第十四話:勇者の行くペルサキス観光
前回のあらすじ!
ペルサキスの地を訪れた。ここで新婚旅行をしたというアルバートが素直に羨ましい。
――エリザベス=ランカスターの日記 帝国暦98年11月ごろ。
アレクシア大学、開校
我らがニキアス閣下から、9月1日より我らが女神アレクシア様の名前を関した大学が開校をしたことが発表された。大学とは(中略)年明け1月より第一回の学生募集が行われる。読み書きや学術知識など、入学のための試験の内容も発表された。詳細は本誌11面に記載。合格者には入学準備金のほか給与として毎月一定額が支払われるとのこと。
――『ペルサキス新聞』帝国暦98年9月1週発行より抜粋。
来たれ! アレクシア大学!
・身分不問
・実力のある者
・探究心のある者
・神の領域を侵す覚悟のある者
・詳細は市役所にて
――ペルサキス市に当時飾られていたポスター 帝国暦98年9月ごろ。※降り注ぐ雷を背景に天を指差す、黄金の翼の生えた女神の絵(アレクシアがモデルと思われる)が描かれている。
(前略)当時売られていた料理のレシピ本からペルサキス城の一週間の献立を再現した場合、彼女の摂取カロリーは平均で一日5000kcalを越える。にもかかわらず遺された彼女の衣服からは太ったという跡は無かった。吐きながら食べるという文化も世界には確かにあるが、当時の記録によると彼女はとにかくよく食べるので非常に作りがいがあったという。
――初鳥 征夫 著『世界の宮廷料理』アレク・スピロ訳 倭出版 849年 205頁
――帝国暦98年9月上旬、ペルサキス領
「おぉぉぉ……やっぱり果汁牛乳は美味い……」
「ですねぇ……」
秋の午前の風に吹かれ、湯で火照った身体を冷ましに銭湯の外の椅子に腰掛けるアルバートとアンナ。二人の手には搾りたての牛乳に果汁を混ぜた、ペルサキスの銭湯でよく売られている飲料の瓶。
長旅、しかもよく晴れた夏の海上を行き垢まみれになった身体を綺麗にし、汚れた服を洗濯屋に預け、銭湯で売っていた安い着物を羽織る。
飲み終わってしばらく涼み、遠くではシェアトと一緒に朝食を食べたアレクシアが眠りに落ちた頃、二人はさっぱりした表情で街を歩いていた。
「お! 試合の掲示だ! この似顔絵俺かなぁ」
歩く最中、嬉しそうに壁に指をさすアルバート。数日後の試合開始時間が大きく書かれ、後ろには両チームの選手の似顔絵。高い印刷技術、高い染料技術を示すカラフルな掲示物はおそらく版画だろう。
特に大スターのアルバートが来るとあって気合を入れて描かれた顔はよく似ていた。
「実物より良いんじゃないですか」
若干誇張してより魅力的に描かれたポスターをしげしげと見ながらアンナは返答する。
彼女にはそれより気になることがあった。先ほど見かけた駄菓子屋では小さな子どもたちが店の前で値札を見比べて買い物をしていた。
ランカスターでは貴重な甘味料で作った飴玉が子供の小遣い程度の金額で買えることにも驚いたが、文字で書かれた味の種類をその小さな子どもたちが普通に読んでいて、全く違う世界に来たような、同じ国内なのか信じられないような感覚にさえなった。
「この掲示もそうですけど、ペルサキスって読み書きできるのが普通なんですね……」
「らしいな。なんというか、文字が街に溢れてると言うか……」
商人の街に生まれ変わりつつあり、識字率が帝国でも飛び抜けて高いペルサキスの中心都市。その画一的なコンクリートの建物群に構えられた店や家では、各々が目立たせよう、立派に見せようと自分の建物の壁に絵や文字で様々な主張をしている。
「……豊かさ、とはこういうことなんでしょうか」
「どういうことだと思うんだ?」
「単純に物が溢れている、というのもそうだと思うのですが……ここはそれ以外に、民が楽しく生きていけるんだな……と」
しばらく離れているランカスターの事を思い出してしんみりする二人。
今頃収穫にみんな精を出している頃だろうか。西側諸侯地域での連勝の知らせは届いているだろうか。
立ち止まって物思いにふけっていると、大きな建物から出てきた、数人の護衛を付けた身なりの良い男が二人に気づき近づいてきた。
「あれ、アルバート様じゃあないですか! 失礼、申し遅れました。私はリブラ商会会長、ヘルマンと申します」
