第8話 大魔王と東方の魔人
少し前。
セシルらのいる大陸とは海を隔てた遠い陸地。
そこは、およそ300メートルの険しい断崖状の海岸線にぐるりと取り囲まれた、島と呼ぶには大きく、大陸と呼ぶには小さな陸地。
そして、その絶壁の内側すぐはまた海になっていた。その内海に一回り小さな陸地が浮かぶ。
つまりこの小大陸は、天然の絶壁に覆われた二重構造なのである。
内側の陸地には海に面した平地があり、奥に向かって草原から森林へと続き、大陸中央は万年雪を冠する標高およそ1万2千メートルの山脈が、南面はなだらかに、北側は険しく切り立った稜線を伴って複雑に連なっていた。
地形の構造上、城壁都市もかくやという高い崖を超え、内海を渡らねば辿り着けない。
ゆえに、この小大陸に亜人を含めた人族は住んでいなかった。
棲息するのは、この小大陸の固有種の動植物と、空を飛んで外界から来ることが出来る鳥類や昆虫類。
そしてもう一種。
魔族。
その中でも特にハイレベルな『魔人族』。
空を飛び、あるいは崖や内海ぐらい平気で走破出来る能力を有した高位魔人。
彼らこそがこの小大陸の支配者であった。
そしてそのことを、セシルらのいる大陸の各国のトップと側近たちは知っていた。
彼らはこの小大陸をこう呼ぶ。
決して人族が手を出してはならぬ禁断の地、『魔大陸』と。
魔都ガデューラ。
魔大陸中央部の丘陵地帯に広がるバルダロッゾ大森林を菱形に割る、ガルダ山脈から湧き出る豊かな水を湛えたゼゼステ湖をはじめとする大小の湖沼。
その周辺の岩礁地帯で発展した魔人たちの都だ。
人間の感性では、一見するとジャングルの中に突如現れた奇岩帯のように見えるが、それが魔人の住処である。大きな岩をくりぬき、家屋にしているのだ。
その中にひときわ巨大で複雑な形の岩山があった。
大魔王の城。ゼーゲルガンブ城。
その一室で大魔王ヴュオルズ・ガフ・ゼーゲルガンブは伏せたままわめき散らしていた。
「なんなんだあいつは! なぜ我の攻撃が効かぬ! 高貴なる我の技が! 悉く! 全くふざけた奴だ! あんな愚図でのろまなのに! 馬鹿で無知なくせに! なぜ奴ごときに一方的に我がやられたのだ! ありえん! ありえんぞ!」
「ですから、それが東方の魔人の力なのです。そう申し上げたはずでございますが」
ヴュオルズはその若く端正な顔を歪め、東方の魔人とやらを罵る。
上半身は裸で、露出した肌は傷だらけだ。背中の漆黒の翼は左側が半ばでちぎれている。手の指も何本かが欠損していた。
彼は、負傷した体をベッドでうつ伏せにし、怒りをぶちまけているのだった。
その傍らには紫の髪の妖艶な美女。
胸が深く切れ込んだ血のように赤い扇情的なドレスを着ている。背中も大きく開いており、やはり黒い翼が生えていた。
彼女は、ベッドに腰かけ、軟膏のようなものをヴュオルズの背中の傷に塗り込みながら、諭すように話している。
「東方の魔人には十分な戦力と周到な作戦が必要だと申し上げたはずです。なのに無謀にもお一人で突撃されて。バズガドとウイーダが身を挺してお護りしていなかったら、殿下もあのままお亡くなりになっていたかもしれません」
「我が!? そんなはずがあるか! 奴は魔人族ですらないんだぞ! ふざけた名を名乗るただの人間だ! 人間ごときに我の命の炎は消せぬ! そんなことは絶対にあり得んのだ! ……しかしあの二人はすまぬことをした。爵位を贈ってやってくれ、ラルシオーグ」
「御意」
ラルシオーグと呼ばれた美女は嫣然と微笑んだ。
東方の魔人。
その噂はここ魔大陸にも届いていた。
半年ほど前、東の島国ハルド王国に突如現れると、たちまち国中の魔族や魔獣を壊滅させ、ハルド王から『勇者』の称号を得た男。
しかし、その称号とは裏腹に粗暴でわがまま。勇者の肩書を用いて酒池肉林。やりたい放題。やがて堪忍袋の緒が切れたハルド王により国外に放逐され、以降行方が分からなくなっていた。
魔族としては同胞を虐殺した憎むべき敵であった。
ハルド王国の生き残りによると、魔人級、いや魔王級の破壊力を有していたという。
