第59話 魔導師団対不死の王
ベルン街道デガンド帝国領内北端部。
この一帯はバッハアーガルム法王国との国境線である。商業ギルドの交易隊や旅行ツアーの一大中継地点で、通関の待機列や、待ち時間での食事や買い物客目当ての屋台やバザーが多数並ぶ大きな市場になっているが、今は両国の国境警備隊以外の姿がなかった。
北に陣取る法王国の魔導師団、南から北上する帝国の戦車大隊により封鎖された格好になり、一週間ほど前から往来が出来なくなっていたからだ。さらに数日前にはバッハアーガルム法王国側の門が閉じられた。本格的な国境封鎖だ。
両国の国境警備隊はこれまで対立していたわけではない。法王国と帝国は和平条約を結んでいるし、そもそも隊員たちは戦争を知らない世代だ。同じ職場に働く仲間として市場で一緒に酒を飲んだり、お互いの国の名産品を交換するなど、むしろ交流が深かった。
だから、門が閉じる前までは両軍の動向について知る限りの情報交換をした。だが、分かったことはお互い何が起こっているか分からないということだった。やがて法王国側は何らかの命令が届いたらしく門を閉じた。一方帝国は何も言ってこない。
情報をシャットアウトされた帝国の国境警備隊は、自分たち以外に人影がなくなった国境線を眺めていた。
その日の明け方、南を探索していた隊員のダリルとアグマニが警備隊詰所に戻ってきた。
「伝令! 南約5キロ地点に戦車大隊を目視! その数約千!」
「千だと! 帝都は本気で戦争を始める気なのか!」
「ジューガ隊長。少なくとも威力偵察というようなものではありません。大隊は野営を撤収し、北に動き始めました。1時間程度で到着すると思われます」
「うむ。しかし、なぜ我々に伝達の一つもないのだ。我々の立場では、正式な命令がなければ国境を通すわけにはいかんというのに」
しかし、戦車大隊相手に国境警備隊が抗えるはずもない。部下の命を守るためには職務放棄しかないのかとジューガは悩む。真面目である。
国境警備隊は帝国軍ではなく警察組織なので、組織上有事には枢密院から指示伝達を行う。その枢密院が機能していない今、代わって軍から行軍について通知すべきところだが、将軍も司令もバウンティ皇子も法王国との一戦を前に、そんな些末なことは失念していたため、何の連絡もないのである。
そして、ダリル、アグマニが大隊と直接接触しなかったのは相手が軍だからだ。ジューガ隊長から偵察だけだと釘を刺されていた。軍の動きはあまりにも不穏すぎる。敵味方構わず武力行使される可能性すらあった。
「隊長、我々はどうすればよろしいのでしょうか?」
「全員、荷物をまとめておけ」
「は?」
「今から俺が大隊司令に掛け合ってくる。戦車の姿が見える前に俺が戻らなければ、ここを捨て西側より帝都に戻れ。お前たちが戦渦に巻き込まれる必要はない」
「隊長! そんな! 私たちも共に行きます!」
「やめておけ。越訴の罪は俺一人でよい」
「隊長!」
その時薄い膜が、詰所を覆った。
ジューガ隊長以下全員が、がくりと崩れ床に寝たわった。死んだわけではない。一瞬で眠ったのだ。
薄い膜は両国の国境全体を覆っていた。法王国の警備隊も残らず眠りに落ちた。
「さて、そろそろ朝日が昇るね。行くとすっか!」
街道に一人立った夢魔の姫騎士がぐんぐんぐんと巨大化した。
ぶんと首狩りの斧を振る。
「北は任せた、不死の王!」
◇◇◇◇
バッハアーガルム法王国魔導師団。
なかでも、隊長級の高位魔術師。
彼らはずっと退屈していた。
大きな戦争がなくなり十数年。大聖会を有する世界の象徴たる法王国においては、デガンド帝国のような周辺諸国との小競り合いもなく、彼らの卓越した魔術師としての能力を発揮する機会はほとんどなかった。
魔獣狩りや災害出動などが散発的にある程度で、訓練と称し部下をいじめて憂さ晴らしをするのが関の山だった。
帝国のような機甲師団、すなわち工業製品としての兵器を運用する、戦術的にも戦略的にもマニュアル化された系統的な軍事組織とは異なり、魔導師団は魔法、すなわち個人の戦闘能力に依存する。
そして、魔法能力さえ高ければ、出自は問われない。国家にとっては能力者を野に放っておく方が危険だからだ。あまりにも反社会的すぎる者は秘密裏に処理されることもあるのだが。
下位の隊員レベルは集団詠唱などで戦術を叩き込まれるのでむしろまともな軍隊に近いが、個人戦が重視される隊長級は己の能力のみを信じる自信家で脳筋タイプが多い。戦闘狂といってもいいくらいだ。
つまり魔導師団は、世間一般からは正義と秩序を護る聖なる使徒らと認知されているものの、その実態は力を持て余した不良率いる暴力集団であった。
だから、今回の帝国との戦いはようやく巡ってきた彼らの望む機会であった。
帝国の連中が何をトチ狂ったのかは知らないが、売られた喧嘩は買ってやる!
