第38話 神子
暗いフロアにゴズデズを放置し、セシルは下部展望室に降りた。
アラデのいうとおり、シュバルとアントロがテーブルに座って話していた。他は誰もいない。
プリンセス・アレー号は西を向き浮かんでいるので、ほぼ正面にガルダ山脈の稜線にゆっくりと沈んでいく夕陽が輝いていた。それに伴い、下部展望室の窓も透過光量を調整している。
バルダロッゾ大森林が橙の空の下にシルエットとなって、なかなかに美しい光景だ。
展望食堂からは上空しか見えないので、沈む夕日は遮蔽物のない下部展望室ならではの絶景である。
「シュバルさん」
「エルフ姫。起きたのか。具合はいいようだな」
「さっきアラデにも言われました。悪いように見えました?」
「普段が普段だからな。食事の後すぐ寝るとか、多少おとなしいぐらいでも、そりゃ心配になる」
「どういう意味ですか! もう。シュバルさんの意地悪」
「冗談だ。けれど、まあ、いつもの調子が戻っているようで何よりだ」
「それで、シュバルさんとアントロは明日の作戦の打ち合わせですか? アラデがそう教えてくれたんですが」
「ああ、打ち合わせというか……」
「シュバルさんはもう少し危険度の低い方法がないかって。その相談だよ」
アントロが答えた。
「それはわたしが了解したことなので。キチンとやりますから、大丈夫です。ご心配なく!」
「今のセシルならそう即答すると思ったよ。昼飯時は随分疲れがたまっているようだったから、別の方法がないかと思って考えていたんだ」
「ええ。やっぱりそんなに心配されるくらいだったんですか!?」
「ま、まあエルフ姫も普通の女の子だったんだなあと思うくらいにはな」
「どういう意味ですか!」
セシルが今しがたと同じセリフを吐いて、それがおかしくて3人とも笑いを我慢できなかった。
同時に噴出す。
「……。ああ、笑った笑った。まあ、取り越し苦労で良かったよ。エルフ姫」
シュバルが優しい眼差しでセシルを見る。
夕日に染まったその横顔に、セシルはときめきを憶えた。
んー、やっぱシュバルさんダンディ! 渋い優しいカッコイイ! イケメン!
「ところでシュバルさん、大魔王との協力が首尾よくいったとして、その後の商売の見通しはどこまで付いているのですか」
アントロがシュバルに尋ねる。二人の本題はこっちなのだろう。
「交易そのものにはラルシオーグが乗り気だ。交換レートは交渉次第だが、最初は物々交換から始めればいずれ折り合おう。それよりも、最も重要なことは、ここに何があり、彼らが何を欲するか。まさにそれ自体だ」
「魔大陸全体の調査ですね」
「それに今回の件、エトアウル王国の許諾を得ねばならない。流石に商業ギルド内部だけで済む話ではない。ハンターと違って我々は王国の民だ。検疫や関税等の相談もしなければならない」
「それには魔大陸との交易が可能な証拠と貿易計画書が必要ですね」
「そのとおりだ。魔大陸内部のことは人族には全く知られていなかった。魔大陸の実在すら一部のものを覗いてほとんど知られていない」
「大魔王が統治する世界があるなんて、うかつに話せば狂人扱い、うまくいっても一生幽閉されてしまいそうですね。情報開示は慎重に行う必要があります」
「全くだ。しかし、一方で正しい情報を持っているのは我々だけだ。これは圧倒的優位でもある」
「確かに計り知れない価値を持つ情報ですね」
「だからこそ国を巻き込む。それに人族同士と違って魔人との取引だ。前人未到の領域になる」
「……。腕がなりますね」
「ああ、アントロ。実に楽しみだ。新時代の幕開けになるぞ。わたしはわが国にこだわらず、いずれ他の国との間にも直接の魔大陸交易ルートを拡大したいと思う。それでな……」
商売上の専門的な話題になってきた。
明日の心配は無くなったようなので、セシルはこの場を去ることにした。
少し話している間に、陽は随分沈んでいた。
「じゃ、シュバルさん、アントロ。わたしは上に行くわ。また食事の時に」
「ああ、エルフ姫。また後で」
セシルは今一度エレベーターで最上階の艦長室に上がった。
艦長室からも地平線に沈みゆく夕日が見えた。ピラーの上から周囲を見下ろせるため、展望食堂と違い艦体が邪魔にならない。
日没をじっくり見たい。
そうリケジョの血が騒いだのだった。
昨日の日没時はまだ航行中だったし、アラデとのやり取りもあって気がつけば夜になっていた。
地平線は魔大陸を取り囲む外壁の断崖だろう。高さはほぼ300メートルで一定しているが、水平線のように完全な弧ではない。少し凸凹して見えた。
日が沈むにつれて空は短時間で橙から赤、そして紫に変化し、やがて漆黒の闇となった。
下には魔都ガデューラがあるが、人間の街と違って夜の明かりというものがないため、本当に真っ暗になる。
その分、満天に広がる星々が美しく輝いている。
だが、セシルの知っている星座は何処にもなかった。
ここが異世界で、地球とは異なることをあらためて実感するセシルだった。
黄昏時の空のショーを満喫し、セシルは再び展望食堂に降りた。そろそろ晩御飯タイムが近い。
アラデ、マークス、コレクトは先ほどのまま。加えて、ダガル、チョーキー、ジックのハンタートリオが来ていた。
「セシルの姉さん。ゴズデズ知らねえダガ?」
「知ってるわよ。お仕置き中」