「あ、あぁ……リブラ商会って……どこかで会ったかな」
「私が一方的にお見かけしたことがあるだけですからね! もちろん貴方の試合で。どうぞどうぞこの名刺を」
アルバートとアンナは押し付けられた小さな紙切れを読む。見覚えのある天秤の紋章に名前。ランカスターの上客だ。
「エリザベス様にはご贔屓にして頂いております。もちろん、貴方に我々の財産を守っていただいている、ということも承知しております」
帽子を取り、恭しく頭を下げて敬意を表す目の前の男。思っていたより気安いんだな、とアルバートは少し驚いた。
自分の紋章まで持っているし、てっきり貴族だと思っていたが家名がない。それに彼の雰囲気は商人というより平民っぽさを感じさせる。
「よろしければ、私の学校でご挨拶をしただけたら……あ、隣は奥様です?」
「すまないが……シェアト様という方に逢いに行くから、これから服を買わなければいけないんだ」
「シェアト様とお知り合い! やっぱり勇者様は流石ですねぇ! もちろんそれでしたら訪問して頂く間に最上級の服を準備させましょう! 勿論奥様のぶんも!」
大げさな身振り手振りで楽しそうに喋るヘルマンに少し閉口したが、彼の提案はありがたい。
アンナに目線を送ると彼女は無言で頷き、彼の学校へ訪問することを決めた。どうやら直ぐ側の大きな建物がそうらしい。
「学校、商人が開いているのですか?」
「私は平民出身ですから。成金として慈善事業をしていかないと……私をここまでにしてくれたアレクシア様に面目が立ちませぬ」
「アレクシア様に、ですか?」
学校の応接室に通された二人。出された茶を飲みながらアンナが素朴な疑問を口に出すと、ヘルマンはまた大げさな身振りでそれに答えた。
「アレクシア様は私の……いえ我らが女神ですよ! 私は若い頃穀物運びの仕事をしていましてね……」
どんどん喋りだすヘルマン。穀物運びから仲買人へ、市場を視察しに来たアレクシアと偶然出会い御用商人へ、そして今ではこのペルサキス最大の商会の会長へと昇り詰めた自慢話。
アレクシアが彼を抜擢したのは平民出身で面倒なしがらみがなく、さらに独学独力で仲買人を始めた冒険心と才能を買ったからだった。
――
「そこの平民……あぁ、貴方ですわ。そこの商人達から聞きましたがなかなか勘の良い仲買いだそうで。貴方もわたくしの事業を手伝う気はありませんか?」
「……随分小さな貴族の娘っ子さん……です? へへ……金儲けならいくらでも大歓迎ですが……」
「失礼ね貴方、わたくしは皇女アレクシア。貴方のような平民は本来なら話す機会なんてありませんのに。ともかく、手伝う気があるかないかで答えなさい」
「皇女様!!!???? よよよよ喜んで従わせて頂きます!!!」
――
ヘルマンは甲高い声の小さな少女に出会ったことを今でも思い出す。その後はペルサキス再建事業の一端を背負わされて過労死するかと思うほど大変な思いをしたが、それも今ではいい思い出。
僅か五年で元より遥かに活気づいたこの街は自分の子供も同然。そうアレクシアが見たら激怒するほど似ていないモノマネも交えながらひたすら語り続ける彼の声を、アルバートは黙って考え込みながら、アンナは感心して質問を繰り返しながら聞いていた。
「……(ここまで崇拝されているとは……もう宗教の域だな……)」
「ヘルマンさん、その……アレクシア様は身分を気にされないのですか?」
「しませんね。あのお方は。まぁ領主ニキアス様もそうですが……ここでは貴族も商人も平民も奴隷も同じですよ。自分の税を収められればどんな仕事をしても良いですし、仕事ならいくらでもあります……あ、法律はちゃんとありますけどね?」
ちょうど彼の話のキリが良くなった頃。応接室に置かれた水時計……小さなぜんまい水車を利用して水を循環させ、一定の間隔で水が貯まると鐘がなる仕組みが仕込まれた精巧な時計、その鐘が鳴る。それを聞いたヘルマンは立ち上がり、二人にも合図した。
「さて、そろそろ授業が終わった頃でしょう。子どもたちを集めますので講堂へ……奥様はどうぞ、ご見学を」
「あぁ。それで、ヘルマンさん、一つ良いかな」