ぎったぎったになぎ倒す!
法王が世界大戦になりかねないこの状況で出撃を許可したのがやや解せないが、二度と戦争を吹っ掛けられないぐらいに叩き潰せということなのだろうと脳筋らしく勝手に解釈し、舌なめずりすらしつつ、彼らは国境に向かっていた。
しかしそれもその日の朝、1体の魔人に出会うまでのことだった。
「忌むべき名を持って根源まで焼き尽くせ! 冥府豪爆・ジェネシスエンド!」
300人の隊員による魔法副反射により集束させたジェネシスエンドは中心温度1兆度に達するΩクラスの究極魔法である。赤の隊長、カーマイン・シャルバーンの秘奥義魔術だ。
ちなみに熱輻射は隊員たちが全て内向きに反射させている。そうでなければ周囲一帯ごと一瞬で蒸発する。
が。
「なんなんだよ! あいつは! 何で灰にならないだよ! 骨のくせに!」
悪態をつくカーマインは22歳。赤毛のツインテールの女性隊長である。小柄でスレンダーなので一見年齢詐称のロリ美少女にしか見えないが、その実態は隊長級の中でもかなり暴走型の魔術師である。
マントに王冠、王錫を持った骨格標本のような魔人。不死の王はジェネシスエンドを直撃されながら立っていた。一瞬一点の1兆度などそよ風のようなものだ。彼には地球のコアの高温高圧に耐えた経験がある。
「腐れ腐れ密なるものも疎なるものも。血も肉も骨も等しく破れ毒に沈め。ヴェノムトーチャー!」
不死の王の頭上から赤黒い粘性の液体が降り注ぎ、全身を覆った。
黒の隊長、グロッグ・コーファーの腐蝕魔術だ。肉体のみならず、魂も腐らせるという秘奥義魔術である。
グロッグは35歳、男性。黒い短髪に日焼けした肌。全身を鍛え上げた精悍な剣士の容貌である。毒魔法というのがどうも卑怯に思えて、普段は剣に火、氷、雷魔法を帯びさせて戦う魔法剣士戦法を主とする。が、この強敵に対しては己にとって最も高い攻撃力である毒魔法を出し惜しみしている余裕はなかった。
毒粘液の立像のようになって固まる不死の王。
「やった……のか?」
黒い立像の中から光が溢れ、次の瞬間粘液は灰になって飛び散った。中の不死の王は変わった様子は見られない。マントも王冠も腐った様子がない。
「ふむ、惜しいな人間。あと1階位レベルが高ければ届いたかもしれぬな」
不死の王が髑髏の顔をグロッグに向ける。虚ろな眼窩の奥に妙な優しさをグロッグは感じた。
いや、これは哀れみか……?
