第十二話:傀儡皇帝
前回のあらすじ!
(前略)帝国の貴族は醜い。まるで熟して落ちた果実に集る虫。しかしアレクシアはそれを変える。
私達司祭はすべての民を彼女という女神の下で永遠の幸福に導く必要がある。
――シェアト・アルフェラッツからアンドロメダの司祭への手紙 帝国暦98年9月ごろ より抜粋。
連合国王女、ソロン閣下に面会?
官僚議会関係者筋によると、先日アンドロメダ連合国アルフェラッツ国王女、シェアト=アルフェラッツ様がソロン=クセナキス閣下の屋敷を訪れたことが明らかになった。現状ペルサキスがほぼ独占しているアンドロメダ連合国との貿易においてソロン閣下の影響が……
――『帝国新聞』帝国暦98年9月発行 より抜粋。
リブラ商会本部襲撃事件
事案:リブラ商会本部における黒色火薬を用いた爆発物(以下爆弾という)を用いた器物損壊事件。
結論:容疑者■■■■を■■■■ 特定できず。捜査打ち切り。
状況:早朝未明、リブラ商会に爆弾が投げ込まれた。死者及び怪我人なし。物的被害多数(別紙一覧参照)
――ペルサキス領軍警察隊調査記録より 帝国暦98年8月17日 ※■は黒塗りで消されている。
――帝国暦98年9月初頭
すっかり夏が終わった帝国では秋の風。見渡す限り黄金色に染まる山々を望み、アルバートは首都北部にある港に降り立っていた。
船を乗り継いでペルサキスへ向かう乗り換えのために荷物を降ろしていると、よく聞き覚えのある声がした。
「おー! アルバートじゃないか! どうしてここに?」
「えっ、お久しぶりです! ベネディクト様。西側諸侯から船で乗り継ぎに。これからペルサキスに行くんです」
声の方を見ると、次期皇帝であるベネディクトが釣り竿を担いで手を振っていた。つい先日、父の体調が回復するまでの間事務仕事に勤しんでいた彼は、しばらくぶりの休日ということでたまたま港を訪れていた。
「ほう、出港まで時間があれば、良かったら食事でもどうかな? チームみんなにご馳走しよう」
「昼過ぎですから……是非喜んで」
漁港も兼ねた北部の港で、新鮮な魚を使った料理に舌鼓を打つ。5月の婚約式の後の祝宴から早々に退出していたベネディクトは、半年ぶりに話すアルバートと話が弾んだ。
「リブラ商会を襲った山賊退治か! ご苦労だったな。遅くなってすまないが、後で報酬を出そう」
近況を聞かれ、今年から特別士官になったこと、そして最初の仕事が山賊退治だったことをアルバートが話すと、ベネディクトは嬉しそうに小さく拍手した。
「エリザベス様は皇帝陛下へも報告したとおっしゃっていましたので、もう貰っているかと……」
「ん? そうなのか。じゃあ官報を調べ直しておこう。もし報酬を忘れていたらきちんと出さないとな」
帝国では領境を跨ぐ犯罪に対しては当事者貴族の他にも皇帝より僅かながら報酬を受け取れる制度がある。
この場合はリブラ商会……ペルサキスが被害を受け、ランカスター軍属のアルバートが討伐したため、ランカスター家とアルバート本人には報酬を受け取る権利があった。
最近その帳簿や官報を精査していたベネディクトだったが、友人であるアルバートの名前を見た覚えがない。彼はそれを疑問に思った。
――出港するアルバート達に手を振り別れ、オーリオーン城の執務室に戻ったベネディクトは分厚い帳簿を見直すが、やはり春にそのような報告書は見当たらない。
この帳簿の作成担当は最上級官僚ソロンの補佐の若手……そして狙われたのはランカスターからペルサキスの馬車……
「不自然だな」
半年前のラングビ最終戦の後、優勝を逃し大きな損失を出したソロンが大層怒っていたとは知っている。
だから婚約式の前にあそこまで怒鳴っていたはずだ。しかし、それでこんな陰湿な嫌がらせを……? 皇帝からは大した報酬が与えられる訳でもないのにそれを隠す……まさか……と彼の頭が嫌な直感を告げた。
急ぎ帳簿を小脇に抱えると、上級官僚議会へ向けて走り出した。
「ソロン! ソロン=クセナキスはいるか!!」
上級官僚議会の建物に乗り込んだベネディクトが大声を上げると、彼の補佐官が驚きながらも控室へ案内をする。
部屋へ通され、事務仕事の手を止めたソロンと向き合ったベネディクトは、彼の机に手を付いた。
「まさかとは思うが……春のランカスターに出た山賊はお前の手の者じゃないのか。調べたが記載がなかったぞ」
ベネディクトは静かに声を発する。リブラの商人にランカスターの民、帝国臣民である以上はすなわち皇帝の財産。彼らを虐殺した山賊をけしかけたとすればいくらソロンと言えど処罰は免れない。
静かに怒りを込めたベネディクトに対して、禿げ上がった目の前の上級官僚はニヤニヤと笑いながら、まるでベネディクトを嘲るかのような声で喋り出す。
