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第18話 さらば軍師

 新しい朝が来た。


 ラジオ体操をするわけではないが、セシルは今日は日の出と共に起きた。腕時計は午前5時を示している。昨日の日没時間が18時過ぎだったことと合わせると日本だと4月の終りか5月初旬に当たるが、日本よりも少し緯度が高そうだから、6月ぐらいなのかもしれない。


 腕時計にはなぜかカレンダーが出なかった。この星の自転周期が地球と同じ24時間なのは確認済みだが、公転周期は異なるのかもしれない。太陽の見た目の大きさは地球と同じくらいだから、公転半径がそう違うとは考えにくい。


 案外、太陽が軽く大きくて、この星の公転半径が思っているより大きいのかな? でもこの惑星が地球とほぼ同じ大きさなのはわかっているから、ケプラーの第三法則に従うなら角速度が増えて結果的に同じ公転周期になる? いや、そういえばガザルドナイトとかいう謎の金属があった。意外にこの星重いのかも?

 となるとこの星の重力が強い? いや、それはないか。ガソリンエンジンが難なく掛かるから空気組成も気圧もほぼ同じだし、ドローンだって地球と同じ物理設計で飛べた。そもそも体感が地球と変わらない。筋力が強くなってるから最後のは当てにならないけど。


 だとすれば?


 1日はもう体験したけど、1年はまだ経験ないから日付の度量衡換算システムが認識出来てないだけ?

 その線が強いかな? 


 はっ! いけないいけない、こんなことを考えるために早く起きたんじゃなかった!


 つい誰も気にしないような日常のちょっとした疑問について熟考してしまう。理系あるあるである。


 軽くシャワーし、冒険者の服に着替える。歯磨きをしながら鏡でチェック。うん、妖精。


 トイレットペーパーとフェイスタオルを追加で創造。部屋のロッカーに詰め込むだけ詰め込む。

 これだけあれば10日はもつでしょ! 無駄にしないでよね!


 1階に降りて厨房へ。おかみさんとミーシャちゃんが朝ごはんの仕込みをしている。既に昨夜のうちに錬成したオール電化のステンレスシステムキッチンで。


「神姉さま! ぴっかぴっか! すごいの!」


 ミーシャちゃんがテンション上がりまくりだ。


「レバー一つでお湯も水も出るなんてねえ。それにこのセイヒョーキって、なにこれ。笑っちゃうよね。氷なんて貴族様でもなかなか手に入りにくいのに、こんな箱の中でゴロゴロ出来ちゃうなんて」

「おかみさん、説明したとおり蛇口から出るお湯は料理に使わないでね。洗い物とかならいいけど」

「わかってる。このコンロ、すぐ沸かせるし」


 上水は殺菌してあるが、電気温水器は長時間湯を貯めるのでどうしても雑菌が繁殖しやすい。


 IHヒーターは業務用の30アンペア5.6キロワットの3口仕様だ。マルチメタル対応なのでいままでの鍋窯がそのまま使える。赤外線連動レンジフードも火力に合わせた。

 シンクは3槽だ。洗い物と調理、流水解凍が同時に出来る。今までは大きなたらいみたいなのが一つあるだけだった。

 製氷機、冷凍冷蔵庫のほかに、シンク横に冷蔵作業台。作業効率が大幅に改善するだろう。


 もともとの厨房設備のうち、唯一薪の石窯オーブンは穴やヒビを補強し屋上までの煙突をつけて再利用してある。炭火でしか出せない味があるからだ。一酸化炭素中毒のおそれだけは排除。


 シンク下には調理道具を入れる棚や引き出しがずらり。食器類は背中側の棚に収納する。そして食堂側に横長四角の穴をあけ、カウンターを設けた。これで厨房から食堂の様子が見られるし、カウンターから料理が出せるので厨房まで回り込まなくていい。厨房の床は掘り下げたので厨房側からはカウンターまで90センチの高さがあるが食堂側だと75センチになる。

 配膳係のミーシャちゃんもだいぶ楽になるはずだ。


 日本の都会と違って地下埋設物がないから床を掘るのは楽だった。ノンスリップタイルで水洗いに対応。フロアドレンやグリストラップも完備した衛生的な厨房である。


「給排水設備の掃除は毎日こまめにしてね! 手を抜くとすぐに詰まってダメになるから!」

「わかった! 神姉さま!」


 ミーシャちゃん、いい返事だ。


 セシルは背中にジェットなスクランブルバッグを背負っている。昨夜、秘密のガレージから空間転移で取り出したものである。


 自分自身で実験したのだ。生物を転移したらどうなるか。

 小さな時空の穴でセシルの部屋とガレージを繋ぎ、右手を突っ込んでみた。瞬時に手が死んだ。

 突っ込んだ部分の右腕の細胞が全て死滅したのだ。慌てて再生を掛けた。

 (より厳密にいえば、死んだ細胞を生きた細胞に錬成した)


 腕だけだから良かった。もし脳が死んだら、さすがに自力で復活は出来そうにない。

 それに、脳を蘇生させたとしてもそれは元のその人自身だといえるのだろうか?

 人格や意識がそのままなのだろうか?

 いや、仮に記憶や経験が全て元の通りだとしても、だからといって同じ人物といいきれるのだろうか?

