかに見えているようだった。
「そこまで言われたら仕方ないか。やるしかない」
仕方なく、といったふうに決意して、勇者は重い腰を上げた。




