第63話 人間サイズの戦い
バッハアーガルム法王国軍は、兵士約100万人を擁するこの世界最大の軍隊である。故に、魔導師団が無力化されたとはいえ、法国軍の大半は無傷である。
だが、かつての領土拡大戦争が終結した現在、平和維持、地方開発、あるいは経済振興のため戦力は国内各地に分散し配置されている。首都防衛部隊は限られていた。『憑依者』チュネーマン教皇が魔獣部隊を中央府に留めたのは、機動艦隊に対して防衛力不足を懸念したからだった。
またリアルタイムな通信手段は少ない。魔法による情報伝達、あるいは転移魔法による伝令などが存在しているが、高度な術式が必要である。しかもその術式の詠唱が可能な高位魔術師らは魔導師団に属しており、現在国境で意識を失っていた。
法都からは既に伝令の早馬が各地に向け駆けていたし、巨大な魔族は法国中で目撃された。危機に際し、各駐留地の軍は防衛プログラムに乗っ取り自律的に動き出していたが、法都への移動には時間が掛かる。
そのため現時点で法都にある戦力は限られていたのである。
魔獣部隊が市街に出てすぐ。
中央府大聖会の仄暗い尖塔内部に影があった。
「ここに来ると思っていたぞ。魔人。必ず猊下を狙い来るとな」
ゆらりと闇から立ち上がった初老の男。
剣聖アグリ・ボーランデ。
バッハアーガルム法王国最強を噂されるうちの一人だ。滅多に姿を見せないが、純粋な剣の腕では魔導師団黒の隊長、グロッグ・コーファーを上回る。実際、グロッグの剣の師匠がアグリなのだ。
愛用の剣はグロッグ同様ガザルドナイト合金製だ。グロッグは剣に自身の魔法を帯びさせ属性を変化させつつ攻撃するのが魔法剣士だが、アグリは魔法を斬るために使っている。
魔物の魔のエネルギーですらこの愛剣で斬り捨てる。マルチ山脈に棲むレッドドラグーンを単身で打ち倒したこともある、伝説級の剣の達人である。
アグリは剣を腰の鞘に納めたままだが、立ち姿に隙はない。殺気すら感じられないのは鏡面の境地である。結界内にうかつに侵入した者には即、死あるのみ。
「どうやら、貴方は憑りつかれているわけではないようですね」
もう一つの影が露わになる。深紅のドレスを身に纏った妖艶な美女。大魔王の秘書ラルシオーグだ。
「ふむ。そうか。おぬしら魔族が猊下の異変に絡んでいたのか。なるほど、ということは魔獣部隊云々は口実にすぎぬな」
アグリは最近のチュネーマン教皇の行動がおかしいことに気が付いていた。今のラルシオーグの一言でそれが何者かのしわざであることを察知したのである。
だが剣聖といえど、人族でも魔族でもない『憑依者』という存在にはさすがに思考が及ばない。法王国を乗っ取ろうとしている魔族同士の争いに違いない、と勘違いしたのだった。
だが、大体は合っていたので。
「あら。なかなか鋭いですね。剣聖と呼ばれるだけのことはあるようですね。さっきまでは見逃してあげようと思ってたけれど、シナリオがバレるのは困ります。でも人間は殺してはダメといわれていますし、ちょっと困りましたね」
「困る必要などない。おぬしにそんな未来はないのでな」
ちなみに、ラルシオーグは魔族語、剣聖アグリは法王国共通語を話しているが、セシルの自動翻訳システムが効いているので普通に会話出来ている。念のため。
「あら、楽しませてくださるの? 剣聖」
「そうさな。魔人の首を肴に美酒を振舞えば、猊下もお喜びになるだろう」
刹那。
アグリが距離を詰めた。転移ではない。瞬間加速だ。衝撃波が後からやって来たので、音速を超えていた。その僅かな間にアグリは抜刀し、ラルシオーグの喉笛を横に払った。
一瞬で決着。アグリはそう確信した。
「影を斬って、ご満足?」
アグリの背中に冷たいものが走った。確かに手ごたえがあった! ありえないこれは! これが魔人なのか! これが大魔王の眷属の力なのか!!
