第十四話:神祖アポロン
前回のあらすじ!!
まったく、ひどい母親だな。
結局は支配することそのものが女神の目的なんだろう。
……そうでもなければ、何百年も正気を保てるわけがないか。
――ニキアス=ペルサキスの日記 帝国暦99年6月3日
今では一般的に使われている方式の自動小銃の、その最初の雛形を作ったのは皇帝だと認めざるを得ない。
当時アレクシア学長からの質問を受けて一ヶ月で資料と現物を元に再設計をしたが、どう考えても部品を作るための装置を開発するところから始めなければいけない事は明らかだった。
あれを手作業で作るには、非常に高度で精密な魔法制御が必要だろう。
ペルサキスでの量産は不可能だと返答するしかなく、我々の方が遥かに進んだ科学を持っていたはずなのに、その差をあんなにも容易く埋めてくる帝国中枢の魔法技術力を、私はただただ羨むことしかできなかったのだ。
――アレクシア大学教授、ソクラテス・ドラグーン※1 の回顧録 32年頃。ドラグーン・ホールディングス社公式ホームページにて現在公開されているものより抜粋。
※1 ドラグーン一族の始祖。アレクシアの発明を形にした銃器の父で、その家名はアレクシア直々に付けられた。
――百年ほど前、夏。
いずれ彼が築くことになる帝国首都。このときはまだ片田舎で、短い夏の日差しを受けて青々とした麦畑が広がるのどかな穀倉地帯の村。
その中心にある、小高い丘に建てられた掘っ立て小屋で、一人の少年が羊皮紙に向かって何か書き込んでいた。
紅顔の美少年、アポロン。彼の周りには膨大な数の古文書が散らかり、彼の真横には一人の少女が座っていた。
「お前の母さんの呪い、やっと尻尾くらいは見えたかも」
「お母様の呪い……私には加護、なんですけどね」
「呪いを解いて殺してほしいって言ったのは君だろ。古文書の提供は感謝するけどさ」
後にミランと偽名を名乗る少女ディケー。
既にミラクの女王として永らくの時を生きてきて、母の呪いを解くことのできる魔法使いを探し求めていた彼女は、ついにその素質のある少年を見出していた。
「伝説上の神の力、やっと解明できたんだから少しは喜べよー。お前の母さんはすげぇよな。これを四百年も前に発見したんだから……」
ディケーが集め、彼が必死に解読した知識。
数少ないアストライア女王の文献や、アーサー王の文献を当たり続けた彼は、一つの結論に至っていた。
「人間には全員魔力があるはずで、その魔力を信仰として吸い上げれば、大きな魔法が使えるはずなんだ」
「全員? そうなんです?」
ディケーが驚いた顔で彼を見る。
彼女は当然女王として、かつて母が使っていた魔法の一部を使うことができるが、自分の国民がそれを使えるとは思ってもいなかった。
大昔、母に仕える神官が魔法を扱うのを見たことはあるが、それもごく一部の人間だけだと思いこんでいた。
「そうだよ。貴族の奴らが使ってるだろ? しかも領民をうまく治めてるとこの貴族じゃないと魔法は使えないし、使えないと出来損ないのグズ扱いだし。これは神の力の一部だね。確実に」
「……それは全員魔法が使えるってことにならないんじゃ」
「じゃあ、試してみようじゃないか。ぼくなんか魔法使いの家に生まれたけどグズだからね。ただ、自分の分の魔力は持っているはずだから、本来なら絶対に使える」
そう豪語したアポロンは、おもむろに外へ出る。
彼に着いていったディケーの目の前で、彼は大きく手を天に掲げた。
「ランカスター語の魔術書から抜粋したものだ。……火の神よ! ぼくに力を!! ファイア!!」
できると信じ込むこと。これが一番大事だと確信した彼の目の前に小さな火の玉が浮かぶ。
成功に大いに喜んだアポロンは思わず飛び跳ねて、ディケーに抱きついた。
「ほら!! 成功だ!!」
「すごい! で、お母様の呪いと関係あるんです?」
彼を抱きとめたディケーが聞き返すと、アポロンは恥ずかしそうに笑って。
「少しだけかもだけど。これは大きな一歩なんだよ」
――二十年が経ち、冬。
建ったばかりのオーリオーン城の一室で、ディケーは寝たきりとなったアポロンの手を握る。
