第五話:間者
前回のあらすじ!
『南西辺境伯イクトゥス』 銀貨1,000,000 生死問わず。
貴族殺人、馬車強盗の罪。
――帝国首都遺跡から発掘された壁画。
※これほどの重大指名手配犯の賞金を金貨ではなく銀貨で出している、帝国末期の財政状況の悪化が見て取れる。
手配書の似顔絵はよく似ている。私がみんなの身代わりに成れるのなら十分だろう。
妻も子も猛反対をしたが、革命さえうまく行けば全てチャラだ。もし失敗したら亡命する手はずも整えているし。
……アルバートは偉大な勇者だ。彼の悪事は私が背負ってやらないと。
――イクトゥスの手記 帝国暦末頃
隻腕の聖女、アンナちゃん、よく似ていた。
アルバート、いなくてよかった。
レオタリア:38トクソティス:40 得点者………
――ジョンソンの日記 帝国暦99年4月17日 ※彼の日記にはこの時代のラングビのスコアが詳細に記されており、今日でも貴重な資料としてスポーツ省に保管されている。
――帝国国立競技場
アルバートは愕然として、手を震わせながら口を隠す。
見間違うはずもない。アンナだ。あの体、あの顔。なぜ、アストライアと名乗って、隻腕の聖女と讃えられてここにいる? なぜ? と、彼は理解が追いつかなかった。
奴は確かに姿を偽ることができる。しかし肉の体ではないから多くの人の目には映らないはずだし、この晴天の日差しを受けて影ができることもない。しかし、俺の視線の先にいるのは……?
「なぜ……」
思わず口をついて出た声に、隣に座っていた裕福そうな女が声をかけた。
彼女は隣の伊達男に声をかける機会を伺っていて、しかし彼がアストライアに目を奪われているのに少しがっかりして。ただ、その視線が聖女の美貌に目を奪われているだけの普通の男とは違ったことが気になっていた。
「あの、大丈夫ですか? よかったらこれ飲みます?」
差し出された麦酒に、アルバートは手を出そうとして。
彼女が知らない顔であることに気づいた。
「ありが……あぁ、すまないお嬢さん。気を使ってくれて。気にしなくていいよ」
とっさに笑顔を作る。その動作すら久しぶりで、凍りついた頬の筋肉がぎこちなく上がる。
「……お嬢さん、と呼ばれる歳でもないんですけど」
「それは申し訳ないな……」
女は頬を膨らませて、怒ったように身の上を話し出す。
随分とマイペースな女だ。とアルバートは困ったような顔をして、彼女の話を聞いていた。
珍しい灰色の長髪、どことなく寂しさを感じる琥珀色の瞳。どこか掴みどころがない印象の、儚げな美しい顔。体型を隠すようにゆったりと羽織られた春物のコートから覗く、やけに筋肉質な手。裕福そうだが、貴族らしくはないな。と彼は感じた。
「私はミラン・ミラク。連合国の、ミラク国の女王の……」
「女王様がこんなところに?」
「従姉妹の娘の甥の妻の娘の夫の母親の孫です」
しばらく指折り親戚関係を数えたアルバートは、血も繋がってない遠縁の親戚じゃないか。と思わず吹き出して、彼女の渡した麦酒を口にする。
爽やかな苦味とともに、少しだけ気分が良くなった。
「まぁミラクは割とゆるい国なので。アルフェラッツとかアディルに比べればですが。今日はペルサキス家の観光ツアーで来ました」
ふむ……とアルバートは顎に手を当てて考え込む。
連合国の事情に詳しいわけではないが、確かミラクは田舎の小国だったはず。
随分遠縁とはいえ貴族の女が一人で? と怪しんだ。
その視線を受けてか、ミランは怒ったように話を続けた。
「んまっ! 私は実業家ですよ! 貧乏だとか田舎だとか甘く見られては困りますね!」
「いや、そういう意味ではないんだが……」
彼女のペースに押されるアルバートは、取り繕うように試合会場に視線を下ろす。
ジョンソンがボールを奪い、敵陣に向けて大きく蹴り飛ばす。大歓声の中点が入り、トゥリア・レオタリアの応援団が大声で歌い始めた。
「すごいですねラングビは。連合国でもいつか、このように平和な催しが開かれるようになれば……」
「平和……そうだな」
内戦に明け暮れる連合国からすれば、きっとこれでも平和なのだろうな。
そうアルバートは理解して、自分がその平和を乱す悪人であるということも理解した。
大義はある。名分もある。それでもこの帝国で、自分は誰かの血を流す。
「そういえばお名前を聞いていませんでした。あなたは?」
どこまでも自分のペースで話をする彼女に、不思議な感覚を覚えたアルバートはついつい本名を名乗った。
「アルバート。どこにでもいる平民だ」
その名前を聞いて、ミランは少し考える素振りをして。
とぼけるように言葉を返した。
「そうは見えませんけどね。まぁ、誰にでも隠したいことはありますし」
何かを隠してるのはお互い様なのかも知れないと彼は直感して、聞かないほうがいいだろうと考えた。
「じゃあ……アルとお呼びしましょう。あだ名は親交の証です」
「あぁ。ミランは……つけようがないな……」
「ふふふ、元からあだ名みたいなものなので。本名はものすごく長いんですよ」
