第二十一話:間に合わなかった和解
前回のあらすじ!
糞尿を垂れ流し、ひたすらうわ言をつぶやき続ける、ゼノンとかいう男の世話で気が狂いそうだ。
焼けた人間の匂いが今だに鼻から取れなくて肉も食えないし、アレクシア様が怖くて仕事をやめることもできない。母さん、田舎に帰りたい。今度はまじめに麦を作るから。
――ペルサキス城の使用人の手記 帝国暦末頃。
――ペルサキス中心街広場
突然落ちた稲妻、崩落する城の天守を遠くに眺め、呆気にとられていた三人が立ち上がる。
ニキアスとアルバートは互いに警戒し合いながら、エリザベスは彼らが再戦しないように睨みを効かせながら。
「城で何かあったようだな」
アルバートが呟く。エリザベスの言っていた、ゼノンが城に潜入した結果だろうか。と彼は推測し、彼女の方を見る。
「……皇女殿下は健在みたいね」
その彼女は、まるで想定通りとでも言いたいふうに、アルバートから目をそらした。
「お前達に尋問したいことはいくらでもあるが、まずはここで終わりだ。ランカスター軍を引き揚げさせろエリザベス。一時間後、まだ暴動を続けているゴミはこちらで対処する」
冷静に戻ったニキアスは、まず自分のやるべきことを思い直して。
自分の計画が失敗した以上、元の案を遂行する事にした。
「城には戻らないの?」
「アレクシアは僕より強い」
エリザベスが聞くと、興味がなさそうに短く答えたニキアス。
撤退を急ぐように催促し、それぞれ別れようとしたところ。
走り続けてきたのだろう、息を切らせたシェアトが現れた。
「あの! みなさん!」
その姿に、アルバートとニキアスは武器を構える。
こいつが偽物の、自分たちを殺し合わせた女神かと殺気を飛ばす。
「アストライアとか言ったな。僕たちの殺し合いはいい見世物だったか?」
「よく俺の前に出てこられたものだな。エクスカリバーはお前も斬れるんだろ?」
「え、あの……???」
身に覚えのない殺意に、おろおろと手をふるシェアト。エリザベスは両目ともに彼女の姿が映っているのを確認して、二人の肩を掴んだ。
「あれは本物よ。落ち着きなさい二人共」
武器を降ろす二人。シェアトはホッとした表情で話し出す。
「わたしの偽物が、ニキアスさんやアレクシアを唆したと聞きました。本当にごめんなさい。先程アレクシアともお話をしました。わたしたちも皆さんも一緒に歩めるはずです」
彼女の優しい表情に、アルバートの表情が曇る。
何が起こったかまだ理解していないこの少女に、ニキアスがアンナを殺したという事実を突きつけていいものか。彼は少し悩んだ。
彼女に先にニキアスと話すように告げて、彼は妻の遺体を拾いに向かう。
「……まず話を聞かせてくれシェアト。アレクシアは何と?」
「はい、それは……」
しばらく話し込むニキアスとシェアト。彼女は彼に、皇帝打倒までのスコルピウスとの共闘、そしてアルバートやエリザベスが目指すランカスター独立のことを語り。
ニキアスは先に自分が得ていた情報が正しく、歪められた認識の下で戦っていたことに気づいた。
「なるほどな。君の偽物の、女神とやらに担がれたってことか。理解はした。ただ、今日僕はアルバートの最大の敵になったようだがね」
ニキアスの返答に、シェアトが首を傾げる。
何も知らないであろう少女に対し、口に出すのも悪いと思った彼は、静かに指をさした。
「え? あれは……アンナさん!?」
指差した先。アルバートが妻の亡骸を抱き、静かに涙を流す。
シェアトが駆け寄ると、彼は虚ろな目で彼女に顔を向けた。
「……シェアト様。貴女は関係ありません。気にしないでください」
声を絞り出すアルバートに、何と声をかけたらいいか彼女は戸惑う。
もうすでに事切れて、そっと触れた手は熱を失い、治癒の魔法は手遅れだということを察した彼女の頬を涙が伝った。
「俺は女神アストライア……いえ、アレクシアと、ニキアスに復讐をします。シェアト様もあの二人から離れて、祖国へ帰ったほうがよろしいかと」
アンナのために泣いてくれた彼女に、あまり迷惑はかけたくないな。
そう思ったアルバートは、これからペルサキスとも、帝国とも戦うことを決心して彼女に話す。
シェアトからしたらそれは無謀な試みにしか見えなかったが、彼女は黙って聞いていた。
「わたしが、もっと早くアレクシアにお話できていたら……」
「手遅れだった、それだけです」
泣き出しそうな顔で後悔するシェアトに、硬い表情のアルバートがそれだけを告げる。
彼はアンナを抱えて立ち上がり、ニキアスの方へ向かう。