アストライアの呪いに敗れた彼は、彼自身の全ての生命力を奪われ、今では息子に皇帝位を譲って死を待つばかりの、まだ三十五歳とは思えない老人の顔になっていた。
ただ彼の命と引き換えに、アストライアの墓の上に築かれた帝国首都は彼女の加護を受けた豊穣の地になっていたし、皇帝位にある者に女神の呪いを通して回収された意志の力が集まるように、この城自体に魔法陣の細工を施すことができた。
そして今は内政に秀でた目を持つ彼の息子アポロン二世の治世下で、彼の築いたこの帝国は年を追うごとに豊かに、強靭になっていく。
「ごめん、ディケー。俺は君を殺せなかった」
「……アポロン、謝らないでください」
「すまなかった。アストライアの力は、皆を救うために必要だったんだ」
「分かっていますよ。誰もあなたを責めません。むしろあなたは皇帝として、正しいことをしたと思います」
アストライアの呪いに彼が敗れた一番の原因が、その呪いを解いた時に彼に従う民がどうなってしまうのかと不安を覚えたことにある。
ほとんど自由に神の力を扱うことができた彼だからこそ、それがなくなることを恐れてしまって、呪いの番人たるエクスカリバーを壊すことができなかった。
そして彼はエクスカリバーを壊す代わりに呪われた偽物の神を妻に迎え、彼女を懐柔することで安全に呪いを弱められないかと考えたが、その計画は失敗に終わってしまう。
「だが、エクスカリバーの呪いは書き換えて、神の器が産まれる場所は固定した。俺の子孫と……ランカスターの子孫に。いずれ俺の子孫の方から、アストライアの器が産まれるはずだ。その時、その子の所へ行けばなんとかしてくれるだろ」
「……自分の子孫に押し付けていいんです? 迷惑なご先祖様ですねぇ」
「俺の血だぜ? きっと凄いやつが産まれてるさ。それにそこまで凄いやつは皇帝になってるから、俺の遺す書物を持ってるし、絶対にアストライアを返り討ちにしてやろうなんて考えるはずだ。もっとも、君のことは書かなかったけどね」
豪語して咳き込むアポロン。
痰に血が混じり、苦しそうにむせる彼をみたディケーは人を呼ぼうとして。
呼び止められて振り向くと、彼は穏やかな笑顔を浮かべて言った。
「もうすぐ逝くらしいから、手を握っててくれないか。君はぼくの初恋なんだ」
「……それは、随分重い呪いですよアポロン……」
――帝国暦99年5月末、帝国首都北部港=帝国西部ガブラス港航路
「ッ! ……懐かしい夢でしたね」
アルバートの所へ向かっているミランは首都北部港で部下と落ち合い、アレクシアへの情報と首都で拾ったものを持っていくように指示を出して、そのまま西部へ向かっていた。
船の中で飛び起きた彼女はあたりを見渡して、まだ旅路の途中だったとため息をつく。
「……凄いやつが産まれてる……ですか」
ふと思い出す彼の笑顔。そしてペルサキスで見た彼の子孫。
先日、港を出る前に見たアレクシアの雷は凄まじいものだった。
まるで星が堕ちてきたかと錯覚するくらいのまばゆい輝きと轟音。今まで生きてきて見たこともなかった雷の魔法。
部下たちが口々にアレクシアこそが真の女神で、ミラクの母神その人だと言っていたのも理解できる。ただ、自分は彼女を母と呼ぶ気はないのだが。
「アポロン、あなたには悪いですが……今回は情に流される気はないので、利用させてもらいますよ」
彼が死んでから名前を変えた。本名で呼ばれるたびに、最も惜しいところまで辿り着いた彼の顔を思い出すから。
彼の子孫は女神の力をどう利用するかというところにばかり熱心で、打ち破ってやろうなどと考えるものは誰もいなかった。アポロンが自分の事を隠したのも、ある意味で納得できる。きっと歴代皇帝は自分のことを女神の子として利用しようとしただろうから。
しかしアレクシアは違う。偶然にも皇室を弾き出されたおかげで、彼女は皇室も女神も全て叩き潰してやろうと復讐に燃えている。まるで自分が世界の支配者になろうとしたアポロンのように。
「……まぁ私が言うのもあれですが、アレクシアを皇帝にしてたらもう百年は安泰だったんじゃないですかね? アポロン、そっちに行ったらそこんとこの意見を聞かせてくださいよ」
そう呟いて、船室を出て甲板へ向かう。
