第69話 隷属紋
あけましておめでとうございます。
今年もコロナで始まりましたが、今年こそ収束を願って!
「アレー王女! その顔は!? 一体どうしたの!」
「ふふふっ。素敵な飾りでしょ。セシル様」
「素敵って、それ、ペイントじゃないわね!? いったいどうしちゃったの!?」
「エツロウ様に刻んでいただいたのです」
「えっちゃんに!? 何やってんのよ、えっちゃん! 王女の顔をこんな、……こんなにして!」
「あら、顔だけではございませんわ。全身くまなく……。うふふ、ご覧になります?」
アレー王女は着衣の襟に手を掛けた。王女は龍布のスーツではなく、初対面の時のドレッシーな冒険者風という矛盾したファッションでもなく、王族らしいロングドレス姿であった。だからより一層顔に刻まれた紋様が異様であった。
露出している腕や手にも奇怪な紋様がある。王女のいうとおりなら、このような模様が全身に彫られているのだろう。しかも墨を入れた刺青ではなく、皮膚を傷つけて浮き上がる瘢痕文身である。一生消えないケロイドだ。地球でも熱帯地域の少数民族にそのような風習がある。元が美少女だけに、赤く盛り上がった蚯蚓腫れの文身に覆われたアレー王女は無残であり、その自らの姿を喜んでいる風情なのが一層不気味であった。
「見せなくっていいわよ!」
(アレー王女にも『憑依者』の反応はありません)
(フェンツー、そうなのね。でもアレー王女も明らかに変よ。操られているとしか思えないわ)
(しかし、人格に干渉するような思念の流れはありません)
(ありがとうフェンスリー。まったく、どういうことなのかしら)
「そうですか。エツロウ様との愛の証なのに、お見せ出来ないのは残念ですわ。セシル様」
「愛の証!!」
「うふふふ。わたくしはもう身も心も撃滅のエツロウ様のもの。この身体はその証拠でございます」
そうか。えっちゃんが全身に紋様を刻んだってことはアレー王女はえっちゃんの前で全裸になったってことよね。
え、それって、もしかしてそういうことなの!?
何それヤバい!
ちょ待って!
セシルは動揺した。
「アレー王女! あなたそういうの嫌ってたんじゃないの! お姉さんたちみたいにはなりたくないって!」
「第一王女、第二王女はエツロウ様を罠にかけ騙そうとしたのです。わたくしとは違います。わたくしの身はエツロウ様手ずからお情けをいただいたのですから」
「お、お、お情け!? 彫り物しただけよね!? 違うの!?」
「ですから身も心もと。うふふ」
「アレー王女、あなた結婚年齢に足りてなかったんじゃないの!」
「もはやエツロウ様ご自身がハルドの法なのです。問題ありませんわ」
「大ありよ!」
「あら。セシル様、それはもしかすると、嫉妬というものでございましょうか。うふふっ」
そう言いながら微笑むアレー王女はもはや淫靡というべき表情を見せた。
この勝ち誇った表情!
えっ、やっぱりそうなの! 身も心もって、えっちゃんアレー王女と、が、合体しちゃったのーーーー!
ボルトインなのビルドアップなの炎となって無敵なの!?
セシルは混乱した。
「さて戻りましょうエツロウ様。怖い気分になるなんてお可哀そうに」
「う、うん。セシルとなんて、無理だ……。帰る……」
混乱しているうちに展望室の扉が閉じられてしまった。
「あ」
慌てるセシルを置いて、プリンセス・アレー号二世の姿が消えた。瞬間移動であった。
(時空の歪みを検出しましたが、高次空間の追跡が出来ません)
(うん……。わたしたちの空間転移とは原理が異なる瞬間移動よね……)
ハルド王国に帰ったに決まっているから航跡をトレースする必要はない。そんなことはどうでもいい。今の悦郎は一体どうなってしまったのか。もしかしてこれは憑依者の高度な心理戦なのか。そしてアレー王女の身体になぜあんな模様を刻んだのか。なによりも、本当に悦郎とアレー王女は一線を超えてしまったのか。
セシルは悶えた。わからないことが多すぎる。
あーっ!
なんなのよ、もーっ!