「へ? あいつとうとうマジでなんかやらかしたダガ!? 姉さんよくご無事で!」
「まあね。艦の中は防犯対策してあるから」
「なるほどキー。ゴズデズは馬鹿キー」
「ああ。まったくだック」
「姉さんのお仕置きならほっとくダガ。それよりもさっさとメシ注文するダガ」
「おっキー」
「そうだなック」
誰もゴズデズを心配しない。ダガル以上の鼻つまみ者だったようだ。
ダガルたちがメニューパッドで夜定食(黄金の止まり木亭時刻では朝定食)の注文をはじめると、いそいそとアラデも加わった。マークス、コレクトもそれに続く。
セシルも注文を始めようとしたタイミングで、エレベータが開きアレー王女とガリウズが出てきた。
「お姉さま!」
アレー王女が笑顔で駆け寄る。
「アレー王女。アラデから聞いたわ。心配かけたみたいでごめんなさい」
「いえ、お姉さま。私が出過ぎたことを致しました」
「ううん。ありがとう。でも大丈夫よ。明日はうまくやるわ。そして必ずえっちゃんを救ってみせるから」
「やはり、お姉さまはお姉さまです!」
出たよ謎理論。
でも、みんな不安なんだ。だから、なにか頼れるものが必要なのかも。
と、納得するセシルだった。
「ええ、まかせて!」
やがてシュバルとアントロも食堂に上がって来、セシル、シュバル、アレー王女、アラデの4人でテーブルを囲んだ。ガリウズは例によってアレー王女の後ろで立っている。自分は王女が部屋に下がってから食べるらしい。アントロはマークス、コレクトと同じテーブルだ。
ハンターは3人で食べている。
今ゴズデズがいない理由は全員に知らせた。
ついでに防犯システムの存在も。
シュバルやマークスたちは既に知っていた。タブレットをいろいろいじっていた時に確認したそうだ。
別に秘密にするような機構ではないので、同じ端末を持っていながら知らなかったゴズデズが単に不用心だっただけだ。
「さて、エルフ姫。明日の本番前に確認しておきたいことが一つあるんだ」
「なんですか? シュバルさん」
「奪われた能力のことだ」
アラデとアレー王女がシュバルを見つめる。
「薄々わかってるっすが……。今ここで確認すか?」
「シュバルさん、それをはっきりさせないといけませんか?」
アレー王女とアラデがやや青ざめた顔を見合わせる。ということは、このテーブルにいる4人は既に秘密を共有しているということだ。
「その重さを確認したい」
シュバルは二人を諭すように、あえて言葉にした。
それはそうか、とセシルは思う。アドセットの街のギルドマスター、バララッドですら知っていたことだ。博識のシュバルさん、万年単位の寿命を持つ嵐龍アラデ、王族として教育されたアレー王女が知らないはずはなかった。
実のところバララッドはとある事件で都落ちしたが、王都で高等教育を受けた経験がある。セシルの印象どおりのただの田舎町の小役人というわけではないのだが。
「ギフテッド……」
セシルは正直に答えた。それが本当なのかどうか証拠はないのだが、悦郎の『破壊』と『簒奪』、ヴュオルズの『模倣』を知った今では、その能力の特殊性は明らかだ。
魔法ではない特殊なスキル。それをギフトと呼ぶのなら、間違いなくそれらはギフトだ。
そして自らの『創造』と『再生』も。
「アルティメットギフト『創造』と『再生』です」
「創造神が成された『天地創造』。そして永き聖典の時代を渡られた『不老不死』。その御業に通ずる神話のギフト『創造』と『再生』。それは許された神の子だけに与えられしものであったといわれる。エルフ姫は神子であったか」
「神子!?」
初耳である。
ちょっと待って。神を名乗るものに気をつけろって言われたばっかりよ。
私自身が神子って、なにそれ!?
混乱するセシルだった。
「シュバルさんのおっしゃることはわたしの知らないお話です。そもそもなぜギフトを持っているのかもわかりません。ただ、神に祝福された力だとは言われましたが」
「誰に?」
「ギルマスに」
「バララッドか。彼は敬虔な信徒だからな。王都の大聖会にも詳しい。彼の見立てなら間違いなかろう」
え、ギルマスってそんなに信用あるの? ただのおもろいおっちゃんだと思ってたのに。
セシルの混乱に拍車がかかった。
そういえばノリで『神にも悪魔にもなれる』って返したわよね、わたし。
敬虔な信徒相手にそんなふざけた返しはまずかったかもね。
「アレー王女様も気づいておられたのですね。アラデも」
「はい。薄々は」
「あたしは高次元空間操作の辺りで、フツーじゃないと思ってたっす。いくら高次元にアクセスできるといっても、平行世界を利用するなんて、あたしには無理っす。桁違いっす」
確かにアラデは高次元空間を利用出来るが、『創造』や『再生』は使えない。ギフトがないからだ。
「神子のギフトを奪った力もまたギフトであるはずだ。東方の魔人、そして『憑依者』もギフテッド。これは強敵だな」
「ですから、私たちは大魔王ヴュオルズと協力しなければならない」
アレー王女が力をこめる。
「そして大魔王もわたしと協力しなければならない。大丈夫。アレー王女。絶対にうまく行く」
セシルはアレー王女にそう言い切った。アラデに言われたこともあるが、自分自身の決意のためにも。
そしてえっちゃんをゼッタイ取り戻す!
どこまでも悦郎ファーストなセシルであった。