王国中の魔族が束になっても勝てなかったのは事実である。人間とはいえ、恐るべき力であった。
ラルシオーグら大魔王の側近たちはその報を受けるや否や、東方の魔人の足跡を追ったが、そのときすでに行方をくらませた後であり、魔人族の超探知をもってしても所在は不明だった。
昨日までは。
その東方の魔人が、突如ここガデューラの上空に現れたのだ。
人間が魔人族同様空中で静止出来ることも驚愕すべき出来事であるが、その男は自らを「ハルド王国勇者にして、人類最強無敵の男! 東方の魔人こと破壊の大魔王・撃滅のエツロウ! ここに推参!」と名乗り、「大魔王ヴュオルズ・ガフ・ゼーゲルガンブよ。この世に大魔王は二人要らぬ。ただちにその二つ名を返上し、野に下るがよい。逆らうのなら命はない」と大陸中に轟くような大音量で叫ぶに至って、魔都中大パニックになった。
そして、いきなり大魔王をやめろと上から目線で無茶振りされたヴュオルズは、沸点が低かった。あまりにも低かった。周囲の制止の声を聞かずかんかんになって飛び出し、逆にぼこぼこにやられてしまったのである。あっさりと。
それはそれは、一方的だった。空中で、魔都の全魔人たちが見ている前で、もうこっぴどく。
大魔王の威厳もクソもなかった。
腹心の部下である魔人バズガドと魔人ウイーダが割って入り、ほぼ死に体となっていた大魔王をなんとか救い出した。
代わりに二人は命を落としてしまったが。
不思議なことに、東方の魔人は追撃してこなかった。大魔王を護り死んだ二人に敬意を表したのか、ほかの理由があったのか。
東方の魔人は彼方に飛び去り、超探知からまたロストした。
昨日は翼どころか手足すらちぎれかけたひどいありさまだったが、一晩でここまで回復したのはさすがは大魔王である。
明日には完全に復活するだろう。
だが、あの醜態。
そしてあの脅威。
魔都の混乱は、簡単には収まりそうになかった。
だが、ラルシオーグら大魔王ヴュオルズの能力を正しく知る側近たちは、それほど悲観していなかった。
ヴュオルズは、『ギフテッド』なのである。
ギフテッド。それは、この世界でごくまれに生まれる、他とは隔絶した超常の力を持つ存在。
ヴュオルズのギフトは『模倣』と『進化』であった。
一度受けた攻撃を、自分のものにする『模倣』。
そしてその技を、より強力に改造することが出来る『進化』。
ヴュオルズの強靭な肉体と相まって、最強の大魔王たらしめているチートスキルであった。
なにせ、相手の力を必ず上回ることが出来るのだ。
そして既にヴュオルズは、過去の戦いで絶対防御と絶対再生の技を取り込んでいた。
ヴュオルズは若く見えるが、絶対再生によって最良の状態の肉体年齢を保っているだけで、すでに2万歳を超えている。
その間に倒し取り込んだ強敵の技は数えきれない。
東方の魔人がいくら強い能力を持っていても、いずれ必ずヴュオルズが勝つ。
ただ、ラルシオーグには一抹の不安があった。
ヴュオルズが言うように、あの東方の魔人……エツロウといったか、は見た目は全く戦いの素人だった。
技も何もない。駆け引きもない。ヴュオルズの攻撃を避けすらしなかった。ヴュオルズの全力でもダメージは全く与えられていなかったが。
そしてまとわりつくハエを払うかのような、攻撃とさえいえないような動きで、ヴュオルズはズタボロにされた。
防御力と攻撃力、いや、ひっくるめて破壊力というべきだろう。それが桁外れに高い。相手の攻撃を破壊して無効にし、そして相手をただ破壊する。言ってみれば高スペック任せの存在にすぎない。だが、それ故に圧倒的な脅威であった。
そして、ヴュオルズとの戦いが奴の全力とは到底思えない。
が、そうだとしても、奴が全力を出し切るまでヴュオルズが模倣し進化し続ければいいだけのことには変わりはない。
ヴュオルズが一撃死することさえなければ。
それさえ耐えしのげば、奴は終わりだ。
その間ヴュオルズは何度も今のようにボロボロになるだろうが、それは致し方ない。
東方の魔人を上回るまで、わたしが傷ついたヴュオルズを慰めてやればいい。
昨夜のように、身も心も……。
