大切なもの
人の死に様は様々である。病気、他殺、自殺…
人は死ぬとき、何を思い、感じるのか。それは死ぬまで分からないだろうが。
俺の母親は昔から身体が弱く、入退院を繰り返していた。だから運動会も、歌の発表会も、水泳のコンテストも来てはくれなかった。
理解はあったが、それでもガキの頃の俺にとってはなんだか寂しかった。周りにいる友達のように、当然のように父母がいることに憧れていた。父は俺がまだ小さい頃に交通事故で亡くなったらしく、母は女で一つで息子の俺を育てた。その分、家計も苦しく、色々と我慢をしてきた。それでも、母親が健康で、生きてくれてさえいればそれで良かった。だが、そんなことも長くは続かなかった。俺が中学3年に進級する頃に、母親の余命が告げられた。長くても一年と言われた。医者からその言葉を聞いた時、に何も考えることができなかった。一方、母親は前向きで、話す時も常に元気だった。
「遅かれ早かれ、いつかみんな死ぬんだから平気じゃない、私は周りより少し早いだけ。でもあんたは長く生きなきゃいけないからね」
俺はこのとき母は強い人間だと思っていた。
余命宣告を受けた日から2ヶ月弱が過ぎたあたりにもう一度医者に呼ばれた。母の病気の進行は思ったよりも早く、恐らく残り1ヶ月の命だと言われた。俺はまた何も考えることはできなかった。しかし母は常に笑顔を絶やさなかった。やはり母は強いと思った。しかし、これは本当のようで偽物の笑顔であったと、母が死んだ後になって気づいた。母は俺が思っているより強い人間で、また弱い人間であったのだろう。
母はいつも俺のことばかり考えていた。学校は楽しいか、友達とはうまくやってるか、ご飯はきちんと食べているか、好きな子はいるのか、、、
そんなことばかり聞いてきて、いつも俺は答えるばかりだった。たまには母の話も聞きたかったが、母が自分の話をしたのは最期の会話が初めてだった。
「あなたのお父さんは背が大きくて、いつも他人のことばかり考えているような人でね、高校で知り合ったの。私が文化祭の準備で重い荷物を運んでる時に声をかけてきてくれてね、手伝ってくれたの。そのあとお父さんはクラスの友達に他所のクラスの手伝いなんかするなーって怒られてたけど、周りはみんな笑ってて、いつも会話の中心にいるような人でね。みんなに好かれてたの。いつも人助けばかりで、周りを優先する人でね…」
「最期もそうだった。小さい子が道路に飛び出してそれを助けようとして…」
自分の父親の生き様はとてもかっこよく感じた。もし生きていたのなら、どんなことを話したのだろう。
「…これから先、あんたの友達が困っていたら、手を差し伸べてあげなさい。一緒に歩いてあげなさい。また、困ったことがあったら、周りを頼りなさい。助けを求めなさい、いや、助けなんか求めなくてもあんたを分かってくれる友達を見つけなさい。そしてその友達を誰より大切にしなさい。…お父さんほど、他人に親切にしすぎなくていいから。あなたが健康で幸せなら、それでいいから……他人のために命を落とさないでね…あんたの友達が、悲しむから。」
母は初めて俺に涙を見せた。この涙は、母の弱さではなく、強さだったのだろう。
「謝ることは沢山あるけど、私が母親で良かった?」
俺は右腕に両方の目を当てながら、「うん」と頷いた。
「精一杯生きてね。私の言ったこと、ちゃんと守ってね。母親の言うことは絶対なんだから。そして、長生きしなさいよ。80年後くらいにあんたの生きた道を聞かせてね。あんたのことは、何でも知りたいんだから。」
母はその日の夜、他界した。
葬式には親戚や母の友人が出席した。あんたは強い子だと、たくさん言われたが、もし親友がいなければ、そんなことは言われなかっただろう。母が死んだ後、無気力な俺は親友に救われた。やはり、母の言うことは正しかった。