大変だな。と呟いて、二人は仲良く視線を競技場へ向ける。
時々ラングビの質問をするミランに、アルバートは詳しく解説をして。
その代わりにと食事や飲み物を受け取って。
彼にとっては数カ月ぶりに楽しいひと時を過ごしていた。
「「試合終了!! ウラニオ・トクソティスの逆転勝利!! 我らが英雄に拍手を!!」」
トゥリア・レオタリアは接戦を落とし、敵チームの応援団の大合唱の中、敗戦の悔しさを噛みしめる。
グラウンドの上でうつむいたジョンソンがふと顔を上げると、一番高い指定席のところに見覚えのある男がいたような気がした。しかしこんなところにいるはずはないし、彼がいないことで負けた、という事実を認めたくなくて見た幻だろうと笑い飛ばす。
「アルバートがいたような……まぁいい、あいつにも後で聖女の話を伝えてやらないとな」
気が重い。あのアストライアとか言う女を近くで見たが、本当にアンナによく似ていた。左腕がないところも同じ。それを伝えたら、あいつはどんな顔をするだろうか。
「……やっぱアンナちゃんに似てたよな。あの聖女」
「キャプテンもそう思いますよね!? よかったぁ……俺だけじゃなかった……」
ぼそっと漏らした独り言に、周囲のチームメイトたちが次々と同意した。
ってことはランカスター人か? 姉妹がいたのかも? と彼女が死んだことを知らずワイワイ騒いでいる彼らに、ジョンソンは何か言おうとして止めた。
「アルバート、無事でいてくれよ」
代わりにそう呟いた。
――試合が終わり、競技場を出たアルバートとミランは、近くの料理店で食事をとっていた。
「アル、この……エビフライ? とは?」
「エビに、パン粉をつけて揚げたものだよ。皇女殿下の大好物だそうだ。本当かは知らんが」
「じゃあこれにしましょ! 店員さん、二人前で!」
いや、本当だろうな。確か前に会った時ずっと食べてたし。と思い返して、随分人間らしいところもあったものだと笑う。
今日は珍しく笑ったな。この何も知らない女のおかげだろうかと、少しだけ彼女に感謝した彼は、ふと気になっていたことを聞いた。
「ミランは実業家とか言っていたが、商売に来たのか?」
「まさか、観光ですよただの。休暇です休暇。あなたこそ、正直この首都にいるのはおかしく見えますが」
当たり障りなく返された言葉。しかしミランはまるでアルバートの素性を知っているかのように、彼がこの首都に似つかわしくないと問いかける。
「……どういう意味で?」
「女の勘というやつですね。聖女様を見るあなたの目、他の男とは違いましたから」
なるほどな。とアルバートは彼女が実業家にしても腕利きであろうことを理解した。
アストライアを見る自分をよく観察されていた。それは何のためかと聞こうとして、口を開きかけたところ。ミランは遮るように先に言葉を放つ。
「やっぱり、お互いあまり詮索は良くないですね。一夜の関係でしたら歓迎しますけど」
「独身の頃だったら喜んでいたな」
茶化すように流し目を送るミランに、アルバートは冗談で返して。
お互いにはぐらかしつつ詮索を切り上げる。
「あら、意外とお硬い……今日は楽しかったですよアル」
残念そうな素振りで大げさに首をすくめたミランは、ところで、と話を続けた。
「あの聖女様はオーリオーン城の客として寝泊まりしているようです。本城の、ベネディクト皇太子殿下の住む離れの近くの部屋だそうで」
「…………なぜ、それを?」
連合国の間者か。とアルバートはここに来てやっと気づく。
しかしなぜ彼女が聖女の住処という情報を自分に渡したのかを理解できなくて、思わず問いかけた。
「あなたに必要な情報だと思って。女の勘というやつです」
「……お前、本当は俺を知っているな?」
「城のどこかに、アルフェラッツの王女が囚われています。彼女が助け出されれば、私は喜びのあまり忘れてしまうでしょうね」
食えない女だな。と苦笑いをして、アルバートは食事の代金をテーブルに置く。
ミランはそれを断り、最後に一つと付け加えた。
「船の手配をしておきます。明日早朝、首都北部港で。早ければ早いほど助かります」
「……俺が、話に乗ると?」
「乗らざるを得ないでしょう。ここは女神の眠る地、あなたとて簡単には逃げ切れませんよ」
脅しか。だが彼女は恐らく、約束は守るだろう。
そう感じたアルバートは小さく頷き、今度は自分から一つと、気になっていたことを聞いた。
「競技場で会ったのは偶然か?」
その問いかけに、ミランは困ったような笑顔で首を傾げて。
「幸運ですよアル。驚いたことに本音なのですが。聖女を見るついでに、最期の夜の男漁りをしていまして」
「随分と運がいいことだ。死体が一つ増えなくて済んだ」
「全くです。女神に感謝をしなければいけませんね」
誰の命令かは知らないが彼女は、きっとシェアトを助け出すための捨て駒だったのだろうな。とアルバートは理解した。
「ではまた明日。どうかご無事で」
ミランは申し訳無さそうに悲しい顔をして、アルバートは彼女に手を振って別れた。