次の瞬間、アグリの意識はブラックアウトした。剣を握ったまま、どうと床に倒れる。
「えーと、剣聖……、アグリだったかしら? 会った瞬間から幻覚に囚われていたのにねえ。見た目はおじいちゃんなのに精神がまだまだお子ちゃまね。起きたら鍛え直してね」
困るなどとつぶやいたのはフェイクだった。再び影から姿を現したラルシオーグは、アグリが当分目を覚まさないことを確認すると、さっさと尖塔を昇り始めた。
◇◇◇◇
デガンド帝国・帝都。
ヴュオルズの姿が消えた後も、バッハアーガルム法都の光景は、法都のフェンスリーから帝都のフェンツーに中継され、引き続き帝都上空に22.2チャンネル3次元8Kで投影されていた。
そのため、三魔王・三魔将が演じたセシルのシナリオは法都同様、自動翻訳されて帝都にいる全ての人に伝わった。
戦車大隊や機動艦隊の出撃に疑問を感じていた軍関係者たちはなるほどそうであったかと合点がいった。法王国との戦争を画策しているのではと内心疑惑を持ちながら命令に従っていた者は、思慮の浅い自分を恥じた。さすがは帝国の誇る皇子たちだ。友情・努力・勝利。自国のみならず隣国を真の友として愛し、危機に際しては勇猛果敢、たとえ自らの評判を落とすことになっても迅速に動く。そして魔王の襲来を打ち破り勝利する。まさに帝国の理念を具現化した英雄的行為である。
それはクーデターに加担し皇帝や未成年の皇子、皇女を幽閉した実行部隊である軍青年部すらそう思った。敵を騙すにはまず味方からという。皇子たちがこれほど豪胆だとは知らなかった。だが実際魔王軍に先んじることが出来た。
残念ながらまったく勝利は出来ていないが、国と国との関係においては救援行動を起こしたという事実は重い。法王国に恩を売ったのだ。
一方驚いたのは当の皇子たちである。中でも今回の首謀者の一人であるベイハム皇子は混乱した。
一体何がどうしてクーデターが他国救援という美談にすり替わっているのだ!?
急ぎダガード皇子に対応を相談しなければ!
ベイハム皇子は軍司令部を出て、居城に向かおうとしたが、その前に将軍らに阻まれてしまった。
「皇子、新型戦車大隊、第1機動艦隊、第2機動艦隊が無力化されたのはおそらく事実。援軍の追加派遣をご命令ください!」
「あの巨人らに対し戦力の逐次投入は愚策。国境付近におる全陸軍、第3から第7までの全機動艦隊の出撃を具申いたします!」
「近衛も出せるが?」
「帝都を空にするわけにはいきませぬ。空に法都の姿を見せている魔物がどこかに潜んでいるはずでございます。ならばあの巨人と同じような魔物が次は我が帝国にも襲来すると考えるべき。法王国派遣と同時に南、東の部隊を帝都直衛に回す必要がございます」
「うむ。皆のいうとおりだ。既に皆にも敵の姿が理解出来た上は、実践に即した判断がもはや適切であろう。貴君らに命令する! 全軍をもって、適宜対応を立案し実行せよ!」
「「「「はっ!」」」」
デガンド帝国も法王国同様100万人の兵を有する大軍である。そして機動力がある分法王国よりも軍の展開が早く、対応の選択肢は多い。
後は任せる、とはさすがに言わなかったが丸投げである。ベイハム皇子はそれどころではない。
居城に入り、謁見の間に駆け込んだがダガード皇子がいない。ベイハム皇子は一瞬躊躇したが、皇帝を幽閉している貴賓室に向かうことにした。未だに城の外には法都の映像が映し出されている。速やかに国を挙げた対大魔王戦時体制を整えねばならない。帝国民に被害が出てからでは遅い。そしてこの危機的状況に対応する力は自分にはない。皇帝を解放し復帰していただく必要がある。