ラルシオーグはうっすらと舌先で唇を舐めた。
その姿を見ている男がもしいれば、思わず前かがみになったであろう程の隠微な笑みを浮かべて。
その頃。
破壊の大魔王・撃滅のエツロウとか人類最強無敵の男とか、痛い名乗りを上げていたのはもちろん田村悦郎本人である。
彼はマルチ山脈のとある森の中にいた。
ラグビーボールのような形状の銀色のシェルター。
中はカプセルホテルのような構造になっており、敷かれたベッドに潜り横になっていた。
セシル同様若干イケメンマッチョになっており、髪は赤、瞳は鳶色に変わっているが、やっぱりぼっちで引きこもりの田村悦郎であった。
彼自身は知らないことだが、悦郎がこの世界に転移したのはセシルよりも半年早かった。時間のずれが生じていたのである。転移先も大陸と島国という場所のずれがあった。
そしてハルド王国で大暴れした東方の魔人の噂は、今ではセシルらのいる大陸にも届いていた。
思い出していただきたい、第4話のハンターたちの会話に『東方の魔人』というワードがあったことを。
噂は届いていたものの、しかしそれは情報伝達網が未熟なこの世界では、かなり誇張あるいは推論で歪曲された伝聞であった。
よって、東方の魔人=悦郎であることにまだ転移二日目のセシルが気がつかないのは致し方があるまい。
そしてその悦郎がカプセルのような物体、彼自身の命名によれば『繭』にいるのは、もちろん彼の性根がオープンな場所が苦手だからである。
現代の日本人の感覚ではあまりに不潔、ということもあったが、彼にとって街の宿屋に泊まるのは別の事情でハードルが高かった。カウンターにいる親父に宿泊希望と申し入れるのがまず無理だった。食事も頼まないといけないし、しかも食堂で大勢と一緒に食うなんて、無理ゲーである。
ということで、彼はこの半年の間に覚えたスキルで自分の領域たるコクーンを作り、そこで宿屋要らずの生活をしているのであった。
風呂は入らなくても構わないし、野外排泄も他人さえいなければ特に気にしなかった。なのでコクーンにはバストイレはない。
それよりも、今。
彼は腕についた傷に絆創膏を貼っていた。もちろん悦郎が作り出したものである。
この世界にこんな便利なものはない。
ヴュオルズが気を失う前に最後に放った一撃。
実は、それは悦郎のバリアを抜けて肉体に届いていた。かすり傷ではあったが、ヴュオルズは一矢報いていたのである。
戦闘中の『模倣』と『進化』により悦郎の能力の一部を取り込んでスキルアップしたためだ。
悦郎はこの半年で初めて受けた傷に驚き、追撃をしなかった。
というより逃げた。結構痛かったし。
生来、打たれ弱く、痛みを我慢できない性格なのである。
予防接種が怖くて毎年インフルエンザに罹っていたくらいだ。彼にとっては1週間学校休めて公認で部屋から出なくてよくてむしろラッキーであったし。
そのくらい、悦郎はビビりで痛みにとても弱いのである。
腹立ちまぎれに置き土産としてこれもこの半年で得たスキル『超新星』をぶちかまし、彼は二重大陸からセシルたちのいる大陸まで飛んできたのだ。
そして現在人里離れた深い森の中に設置したコクーンにこもっている。
(あー、なんだよ。無敵の勇者じゃなかったのかよ。痛かったじゃん! 腹立つなあ。まったく。やっぱ慎重にレベル上げていくクエストだったのかなあ? ちくしょ! 大体ハルドの王さんとあの王女たちが悪いんだ。せっかく魔族やっつけてやったのに。まあたしかにちょっと調子に乗りすぎたかなと思うよ俺も。食事から風呂から着替えから添い寝から全部女の子たちに丸投げはちょっとまずかったよな。だって楽なんだもん何も言わなくても勝手にやってくれるし。片っ端からお情け頂戴に応えたのも良くなかったと思うよ。でもさ、あれはないわ)
ブツブツと一人で文句を垂れる悦郎。
大人の階段を上ったような発言があるが、とりあえず今は気にしないでいただきたい。
大魔王を救出しようとした二体の魔人はスーパー・ノヴァに巻き込まれて死んだが、大魔王自身はまだ生きており、復活を、そして悦郎に復讐をなそうとしていることを、彼はまだ知らない。