二人も立ち上がり、ヘルマンに案内されながら歩く。アルバートは一つだけ疑問に思ったことをヘルマンに尋ねた。
「ん? どうしましたかアルバート様」
「ペルサキス市民にとって、皇女殿下は神祖アポロンより上なのか?」
「不敬ですねぇ勇者様。……あなたがたランカスターの民はともかく帝国人の我々がそんな事言えるはずがないでしょう。ご想像にお任せします」
まぁ、アレクシア様を崇めることに実利はありますよ。と一言付け加えたヘルマンの返答に、アルバートは深く頷く。
ペルサキスは皇帝打倒の目的までは協力してくれるだろう。ただその後、身分など捨てて、帝国の地に住まう全員が国の民として、自分たちの住む国を自分たちの手で運営していきたいと願う彼。崇められる彼女は大きな障害だ。
やはりどこかで彼女も倒さなければ、真の自由を手にすることができないと考える。もしくは彼女を同志として、彼女と協力して民を導くか二つに一つ。
「そうか……」
悩むアルバートに未だ答えは出ない。
――子どもたちから大歓迎で迎え入れられたアルバートは、一緒に遊んだりラングビを教えたり……大いに楽しんで応接室に戻る。
西側諸侯領での子どもたちとのふれあいとはまた違った感触。あそこより遥かに健康な子どもたちの元気に圧倒されたアルバートは、くたくたになって菓子を摘んでいた。
そこに学校見学を終えて戻ったアンナが、ヘルマンの部下が用意した衣服に着替えて入ってきた。一見シンプルだが細部まで凝ったデザインのドレスに着飾って化粧までした姿に驚くアルバート。
「綺麗だ」
彼女に見とれて思わず素の一言が漏れる。普段軍服や地味な服しか見たことのない彼女の意外な姿が、とても愛おしく思えた。
「……ありがとうございます。サイズもちょうどいいですし、ヘルマンさんも、部下の方もありがとうございます」
少し照れくさそうに顔を背けるアンナ。それぞれに礼を言う。
「いえいえ! 元の素材が素晴らしいのですよ奥様! ぜひ今後もご贔屓にしていただければ。アルバート様のぶんもどうぞ」
アルバートにも服を手渡し、それでは仕事へ行きますので、と手を振って先に出ていくヘルマンを見送った二人。
着替えのために外に出て待つアンナを待たせないようにと、アルバートもやたら複雑な構造の礼服に急いで着替えて彼女を中に呼ぶ。
アンナも先程のアルバートと同じような素の感想を漏らした。
「素敵ですね、アルバート」
「いやいやアンナ、君のほうが綺麗だ」
いつの間にかすっかり名前で呼び合うようになっていた。お互い褒め合う二人に新婚の初々しさを感じたヘルマンの部下がにこにこしながら外に案内すると、外はすっかり太陽が天高く登り正午を告げる鐘が鳴り響いていた。
二人がどこかで昼食でも摂ろうかと相談していると、少し離れたところに停まった高級そうな馬車の荷台の窓からシェアトが声を張るのが聞こえた。
「アンナさーん、アルバートさーん。こちらですー」
慌てて駆けつける二人。そんなに急がなくてもと笑うシェアトが御者に扉を開けさせて、二人は中へ乗り込んだ。
シェアトと向かい合わせに座ると、彼女は二人の姿を改めてまじまじと見て微笑む。
「おふたりとも素敵ですね。せっかくですからご一緒に街へ昼食に行きましょう。夕食は屋敷で準備していますので」
「大丈夫です。しかし何故ここに」
「ヘルマンさんの部下が知らせに。ボレアスさんも夕方には来ますよ」
そう言って三人は街を行く。帝国首都の伝統的で華やかだがどこか静かな街並みとは趣が違った、無骨な建物群の中に確かな人間の生活を感じるにぎやかな風景を窓の外に眺めながら。
――三人で街の高級料理店で昼食を取りお茶をして、しばらく一緒に観光をしてからアレクシアの屋敷へ向かう。
よく貴族の招待に預かるアルバートは食事の作法を全く知らないアンナに色々と教え、シェアトは楽しそうに恥ずかしそうな素振りをするアンナを見守った。
シェアトも商店街では二人のランカスターへのお土産を選んであげたり、逆に新鮮な食材の見分け方やランカスターの特産品について教わったり、三人にとってとても楽しい時間を過ごした。
そして夕方、正装をしガチガチに緊張した面持ちで早くからアレクシアの屋敷の門前で待っていたボレアスが疲れ果てる頃、三人を乗せた馬車が到着した。
