第十一話:夜の決意
前回のあらすじ!
897冊目。この日記帳で、やっと終わりになるだろうか。
将来読む誰かにはきっと私一人で書いたことを信じてもらえないだろうけれど。
これは私の心残りではなく、私を置いていったものの思い出。
(中略)
ミラクという国は遺していく。ペルサキスの傘下に入れば当分安泰だろう。
優しく美しい心を持った信徒たちを、生き血を啜って生き、命を奪って永らえる傭兵集団に仕立て上げたせめてもの罪滅ぼしとして。
――ミラン・ディケー・ミラクの日記 帝国暦99年12月ごろ。
※筆跡及び年代鑑定から、おおよそ541年の月日に渡って書かれた彼女の日記は897冊中472冊が発見され、帝国暦以前の歴史を調査する上で大きな助けになった。
久しぶりに出会う我が宿敵どもは、皆皇女を讃えていた。
きっと新薬とやらの害はまだ知れ渡っていないのであろう。
いや、内戦で傷つき、疲弊した彼らが見て見ぬ振りをしているだけかも知れないが。
……あと10年早くあの薬が出回っていたら、帝国も同様だっただろうか。
――ソロン=クセナキスの手記 帝国暦99年5月
※実際にこの時期には既に連合国で問題になり始めていたが、対抗策はなかった。
・結婚式の警備をしていた。
・確か飲みに行った?
・頭が痛い。何も覚えていない。
・なぜ私は裸?
――エリザベス=ランカスターの手記 帝国暦99年頃
※頭を整理するためだろうか。日記帳に挟まれた小さな紙片に震えた文字で書いてある。
――アレクシアがミランと話していたころ。
「おやおや『猪王』アルゲニブ。いいや、アルフェラッツ王。先日は見事な謝罪っぷりでしたなぁ」
「あぁ、『臆病風』のソロン=クセナキス宰相殿。結局、間者は捕まえられなかったんだろう? 皇帝も怪我をさせられたようだしなぁ」
敵意を隠さず、睨み合う二人。
間を取り持つニキアスが苦笑いで見つめ、ニケとアルフェラッツ王妃は何かあったら力づくで止めるかとコソコソと耳打ちをして。
「ウチの娘にしたことをそのまま貴様にしてやってもいいんだがな」
「ワシに男の趣味はない。というか、神聖な王城を汚らしい足で踏み荒らしておいて何を言うか。殺さなかっただけ感謝してほしいものだが」
実際、シェアトが殺されなかったことは幸運でしかなかった。
皇帝が記憶消去の実験に使おうと思っていなければ、即座に殺して死体を送りつけるくらいはしていたはずだったと、ソロンも、彼女の父であるアルフェラッツ王アルゲニブも理解している。
自分が同じことをされたらどうするか。それを分かっているから、王はシェアトへの虐待を冷静に見ていた。
「それよりアルゲニブ、貴様ミラクを頼ったと聞いたぞ。卑怯者め。自分の尻も自分で拭けんのか?」
「……盟主が連合を使って何が悪い」
「馬鹿者め。頼ってばかりではいずれ足元を掬われるぞ。ペルサキス、ミラクと貴様の家計は火の車だろうに」
旧敵であるソロンの挑発か心配かよくわからない口調に、アルフェラッツ王はぐぬぬと押し黙り、拳を握りしめる。
言い返せなくなった彼の表情に満足した顔をしたソロンは一旦話を切って、続けて尋ねた。
「ミラクの女狼が来ていると聞いた。皇帝からの言伝を預かっていてな。……大方、先日の件だろうが、どこにいる?」
「知らんわボケ。自分で探せハゲ」
貴様も直にこうなるんだよ! と、王の薄くなりつつある頭を指差して怒ったソロン。
咳払いをして荒げた声を整えると、落ち着いて罵倒を受け流す。
「分が悪くなると悪口に走るのは変わらんな。いくつになっても……ニキアス! ミラクも貴様が招待したのだろう?」
唐突に振られたニキアスが首をすくめる。
外は馬鹿騒ぎ。連合国も帝国も、平民も貴族も関係なしに中心街ではしゃぎまわっている。
誰が主役なのかすっかりわからないこの街で、城にいなければ探すのは無理だろうと答えた。
「もっと早くに言っていただければ、捕まえておいたんですけどね」
「貴様の叔母が悪い。ワシを散々連れ回しおってからに……」
「手紙でしたら預かりますが」
