第十八話:女神の悪戯
前回のあらすじ!
ニキアス。ニキアスニキアスニキアスニキアス。
一生を賭けてでも。
――アルバートの日記 日付不明
――アルバートとニキアスが本気の殺し合いをしていた頃。
エリザベスはシェアトに駆け寄った。
「ちょっと! こんなところで何してるのよ! 危ないわよ!」
「えっ? わたくしが見えるんですの?」
直接会った訳ではない。朦朧とする意識の中で声を聞いただけ。
だがこの少女はこんな口調だっただろうか? とエリザベスが首を傾げる。
しかしその疑問は誰かが投げた爆弾の爆音によってかき消され、彼女は一旦シェアトを抱えて逃げる。
抱え上げられたことに驚いた少女が、まるで先日のアーサーのように目を白黒させて。
エリザベスは飛び乗った民家の屋根にそっと少女を降ろし、先程の疑問の答えを探す。
「……あんた、誰? いや、何?」
シェアトの姿を何度も見直す。
今更気づいたが自分の、真紅に染まった右目には彼女が映っている。
しかし、左目には何も……
「あぁ、なるほど。アーサーの末裔の……その入れ墨の作用ですわね? ということは姿を偽っても無駄ということかしら」
納得したように手を叩く、シェアトのようなものの輪郭がぼやけ、今度はアレクシアのような姿に変わる。
ただ違うのは黒髪で真っ赤な目をしていることくらい。
エリザベスは腰が抜けてへたり込み、震える手でそれを指差した。
「声も出ませんのねぇ。まぁいいでしょう。わたくしが誰だかは教えませんが、貴女はわたくしを助けようとした。その意志に免じて公平に公正に……一つ教えましょうか」
エリザベスは口をぱくぱくさせて、真っ白になった思考で少女の声を聞く。
「ニキアスは、貴女たちを本気で皆殺しにしようとしていますわ。あぁ、今一つ命が消えましたわね」
その言葉を受けて、エリザベスの思考がクリアになる。
そんなはずはない。ゼノン逮捕が本命であって、こっちが適当に扇動したらお互い協力するはず。ニキアスがそんな裏切るような真似をするはずがない。
彼は確かに叩き潰すとは言っていたものの、あくまで演習程度の戦闘で切り上げようとしていた彼女は思わず叫んだ。
「なぜ!? この反乱は芝居のはずよ!」
「さぁ?」
彼女の質問に答えようとしない少女。
しかし突然頭痛に苦しむように頭を抑えて、うわ言のようになにかを叫ぶ。
「いだだだだだだだ!! ぐぅぅぅ……ここはあの娘の力が強すぎますわ……まだ釣り合いが取れませんの!?」
??? とエリザベスの頭に疑問符が連なる。
少女は仕方ないと言わんばかりに、正直に吐き捨てた。
「わたくしが唆したのですわ。アルバートはいずれにせよ、あの娘のためには邪魔でしょうに。わたくしにとってはニキアスもですし。丁度いい機会でしたから殺し合ってもらいまして……もう終わりですわ! あまり質問はされたくありませんの!」
えぇ……なにこの……なに……? と理解が追いつかないエリザベス。
少女の姿が溶けるように消えて、彼女は一人取り残された。
「……落ち着きなさいエリザベス。多分あの女の子、本当のことしか言えないんじゃない?」
我に返りたくて、彼女は一人でぶつぶつ呟く。
前にアーサーの亡霊を見ておいてよかった。そうでなければ失神していたわ。と落ち着きを取り戻し、あの少女の正体を推測しようとして。
「そんなことどうでもいいわ。ニキアスを止めるわよ」
どうやって説明したらいいのか全く思いついていなかったが、とりあえず彼を止めなくては。
それと撤退を急がないと、本気でニキアスに全滅させられる。
「でも、あいつめちゃくちゃ強いのよねぇ……せめてアルバートと当たってりゃいいんだけど」
