第32話 姉は弟を抱きしめる
ラルシオーグは6人の魔人に命令すると、意識を失い倒れた。
6人の魔王、魔将。
ラルシオーグの持ち駒の最大戦力。
そしてラルシオーグの最大の持ち駒ということは、ヴュオルズを除いて魔王城の最大戦力ということでもある。
ラルシオーグを含めたこの7人の魔人は七魔常勤取締役である。
この7人が魔人会社の重鎮であり、魔大陸に棲む魔族を取り締まり、また常勤取締役会で魔大陸における様々な方針を審議し議決する重要な機関でもある。
ラルシオーグが秘書にもかかわらず常勤取締役も兼務しているのは、現実の会社と魔人会社は微妙に異なるとご理解いただきたい。
それはともかく。
不死の王、始祖の獣王、紅蓮大将軍がヴュオルズがめり込んだ大穴へ。
奈落の竜王、嗜虐の元帥、夢魔の姫騎士が空中の悦郎へ躍りかかる。
この班分けは単純に空中戦が出来るか出来ないかであった。前者の三魔人は空を飛べない。
奈落の竜王が狂憑の念を悦郎に飛ばす。霊的な魔力で対象の精神を蝕み、狂気に陥らせ、そして魂を乗っ取る。アラデを操った呪詛の術である。
しかも今回は最大出力だ。魔大陸全土の魔物を一度に操ることさえ出来る膨大な魔のエネルギーを悦郎一人に集約する。
既にセシルに呪詛を破られた故、手加減一切なしのガチンコ勝負だった。セシルと同等かそれ以上の東方の魔人相手に、全力でいかねば己が危ない。
奈落の竜王は決して相手を侮らない。能力は陰湿だが、性格はあくまでも武人。男前な魔人であった。
この膨大な魔力を撃ち込めば、支配する前に脳が沸騰し蒸発して死ぬかもしれん。が、それはそれで構わない。
要は東方の魔人の排除さえ出来ればいいのだ。
必殺の攻撃であった。
そして、呪詛は悦郎に届いた。
勝利を確信した瞬間。
「つまらんな」
悦郎がそうつぶやくや否や、奈落の竜王は自分の喉を掻きむしり始めた。口から泡を吹き、瞳が裏返る。そしてそのまま落下し始めた。
なにが起きたのか分からなかった。呪詛が破壊され、溢れた魔力が反射して己に戻ってきたのだという認識すら出来なかった。
「危ない!」
セシルがスクランブルなダッシュで、落ち始めた奈落の竜王の下方に回り込みその体を両手で受け止める。
そのままラルシオーグが横たわるバルコニーまで降り、寝かせた。死んではいないようだが意識は戻らない。
「えっちゃん! せっかく誠意を見せて生き返らせたのに、また殺しちゃダメじゃない!」
「セシル。何を言ってるんだお前は」
悦郎に真顔で返された。
そうか、えっちゃんはここでのやり取り知らないんだった……。
悦郎を白い膜のようなものが包んだ。
夢魔の姫騎士の『悦楽の繭』。
夢魔の姫騎士はサキュバスベースの魔人である。が、肌が白く不健康そうな印象の一般的なサキュバスとは異なり、筋肉隆々で褐色の肌を持つ変異体だ。着用しているのがいかつい装飾のついた黄金のビキニアーマーなので、知らぬものが見たらゴズデズのようなオーガ族のように思える。
が、その本質はやはりサキュバスであり、睡眠と情欲を支配する様々な能力を持っている。
悦楽の繭は絶対の牢獄である。繭に閉じ込められた者は己の欲望が全てかなう隠微な夢を見せられ、永遠の眠りに囚われる。
至福の世界の中で堕落し、欲にまみれ、決して自ら目を覚まそうとはしない。
そしておのれの細胞一片に至るまで繭に吸収され夢魔の姫騎士の養分と化すのだ。
「くだらんな」
悦楽の繭が砕け、中から悦郎が現れた。
直後、夢魔の姫騎士が戦斧を振り悦郎の首を刈った。
繭が砕かれる瞬間を狙ったのだ。悦楽の繭が悦郎に効かないのは予測出来た。だが、繭の中からは外界が見えないし、聞こえない。悦郎の背後に接近し繭が破られた瞬間全力で武器を叩き込む。
それが夢魔の姫騎士の作戦だった。
マスタースミスが鍛し業物。首狩りの斧。
魔大陸最強クラスの切断力を誇る武器である。
あえて騎士の象徴たる剣を捨て、斧を装備したのはこの瞬間のためだ。
夢魔の姫騎士も悦郎の手ごわさは承知していた。
だから、一撃で首を落とす。
そして、ヘッドハンターアックスは悦郎の延髄を直撃した。
はずだった。
「まったく、くだらん」
落としたはずの首は今もそこにあり、戦斧は首にぶつかって止まっていた。
皮一枚すら切れていない。打撃だけでも相当のダメージが通るはずが、悦郎は何の痛痒も感じていないようだ。
ぐるりと振り向き、道端のゴミを見るような目で夢魔の姫騎士の顔を一瞥する。サキュバスらしい整った美しい顔だが、悦郎には全く響かないようだった。
そして。
悦郎の首に触れている刃先からビシビシっと放射状にひびが入り、それはヘッドハンターアックスに留まらず、夢魔の姫騎士の腕から胴体、足や頭にも伸びた。
ひびが全身にいきわたるや否や、爆散するように砕け散った。
斧と肉の欠片が宙に広がる。
「再生!」
セシルが慌てて腕を伸ばした。
ばらばらになった欠片がギュンとセシルに引き寄せられ、合体する。
斧を掴んだまま蘇った夢魔の姫騎士をセシルが抱きかかえる。意識はない。
ぐったりしている夢魔の姫騎士を奈落の竜王の横に寝かせる。
「だーかーらー、えっちゃん! これ以上こじらせないで!」
「セシル、お前は何を言っている」
