第19話 エアシップ
「こりゃすげえ! 一体、こいつぁどこまで昇るんだ?」
「これがドローンの輸送力か……。普及すれば流通に劇的な革命が起きる……」
「ほら、街がもうあんなに小さく。空から世界を見降ろすなんて、このような素敵な日が来ようとは」
「ひひ姫、そそそんなに身を乗り出しては、あああぶのうございますうっ」
マークス、シュバル、アレー王女は手すりにつかまり眼下の風景を楽しんでいるが、ガリウズだけはステージの中ほどでしゃがんでいる。どうやら彼は高いところが苦手のようだ。
もう一機のドローンの方は、もっとはしゃいでいる。
ハンターたちは全員で片側に寄ってドローンを斜めに傾け下を覗き込んでいる。無謀である。
相乗りになったアントロとコレクトが反対側の手すりを握りしめて何か叫んでいる。可哀そうに。
西にはエルベット街道沿いの森林風景が地平線まで広がっている。東のマルチ山脈も雲にかすむはるか先まで見渡せる。
まぶしいくらいの天気であることもあり、まさに絶景だ。雲が地上に落とす影までくっきりと見えている。
2機のドローンは高く、高く上がっていく。やがて。
「くしゅん! ……お姉さま、幾分寒くなってまいりましたわ。お日様が当たっているところはポカポカですのに」
「確かに。高く昇れば太陽に近くなるのになんで寒くなるんだ? 山に登ってもそうだよな。これっておかしくね?」
「ああ、それは断熱膨張といってね……」
セシルは熱力学第一法則の講義をひとしきり行った。級友たちから先生に聞くよりわかりやすいといわれる『教えてセシル様』のレッスンタイムである。
シュバルとマークスは感心し、アレー王女は若干退屈し、ガリウズは頭が混乱した。
「なるほど、空気が膨張するから温度そのものではなく温位で考えればいいのか。冷たい空気が暖かい空気の上にあるということが長年不思議だったんだよ。さすがはセシルさん、物知りだね」
「シュバルさんこそ、わたしの簡単な説明ですぐ理解されるなんて、すごいです。このせか……いえ、この国の科学レベルも大体わかりましたし」
この世界の科学水準はセシルの想像を上回っていた。地球の17世紀後半から18世紀初頭、産業革命期レベルには進んでいた。ニュートンの時代である。ただ、地球に比べると理論先行で工学がやや遅れており、技術面では内燃機関の誕生前夜という状況だった。
逆に数学は進んでいる。群論や素数定理についてシュバルが既知であったので、19世紀後半から20世紀レベルと思われた。
今まで接触したのが主に脳筋なハンター連中だったので、文明程度をいささか低くみていたセシルである。博識なシュバルや技術職のマークスに会えたのは僥倖であった。
思い込みは時に命取りとなる。
理論や知識が先行しているのは、かつてABS樹脂を持ち込んだ転生者の影響ではないかとセシルは考えた。しかしその件についてはあまりに情報が乏しく、また、今ただちに調査すべきことではない。
すべてはえっちゃんと会ってからよね!
「話しているうちに随分高く上昇したが、西には大して動いていないな。このままで魔大陸までいくわけじゃなく、何か別の移動手段があるということだね? セシルさん」
「そりゃそうよ、シュバルさん。速度もだけど、このドローンで長距離を飛ぶのは無理。……もうすぐ見えてくるわ。この雲の上に」
「雲の上に……?」
見上げれば、大きな綿の塊のような雲が頭上に迫る。
セシルは透明な風防を円形ステージに出現させた。もう一機のドローンも同様に風防に覆われる。予告なしだったのでダガルたちが慌てるのが見えるが、ほおっておく。
僚機の上はずっと大騒ぎだったからだ。今更である。
すぐに周囲を薄い霞が覆い、雲の中に入った。霞が濃くなるとともに転々と風防に雨粒が付き始める。やがて視界が真っ白になり、しばらくそのまま上昇が続くと、やがてまた徐々に晴れ始めた。
ちなみにオートパイロットである。既に目標のビーコンは捉えている。
霞の先に大きな影が見えた。
「おお!」
「あれは!」
「船が、空を!」
雲を抜け、青空の元に全貌を現したそれは、まさに『空に浮かんだ船』としかいいようのない形状と大きさであった。
ただし、上下が反転していた。
全長およそ80メートル。ガスで浮かぶ飛行船のようなラグビーボール型ではなく、上部が膨らみ下部が平たんに近い優美な曲線を描いた巨大物体は、ドローンの速度に合わせるようにゆっくりと雲の上を進んでいた。真ん中あたりから真下に艦橋のような窓のある構造物が突き出しており、平坦な下部を甲板だと考えれば、まさにひっくり返った船である。
飛行機の主翼に当たる部分がないことも、船を想起させる原因だ。後部から左右に短い前進翼が伸びているが、船体に比してかなり小さい。