「皇帝陛下のだぞ。直接ワシが渡さんことにはああああああああああ?????」
ニキアスに説教をしようとしたソロンの声が裏返って、カタカタと震えながらニキアスの後ろを指差す。
驚愕のあまり見開かれた目には、一人の女が映っていた。
「呼びました? ミラクの女狼、ミラン・ミラクです」
「きっきっ……きさっ……貴様!! ワシが殺したはずじゃ!?」
「ソロンさんが倒したのはお祖母様ですねぇ。……そもそも、三十年前から生きてる人間がこんなに若くて可愛い訳ないですよね?」
「確かに……そうだが……」
瓜二つ、どころじゃない。同一人物だろ!? とソロンが思わず叫ぶ。
ミランは彼の反応に内心で大笑いしながら、自分でなければ絶対に死んでいただろう致命傷を与えたソロンがあまりに驚いていることに満足していた。
「うちの家系、よく似てるって言われるんですよね。それで、皇帝陛下はご無事です?」
外に出るのは、ほとんど同一人物ですけどね。とミランは心中で舌を出し。
数年前に会った時のアルフェラッツ王もソロンと全く同じ反応をしたことを思い出して、笑いを堪えるように話題を変えた。
ソロンは咳払いをして表情を取り繕うと、懐から封書を渡す。
「……貴様のおかげでな。まぁいい、言伝だ。受け取れ」
頭を撃ち抜いたのに効いてませんでしたしねぇ。と、ミランはにこにことして手紙を受け取る。
ソロンはその発言に顔をしかめて、用は済んだとばかりに背を向け、アルフェラッツ王との口喧嘩を再開して去っていく。
置いていかれたミランは苦笑いで、ニキアスの方を見た。
「えっと……ニキアスさん、ご婦人に挨拶はしましたので、私はこれで。二人の幸運を祈ります」
「あぁ、ありがとう」
「しかし……いい男になりましたね、先代によく似て」
「父さんにも会ったことがあるのか。まぁ、君は相当優秀なようだしね」
「えぇ、向こう岸に取り残されていたので。一度だけ食事もしましたよ」
次は食事でもどうです? と冗談交じりに誘うミランと、サラッと断るニキアス。
ただ彼が、父親が大河を渡ったのは十五年も前だと思い出した頃には、彼女の姿は消えていた。
「ん? 君は一体……!?」
呼び止めようとする手が虚しく宙を切った。
――ペルサキス城、寝室
真夜中になってやっと結婚式の祝が終わり、徹夜で遊びに繰り出す者も多い中。
先に寝室に戻ったアレクシアのところに、ニキアスが訪れた。
丸一年。この絶世の美女の直ぐ側にいながら、ずっと手を出さずに我慢し続けた彼。
ここ一年は女遊びを封印し、最近はこの日のために毎日風呂に入り体を清めて。
「…………いいかな?」
「どうぞ。子孫を残すのは義務。覚悟はできていましてよ」
燭台の灯に照らされたアレクシアの顔は緊張に強ばり、結婚まで守り続けた貞操をついに捧げる時が来たのだと、ニキアスを受け入れようと覚悟を決めてベッドに座る。
彼はそっと横に座り、慣れた手付きで肩を抱いた。
「愛してる。アレクシア」
耳元で囁いたニキアスは、ガッチガチに固まったアレクシアの様子に、普段と全く違うなと軽く微笑んだが……
(…………吐きそうですわ)
アレクシアは当然、義務としてもその行為を受け入れていたし。
別にニキアスが自分にふさわしくないとも思っていないし。
むしろ自分の最大の理解者であるニキアスで良かったとすら思っている。
ただ問題があった。
”君は美しい……帝国で……いやこの世で一番…! あらゆる宝石よりも美しい髪に女神の彫像より清らかな肌、花に例えることすら失礼な唇! 私が皇帝、お前が皇后、血の強さは力の強さだ! 兄……いや今日からは夫……いや数年後の皇帝が命ずるんだ! 従ってくれるね? アレクシア。美しい君を妻に迎えたいんだ。君を私のものにしたい……!”
彼女の脳内では兄が自分に覆いかぶさった時の記憶が蘇り、兄とは似ても似つかないはずのニキアスの精悍な顔に兄ベネディクトの、獣のような顔がかぶさって見えていた。
(気持ち悪い! どうして!? とっくに覚悟なんかできてたはずなのに!)