「魔族だからっていう理由だけでやっつけたらだめってことなのよ!」
「わからんな」
嗜虐の元帥は混乱していた。
悦郎が何をしたのかまったく分からない。
分からないが、魔王、魔将の二名が瞬殺された。
そもそも大魔王が危機に陥ったので自分たちが呼ばれた。それは大魔王も故障したままで本調子じゃないからとも思ったが、それだけではないようだ。
東方の魔人、強すぎる。なんだこいつは。
そしてその親戚らしい女。セシルといったが、こいつも強い。大魔王には押されていたようだが、ラルシオーグに対しては圧倒していた。
そして言動からすると、セシルはどうやら完全な敵というわけではないらしい。そもそもセシルといさかいになったのは警備隊のシェゼンが先に手を出してこじれたからだった。
まああんなデカい空飛ぶ船で魔都に侵入して来たら即時排斥行動するのは警備隊としては当然ではあるが。
嗜虐の元帥は自分が悦郎に勝てないことは十分わかっていた。彼は知恵者で作戦や戦略を立案するのは得意だが、肉弾戦向きではない。自ら戦うのは不得手な方だ。
まして、武闘派の夢魔の姫騎士や、呪術系の奈落の竜王が勝てない相手にかなうはずもない。
ここは、味方になってくれそうな者を盾にするのが最善の策である。
彼はわずか0.01秒で結論を出した。
「おい、セシル!」
いきなり魔人に名前を呼ばれてセシルは驚いた。最後に残った細身の魔将がセシルを見ている。
「大魔王を救助する間、東方の魔人を止めておいてくれ!」
「え? 何でわたし?」
「お前の身内だろ! これ以上わしらと関係をこじらせたくないんだろ! わしじゃ無理だし!」
まさかの無理丸投げ宣言。
とことん合理的。武人の矜持や戦士の誇りなどというものに何ら価値を置かないのが嗜虐の元帥であった。
「んー、そうねえ。確かに。わかったわ。えっちゃんがどんどんこじらせているし。これまでのことを水に流してくれるならやるわ」
「約束しよう! 嗜虐の元帥の名に懸けて!」
もちろんそんな名など汚れようが落ちようがどうでもいいし、約束なんて反故にするのも全く気にしないのが嗜虐の元帥クオリティなのだが、そんな真実はセシルは知らない。
「了解!」
「頼んだぞ」
嗜虐の元帥はバルコニーに降り、倒れているラルシオーグら三人の介抱を始めた。入れ替わりにセシルが悦郎の前に浮かぶ。
「ということで、えっちゃん、これ以上は好き勝手にはやらせないわよ」
「ハルド王国勇者にして、人類最強無敵の男! 東方の魔人こと破壊の大魔王・撃滅のエツロウ! ここに推参!」
また悦郎が口上を述べ始めた。
「え? えっちゃん、それさっき聞いたよ」
「うん? ああそうか、相手はセシルか……。なら、ちょっと変えねばな。田村セシルよ。この世に真のギフテッドは二人要らぬ。ただちにそのギフトをわれに返上し、ただの人に下るがよい。逆らうなら命はない」
「おお、アレンジして攻めて来たね! ならこっちも! ふっふっふっ、『創造』と『再生』のギフテッド、セシル。『破壊』のギフテッド、東方の魔人の暴走を止めるためここに見参! 魔大陸防衛戦、推して参る!」
セシルは瞬時に距離を詰め、
悦郎に抱きついた。
「ぬ!?」
「愛情いっぱいのハグ~~~!」
「ちょ! セシル! なななななにやってんだおま!」
「見てわかんない? 止めてんの。すりすり~~~!!」
「おっ! まっ! えっ! いろいろ当たってるんだよおい! やめ! て! ひいっ!」
悦郎の顔が真っ赤に染まる。
そして、喋り方が素に戻っていた。
セシルも悦郎自身もそのことに気が付いてなかったが。
嗜虐の元帥はバルコニーから二人を見上げ、自分が何を見せられているのか理解が追い付かなかった。
あれはセシルがものすごい怪力で東方の魔人を押さえつけているのか?
だから東方の魔人が苦しげに顔を真っ赤にしているのか?
しかし腕にさほど力をこめているようには見えないし、胸に顔を擦りつけているのも意味が分からぬ。
東方の魔人は何やら焦っているようだし。
我らにはわからぬ特殊なワザか何かなのか?
ギフトがどうとか、セシルは自分がギフテッドだとか言っていたが、大魔王と同様のスキルを持っているのか。
あいつら、本当に人間なのか?
まあしかし、約束通り東方の魔人を止めていてくれるなら、それでよい。
大魔王を早く救出し、一旦彼らから距離を置くべきだ。
どう考えても今は引く時だ。今後の対策は後ほど全員で協議して決めればそれでよい。それに大魔王も落ち着いてもらわねば困る。後先考えずに飛び出して二度も返り討ちに会うとは。
仮にも魔人会社の社長なのだから、どっしり構えていただかなくてはな。
さすがにこれ以上大魔王の評判が落ちては、社員たちへのマイナス影響が大きすぎる。
一方、プリンセス・アレー号内では全員がある種の衝撃を受けていた。
セシルが東方の魔人と抱き合ってる!?
ハンターたちは顎をあんぐりと開け、商人らは難しい顔をし、アラデはむくれていた。
そんな中、アレー王女は夢でも見ているように目を潤ませていた。
撃滅のエツロウ様とお姉さまがあんなに仲睦まじく抱き合っているなんて……。
素敵すぎて、あっ、鼻血が……。