しかし、これ以上南極にいても仕方がない。ピース・ワールド号に戻りひとまず心を落ち着かせることにした。
「……ということがありまして……」
ピース・ワールド号の戦闘指揮所。
大魔王ヴュオルズ、その秘書ラルシオーグ、嵐龍アラデに加え、バッハアーガルム法王国チュネーマン教皇、それに商業ギルドのシュバルトリウスを前に、南極グレートピットでのギガント討伐報告と悦郎との経緯をセシルが説明した。
グレートピット付近は衛星中継が届かない場所なのでセシルからの説明が必要だったのだ。
なお、フェンシリーズが既に行っているように、セシルも脳内記憶を外部出力出来るのでスクリーンにギガントとの戦闘記録や変貌したアレー王女の姿を映しながらの報告であった。
「太陽を使って焼くとは……。なんというか、凄まじい作戦だね。エルフ姫」
「神の使徒も核融合には勝てません」
「放射線というものがあることは知っているが、原子についてはわたしも詳しくはないんだ。どういう原理なのかね、核融合とやらは」
「あっ、いろいろ危ないのでこれは深入りしない方がいいです! シュバルさん」
核物理学の発展は例の恐るべき最終破壊兵器を生みだしかねない。この世界の科学技術水準であれば時間の問題ではあろうが、あえて時計の針を進める必要はない。
「それより、アレー王女のあの姿はどう思われます?」
セシルは話題をそらした。知恵を借りたかった本題でもある。
「小国の王女などより偽神の使徒を駆逐した御業を御神託として縁起にまとめる方がはるかに緊要と愚考いたしますが」
「チュネーマン、あんたは黙ってて」
「ふむ。昔、入れ墨は異端者への懲罰としてあったが、もう廃れた風習だね。南方のごく一部で部族のしるしを体に刻む文化があるが、それもワンポイントの飾りだ。アレー王女のように全身くまなくというものではない」
「ダガルやゴズデズもタトゥーはしてないですね。キャラ的に入れててもおかしくないけど」
「それはどういう評価なのかわからないが、エルフ姫から見たら彼らは入れ墨をしそうなのかね? しかし、刻む際の苦痛も半端ではないだろう。どうやって年端も行かぬ女性相手に彫ったのやら。それによく国王たちが許したものだね」
「そういえばガリウズがいなかったわ。えっちゃんは平定したといってたけど、ハルド王国、今どうなっているのかしら」
「隷属紋ではないのか。あれは」
「隷属紋? ヴュオルズ、そうなの?」
「うむ。魔法陣の亜種なのだが、体に紋様を刻む方法がある。正しく紋を刻めば自らが発する魔法のエネルギーで意識せずとも常時発動することが出来る。魔術の取り扱いが苦手な者が身体強化などを簡易的に使えて便利なのだが、こと隷属紋だけは良いものではない。隷属紋を刻まれた者はその部位を切り取りでもしない限り刻んだ者の支配から逃れられないからな」
「アレー王女は魔法のエネルギーも多そうだから、隷属紋なら絶対支配も可能かもね……」
「しかし隷属紋はあまりに非魔道的なので、とうに抹消された古代魔法陣でございます」
ラルシオーグが追加で説明する。『非魔道的』とは『非人道的』の魔人バージョンである。
それにアレー王女の様子は支配されているというより自ら望んでいるようだった。それも隷属紋の効果なのかもしれないが。
「『憑依者』は古代の魔法陣すら復活出来るのかもしれないということか。うむ、もしかすればハルド王国を即座に平定出来た理由は、国民全員に隷属紋を描いたからなのでは……?」
「それはないと思います、シュバルさん。王女の口ぶりからすると彼女だけに特別に彫ったようです」
「そうなんだね。第一そんな時間もなかったか」
「えっちゃんの性格からいってもそんな面倒なことはしないと思います」
「うむ……。そうだ、衛星をハルド王国上空に配置して様子を見てはどうかね? エルフ姫」
「シュバルさん、実はもうやりました」
「ならばこんな議論するまでもなく、王国の様子を中継すればそれで分かるのではないかね?」
「それが、何も映らないんです」
「なんだって? エルフ姫の人工衛星を使ってもなのかい?」
「どうやら情報を破壊されてるみたいなんですよね。可視光も赤外線もマイクロ波もなにもかも」
「情報を破壊!?」
「えっちゃんのギフト『破壊』がそれこそ常時発動してるみたいで、覗いても真っ黒で信号が返ってこないんです」
「う、うむ。そうなんだね。悦郎君のギフトが相手ではそれも仕方がないな……」
ギフトのことを全く隠さなくなったセシルにシュバルはややうろたえたが、何を今更かと思い直した。チュネーマン教皇もセシルがギフテッドであることは彼の『憑依者』を棒人形に捕らえた際に即看破していたし、このピース・ワールド号や衛星中継、そして今しがた見たギガント殲滅映像。それらは神に与えられしギフトの発現以外の説明がつかないものだ。
つまり、周知の事実というものである。
「で、どうするのだセシル」
ヴュオルズが尋ねる。
「ヴュオルズも『憑依者』の気配は感じなかったのよね」
「ああ、ギガントの『憑依者』が消えた後はもう何も感じない。ただ距離があるからな。そのせいで気配を感知出来なかった可能性も高いぞ」
「現場にいたフェンツーもフェンスリーも思念を嗅ぎ取れなかった。えっちゃんは『破壊』してるのかもしれないけど、アレー王女はそんな隠蔽は出来ないはず。なので危険度は低いとみてひとまず放置!」
「それでいいのか? セシル」
「ありがとう、ヴュオルズ。アレー王女に指名依頼されたクエストはえっちゃんがハルド王国に帰った時点で達成したことになっているし、まだ混乱している法王国と帝国をしっかり立て直すのが今は先よね。それに魔大陸貿易網も未完成だもの。安定稼働するまでもう少し頑張らないと」
やりかけたことは途中で投げずにやり遂げる。それがセシルだ。
不完全なものは気持ち悪いのだ。
理系あるあるである。
「恐悦至極……」
黙っててと言われたチュネーマン教皇はただ下を向いて頬を赤らめながら呟き、シュバルは心の中でガッツポーズをするのであった。




