第66話 世界の終わり
ピース・ワールド号の戦闘指揮所にセシル、大魔王ヴュオルズ、ラルシオーグ、アラデが集まっていた。
セシルはしばらく着たきり雀だったアラデ謹製のサイバーなコスチュームではなく、今は宗教的な意匠の服を着ている。神秘的な容姿と相まってまるで本当に神に遣わされた聖女に見える。黙っていれば。
人工衛星から地上をとらえた映像が大型モニターに映っている。この衛星はもちろんセシルが創造し転移で軌道上に配置したものだ。既に18基が稼働している。赤道上の静止衛星が120度ごとに3基、3基をワンセットとして稼働する準天頂衛星コンステレーションが5グループあり、魔大陸、ガルリア大陸北西部、北東部、中部、南部の5地域をカバーしている。グローバル・ポジショニング・システムであり、地上をマルチスキャンする監視機構であり、衛星通信ネットワークであり、気象観測衛星でもある。これによりピース・ワールド号にいながら魔大陸とガルリア大陸の任意の地点の転移座標を数メートル以内の誤差で取得出来るようになった。またタブレットやトランシーバーは従来の糸電話から真意の移動体通信にリプレイスされた。天気予報は魔大陸とガルリア大陸なら100メートルメッシュで可能だ。
ガルリア大陸極東に位置するハルド王国はカバーしていない。ハルド王国にはもう悦郎が着いているはずだが、無断でのぞき見するのは憚られたのである。リモートでパソコンを勝手に見たりしているくせに、変なところで臆病なのがセシルであった。悦郎成分の補給も隠れてやっていたし。
それはともかく、最終的には1600基を設置し全天を覆う超高精度サテライトリンクメッシュの構築をセシルは目論んでいるが、それより先に成すべきことがある。今は『憑依者』問題の解決が最優先だ。
映像はこの星の南極を捉えたものだ。この星の南極には地球同様氷で覆われた大陸があるが、その中央に直径30キロメートルに及ぶ巨大な穴が開いている。
この大穴、通称『グレートピット』の存在は魔大陸のように秘匿されているわけではないが、従来この星にあった移動手段では到達するのが困難な場所のため詳しい調査はされていなかった。そもそも南極の大陸には人族も魔族も住んでいない。
楕円軌道を取る(地上からは非対称な8の字軌道に見える)準天頂衛星が極部に近づくのはごく限られた時間のため、今モニターに映し出されている動画は中継ではなく短い録画だ。
穴の中から超巨大ななにかが外に出ようと蠢いていた。軌道上からの望遠撮影のため、デジタルズームの上AIに画素を補完させている。見た感じは数多くの触手を持った頭足類、あるいはイソギンチャクに似た生物のように思えるが、体の大部分はまだ穴の中なので詳しくは不明だ。
「で、なにこれ?」
セシルは全世界記憶を検索するがマッチしない。穴から出ている触手だけでも差し渡し4、50キロメートルはある。1Gの重力下でこんな巨大な生物が存在出来ること自体が驚異だ。
「我も知らぬ。南極の穴にあのような巨大な魔物がいたとは、大魔王として不勉強であった」
「魔物なの? あれ」
「少なくとも普通の生物ではない」
「まさに史上最大の魔物っすね! ギガントデーモンってとこっすかね?」
「ギガント……」
セシルは考える。この巨大生物、アラデ命名の仮称ギガントは大魔王も知らず全世界記憶にも載っていない。ならば今突然誕生したか、あるいは歴史が記される遥か以前から穴に潜ったままの存在だったということになる。
そもそもこれは本当に生物なのか? いくらなんでも大きさの桁が違い過ぎる。触手でこれなら本体は100キロメートルのオーダーではないのか。魔物だって代謝はしている。骸骨の不死の王だって魔のエネルギーを循環しているのだ。
この巨体を支えるエネルギーはいかほどになるのか。単細胞生物からクジラまで、どんな生物も体重当たりの消費カロリーは同じという論文を読んだことがある。たしか1キログラムあたりおよそ50キロカロリー毎時だった。仮に直径100キロとして、体重を推定すると、ざっと10の24乗キロカロリー。京、垓を超えて禾予の単位である。
にわかには信じられない。
消化管系、循環器系、運動系、神経系どうなってるのかしら。ATP回路に代わるもっと効率のいい代謝系があるのかも。これは興味深いわ。
詳しく見たい知りたい調べたい!