「もらったー! ライトニング・コレダー!」
不死の王の足元の地面から、何本もの槍が飛び出した。同時に頭上から巨大な槍が落ちてくる。
稲妻が槍から放出され、不死の王を貫いた。
青の隊長、エス・ファルケ、25歳。雷魔法と土魔法の名手である。ライトニング・コレダーも雷土の合成魔法だ。土を錬成した導電性の槍で雷撃を誘導する。
「ひゃっはー! 直撃だぜ! ライトニングアロー!」
頭上の槍が高速で落下し不死の王を貫いた。同時に大爆発が起きる。
「がっ、ファルケ! 巻き添えにする気か!」
カーマインが口に入った砂利を吐きながら悪態をつく。
「そんなとこでもたもたしてるてめえがトロいんだよ! ちみっ娘!」
「ちみっ娘ゆーな!」
目を吊り上がらせギザ歯を剥き出しにし怒るカーマイン。エスとカーマインは喧嘩仲間である。そのくせカーマインはエスを名前で呼べずにファルケと呼ぶ。案外と初心な暴力合法ロリなのである。
「エス、ダメだ。効いてない」
「なん……だと!」
グロッグの言うとおり、不死の王は何事も無かったかのように変わらず立っていた。砕け散ったのは槍だけであったようだ。
「大いなる愛の導きにより、今生の輪廻から決別を。ゴッドブレスダンク!」
不死の王をまばゆい光が取り巻く。一見聖なる力のようだが、その実態は暗黒の魔力により魂を刈り取る即死魔法である。白の隊長、アリーシャ・フィージャの秘奥義だ。
アリーシャは23歳。プラチナブロンドの長髪と長身の女性だ。見た目はまさに聖女然としているが、貧民街の出身で軍に入るまでに殺した人間は百を超える凶悪犯である。
かなり矯正されたとはいえ今でも魔導師団で一二を争うヤバい美女であった。
「ほう、不死の王相手に即死魔法とは。人間とは面白いな」
王錫を一振りすると光の輝きが霧散した。
「あら、あっさり消されちゃった」
アリーシャが手を口に当て目をぱちくりと見開く。
「とんでもない魔法耐性だな!」
エスが苦笑いする。
「どうする、逃げるか? 帝国の戦車大隊がこいつの仲間にやられたってのはたぶん本当だ」
グロッグが真面目な顔で尋ねる。
「ばっきゃろー、こんな面白いもん、途中でやめられっか!」
「珍しく意見が一致したな、ファルケ!」
カーマインがにやりと笑う。
「手は一つだ。奴はあと1階位上げれば届くといった。ならば、一点突破の4人同時攻撃しかない」
「今回はあんたの指示を聞くぜグロッグ!」
「ファルケが言うなら仕方ない。あたしも乗った! グロッグ」
「あらあら、まあまあ。急に仲がいいこと。私だけ仲間外れもイヤですし、たまにはいいでしょう」
「うむ。やるぞ、合体魔術だ!」
「「「おおっ!」」」
赤青白黒全隊員1200人が魔力増幅し、支援。そして繰り出される全秘奥義を重ねて集束させた高密度4重魔術。
「「「「カルテット・ドライバー!」」」」
「王の威圧」
不死の王がそう言った瞬間、カルテット・ドライバーが掻き消え、4人の隊長も隊員も全員が倒れ伏した。
「な、なんだ……」
ただ一人、グロッグだけがかろうじて意識を保っていた。後は全員気絶している。グロッグも体が痺れて動けない。
「呪詛というほどのものではない。軽く精神に圧力を掛けただけだ」
不死の王は威圧を受けて気を失わなかったグロッグに敬意を表したのか、簡単に説明した。
「軽く圧力……」
「ついでに聞く。魔獣部隊とやらは同行していないのか」
「あの新部隊は、法都防衛組だ。国境には出てきていない」
「ふむ、そうか。ならば法都に向かうか」
「まだこの先には魔導師団第2陣、第3陣が防衛線を張っているぞ」
「どうということはない。最前線にいたお前たちが魔導師団の中では一番強いのだろう?」
「はっ、恐れ入った。お見通しか。ありがとうよ。しかし法都には俺たちより上がいるぞ」
「それは楽しみにしていよう。ああ、その痺れは半日もすればとれる。ではな」
「ちょっと待て、あんた俺たちを殺さないのか?」
「それは許されておらぬ。せいぜい精進することだ。機会があればまた会おう、人間。……あ、名は何という?」
「グロッグ・コーファー……」
「覚えておこう」
やがて不死の王は北へと姿を消していった。