「空飛ぶやぐらの次は空飛ぶ船ですか。わたくしは夢でも見ているのでしょうか」
「これはまた、とてつもないものを出してきたね」
「これがニホンの技術なのか! すげえ! すごすぎる!」
「いや、さすがに日本でもこんなの実用化はしてないよ……多分。じゃ、ちょっと先に行って格納庫のハッチ開けてくるね」
「え?」
セシルはそう言うと、何のためらいもなく、手すりを跳び越えドローンから飛び出した。
当然、そのままヒューッと大地に向かい落ちていく。
「お姉さま!」
アレー王女の悲鳴が空を裂く。
直後、背中のバックパックが展開し、スクランブルな翼がシャキンと音を立てて伸び、スラスターを噴射してセシルを急上昇させた。
「あ、ごめん。これで飛ぶから大丈夫!」
「あ……」
「お……」
「む……」
一同、絶句。
そのままセシルは艦橋のラッチに降り立ち、壁のテンキーを押して解錠した。二重扉だ。開いた扉の中にセシルが消える。
しばらくすると、船の前進翼の間の甲板がズレるように左右に大きく展開し、口を開けた。
二機のドローンは内部に吸い込まれるように自動的に着艦した。細長い倉庫のような空間である。
接地用のスキッドが床のフックに自動的に固定される。
甲板が音もなく元のとおり戻り、密閉される。油圧アクチュエータではなく、形状記憶合金で動作しているので軽量にして静音設計の開閉装置である。
太陽の明かりがなくなったが、LEDライトに照らされており、庫内はかなり明るい。
セシルは格納庫と言ったが、正確にはここは着艦用のスペースで、格納庫は実はこの上にある。したがって、庫内に他の艦載機の姿はなかった。
『今風防を開けるから、全員ドローンから降りて』
セシルの声が格納庫に響いた。
シュバルたちは構造を見極めるように、ガリウズはアレー王女を護るように、それぞれ周囲に目を配りながらだが、ハンターたちは暢気なムードで雑談しながらぞろぞろと降りてくる。升目状になっている格納庫の金属の床は小さく震動しており、建物ではなく空を飛ぶ機械の中にいるとあらためて感じさせた。
全員が降りると、フックで固定した床の一部が横にスライドし、壁に当たるとそのままリフトとなって上昇しドローンを格納庫に収納した。
しばらくして正面の扉が開き、セシルが現れた。
「ようこそ、空中船へ」
片手を上げてコンパニオン風におどけてみせた。
「………」
みんな目が点になっている。残念ながらこの世界では伝わらなかったようだ。
「え、……おほん、ええと、この空飛ぶ船で魔大陸まで行きます! それぞれ客室を用意してあるので、鍵を渡しますね!」
「あ、そりゃ用意のいいことで……って、違う! エルフ姫、こりゃ何だ! すごすぎるだろ!」
「マークス、こう言っては何だが、今朝から『すごい』を連発しすぎじゃないか?」
「シュバルさん、だってすごいとしかいいようがないじゃないか!」
「まあ、たしかにそうだが」
「じゃ、各自、荷物を自室に運んで、30分後に展望室に集合ね。船内にあるこのモニターに鍵を近づけると場所を地図で教えてくれるから、よく確認してね」
「モニター?」
「この四角いガラスの板」
セシルは手本を見せた。モニター画面に鍵を近づけると船内の3Dマップが表示され、現在地から部屋までのルートが表示された。ICタグを内蔵しているのである。さらにサイドバーの『展望室』を指でタッチすると、部屋から展望室までが案内された。
ちなみに言語変換システムを有効にしているので、表示される文字はそれぞれの母国語に見えている。
「こんな感じ」
「こりゃ、便利なもんだな……って。すごすぎるだろなんだよこれ!」
「マークス、また……」
「う、おお、うむ、でもすごいもんはすごい」
「まあ、そうだがな」
「館内広いので、迷子にならないように。鍵がないとナビは使えないし、部屋もオートロックだから、部屋から出るときは鍵は必ず持ってね」
「オートロック?」
「部屋の扉が自動で鍵がかかるの。中からは鍵なしで開くけど、外からは鍵がないと絶対開かない。部屋の中に鍵を忘れると、もう開けられなくなるわよ」
「なるほど。気をつけよう」
「モニターは艦内のあちこちにあるから、迷子になっても鍵を近づければ自分の客室の場所が分かるわ。客室以外も自由に使ってもらっていいけど、扉を開けて外に出るのはやめといたほうがいいわ。もう速度を上げ始めているから、扉を開けたら即座に吹き飛ぶわよ。同じ理由で客室の窓は開かないわ。じゃ、30分後に」
「ちょっと待てエルフ姫、時間はどうやってわかる? 時計が見当たらないが」
「街みたいに鐘が鳴るんすか?」
「ああ、そうか。このモニターの右上に時刻が常に出てるわ。2つあるけど、赤いのがアドセットの時刻。青いのは現在地の時刻。だんだんずれてくるけど、とりあえずは赤い方を基準にして」
