プロローグ: クラス転移ものは大抵キャラが立たない奴が一人はいる
やっほ。
──異世界転生。
それは、多くの青少年や疲れた大人たちを引きつける魔力を持った、都合のいい作り話全般を指す言葉だ、と聞く。
(そう、全く都合がいい話だとは思わないでしょうか?)
かつ、かつと革靴が石畳を踏みしめる音が狭い空間内に反響する。
(恵まれない才人が転移に巻き込まれた時、前世の才能が活かせる世界である確率ほど途方のないものもないだろうし)
数分ほど直線の通路を歩き、ようやくその木製の扉の前にたどり着く。はぁ、と疲れたため息を口の中だけで吐き、ノッカーで軽く叩いた。
(事故死した先で、信仰心など欠片もない日本人の若者が地球上に存在しえない神に良くされることほどありえないことも無いでしょう)
「すみませーん、遅れましたー……」
ぎい、と立て付けの悪さを主張するそれに負けないように少しだけ声を張る。私の声は高めだが、何分声量が小さく、環境音に負けることが多々あるのだ。
(詰まるところ、異世界転移の物語は、私には少し眩しすぎるってことだ)
扉の向こうはかなり暗い。どうやら先輩は蝋燭だけを頼りにして会合を開いているようだ。手元には分厚い紙束も見える。目を通すものがあるなら電気は付けるべきだろうに、と思わずにはいられない。
「先輩、目をこれ以上悪くしてどうするんですか? 電気は……」
「……君ヶ谷くん。来たならいいが、君は遅れた身だ。少し静かにしてくれないか」
けして爽やかではないが透き通ったバリトンボイスが私の言葉を遮る。ぐ、と言葉に詰まり、声の発生源の方を睨むようにして見る。
蝋燭の炎が風もないのに無駄に揺らめき、薄ぼんやりとだが彼らの顔が視認できた。どうやらお相手は、この部活の新入部員にして私と先輩を除いたら唯一の部員である多川くんのようだ。まぁ彼以外に会合相手の候補などいないのだが。
「さて──多川くん。彼女も来たことだし、『異世界研究部』としての議論を開始しようか」
元野球部のスキンヘッドがこくりと傾く。彼は無口では無いのだが、どうにも過去の経験から私と居ると口数が減る傾向にあるようだ。
「議論……ですか?」
「あぁ君ヶ谷くん。今日こそは多川くんと決着を付けたくてね」
私は特に彼らが議論をしている様子を見たことは無いのだが……だとするとプライベートの話だろうか?
そんなことを考えていると、先輩がふっと蝋燭に息を吹きかけ、代わりにと言わんばかりに電気を付ける。最初からそうしろや、とは何やら言い難い雰囲気を醸し出しつつ、厳かにその口を開いた。
「そう──『性転換セッ〇スは果たしてホモなのか問題』──今こそ雌雄を決する時だ多川くん! 性転換だけに」
「なんで先輩はまだ死んでないんですか?」
下世話でギャグもセンスも壊滅的とくれば、生きる意味を探す方が難しいだろう。
なら今ここで介錯を……と歩み寄る私に、先輩はメガネをやけにムカつく動作で掛け直し、
「君ヶ谷くん……君はどうやら異世界転生ものにおける男→女の転生のパターンの多さを理解してないようだな」
「いやそりゃ知りませんが」
影で多川くんがこくこくと頷いているのが脇目に見えた。こいつも後で首を落としてやろうか。
「あぁ因みに私は『ホモではない派』に属しているのだが」
「聞いちゃねぇっす」
「どうにも多川くんが受け付けないと駄々を捏ねてね……どうしたものかと」
「いや私も正直受け付けないですね」
私の返答に気を害した様子もなく、白熱した様子で熱弁を続ける。
「だァが! 転移ならともかく転生なら女児に生まれ変わる確率は五分五分! なればこそもしもの場合に備えて女性の精神の涵養が重要だと訴えかけているのだが……どうにも多川くんのイデオロギーと噛み合わないらしい」
「そのルビで頷く男子生徒はいませんよ絶対」
嘆かわしい、とばかりにジェスチャーを繰り返す先輩に軽蔑の目線を向けるが、やはり気づく素振りもない。
「しかしだな……彼らはこの手の話をすれば一言目にはホモ、二言目にはホモと……。そもホモとはホモセクシャル=同性愛の接頭辞を指したものだが、今回議題にしたものはどちらかと言えば性的マイノリティであるトランスジェンダーの恋愛事情に」
先輩の妄言を途中でシャットアウトし、多川くんの方に視線を寄せる。それに気づいた彼が気まずそうに身動ぎするが、肩を竦めて非言語コミュニケーションをとる姿勢を向けてくる。どうやら今回ばかりは彼も先輩に賛成しかねるらしい。
「民主主義に則るなら先輩の負けですが」
「民主主義に則るなら少数派の意見も大事にすべきだ。折衷案としてとりあえず皆メス化してみないか?」
「もう包み隠しすらしねぇなコイツ」
あと私は元々女だ、と訴えるも、お前の前世は絶対ガサツな男だから必要だと反論してくる。それに思わずといった様子で笑った多川くんを視界の端に認めつつ、どうやってコイツらを干そうかと思考を巡らせる。
……とまぁ、この物語は色々訳アリな奴らが集った部活で、どうしようもないほどろくでもない関係を連ねる者たちのろくでもない日常を綴る、一つの日記のようなものだ。
きっとこれが日常を逸脱しても続くだろう、私の人生の日記。日常の非日常を、非日常の日常を連ねる語り部となるもの。
だからこそ────不死川先輩は非日常を求めるのだろう、とちょっとした納得とともに彼らをその辺にあったファラリスの雄牛*に閉じ込める。手元にあった紙束を空気がよく通るように配置し、そっとライターで火をつけた。
(*中が空洞になっている牛型の拷問器具だ。中に人を入れて火炙りにするヤツだぞ!)
ああ、願わくば、私の明日が日常でありますように──。
「……物語慣れしてない奴ほどフラグを立てたがるのはどこでも一緒だな」
「……何をくだらないことを言ってるんです?」
気が向いたら更新するんじゃないかな。