そう感じてはいても、服を脱がすニキアスの手が、兄のそれのように邪悪で醜悪で薄汚いものに感じて。
「ニキアス……やめて……」
裸でベッドに横たわる彼女は顔を手で隠すと、突然子供のように泣きじゃくった。
「!! すまない……」
ただ事ではない様子に慌てて飛び退き、彼女に毛布を渡す。
泣いてしまって話ができなくなった彼女を落ち着かせようと頭に手を伸ばすと、アレクシアはそれを跳ね除けて、ますます大粒の涙をこぼす。
「……紅茶を持ってくる」
「ちがいます……違うんですのニキアス……うぇぇぇぇぇ……」
鼻をすすりながら、話にならない様子で泣き続けるアレクシア。
ニキアスは何も言わずにローブを羽織ると部屋を出て。
しばらくして紅茶と菓子を持って戻ってきた。
「アレクシア。温かいお茶と、チョコレートもあるよ」
「ありがとうございます……」
か細い声でそれを受け取り、ベッドの上に置かれたテーブルでもそもそと食べ始める。
その様子を観察していたニキアスは、彼女が羽織った毛布の裾が涙で濡れているのを見て。
「……君がそんな顔をするのは初めて見た」
「貴方のせいじゃない……わたくしが悪いので……」
しおしおと項垂れて、独り言のように呟くアレクシア。
ニキアスは十中八九過去に、なにか心の傷を負ったのだと推測した。
「シェアトを呼ぼうか。女同士のほうがいいだろう?」
「いえ……ニキアス。夫婦ですから、貴方にお話をしないと」
無理しなくてもいいよ。と優しい声で、アレクシアが泣き止むのを待つニキアス。
穏やかな顔を作っていた彼の表情は、やがて夜が明ける頃には憤怒の表情に変貌していた。
――
「よし、わかった。ベネディクトは真っ先に殺そう。ミラクの女狼を雇うか? いや、僕が行ってこようか?」
「百年祭が無事に開幕されなくては、計画が狂いますわ。あの無能クソボケカス強姦魔兄様の始末はどうとでもなりますの。……貴方の提案には感謝しますわ」
珍しいほどに要領を得ないアレクシアの話をつなぎ合わせ、ニキアスは全てを理解した。
絶対に、ベネディクトを殺す。妹でありペルサキスの女神たるアレクシアを強姦しようとした色情魔など生かしてはおけない。と、憤怒に身を焦がす彼。
なるべく冷静を装って話すが、言葉の端々に苛立ちと怒りが燃える。
「とは言ってもね。僕も僕でだいぶ頭にきていてね。正直今は冷静じゃないんだよ。シェアトなら何も言わずに真っ先に殺しに行ってそうなもんだがね」
どの面下げて婚約式に来たのかあいつは。次期皇帝でペルサキスをも治める立場になると? ふざけているのかあのボンクラが。とひたすらにベネディクトへの罵倒が頭を巡った。
「わたくしもここまで傷を受けていたとは思っていなかったので。怒っていただいて、ありがとうございますわ」
胸の内を話し終わって、安心した様子のアレクシアは立ち上がり、毛布を脱ぎ捨てる。
朝の日差しに照らされた、清らかな、ほくろ一つ無い真っ白な裸体がニキアスの目を焼いた。
彼女は下着を身に着けてローブを羽織ると彼の方を向き直り、軽く頭を下げる。
「据え膳がお預けになったことに謝罪しますわ。それでも、ついてきていただけるなら」
「前も言ったけど、君と同じ夢を見るよ。それが悪夢でも、いい夢でも」
彼の返答に、アレクシアは柔らかな笑顔で。
「シェアトには内緒でお願いしますわね。間違いなく貴方より怒るので」
「僕も大概だよ? なんなら今、プテラノドンで首都までどのくらいかかるか計算してる」
ニキアスは本気が半分以上入った笑顔で、冗談交じりに返し。
まぁ、遅くても早くても半年後にはやりますわよ。と、アレクシアは彼を止めた。
「何度でも言いますわニキアス。ありがとう、愛していますの。子供のように泣きじゃくるなんて、わたくしらしくありませんでしたわ。さぁ、結婚祝はまだ終わっていませんのよ」
弱々しかった彼女の声が段々と強気に戻っていき、彼女は言葉を終えると、両手で思い切り自分の頬をひっぱたいた。
桜色に染まった頬を力強く持ち上げて、不敵な笑顔を作る。
「ゼノンの処刑、ぶっちゃけ楽しみにしてましたの」
「結婚式翌日に人を殺すのはどうこうって愚痴ってた割には、やる気だねぇ」
「結婚式当日に兄を殺す算段立ててるよりマシですわ」
良かった。いつものアレクシアに戻った。とニキアスも安心して立ち上がった。




