第68話 東方の魔人みたび
プリンセス・アレー号二世の下部展望室の扉が開いて悦郎が外に身を乗り出していた。
床を物理で破壊、ではなく非常扉を開けているので振る舞いは多少改善したようだ。
開けた扉の敷居に片足を掛け、パラシュートなしでスカイダイビングをする直前みたいな格好で立っているが、プリンセス・アレー号二世は空中で静止しており、悦郎には飛行能力があるので特に危険は感じられない。
「強い奴が現れたと思ったのに、セシルに先を越されるとはな。つまらぬ」
「えっちゃん、どうやって?」
ピース・ワールド号に比べれば小さいプリンセス・アレー号二世だが、それでも全長80メートルの空中船である。大きな質量を持つ物体が移動してきたにもかかわらず、つい先ほどまで何の気配もなかった。セシルのマルチセンサーですら捉えていなかったので転移してきたとしか思えないが、悦郎はセシルのギフトが回収された時点で瞬間移動が使えなくなったはずだった。
これは『憑依者』からのなんらかの能力のフィードバックかもしれない。セシルはフェンツー、フェンスリーを呼び寄せた。2匹は法王国、帝国にいたがただちに瞬間移動しセシルの両肩に乗った状態で現れる。もちろん小鳥バージョンだ。
悦郎に会えたのはうれしいが、油断は出来ない。今の悦郎は敵の手の内なのだ。
一方、巫女服を着ていないことに頭を抱えた。悦郎が喜ぶと思って変態紳士チュネーマンにコスプレを許したのに無駄だった。
あーもっ! なんでこんなタイミングでえっちゃんに再会しちゃうのよ!
「うん? 距離を破壊しただけだ」
「えっ」
セシルは悦郎の言葉を分析する。
距離を破壊したとは?
空間、すなわち4次元時空連続体を折り曲げてハルド王国と南極を超次元的に零距離にくっつけた、ということであろう。SFでいうところのワープ航法やフォールド航法等と呼ばれる超光速航法の理屈である。高次元空間からの座標の書き換えであるセシルの転移とは異なるアプローチだが、瞬間移動という結果は同じになる。
「なるほど。うん、すごい! えっちゃんやるわね!」
「ふっ。ギフトが進化したようだ」
「あっ」
セシルも悦郎もギフトが二重化した際に尋常ならぬ苦痛を味わった。放出と吸収という違いはあったが体内で暴れたエネルギーはどちらも莫大だった。セシルのギフトはその結果『類義』により劇的な進化を遂げた。自分の中のギフトが成長したのであれば、悦郎のギフトもまたしかりである。悦郎のギフトは『相反』によって進化したのだ。そうセシルは理解した。
つまり悦郎の持つギフトも、セシルのスーパーアルティメットギフト『奇蹟』と『守護』に匹敵するスーパーエクストラギフトとなったということである。
だからこそ4次元時空連続体すなわち宇宙の構造そのものを『破壊』出来るまでになったのだ。
その事実は、恐るべき未来を予測させる。
『憑依者』が悦郎を支配し表に出てくれば、セシルにとって、いやこの世界にとって最大最凶の敵となる。
(おかしいです)
(え?)
フェンツーが秘匿モードで思念通話してきた。悦郎に聞かれない配慮である。
(悦朗様の中に『憑依者』が感じられません)
(はい、そのとおりです)
フェンスリーも思念で同意した。
しかし悦郎は明らかに「東方の魔人」モードの俺様状態である。それ自体はセシル好みの上から目線タイプなのだが、やはり普段の悦郎とは異なる。『憑依者』による精神汚染の影響を受けているのは間違いない。
(しかし、この近距離で『憑依者』を感知しないはずはありません。『憑依者』はここにはいないのではないでしょうか)
(どういうこと?)
(申し訳ありません。わかりかねます)
全世界記憶にアクセス出来るセシルにわからないことを、セシルが造ったフェンたちに答えられるはずはない。
『憑依者』はここにおらず、遠隔操作をしている?