彼を見つけたシェアトが馬車の中から声を掛ける。
「あら、ボレアスさん、中で待っていてもよかったですのに」
「い、いえ……流石に……ここは……」
下級軍人貴族出身のボレアスはシェアトにこそ慣れていたものの、アレクシアのような天上の身分の者が住む屋敷など招待されたこともなく、作法が全く分からなかったため侍従が入るよう促すのも断り外でずっと立っていた。
背中にはびっちり汗をかき、屈強な体を包む少し古めかしい窮屈そうな正装がなかなか似合わない彼が面白く、アルバートは彼を指差すと思わず吹き出した。
「あはは、ボレアスも緊張してるな!」
「なんで君は平気そうなんだ? アレクシア様の屋敷だぞここは!」
顔を真赤にして言い返すボレアスに、えっ、と顔を見合わせるアルバートとアンナ。当然二人はシェアトの屋敷だと思っていたのだが。
確かによく見ると……いやよく見なくてもわかる。武装した門番が守る門の中には帝国首都の貴族の屋敷と比べても遥かに立派で美しく整えられた庭。そしてその奥にある……巨大な軍事要塞であるペルサキス城と違った芸術的な豪華さを突き詰めた大きな……宮殿。
屋敷と聞いていた二人は驚き、シェアトの目を見つめる。そんな二人に彼女は名乗った。
「あら? 言っていませんでしたっけ? でしたら改めまして。わたしはアンドロメダ連合国、アルフェラッツ国王女、シェアト・アルフェラッツです。今はアレクシアさんのお屋敷を借りておりますが……どうぞお構いなく」
構うわ!!! と慌てたアルバートは声が出そうになる。確かに妙に世間知らずだと思った……と納得した。和平したという話は当然全国に知れ渡っているが、まさかこんな要人が護衛も付けず普通に帝国内を観光しているだなんて思いもしなかった。
隣のアンナは今まで仲良く話していた貴族の少女がとんでもない大物だったことを知り目を白黒させて言葉も出ない様子だ。
「……驚きました?」
こくこくと頷く二人にいたずらっぽく笑いかけ、シェアトはボレアスも馬車に乗せると御者に中に入るよう指示を出す。
「このお屋敷は遥か昔に建てられた……ランカスター王の別荘だそうです。あなた方にも見覚えがあるのではないでしょうか?」
屋敷の入口まで向かう間、シェアトに言われて確かにそう感じた。帝国風に若干改築されているが、庭の配置や建物の形もランカスター城を小さくしたようで、しかしあちらよりしっかり手入れされている。
ボロボロの城に継ぎ接ぎして住んでいるエリザベス様が見たら悔しくて泣くかもしれないな……とアルバートは心の中で呟いた。
「……エリザベス様が悔しがりそうな……」
眉間を抑えて目を閉じるアンナが声を漏らす。シェアトはなんとも言えない顔で微笑んでいた。
四人を乗せた馬車が玄関に付き、降りて中に招待されると内装の豪華さに圧倒された。完全に帝国風の内装に仕立て上げられた内部を見て、アルバートも少しため息をついた。
「なんだかなぁ……征服されるってこういうことなのか……」
「お前たちから見たらそうかもなぁ。でもほら、王国の骨は残ってるだろ? しかも大事に手入れされてる。ランカスター王は確かに遺産を遺したよ」
ランカスターとの戦争が謳われる時、殆どはイクトゥスの家を悪役にしてランカスター王自身を悪く書くことはない。
偉大なる神祖アポロン一世が彼の好敵手たる強大なる人間、ランカスター王を打ち倒し神の帝国を築いた……というのが基本筋。ボレアスもそれを聞いて育った帝国の民として本心からの慰めだった。
「まぁ、そういうことかもな。遺らないよりはずっといい」
色々ともやもやした気持ちはあるものの、アルバートは彼の慰めを素直に受け取った。
やがて食堂に通された四人が席に付き、夕食が運ばれてくる。
「あら、四人分……アレクシアは城へ戻りました?」
四人分だけ運ばれてきた夕食を見たシェアトが近くの侍女に聞くと、彼女が返答する前にのそのそと白金色の毛虫があくびをしながら入ってきた。
「ふぁ……よく寝ましたわー。夕食はできてますのー? あら?」
寝癖でボサボサの頭をしたアレクシアは、しっかり正装で固めた四人を見ると凍りついたように動きを止め、回れ右をして全速力で逃げていった。