時計の表示もそれぞれのネイティブ度量衡に合わせて変換される。
アドセットを起点に経度に応じて時差を計算する仕組みだ。魔大陸へは西に進むので、時刻は次第に戻っていく方向にずれていくことになる。
「モニターは部屋にもあるし、ほかにもいろんな機能がついてる。サイドバーのメニューで切り替えられるから、せいぜい利用してね」
30分後、展望室にセシルが降りてくると、既にほかのメンバーは揃っており、窓を覗いたりいささか興奮気味に喋ったりしていた。
展望室は下に突き出した艦橋の最下層にある、馬蹄形のスペースだ。強化アクリルで出来た大きな窓がぐるりと天井から足元まで開いており、地表をパノラマで見下ろせる。
「おお、姉さん、お疲れ様です!」
「しかしここからの眺めはとんでもないっすね! エルベットの街が街道沿いに見てきたと思ったら、あっという間に通り過ぎてしまいやした。この船、速いなんてもんじゃないすね!」
「んで、俺らの客室、ありゃなんすか! 黄金の止まり木亭のトイレどころのはなしじゃないす!」
「あんたら、喋り方がみんな似過ぎ。セリフに名前書いとかないと誰かわからないレベルになっちゃってるわよ」
ダガル「こんな感じっすか?」
「メタなことはやめて。それはともかく、俺らって、客室はみんな同じ造りよ。依頼主であるアレー王女の部屋だけは特別に広くしたけど」
そのアレー王女は窓に貼りつくようにして外を眺めている。後ろでガリウズが相変わらずへっぴり腰で立っている。絶景ではあるが、あまりに開口部が大きいので高所恐怖症の彼には拷問だろう。
一般客室はセシルの改造ホテル部屋をベースにした内装になっている。左右の舷側に並べて配置したので全室窓付きだ。こちらは航空機のように小さな窓であるが。
アレー王女の部屋だけは4倍寸で造った。記憶にあるヨーロッパの王宮風に仕立ててみたが、ゴシックやロココやバロック様式のごった煮になってしまった。
歴史は苦手なセシルである。ついでに美術も。
まあ、異世界だし、なんちゃってでもいいよね。
隣がガリウズの部屋だが、彼の部屋とアレー王女の部屋の間にも扉を付けた。彼は王女の護衛なので、オートロックでは困るだろうと配慮したものだ。独身の男女の部屋を連結するのはいかがなものかという思いもあったが、彼は騎士である。封建社会では王族と近衛の関係は絶対だろうとセシルは自身を納得させた。
「はい、皆さん、注目!」
セシルは展望室の中央、ステージのように高くなっているところに立った。
「この空中船『名前はまだない』号は現在対地速度およそ800キロで西に移動中です。海に出ればさらに速度を上げる予定ですので、魔大陸までの正確な距離が不明ですが、最も遠い想定でも20時間程度、今日の夕刻までには到着する見込みです」
「ん? 明日の朝早くじゃなくて?」
「マークス、セシルさんが言っているのは現地時刻だ。場所によって時刻が違う」
「さすがシュバルさん、時差に詳しいですね」
「船に乗っていても太陽や星で読む時刻が早くなったり遅くなったりするのは体感するからね」
「そうですね。緯度50度付近では太陽は地上から見て1時間で1000キロほど西に移動します。だから、時速1000キロで同じように西に移動すると、太陽はいつまでも動きません。つまり、ずっと同じ時刻です」
「時間が止まるんすか? 姉さん」
「時間は止まらないわよ……。太陽の位置を基準としている時刻が同じだけです。基本的に太陽の動く向きと同じ西に向かえば時刻は遅く、東に向かえば時刻は早く進むことになります」
「はあ……?」
「まあいいわ、ええと、理屈はともかく、魔大陸到着までずっと夜になりません。食事や就寝は外の明るさに惑わされず、各自適宜管理してください。しばらくは赤い時刻に従うのが良いでしょう。ただ、近づいて来たら青い方の現地時刻にも体を慣らすようにしてください。でないと、魔大陸に着いたとき、寝不足や体調不良で十分活動できない恐れがあります。これを時差ボケといいます。皆さん、気を付けてくださいね」
「了解す」
「承知した」
「わかったよ」
「さすがはお姉さまですわ」
てんでばらばらの返事だったが、一応の理解はしたようだ。
「さて、注意点はそれだけです。現地到着までは特にすることがないので、めいめい自由にしてください。客室の備品をはじめ、艦内の設備も自由に使ってください。もともとこの旅行のために造ったものですから、遠慮なく。何か質問はありますか」
「質問だらけだよ! まずこの船はなんだ!? どこから持ってきた? そしてどうやって浮かんでるんだ!?」
「マークス、それはハンターの秘密事項です」
「ぐっ」
個人の能力を公開しない。それはハンターギルドの鉄則である。