しかし、そもそも実体を持たない思念体だ。物質ではなく力やエネルギーに近い。なんらかの作用があれば作用そのものが必ずフェンシリーズの『憑依者』レーダーに捉えられる。距離や場所は実質的に意味を持たない。
それとも、悦郎のギフトを使って自身の存在を破壊しているのか?
悦郎がプリンセス・アレー号に潜入していた時のように。
しかしその場合悦郎への影響も同時に破壊されることになる。姿を隠すことは出来ても、精神汚染は出来ない。
わからない。
直接聞いてみよう。それしかない。セシルは決めた。
「えっちゃん、『憑依者』はどうしたの?」
「『憑依者』とはなんだ?」
「その精神汚染の元凶よ!」
「精神汚染? 俺は俺だ。東方の魔人であり撃滅のエツロウである。俺自身は汚染などされていない」
「自分でもそれは黒歴史だったって言ってたじゃない! もう! また忘れたの!?」
「覚えていると言っただろう。セシルこそ忘れたのか。今の俺は俺自身だ。問題ない」
「あああ! もう!」
また噛み合わない。こんな問答をしていても時間の無駄だ。意味がない。
セシルは頭を掻いた。いらいらしてきた。歯がゆくて地団駄を踏む。両肩のフェンシリーズが難を逃れるため肩から少し浮揚する。
はあはあ。落ち着けわたし。
セシルは話題を変えることにした。
「渡したタブレットは持ってる?」
「当たり前だ。この世界でゲームやコミックは貴重品だ」
と悦郎は答えるが、手には何も持っていない。
おそらく亜空間に収納しているのだろう。時空を破壊出来るのだから空間に穴をあけるくらい簡単なことだ。
そして亜空間にあろうと棒人形アプリは有効に働く。そもそも離散的領域とのゲートを開く超次元的プログラムである。対象と相関していれば作動する。
「タブレットになんか反応なかった?」
「反応? なんのことだ?」
「何か捕まえたよー、みたいな通知とか」
「いや。知らぬな」
悦郎に付与したタブレットのIDの動作ログをバックスクロールするが、確かにアプリが作動した形跡はない。
アラデが憑依された時の反省で、棒人形アプリのタスクはセシルにPINが飛んでくる仕様に変えている。が、念のために再度確認した。二大国での大量捕獲の時に一斉に多数のアラートが重なったので、見落としたのかもしれないと思ったからだ。
しかし、ログにはアプリの作動記録がない。
やはり『憑依者』はまだ悦郎の中にいるはずだ。実際、明らかに精神汚染が続いている。
しかしフェンツー、フェンスリーは検知出来ないという。
どういうことなのか。
「そうだ。『竜退治の旅3』キャラ全員全職カンストした。『竜退治の旅5』ないか?」
「わたし、それ買ってないのよ」
「そうか。シリーズ最高傑作だと思うぞ。では『最終幻想』シリーズはないか」
「3と10でよければ持ってるわ」
「両方インストールしてくれ」
悦郎が手にタブレットを出現させた。やはり亜空間収納していたのだ。
「わかったわ。ああ、離れててもインストールできるからそのままタブレットは手に持っててね」
棒人形アプリをいつでも作動出来るようにするため、悦郎から離すわけにはいかない。そもそもそのためのコミックとゲームである。肌身離さず悦郎がタブレットを持っているようにするための餌だ。
「ところでハルド王国の平定はもう終わったの? えっちゃん」
「うむ。半日も掛からなかった。この世界はイージーに過ぎる。敵も弱い」
えっちゃんがいないから国が荒れたんだから、戻れば落ち着くのは当たり前か。でも半日って、すごいわさすがえっちゃん。
とセシルは素直に感心するが、たしかにギフテッドはバランスブレイカーに過ぎるとも思う。だから逆にギフトが使えなくなったり失ったりするとたちまち挽回不可能な窮地に陥る。ギフトがなければセシルや悦郎はこの世界では一般人以下の能力しかない。重い剣を振るうことも魔法を唱えることも出来ない。
