第28話 魔都上空
ふとセシルは気づいた。
うっすらと酸っぱい匂いがする。はじめてアドセットの街に来た時に嗅いだハンターたちの臭いにも似ているが、むしろ不快ではない独特な匂い。
今のハンターたちは部屋に備え付けのボディソープを使ったらしく全員フローラルな香りがする。もちろんアラデ、シュバルら商人や鍛冶たち、護衛騎士のガリウズも同じ香りだ。ひとり、アレー王女だけは別だ。王族らしい上品な香水の匂いを纏っている。
だから、この酸っぱい匂いは彼らからのものではない。
万一、大皿に盛られた食材からこんな臭いがしていたら腐っているところだが、時間停止し保存していたのでそんなことはありえない。もちろんドレッシングの酢の臭いとも違う。
おかしいな。
でもこの匂い、一歩間違えれば悪臭だけど、なんだかとても……。
興奮する。……はあはあ。
きゃあ、わたし、何考えてるの!? もう!
そういえば、さっきアレー王女と魔都ガデューラの話をした時にこの匂いに気が付いたような。なぜ?
うん? ハンター4人、商人と鍛冶ギルド4人、アレー王女とガリウズの2人。龍人アラデ。そしてわたし。
12人のはずなのに、1人多い?
11人いる! ならぬ13人いる!? え? 誰? どこに13人目が?
疑念を持った直後、ふっと匂いを感じなくなり、13人いることも気にならなくなった。
何の問題もない。おかしなところはない。
ええと、何考えてたんだっけ?
そうそう、今から魔都に行って大魔王に会うんだよね。
セシルは匂いのことも1人多いこともすっかり忘れてしまった。
それは、セシルが無意識のうちに武器屋のグローブスや集団農場のドウラの記憶を消したことに似ていた。
セシル以外の11名は、そもそも臭いにも1人多いことにもはなから気が付いてなかった。
龍の力を持つアラデすら。
気が付いていたら、食事どころではなかっただろう。吐いたかもしれない。
セシルは興奮する匂いと感じたが、その他の者にとっては臭みの暴力以外の何物でもなかったからだ。汗と垢がこびりついた強烈な悪臭だった。
セシルにはこれ以外にも記憶や思考に既におかしなノイズが混じっているのだが、本人は気づいていない。
プリンセス・アレー号は魔都近傍で高度を下げた。鋭い剣が並んだような鋭角的な岩山の連なりが眼下に迫る。ガルダ山脈だ。その西に遥かに広がる青黒い森がバルダロッソ大森林だ。
魔大陸の最大標高である1.2キロメートル付近まで下り、その高度を維持して水平飛行に移る。
やがて森林の中に魔大陸最大の湖であるゼゼステ湖が姿を見せる。
上空から見ると東西に引き伸ばした十字形をしている。
その周囲が魔都ガデューラだ。だが、肉眼でも人間基準の建物は見当たらない。ただ、ねじ曲がったような岩塊が乱立しているだけだ。
これが魔族の都市だ。アラデの事前説明がなければ、セシルたちには変わった形の岩が立ち並んでいるようにしか見えなかった。
そのまま素通りしたかもしれない。
黑い影が岩からわらわらと現れ、プリンセス・アレー号に接近してきた。
飛行魔族だ。
翼のある者もいれば、無いものもいる。概ね人の形をしているが、よく見ると角が生えていたり、顔が獅子の様だったり、何ともつかない異形の物もいる。
ハンターたち亜人や獣人とも異なる、魔人と呼ぶにふさわしい容貌だった。
「うわ、いっぱい来たダガ」
「ざっと千体か。結構多いな。首都防衛隊のようなものかな?」
「シュバルさん、さすがに冷静ですね」
「だって、この船の中なら安全なんだろう?」
平然とした顔をしているが、シュバルとて内心冷や汗ものだ。高位魔族、魔人の軍団だ。その真っただ中に進んでいくなんて、気でも狂ったかのような非常識極まる行為である。
「姫殿下は窓から少しお下がりください」
「いえ、エツロウ様を早く見つけなければ!」
アレー王女がそう言った時、後ろに立っている13番目の人影がびくっと動いた。
あれ、この匂いは……。
その瞬間、セシルの鼻腔を酸っぱい匂いが通り抜ける。
なんだっけ? 嗅いだことがあるような……。
「エルフ姫、どうする?」
王女とお揃いのコスプレスーツのせいか、シュバルからの呼ばれ方がセシルからエルフ姫に戻っていた。
「わたしが話をしてくる。みんなはここに残って待ってて! アラデもね!」
魔族であるアラデには特にくぎを刺しておく。
セシルはまた床の落とし穴のようなハッチから空中にダイブした。
今回はスクランブルなバックパックを背負っている。
剣と防具は着けていない。
シャキンと翼を伸ばし、プリンセス・アレー号から少し距離を置いて、空中で静止している魔人の群に向かって飛んだ。
中ほどにいる軍服姿の大型の魔人が叫んだ。
「何をしに来た! 人間! 巨大な飛行船を操るばかりか魔族のように空を飛ぶとは! また魔都を襲うのか!」
また?