「世界の終わり……」
ぐいぐいと鎌首をもたげてきたセシルのリケジョ的好奇心は唐突な背後からの声に中断された。
「げ……。また来たよこの人……」
戦闘指揮所の入り口に一人の男性の姿があった。セシルがあからさまにげんなりする。
チュネーマン教皇だ。布の塊を抱えて立っていた。
戦闘指揮所に鍵は掛けていない。というよりピース・ワールド号内部は各自の個室以外は基本的に誰でも出入りし放題である。戦艦だが軍属ではないからだ。セシルの方針である。
チュネーマン教皇が持っているのはセシルに着せるための服だ。大聖会の聖女装束コレクションのうちの一着である。
今セシルが着ている巫女風の服もチュネーマンが貢いだものだ。今回の一件でチュネーマン教皇はセシルの熱狂的な信奉者になった。彼にとってアルティメットギフトを持つセシルは唯一神の化身、いや、そのものである。もともと世界は神のためにあるという極端な思想の持ち主であったチュネーマンは、神に置き換わったセシルを盲目的に崇拝した。単に祈りを捧げるだけではなくセシルへの愛に生きる殉教者となった。
といえば聞こえはいいが、実態は迷惑千万なストーカーと化したのである。セシルにずっと付きまとい、一挙手一投足に驚喜称賛し、歴代聖女のコスプレを懇願し、無碍にされてはご褒美と打ち震えのたうち感極まる。ありていにいって変態であった。
変態紳士に根負けしたセシルはコスプレだけは許可したのである。きっと悦郎が喜ぶだろうという計算が働いたこともある。
「世界の終わりとはなんだ? 教皇」
道端の排泄物を見るような表情でチュネーマンを見ているセシルを横にヴュオルズが冷静に尋ねる。
「知らぬのか大魔王。『カリスの偽書』にある超界の神々の一族だ。その力は世界を七度滅ぼせるといわれていたが、唯一神と戦い破れ、亡骸は万に砕かれ氷の大地に埋められた」
「知らぬ。初めて聞いた」
「『カリスの偽書』? 超界?」
「おおお神子様その鈴の音よりもお美しい初音にして小官めに疑を質されるとは誠に恐悦至極、脚下照顧。不肖チュネーマン全身全霊を傾け粉骨砕身……」
「そいうのいいから、簡潔に」
「はははっ神子様。旧聖典は蕪雑にして繚乱でありまするが中でも偽書と題する書物はおよそ百に及び」
「あ、もういいわ。世界の終わりで全世界記憶にヒットした」
「ああああ流石でございます崇高美にして瞠目至極。麗姿偉観とはこのことでございましょうか」
「超界って、神々のバトルフィールドのことなのね……」
『カリスの偽書』。
全世界記憶によれば、伝道師ノーラ・カリスによる創世以前の世界、すなわち超界における神々の戦いの一部を記した文書だ。原書は消失しており現存するものはハイデ卿の写本である。その記述が詳細かつ具体的に過ぎるため、旧聖典にナンバリングされず、カリスが想像を膨らませて書いた『偽書』の一冊、つまりおとぎ話の類に分類され、信教の乱れを避けるため大聖会の書庫に秘蔵されている。
世界の終わりはそのカリスの偽書にのみ記載がある超界の神々の一柱である。山を喰らい海を飲み干すほどの巨人であり、強力な破壊神であったが唯一神の使徒ガルダに討たれた。その骸は創世後も大地に残り、唯一神により細かく刻まれ南極の大穴に葬られた。
「ガルダはメジャーだけど、世界の終わりは大聖会秘蔵の書にしか出てこないマイナーキャラなのね。ならヴュオルズが知らなくても当たり前じゃない」
「しかし巨人というが、あのギガントはどうみても人の形ではないな」
ヴュオルズのいうことはもっともである。
「肉片を団子にしてごちゃっとくっつけた感じかな? 大きさは大体合ってるし。それより、あれ、やっぱりギガントがそうなの?」
セシルがヴュオルズを見る。
「うむ。おそらくは。南の果てから強い反応を感じる」
「わたくしにもそのように感じられます」
ラルシオーグがヴュオルズに同意する。
「死んだ骸にも憑依出来るとはね。で、無理やり合体したからあんなになっちゃったってことか」
「美的センス皆無っスね!」
そもそも大魔王が反応をしたのでセシルが衛星画像をプレイバックして確認したのだった。
世界の終わり改めギガントは『憑依者』だ。
美的センスはともかく、敵は超界の神の身体を手に入れたのであった。