セシルは簒奪され死を覚悟した時のことを思い起こした。また、ギフトの二重化で消耗していた自分や悦郎の姿も。
そしてアプリのインストールは錬成の一種なので一瞬で終わるのだが、会話を引き延ばせるチャンスである。悦郎の『憑依者』が実際どうなっているのか探らなければならない。
「えっちゃんが強すぎるからじゃない」
「当然だ。だがつまらん」
「面倒なことはイヤじゃなかったの?」
「面倒は嫌いだ。だがクソゲーはもっと嫌いだ。ユーザー無視の鬼畜難易度もクソゲーだが、イージーすぎて面白みがない。このままじゃこの世界はクソゲーだ」
俺様モードの時の悦郎はこの世界をゲームだと断定していた。それはおそらく『憑依者』が誤った認識を刷り込ませているせいだ。なら、やはり『憑依者』はまだ悦郎の中にいる。とセシルは考える。
「おっ、語りはじめたね! えっちゃん」
「ふふっ。まあな。そういう意味ではセシルのチョイスは控えめに言って神だ。ただでさえゲームの中のミニゲームはお得感があって嵌るものだ。セシルがゲームやってたのは知らなかったがな」
「まあね。わたしだって普通の女子高生だもん。ゲームぐらいするわよ」
悦郎の趣味の分析のためであったが。
それにしても悦郎の話だと『憑依者』は全く表に現れていないようだ。ずっとゲームをやり込んでいるようだし。しかしゲーム三昧の悦郎を放置している理由がわからない。蹂躙はどうしたんだ。セシルはいぶかしんだ。
「そうか。おい、インストールまだ終わらないのか」
「あっ、もうすぐ、もうすぐ。10が結構容量あるのよね」
「そういえばそうだ。待とう」
しばしして。
「……終わったわ」
ゲームに関しては悦郎の方が知識が上だ。何も掴めなかったが、不自然にならない程度で切り上げざるを得ない。
「ふむ。礼を言うぞ、セシル。では帰る」
「いや待って」
「どうしたセシル」
「強い敵と戦いたいのよね、えっちゃん」
「うむ。俺の力は立ちはだかる強敵を破壊するためにある。それ故の撃滅のエツロウである」
「なら、わたしと勝負してみない?」
「む? セシルは敵ではない」
「試合みたいなもんだと思えば?」
「試合か。しかし試合であっても俺は真剣勝負しか出来ない。手合わせといえど命を失うこともある。死の覚悟がセシルにあるか」
そう言った途端、悦郎の表情が変わった。
夢から覚めたように目を見開く。
「うん? 死ぬ? ……ちょ、待てよ。俺がセシルを殺す? もしセシルが死んだら……」
「わたしが死んだら?」
「う、うん……。ちょっと、困る、……そうじゃなくて、悲しい? ……というより……」
あれ?
口調が。
なぜか俺様モードが解除しつつある。わからないけどこれはチャンスとセシルは思った。
「わたしがいなくなったら悲しいのね!」
悦郎の本来の人格を揺り動かせば『憑依者』を焙りだせるかもしれない。
「そ、そりゃ、まあ……。そうだ。だって源とうちゃんも、かあちゃんも、もういない。……セシルまでいなくなったら、俺は……。俺は……」
「家族だもんね! 家族が死んだら悲しいわよね!」
「そうだ。……葬式で泣き崩れたセシル。俺はもう、あんな悲しい姿、見たく……ない……」
「そうよ。わたしたちはもうたった二人。一緒にいないと幸せじゃないわ! だからずっと一緒よ!」
己の願望が駄々洩れになりつつあるセシルであるが、ここぞとばかり畳みかける。
が。
「それは少々困ります」
悦郎の後ろから女性の声がした。
「撃滅のエツロウ様。ここですべきことはなにもありません。王国に戻りましょう」
「アレー王女!」
セシルは目を見開いた。
悦郎の肩越しにすっと現れた女性。
その声は、たしかにアレー王女のものであった。
だが、つい先日までの無垢な美少女のたたずまいは消えて、妖艶にほほ笑むその顔には奇怪な紋様がびっしりと刻まれていた。