ということは、やはり。
「わたしはハンター、セシル。とある方から依頼を受けてここに来たわ。貴方は? 大魔王様かしら?」
「大魔王が相手をするのは強者だけだ! 某は魔大陸警備隊のシェゼン! 魔都直衛部隊の隊長である!」
シュバルさん大当たり!
「シェゼン隊長。わたしは『東方の魔人』と呼ばれる赤髪の男を探しているの。何かご存知?」
「おぬしは東方の魔人とどういう関係か?」
依頼を受けて来たって言ってるのに。頭悪いのかな? 面倒だなあ。
「んー。家族、みたいな?」
「者共、この人間を殺せ!」
うおおおおおおと空が震える雄たけびと共に一斉に魔族がセシルに襲い掛かってきた。
あっという間に肉団子、ならぬ魔族団子に覆われる。
人間を殺すことなど何ら躊躇しない動きだ。殺意の塊である。
「全く! アラデの言うとおりね! 魔人って!」
セシルは周囲を巻き込むように球状の転移空間を展開した。魔族団子は即座にゼゼステ湖上に送られた。ドボンと何百という魔人が湖面に沈むが慌てて浮上してきた。死なない方の転移である。セシルの手加減だ。
「なんと、転移魔法か! おぬし、あの魔人でなしの係累というのは本当のようだな! 第二陣、最大火力で遠距離攻撃、開始」
第二陣は5百体ほどだ。一斉に放たれた闇の魔法がセシルに迫る。即死魔法も含まれているようだ。セシルは黒剣を亜空間からシャリンと抜いた。亜空間に収納しておいて、いざという時、何もない場所から抜刀する。
ちょっとカッコいいと思って昨夜練習していたのだ。その甲斐があった。
5百本の魔法が直撃するタイミングで黒剣をくるりと振る。ガザルドナイトが全ての闇の魔法を吸収した。
「残念ながら、魔法は効かないわ」
だが、それは囮だった。第三陣、高速飛行部隊が魔法攻撃と同時にセシルを取り囲んでいた。
サイバーンとは比較にならない猛スピードで百体ほどの飛行魔人がセシルを襲う。爪、角、剣。必殺の超高速立体攻撃だった。
「いい攻撃ね。でも残念ながら……」
慣性駆動とジェット噴射の併用で、魔人たちの猛攻を上回るトリッキーな3次元機動でひらひらとかわす。
「……遅いわ」
「人間のメスの分際で!」
「生意気な!」
反転、再攻撃してくる魔人たちの侮蔑にちょっとイラっとしたセシルは、かわすついでに蹴りや突きを入れて叩き落とした。
セシルにとっては軽く当てたつもりだが、飛行魔人たちは一瞬で意識を刈り取られ落下していった。
もっと手加減しなきゃいけなかったの? まあ魔人だし、サイバーンよりは頑丈だよね。万一死んでも生き返るらしいし。南無南無。
第三陣も壊滅。残るは遠距離攻撃の第二陣とシェゼンの周囲の幹部と思われる魔人だけだ。なぜ幹部と思うかといえば、シェゼンと同じような軍服姿だからである。見た目はほぼ人間。
「まだやる? 終わりなら話がしたいんだけど」
「ふ。これは魔力消費が大きすぎ使いたくなかったが、某も魔都直衛の任を預かっているのでな。先日の反省で仕込んでおいたのが早くも役に立つ」
「やっぱり話聞いてない!」
上空に複数の魔法陣が展開された。大きな白い魔法陣と、それを取り囲む虹の7色の魔法陣、そして少し離れて黒い魔法陣。複雑な紋様を描き、輝きながらゆっくりと回転する。
「おお、魔法陣! 来た来たこれこれ。こういうのが見たかったのよ!」
「愚かな余裕だな。人間のような知恵無き者にはこの陣の威力も分からぬと見える。己の無知を悔いながら骸となるがよい」
(セシル様! マジでヤバいっす! あの魔法陣!)
(アラデ? テレパシー?)
(亜空間通信っす! そんなことより、すぐ転移で逃げてください! あれは対象の魔力を利用し滅びを与える滅殺の陣! 相手が強ければ強いほど、効果絶大になるっす!)
(へえ。柔道や合気道みたいね。柔よく剛を制す的な)
(そんな呑気な感想言ってる場合じゃ!)