首都の祭りの、お遊びの剣術大会くらいでしか彼が戦うのを見たことはない。
それでもペルサキス家の人間らしく、圧倒的な強さを見せつけていた。だから今回も焚き付けるだけでさっさと逃げるつもりだったというのに。
ただアルバートなら互角以上にやれるはず。そうでなきゃ何人殺されるか……というやけくその願いを込めて、屋根の上から周囲を見渡す。
エクスカリバーの刃の煌めきが目に入った彼女は、遠見の魔法を唱えてそちらを見た。
「いた! ……アンナ!?」
思わず悲鳴を上げて跳ぶ。
さっき消えた命って、まさか。と彼女は必死の形相で走った。
――
「ふぅむ。よくやったが、こんなものか。その剣もタネが割れれば大したこと無いな」
「ニキアスゥゥゥゥゥゥゥ!!」
涼しげな顔をして、しかし本心では必死に。
エクスカリバーの斬撃を紙一重で躱し、ニキアスは挑発を続ける。
怒りに任せて単純な動きを続けてくれればそのうち隙ができる。と機を伺いながら、致命の一撃を避け続ける。
困ったな。こっちの体力のが先に尽きるぞ。と全身で汗を流しながら、既に穂先が折れたハルバートをエクスカリバーの刃に沿わせて受け流し、途切れ始めた身体強化を掛け直す。
「早く死ね!! アンナの仇!!」
「無駄だね! お前とは背負ってるものが違うんだよ!」
怒鳴り合いながら剣戟を交える。
アルバートは完全に頭に血が上っていて、ニキアスを追い詰めていることに気づいていない。
「チッ……冗談じゃないぞ。強すぎるなお前は!」
「うがああああああああああああああああああああああああ!!!」
ニキアスは背中に当たる石壁の感触に気づく。最後の悪態はアルバートの雄叫びにかき消されたが、それにより生じた隙を見逃さなかった。
とっさに身をかがめ、エクスカリバーが壁をぶち抜いたのを確認して。
彼は崩れ始める建造物の中に転がり込む。
闇雲に振り回される虹の刃が鼻先をかすめた。
「一度退く……? いや、それはできないな」
ここで奴を殺さなければ、二度とこんな好機はこない。逆上して我を失ったアルバートでこれだ。冷静に戻られたら絶対に勝ち目はない。
彼はそう確信して、自分を呼ぶ叫び声が近づくのと、建物が崩れるのがどちらが早いか考えていた。
「こっちだアルバート! お前の女の仇は!」
「そこにいたか!! ニィィィィィィィィキアァァァァァァァァス!!」
埃の中一度姿を表し、そして中へ消えるニキアス。
それを追いかけようと駆け出したアルバートを、エリザベスが羽交い締めにした。
「アルバート! ニキアスも! あんたら止めなさい!」
「あいつは! アンナを殺した! 離せ!」
「エリザベスか! 丁度いい、お前も一緒に死んでおけ!」
その邪魔を喜んで、ニキアスが姿を現す。
話を聞いてくれるような状況じゃないわよね。とエリザベスは冷や汗をかいた。
アルバートの顔に右手をかぶせて、ニキアスの視線が自分に向かっているのを確認して。
「気絶してもらうわよ。天光の煌めき、太陽の輝き……フラッシュボム!」
耳慣れない呪文の叫び声とともに、彼女の右手がまばゆく輝く。
至近距離で受けたアルバートや周囲の人間は気を失い、そちらを見ていたニキアスは視力を失って転がった。
「エリザベス、何をした!?」
ニキアスは取り落したハルバードの柄を探して周りを叩き、彼女の声があった方に叫ぶ。
まだ立てるのかと、気絶したアルバートを抱えたエリザベスは驚きつつ言葉を返した。
「ニキアス! あんたシェアトって子になんか言われたでしょ!? あいつは偽物よ! よくわかんないけど……幽霊みたいな!」
