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第5話 宿を近代化

「泊っていってくれ! いや泊ってください! できれば当分!」


 ミーシャちゃんのお父さんに懇願された。

 清潔な温水洗浄トイレと柔らかいトイレットペーパー、ふかふかタオルは宿の売りになる。

 しかし、今のところ商品供給が出来るのはセシルだけだ。

 水が流れるのもセシルによるものだ。それに、誰もわかっていないが、必要な電気もセシルによって供給されている。

 もし、温水洗浄便座が故障でもしたら、どこをどう直せばいいのかさっぱりわからない。


「えー、でもどうしようかなあ」ちらちら。

「ええい、宿代タダにするから!」

「えー、それだけー?」ちらちら。

「ええい! 夕食もタダ! 食べ放題で、どうだ!」

「乗った!」


 セシルがそこそこの金持ちであることを知っているダガルたちはドン引きだった。

 そして、経済面でも敵に回してはならないと固く誓うのであった。


(かみ)(ねえ)さま。ずっといるの?」

「当面ね」


 ミーシャちゃんの呼び方は女神だの妖精様だのエルフ姫だの二転三転した挙句、神姉さまに落ち着いたようだ。

 セシルはセシルで、若干気に入っている。


 それよりも、夢の中で用を足した。たいがい、こんな場合は目が覚めて、リアルにトイレに行くものだ。

 しかし、目を覚ます気配が全くなかった。


 あまりにも情報量の多い夢。


 これは覚悟を決めなければならない。かもしれない。

 だとしたら、まずは拠点が必要だ。

 宿がタダになったのは僥倖だった。

 もしかしたら、当面ではなく、かなり長期に渡り『黄金の止まり木亭(ここ)』の厄介になるかもしれない。


 当座の金があるとはいえ、金を稼ぐことも必要だ。900万円なんて、なにもしなければ数年で底をつくだろう。

 ハンター登録はいいかもしれない。

 身分証の類は持っていないことは確認済みだ。今のところ国籍はない。

 ハンターカードの存在はありがたい。


「じゃあ、宿が決まったし、そろそろお開き、でいいかな?」

「俺、2階の3番目っす!」

「あ、そこから出来るだけ離れた部屋頼みます」

「えええええ!」


 とダガルをからかいつつ、ミーシャちゃんにカギをもらって、用意された3階の一番奥の部屋へと階段を上った。同時にダガルたちはカウンターに向かった。ちゃんと食事の支払いをしてくれるようだ。

 今日のセシルの分がタダ扱いになったのかどうかは、知らない。


 部屋はそこそこ広かったが、木の机と、ベッド、コート掛けがあるだけの質素なものだった。ベッドも箱に藁をくるんだ布団を敷いただけだ。掛け布団は革1枚で出来ているようだ。明かりは机の上のろうそくのランプだ。窓にはガラスはなく、観音開きになる木の板だ。今は閉まっている。


(LEDライト)


 天井に丸いシーリングライトがついた。忘れずに電気は供給しているので、リモコンをピッとすると部屋が明るくなった。


(見るんじゃなかった……)


 掃除がされていないわけではない。たぶん、部屋の広さからいって、そして空いていたことからみても、この宿ではお高目な部屋なのだろう。

 しかし、煌々と照らし出された室内は、壁の漆喰が崩れ、床の板は油かなにかの黒いしみが一面に覆い、土足だから砂だらけだった。突然の明かりにかさかさとベッドの下に潜り込む虫も見えた。


(ホテルのシングルルーム! ユニットバス付で! 出ろ!)


 超適当な指示だが、部屋がめきょめきょと音を立てながら変質し、広さは同じだがホテル仕様のホワイト基調のシングルルームに変わった。もちろん砂や虫はどこかに消え去っている。


(よし!)