朝日に照らされた水平線の向こうに、帝国西側諸侯の中心都市、ガブラスの港が見えた。
「やっと着きましたか。プテラノドンで飛んだほうがいいのは分かってるんですが、年寄りになるとどうしても新しいものはねぇ」
急に年寄りじみたセリフを吐いて、接岸した船からミランは降りる。
旅客用の、飛石を用いた大型のプテラノドンが開発されるのは数年後。それまでは貴族が自身で飛ぶということは殆どなかった。
――
「……迎えに来た」
「アル! お久しぶりですね。ペルサキス土産はたくさん買ってきましたよ」
仏頂面のアルバートに迎えられた彼女は笑顔で手を振る。
彼はじれったそうに言葉を返した。
「シェアト様の救出に付き合った礼がまだだ」
「はいはい。女神と皇帝について、ですよね。どこか静かなところはあります?」
「ガブラス公の城を用意している」
「……信用はできるんです?」
問題ない。とアルバートがミランの荷物を持ち上げる。
彼女はしばらく考えて、頷いた。
「西側諸侯貴族の首魁でしたか。それが帝国を裏切ろうとする気ならそれはそれでありがたいのですが」
行くぞ。と彼に促されるままに着いていく。
馬車で市街地を抜け小さな城に入り、応接室で二人が待っていると、この屋敷の主が直々に訪れた。
アルバートやニキアスと年齢はそんなに変わらないだろうか。当主としてかなり若い彼は、父の遺した西部諸侯貴族連合をまとめて、これまで搾取され続けた帝国中央への反乱を企てている。
「ようこそ、ガブラスへ。セルジオス=ガブラス、ガブラス公セルジオス。呼び方は好きにしてくれて構わんよ」
「彼女がミラン・ミラク。ミラクの女狼とかいう、一番の腕利き間者だ」
「どうもどうも、ガブラス公。ご紹介に預かりましたミランです。先に本題に入ったほうが?」
自己紹介もそこそこに本題へ入る。
ミランは流せる分の情報……皇帝が聖女を使って中央の結束を深めて、帝国中央が再び立ち直りつつあること。それとペルサキスがアルフェラッツと組んで反乱の準備を進めていることを伝える。
アルバートが知りたい情報は、彼と二人になってからということでさくさくと話は進んだ。
「……ペルサキスか。ニキアスとは旧知の仲だが……あいつは一筋縄ではいかんからな。協力はできるだろうが、利用されるのも癪だ」
セルジオスは顎に手を当てて、既に知っている情報を頭の中で整える。
スコルピウスに協力している、アストライアとか名乗ったペルサキス家の人間……あれはニキアス本人かと、彼の頭ではすぐに結びついた。
三年ほど前に大河の戦場で将来について語り合ったが、きっと奴は自分と同じで帝国を変える道を諦めたのだろう。しかも恐らく彼は当時語ったアレクシア、今の自分の妻を新しい皇帝に据えるはずだと推測した。
「ガブラス公、私はただの情報屋ですので興味本位で聞きますが、帝国を倒したらどんな国造りを?」
ミランが問いかけると、セルジオスは強い眼差しで彼女を見つめ、大きく息を吸って。
力強く答えた。
「アルバートを君主に抱く。彼には象徴として王座についてもらい、政治は民が選んだ者たちで行う。今までは上から押さえつけられるだけだったからな。その時代を終わらせる」
悪いなニキアス。と頭の中で呟く。
せっかく共闘するというのに、自分の道とお前の道は交わらないな。と、彼は少し笑った。
「なるほど。アルバートは?」
「……それが皆の意志なら、俺は従う」
どうかしら。とミランは首を傾げて、アルバートから目を逸らす。
掴んでいる分の情報では、あくまで革命までが彼らスコルピウスの目的だったはず。
その後は各地で独立して連合国みたいに内戦を延々と続けるんだろうなと思ってはいたが、ガブラス公の話を聞く限りでは一応、帝国崩壊後の目標はあるようだ。
「ま、いいんじゃないですか。王座に座ったら自覚も出てきますよきっと」
自分の体験談ではあるが、軽く励ますように肩を叩くミラン。
それを鬱陶しそうに払い除けたアルバートは静かに聞く。
「それで、他に情報はないのか?」
「ありますよ。情報じゃなくてお土産ですけどね。これ」
そう言って、彼女は羽織ったマントの中から袋を出す。
男二人が興味深そうに見つめる中、ミランはその中身をテーブルに開けた。