瞬時に状況を判断し方針を切り替えたのは流石に皇子である。自分が許されることはないだろう。極刑もやむを得ない。だが、自分の命で帝国が救えるのなら安いものだ。ベイハム皇子は覚悟を決めた。
貴賓室前の回廊に複数の兵士が倒れていた。青年部の衛士たちだ。
扉の前でぐるりと剣を構える残りの兵士、その後ろに皇帝を監視していたユピテル皇子、そしてその中心にいる見慣れぬ人物の姿が一度に目に飛び込んできた。
「ユピテル皇子! どうしたか!?」
「ベイハム兄様! 魔人が!」
「魔人!? 既に侵入されたというのか!」
「はーい、魔人でーす。ボクはウイーダ。大魔王の側近だよ。ヨ・ロ・シ・ク」
黒いスーツ姿のスレンダーな銀の短髪の美女。ベイハム皇子に気さくに手を振って緊張感を台無しにするのは魔人ウイーダだ。
空に映る巨大魔人と異なり、見た目はただの、いや、やや軽薄な女性にしか見えない。
が、ウイーダの実力を今しがた見せつけられたユピテル皇子や青年部の衛士らにとっては台無しも何もない。何が起きたのかわからないうちに数名が倒された。青年部は武闘派を自認しており、事実それだけの力も技も持っている。それがまるで赤子のように一瞬で昏倒させられた。すさまじい実力であった。
殺されなかったのは目の前の魔人の気まぐれにすぎないだろう。ちょっと本気を出せばこの場の全員が一瞬で死ぬ。そう思いしらされたばかりだ。
「ラーセン皇帝に会いたいだけなんだけど、鍵を開けてくれないからさ。お城を壊したくないんだよね。後でセシル様に怒られるの嫌だし」
「父様……、ラーセン皇帝を亡き者とするというのか! 魔人め!」
「ウイーダだってば。なんでボクが皇帝を殺すなんて思うの? ちょっと話がしたいだけさ」
「戯言を」
「……この者は扉を破壊することぐらいは容易です。開けてよいのでは?」
ユピテル皇子が傍に寄り耳打ちした。鍵はユピテル皇子が持っているが、勝手に開けるわけにはいかなかった。ベイハム皇子を見る目が必死だ。
この者が空に映っている巨大魔族の係累ならば、城ごと破壊することも出来るのかもしれない。
ユピテル皇子も、衛士たちも、魔人相手に死を覚悟して立ち向かっていたのだ。だが、開錠を要求するということは、確かに害意がないのかもしれない。倒れている衛士も気を失っているだけだ。息はある。
ベイハム皇子はそこに思い至り、決心した。判断の早さはベイハム皇子の美点である。
「わかった。元々僕も皇帝に用があるのだ。ユピテル皇子、鍵を開けよ」
ユピテル皇子が、え、僕が? という顔をするが、鍵を持っているのは自分だから仕方がないと思い直したのか、すごすごとウイーダに歩み寄る。
扉はウイーダの後ろにあるからだ。
「最初からそうしてくれれば何もしなかったのに」
横を通る際、急にウイーダにそう言われ、ユピテル皇子はビクッと肩をすくめた。
(こっちは捕まえたわ。そっちはうまくいった?)
丁度バズカドから念話が入った。バズカドはダガード皇子を担当していた。
(これから皇帝に会うところだよ)
(そう、ラルシオーグも教皇のを捕まえたって。もう次の出番を連絡していいね)
(うん。まあセシルのことだからフェンシリーズ使って中継で見てると思うけど、念のため報告お願い)
(オッケー)
バズカドのノリが軽い。彼女らにしてみれば学芸会の劇でも演じている気分なのだろう。