「これはこれはベネディクト殿下……どこから聞いたのやら……私も皇帝に仕える身ですから正直に申し上げましょう。あれはリブラ商会への警告でしたが簡単に退治されてしまいまして……失敗でしたな。あまりに懲りないもので最近も爆弾を仕掛けましたが」
意外にもあっさりと肯定し、最近の犯行まで自白したソロンにベネディクトは驚き、手にしていた帳簿を取り落とす。
「何故隠した?」
「殿下はアルバート……まぁランカスターの民に随分肩入れをしているようでしたから、余計なお気遣いをさせぬようにです」
「それなら何故、民を虐殺させた?」
「さぁ……山賊ですから、腹でも減ったのでしょう。さっぱり分かりませぬ」
「お前がランカスター人を差別しているのは知っているが、皇帝の民だぞ彼らも。簡単に殺されて、しかもその事実すら消されてしまっていい訳がない」
次々と問い詰めていくベネディクトに余裕たっぷりといった表情で正直に返答していくソロン。
次期皇帝に対してすら堂々と、甘いですな。とこの老練の上級官僚は冷たく言い放つ。
「現皇帝もそう、殿下もそう、あの賢しい小娘もそう……皇后陛下もそうでしたな……オーリオーン家の方々はどうしても非情になりきれませんから」
皇后……故人であるディミトラだけにわざわざ敬称をつけて呼ぶ彼。ベネディクトはそれには気づかず怒りを燃やした。
「侮辱するか! ならばここでお前を」
身体強化を唱え、近くの燭台を手に取るベネディクト。彼を依然として余裕そうに眺めるソロンも同時に風魔法を呟いていた。
「皇后陛下に聞いていませんでしたか? それとも忘れてしまいましたか? 私が先代愚帝の下出征に向かった将軍達のひとりだと言う事を」
「……クソッ!」
見えない風の壁に拘束されたベネディクトは思わず悪態を吐く。そんな彼ににこやかに笑いかけながら、禿げた老人は滔々と諭し始めた。
「皇帝陛下はあくまで我々貴族の調整役……先代が皇帝法令を定めた時からそう決まっております。我々が敬意を持って接する事ができるよう、皇帝陛下にも次期皇帝たる殿下にも気をつけて頂きたいものですなぁ」
「……貴様らが皇帝に成り代わるつもりか?」
「成り代わるつもりなど!」
ベネディクトの発言に目を丸くして大声で笑い出したソロンだったが、元のにやけた顔に戻ると慇懃無礼な口調で諭すように話す。
「……失礼、笑うところではありませんな。我々はあくまで帝国を帝国として存続させたい、それだけにございます」
そして無礼にもベネディクトの頬をいつの間にか手に持っていた短剣でぺちぺちと叩いてみせた。
「殿下、我々を良く扱えば、それだけ殿下にも実があります。いや……もうそれ以外の選択肢はありませんが。どうか皇帝陛下にはご内密に……やっとご病気から復帰なされたばかりですから」
「お前達が……」
毒を盛ったのか? と言う問いかけには答えず、ソロンはベネディクトに囁く。
「お仕事に疲れているでしょうに。今はお休みください。酒も女もご用意いたします。帝国は我々に任せて好きなことだけをしていれば良いのです」
ベネディクトの首から力が抜け、彼の心が折れたと悟ったソロンは不可視の風の檻から彼を解放した。
風魔法で開けられた扉から無言で出ていく彼を見送り、ソロンは一人考えを巡らせる。
「……ベネディクトはもう問題ないが……アレクシア……奴を潰すにはまず資金源のランカスターを潰す必要がある……」
彼の考えはそこまで間違ってはいなかった。今最も儲かっているのはランカスターからの鎮痛剤、そしてそれから精製した新薬の取引。
その情報を掴んでいた彼は、快復したとは言え今だ健康不安を抱える皇帝に、自分を宰相として内政を任せるようにと進言することを決意した。
勿論、既に官僚議会を掌握している彼の進言にはアポロン四世も譲歩せざるを得ない事を分かっていて、だ。
――その後、ひとり上級官僚議会から出てとぼとぼと自分の屋敷に戻ったベネディクトは、独りにしてくれと侍従を遠ざけ寝室に倒れ込んだ。
涙を流しながら己の非力を嘆く彼の脳裏に妹の姿が浮かぶ。幼い頃から喧嘩も口も強く、十二歳にしてたったひとりでペルサキスの復興に取り掛かった彼女。
母親によく似た、十歳以上も年下の光り輝く妹に憎らしいほど憧れていた。愛していた。だからこそ次期皇帝に指名されて初めて彼女に勝てたと喜んでいたのに、それがまさか罠だったとは。
「……アレクシア……お前は強くて……自由で……」
自分の人生は何だったのだろうか。
自分の配下にここまでの屈辱を受けてすら、どうしたらこの屈辱を晴らせるか全く思い浮かばない。
「……いいなぁ……」
妹を羨みながら傀儡への道を歩く兄、次代皇帝ベネディクト。
父ほど強くなく、妹ほど冴えていなかった彼はいっそう芸術や娯楽にのめり込み、酒に溺れていった。