「もう遅い! 発動する! 滅殺魔法・聖魔反転!」
複数の魔法陣から虹色と白と黒の光の奔流がセシルを覆った。
全属性の始原を漏らさず魔力を吸収。圧縮した後に一気に開放し、対象を完全に破壊する必殺の大魔法。
すべてが混沌に塗りつぶされた。灰色の渦で何も見えない。
「セシル様!」
アラデが絶叫した。
その姿を見て、展望室の全員が息を呑んだ。
天龍が取り乱すとは!
今の攻撃はそれほどまでの威力だったのか!
やがて、煙が消えるように渦が晴れてきた。
セシルは先ほどと変わらぬ場所で浮いていた。
どうやら、何のダメージも受けていないようだ。黒剣は亜空間に納刀したらしく手にしていない。
「これが切り札?」
「な、なぜだ! なぜ聖魔反転が効かぬ!」
「だって、わたし魔力なんてないもの」
「な、なんだと」
「残念でした。これでもうおしまいかな?」
「しかし、聖魔反転自体のエネルギーがあった! 魔力なしでも無傷なはずは!」
「ああ、あれね……。消したので」
聖魔反転のエネルギーは亜空間に閉じ込めた。時間を停止して黒剣に吸わせている。
アラデが焦っていたので、直接黒剣で吸うとパンクするかもと思ったからだが、今吸ってる様子からすると余裕な感じである。ガザルドナイトの純結晶、マジ優秀。
「不退戦である! 魔都直衛隊の意地を見せろ。貴様らの命、某が預かる!」
おおおおお!
第二陣は既に魔都へ後退していた。先ほどの聖魔反転で魔力を使い切ったのだろう。残った最後の三十体ほどの幹部クラスが吶喊する。
「懲りないなあ。ほんと脳筋だなあ」
幹部クラスは武器も統一されているようで、日本刀のように反りの付いた片刃剣とスモールシールドを装備している。抜刀し空中を走ってくる。器用だ。
黒剣は亜空間にて絶賛吸収中なので、徒手空拳で反撃する。刀で切られても、セシルが傷を負うことは多分ないが、新調したコスプレ衣装が駄目になるのは避けたい。
えっちゃんに喜んでもらうためにも。
突き出される魔人の剣を舞うようにかいくぐりつつ、指先で反撃する。拳や蹴りだと気絶させて落下させてしまったからだが、指ではじくだけでも幹部たちが次々と吹っ飛んでいく。はっきりいって弱い。
何本か刀を奪取したので、投げた。数体まとめて串刺しになる。強制ムカデ競争状態になり行動の自由を奪った。刀貫通は見た目は痛そうだが、気絶落下してミンチよりはマシだろう。
あっという間に残るはシェゼン隊長のみだ。
「えーと、そろそろ話ししたいんだけど」
「魔人奥義炎氷、推して参る!」
「ですよねー!」
セシルは対話をあきらめた。
シェゼン隊長は盾を持たない二刀流だ。両方の刀に赤と青の魔法陣が出現し、それぞれから炎と氷が噴き上がる。
ヒートポンプみたいなもんかな?
セシルがのんびりと魔法剣を眺めていたら、シェゼンの姿が一瞬で目の前まで移動してきた。縮地である。
鋏のようにクロスしていた刀を左右に刎ねる。二刀両断!
とはならなかった。
鋏状態のまま、セシルが二本の刀を手で押さえていた。体格は3倍くらいあるが、シェゼンはセシルに力負けをしていた。刀はびくとも動かない。そして炎も氷もセシルには効いていない。
龍布で出来た手袋のおかげ……ではなく、素手であっても多分効かなかっただろう。
それはともかく、セシルが力をこめると刀がバキンと折れた。同時に魔法もかき消える。刀自体が魔法の発動装置だったのだろう。
「なんと、ムラクモ、ミカヅキがっ!」
シェゼンは空中に崩れ落ちた。器用である。
「これで終わりよね。話ししていいかな?」
「そこの人間の女! ここに降りて来なさい!」
地上から女の声がセシルを呼んだ。
大きな奇岩の、張り出した石のステージのようになった場所で紫の髪の女性が立っているのが見えた。背中に蝙蝠のような黒い羽が生えている。
呼んでいるのは彼女だ。ちょっと偉そうな物言いが引っかかるが、実際偉い人のように見える。
「ラルシオーグ殿……。某、お役に立てず申し訳ござらぬ……」
「ラルシオーグ?」
「女、行け! ラルシオーグ殿がおぬしの知りたいことを教えて下さるであろう」
「ん、それじゃ。お疲れ様」
武人の誇りも何も気にせず、セシルは会釈して降下した。軽い。
 