 電灯電力、給排水、換気設備も完備した。どこに繋がっているのかは相変わらず謎だが、ちゃんと使えるので問題ない。防火設備はここだけつけても意味がないのでやめた。定番の有料放送付きテレビも、放送がないだろうからやめた。電気ケトルと冷蔵庫は必須。アメニティも必須。窓はアルミサッシのガラス窓に変わっている。3階なので窓の外にアドセットの街の夜景が広がっていた。こうして上から見ると結構広い。


 パジャマがベッドの上に置かれている。ブーツを脱いでスリッパに履き替える。肩の防具と剣も外して、クローゼットにしまう。革のベスト、シャツ、革のベルト、パンツ、靴下も脱いでハンガーに掛ける。

 下着は意外にも近代的なブラジャーとパンティーだった。ただの布でレースや刺しゅうなどのデザインはないが。ちょっとゴワゴワしてるし。


(替えがないのは困るから、着替え一式、いや洗濯を考えたら三式ほど、出ろ!)


 クローゼットに服や下着が積みあがった。


(これでいいや。とりあえず、シャワーして今日は寝よう……)


 下着も脱いでユニットバスに入る。縦長の鏡に自分が映った。


(うわあ)


 それはセシルの顔をした妖精だった。もともと色白だったが、さらに透き通るような白い肌。深い碧色の瞳。

青味がかった銀色……蒼髪を編み上げたポニーテールが揺れている。


 色が変わっただけといえばだけだが、随分印象が変わった。東洋風のハーフな顔立ちにファンタジーな色味が神秘的すぎる。

 自分でもしばらく見とれてしまった。


 これはあれだ。悦郎がその手のサイトを見ながら『フォトショ盛り過ぎ!』『パケ写詐欺!』とぶつぶつ言ってた加工を施した写真。

 ちょうどあんな感じで、セシルには間違いないんだけど、美少女が()美少女に進化していた。


 そりゃナンパされるわ。見た目華奢で強そうには見えないし。


 悦郎がそんなサイトを覗いているのをなぜセシルが知っているかというと、リモートデスクトップで監視していたからだ。

 家庭内LANのパスワードハックなどお茶の子さいさいである。理系おそるべし。

 ただ、ゲーム時はリモートしていると遅延(ラグ)で悦郎の怒りが爆発するのでやめていた。ばれたら大変だし。


 スタイルは……もともととあまり変わっていないような気がする。いや、ちょっとスレンダーになったかな?

 力がやけに強いようだから、腹筋とかバキバキに割れていたらどうしようと思ったが、そんなことはなかった。


 とりあえずポニーテールと編み上げをほどき、パサリと髪を下すと、背中の中ほどまで届いた。元々は肩までの長さだったから、かなり長くなっている。


(これは……夢? 夢でないとしたら、私は一体どうなったのかしら。明日から学校だったはずよね。髪が伸びているということは、あれから随分時間が経っている? いや、そもそも色が変わっているくらいだから髪の毛の長さは時間の当てにならないわ。もしも、これが夢じゃなく、ゲームのような世界に来てしまったとしたら、えっちゃんはどうなったんだろう? えっちゃんなら……)


 えっちゃんならきっとこの世界に来ている。

 もしかしたら、ここはえっちゃんが望んだ世界で、私も招待された? きゃー! えっちゃんと二人で異世界冒険!


 もー、えっちゃん、それならそうと言ってよね! 恥ずかしがり屋さんなんだから!

 どこかでえっちゃんが見ているのかな?

 うわー、どきどきだよ! わたし今裸だし!

 きゃー、えっちゃんのむっつりスケベ!


 と妄想に浸りつつ、シャワーを浴びるセシルであった。



◇◇◇◇


(知らない天井だ……。ってえっちゃんなら言うよね)


 知らない天井ではない。自分で作ったシングルルームの天井だ。


 ベッドから起きてユニットバスで歯を磨く。顔を洗って、髪を梳かし、昨日鏡で見た髪形に結い上げる。

 うん、妖精!


 ケトルで湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れる。カーテンを開き、サッシを開けると、すでに結構な喧噪だった。この世界の人々の朝は早いのか、セシルが寝すぎなのか。

 時刻を示すものがないのは不便だ。


(腕時計!)


 手首に腕時計が巻き付いた。午前9時25分。寝すぎだ。


 昨日の食事の際、寸法や重量の単位の確認をした。なぜか度量衡は日本式のメートル・グラムである。というか、会話が日本語で聞こえるように、度量衡も自動換算されているのだろう。

 時刻も本当は別の呼び方があるのかもしれないが(子の刻とか三の鐘とか)、腕時計の文字盤は見慣れた12、3、6、9だ。

 うん、こんな日常的なことでいちいち悩まなくていいのは便利!