「お前と敵になるのは本当に残念だが、俺はアンナの仇を取らなきゃいけない」
「そうだろうな。僕でもそうするだろうよ」
怒りが峠を越して、冷静に宣戦布告するアルバート。
諦めたような声で無表情を作って、それを受け取るニキアス。
「だから、お前が聞きたいって言ってた事は今教えておく。女神アストライアについて、俺が知っていることを」
話し出すアルバート。
何百年も昔の物語と、この世界そのものに呪いをかけて寄生した女神アストライア。
彼女の目的である現世への顕現。それの依代に、既に神の力を得たアレクシアが選ばれているであろうこと。
ニキアスは疑うように聞いて、しかしやがて納得がいったようで何度も頷いた。
「信じがたい、と言いたいところだが。僕もアレクシアが無尽蔵に魔法を使えるとかいくら食べても太らないとか……まぁ人間離れしているのは知っているからな……。お前を僕と殺し合わせたのはなぜだと思うんだ?」
「お前は夫だろ。きっとアストライアは、お前が死んだらアレクシアの心が弱って、入れ替わるチャンスだと思ってるんじゃないか?」
だとしたら的外れだな。アレクシアは僕のことを愛してなどいない。
そうニキアスは口に出さずに曖昧な表情で返す。
そこに撤退指示を出し終えたエリザベスが帰ってきて、口を挟んだ。
「あのシェアトって子に化けてたのがその女神だとして、ここでは皇女殿下の力が強すぎるとか言ってたわね。乗っ取ろうとしているんならまず弱らせるでしょうし、その線だと思うわよ」
シェアトは黙って聞きながら、連合国に伝わる天秤の女神アストライアの伝承をアレクシアに当てはめて布教したことを後悔していた。
ランカスター王国に滅ぼされた国の最後の女王。魔法を発見し独占し、その力で民を支配し、女神と呼ばれた絶世の美女。
その死後もハイマ大河を越えてランカスター王国から逃れた者たちに伝わり今なお存在し続ける伝承の中で、彼女は生きていたのだと理解した。
もしそれが原因で、古の女神が目覚めてアレクシアを狙ったのだとしたらと思うと怒りが湧いてくる。
「……旧い女神に、わたしのアレクシアを渡すわけにはいきませんね」
シェアトがぼそっと漏らした一言に、ニキアスの目が丸くなる。
彼は思わず笑ってそれに同意した。
「その通りだねぇシェアト。……というわけだアルバート。僕たちは忙しいから、ペルサキスを出るなら追手は出さないよ」
まずは、女神だかなんだか知らないが碌でもない怨霊からアレクシアを守らなければいけない。そう考えた彼は、今はお前にかまっている暇はない。とばかりにアルバートに告げる。
「……アンナを埋葬したら、いつか必ず戻る。お前も、アレクシアも殺しに」
アルバートは将来の復讐を誓い、ニキアスは無言で頷いた。
「で、エリザベスはどうするんだ? お前もアルバートに付いていくのか?」
続けてエリザベスに話を振る。
彼女は少し考えて、アルバートには付いていかないと首を振った。
「アルバートの復讐については尊重するけど、あたしとしては一旦ペルサキスとの共闘でいきたいわ。まず皇帝倒さないと意味ないし。そっから先は……今口約束を交わすべきじゃないわね」
「そうだねぇ。スコルピウスを通じて連絡を取る。アルバート派をうまく手なづけておくといい」
「そのつもりよ。今日の失敗でしばらくは大人しくなるはずだし、彼らもこれ以上順番を間違えることは無いと思うわ」
順番、ねぇ。とニキアスは呟いて。ひとまずの共闘を約束した。
いずれ来る皇帝との戦争。アレクシアを奪おうとする女神との戦い。アルバートの復讐。そしてエリザベスの野望。さてどこから片付けたものか。
まぁ、自分だけで判断することではないか。と彼は考えを切り上げる。
その後三人はしばらくランカスターへの帰路の打ち合わせをして。
アルバートとエリザベスがそれぞれ別れて歩いていくのを見て、ニキアスは待っていたシェアトに声をかけた。
「シェアト、こちらの後片付けが済んだら城へ戻る。君は……そうだな。また入れ替わられても困る。僕についているといい」
わかりました。とシェアトは返事をしてニキアスの後についていく。
しかしどうしても抑えきれず、アルバートの後ろ姿に声をかけた。
「アルバートさん、わたしはあなたと、アンナさんのことはお友達だと思っています。もし……」
「彼に失礼だよ」
その先を言おうとした彼女の口を、ニキアスがそっと塞ぐ。
背中を向けたままのアルバートは一旦立ち止まったが、返事をしなかった。