「何を言っている……? いや、何故お前がシェアトの話を知っている?」
「さっき会ったのよ! とにかくあいつの狙いは、あんたとアルバートを殺し合わせることだって。まず、話をしたいわ。いくらあんたでも目が見えなかったらあたしにも負けるでしょ?」
ニキアスは舌打ちをして、冷静に考え直す。
意識を失わなかったのはいいが、自分の手すら見えない暗闇ではそれしかないか。と彼は絶好の機会を失ったことを理解して、いいだろう。と返事をした。
エリザベスはアルバートを寝かせ、ニキアスに肩を貸す。
先程の閃光で静まり返った広場の中央で、二人は向き合って座っていた。
「まず言っとくわ。あたしたちが今この場から逃げた、あるいはあんたを殺したとしてペルサキス軍は追撃する。雪に慣れてないあたしたちじゃあ街は出られても逃げ切れない。だからここであんたを説得しなきゃいけない。誓って嘘は言わないわ」
「その通りだろうな。それで? シェアトが嘘を吐いていると?」
「あの子がシェアトっていうのが嘘よ。あれはなんというか……人間じゃなかったわ。あたしが見たときは、黒い髪に赤い目の……アレクシアみたいな顔をしていたの」
呼び捨てとは偉そうに。とニキアスは小さく呟き、彼女の声色が嘘を言っていないと判断した。
嘘だとすれば随分な役者だ。エリザベスにそんな事はできないだろう。と納得した彼は、しかしそれならなおさら信じがたいと言葉を返す。
「人間じゃない、として。じゃああれは何だ? お前らスコルピウスの事情も詳しかったようだが」
「わかんないわよ。幽霊みたいなものだと思うけど。とにかく、あんたとアルバートの両方が死ぬ事を望んでるのよあの子」
「……黒髪、赤い目? アレクシアに似ている? 見当もつかないな。そもそもアレクシア程の美女がいるはずないだろうに。そういう意味では幽霊というのは事実かもしれないが」
全く、理解ができない。と当たり前の反応をしたニキアス。エリザベスがどう説明したものかと困っていると、アルバートが上体を起こす。
至近距離で食らわせたのに起きるの!? とエリザベスが引きつった顔で彼を見ると、アルバートは絞り出すような声を上げた。
「女神アストライア。エリザベス、お前を燃やした女、俺たちランカスター人に呪いを掛けた女だ。あいつだ」
アルバートはよろよろと立ち上がり、少しずつ視力を回復し始めたニキアスに詰め寄る。
既に身体強化も切れ、その反動で疲労困憊でお互いに戦闘能力はなく、力も入らないのに戦闘態勢を取ろうとする二人。
エリザベスは呆れたように好きにさせた。
「……ニキアス。お前が襲いかかってきたのはあいつのせいだ。それはいい。だがアンナを殺した報いは絶対に受けてもらう。忘れるな」
「構わないよ。悪かった、なんて思っちゃあいない。それで、女神アストライア? アレクシアが連合国で呼ばれている名前だろう? それがどうしたっていうんだ」
額をぶつけ合い、お互いに視線をそらさず威嚇と挑発をぶつけ合う。
ニキアスの言葉に、アルバートは目を丸くした。
「それは本当か? だとしたら皇女が……いや、既に……」
急に狼狽した様子の彼に釣られて、ニキアスは自分の婚約者に対する急な不安に襲われる。
自分が忠誠を捧げた彼女に、一体何が起こっているのか。彼は早口になって二人を問い詰めた。
「おい、どういうことだアルバート。何が言いたい? 詳しく話せ。エリザベスもだ。知っていることを全て吐いてもらうぞ」
二人が口を開こうとした瞬間、遠くで巨大な稲妻が降り注ぐのが見えた。
一瞬遅れて轟音が大気を揺らし、ペルサキス城の天守が崩落するのを、その場の誰もが呆気にとられて眺めていた。