 真新しい服に着替える。特に指定しなかったせいか、出てきた服はこの世界の仕様に勝手に合わせたようで、厚手のシャツに革のベスト、パンツというアイテムに変化がなかった。昨日着てたのとは色が違うが。


 街に行って、もう少しファッション性のある服を見る必要があると思うセシルであった。

 せっかく、より可愛くなってるのに、もったいない。

 そして『より』は大事。もとから可愛い。うん!


 何があるかわからないので、防具、剣も装備して部屋を出る。おっとスリッパのままだった。ブーツブーツ。ブーツの替えはまだ要らないか。でも臭い消しは要るかも。


 扉を閉めると、廊下側は元の木の扉だった。内側だけホテル仕様に変化しているのだ。鍵も内側はサムターンのあるシリンダー錠だったが、外側は元のかんぬき式だ。どういう構造になっているのかよくわからないが、なっているものは仕方がない。セシルは深く考えないことにした。


「おはようございまーす」


 1階に降りてのんびりした挨拶をすると、おかみさんが飛んできた。


「セシルちゃん! 巻き紙がなくなりそうなの! 急いで出してくれない?」

「巻き紙? あ、トイレットペーパーね。わかりました!」


 昨日3ダース、36ロールも出したのに。使いすぎでしょ!

 と思いつつも、6ダースほど出現させた。ちなみに、ドラッグで売っているようなビニール袋でパックされたものではなく、バラで積み上げて出している。

 なんとなく、ビニール自体が問題を起こしそうな気がしたからだ。どうみてもこの世界にはあり得ない素材である。その割には樹脂製の便座は出しているが、陶器にみえないこともないのでスルーだ。


 しかし、あんまりペーパーを使いすぎると配水管が詰まる恐れがある。どこに繋がっているのか知らないが。

 おかみさんに、使う人に、お尻をお湯で洗うので、紙は少な目で事足りると伝えるようにお願いした。下水管の詰まりまでは面倒見たくない。


「神姉さま、おでかけ?」


 ミーシャちゃんが奥から出てきた。ちゃっかりホテル仕様のタオルを首に巻いて自分用にしている。


「うん、昨日は夜だったし、ちょっと街を散歩してくる。ついでにハンターギルドも行ってこようかな」

「神姉さまハンター登録するの?」

「うん。ギルドカード欲しいし」

「ほかの街に行っちゃうの?」

「ううん。当分はここに厄介になるつもりよ」


 ミーシャちゃんはなかなか鋭い。セシルはいずれ悦郎を探す旅に出ようと考えていた。他の街や国に行くのに、身分証が必要なのだ。

 だが、自分の能力についてあまりにも無知すぎる。これが夢でないとすれば、昨日から出来ている復元や創造の力。そしてこの怪力はなんなのか。

 帯剣しているものの、本当に剣が使えるのか。魔物や悪漢と戦えるのか。魔法はどうか。

 それに世界を旅するのなら、それなりの装備を整えないと。隣町に行くのに二晩は野営する必要がある世界だ。キャンプなんてしたことがないし。そもそも世界旅行に路銀が900万円程度で足りるのか。

 もっと金を稼がないと。

 ジャパンクオリティの物品販売も考えたが、あまり目立つのは先々まずかろう。それに、この世界の文化を破壊するのも気が引ける。自重しなければ。自分の快適さのためには自重なんてしないが。

 ハンターになり、依頼を受け報酬を得るのがベターだろう。


「じゃ、行ってきます! 夕食までには戻るわ」

「神姉さま、行ってらっしゃい」

「気を付けてね。ってセシルちゃんなら大丈夫だと思うけど……」


 黄金の止まり木亭を出て角を曲がる。窓から見た町の中心方向だ。気になって3階の一番奥の部屋を見上げてみたが、窓は観音開きの木のままだ。

 中からはアルミサッシのガラス窓なのに。謎だ。


 考えてもわからないので、やっぱり気にしないことにした。事実そうなってるんだから仕方がない。

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