 オリジナルはやはり死んでおり、代わりにコピーが生まれた。それが正しい認識なのかもしれない。


 ともあれ空間転移が生物にとって有害なのは実証出来た。そして無生物を運ぶだけなら話は簡単だった。

 空間を繋ぎ対象物に掛かる重力を傾斜させ引き寄せればいいのだ。

 重力とは時空の歪みだ。そしてセシルは時空を自由に曲げられる。

 送り出すときは重力傾斜を逆にすればいい。傾斜を直線じゃなく緩やかにカーブさせれば、対象を壊したりせずソフトに移動出来る。


 そもそも丘の上にある水源地との間で、給水はさておき排水まで出来ているのは重力傾斜で水が運ばれているためだった。

 適当な指示だったが、ちゃんと仕組みは仕上がっていたのだ。


 なお、部屋とガレージを繋いだ穴は再錬成して塞いだ。時空を時空に錬成するだけだから、転移穴は消せる。


 7時になり、朝食を戴く。ピロシキのような揚げパンに添えられたガラスのコップに氷の入ったジュース。おおお、カフェのモーニングっぽい!

 食堂にちらほら現れはじめた他の宿泊客も驚いている。

 トイレに次ぐ看板商品になるかも。氷入りジュース。


 とか思っているうちにトイレ列が早くも出来始めていた。

 食事を終えたセシルは部屋に戻って用を足した。製作者特権である。

 歯磨きも忘れずに。


「じゃあ、行ってきます! 帰る前にギルド経由で連絡するからね」

「神姉さま、気を付けてね!」

「さみしくなるねえ」

「たっしゃでな!」

「いや、すぐ帰ってくるから!」


 ミーシャちゃん一家に見送られ、徒歩でハンターギルドに向かう。

 ドローンは自律飛行で空高く飛んでついてきている。


 さすがに朝からドローンに乗って目立つ気はセシルにはなかった。

 見上げれば黒く丸いものが浮いているのがわかるが、音もなくゆっくり飛んでいるので気がつく人はいない。


 ハンターギルドには所長がいた。出発の挨拶と、クエスト受注票を確認する。ゴズデズらもちゃんとカードを擦っていた。エルベット駐留軍はまだ来ていなかった。まさか抜け駆けされているとは思ってもいないのか、ただ単に手続きに時間が掛かっているのか。


 そしてあるものをギルドに預ける。

 使い方を教えると所長が目を剥いていた。


「姉さん!」


 華麗なる(ゴージャス)アドセット前にはダガルたちハンターがすでに集まっていた。

 美しい豪華なホテルには全くそぐわない連中だが、ギルドへの指名依頼のことは当然ホテル側も知っている。

 門番に追い払われるようなことはなかったようだ。

 ダガルは同じ黄金の止まり木亭に泊まっているのに、早い。

 まあ、同伴出勤を頼まれても困るが。

 そういえば昨日もさっさとギルドに行ったようだった。セシルを起こしては悪いと思っているのか、単に早起きなのか。事実は、この世界の標準よりセシルが朝遅いだけなのだが。


 トカゲ族のダガル、オーガ族のゴズデズ、ウェアウルフ族のジック、オーク族のチョーキー。

 昨日までより重装備のいでたちだ。ゴズデズも剣を新調している。

 魔王の統べる魔大陸。それ以上は全くの未知。彼らもそれなりに緊張しているのだろう。


 そしてなぜか元ハンターのテレスピンもいた。


「見送りじゃよ。気にせんでくれ」

「そうなのね。ありがとう。でもすぐ帰ってくるつもりだけど」

「嬢ちゃんがそういうのなら、そうなんだろうなあ。王都まで行って帰るだけでわしらなら二月か三月は掛かるがのう」

「やあ、“どろーん”で来たんじゃないのか」


 鍛冶ギルドのマークスが徒歩でやってきた。さすがにこの高そうなホテルには泊まっていなかった。もう一人若い人間の男性を連れている。


「こいつは鍛冶仲間のコレクト。俺に何かあっても代わって情報を持ち帰る係だ」

「よろしく」

「大丈夫よ。無事に連れて戻るから。無茶さえしなければね」

「あー、見抜かれてるなあ。マークス、世界初の魔大陸上陸なんだからなんでも調べるって昨夜から息巻いてるんだよ」

「じゃなかったら何のためについて行くんだよ! すげえ素材がありそうじゃないか! ガザルドナイトとかさ!」


 ダガルたちが一様に微妙な顔をした。

 そのガザルドナイトだけで出来た剣、あんたの目の前に無造作にぶら下がってるよ……。

 ってゆーか鍛冶師のくせに武器屋に寄らんかったのか? 宿のトイレ並みに結構な噂になってるんだが。


「そのとおりだな」


 マークスが来た反対側から声が掛かった。男性二人組が現れた。一人は商業ギルドのシュバルだ。

 シュバルらも別の宿に泊まっていたようだ。


「シュバルさん。それにアントロさんも。あんたらも“だから”行くんだろ? なにせ誰も見たことすらない大陸だ。そしてその先にはセシルの故郷、ニホン。わくわくするよな!」

「まあ、落ち着き給えマークス。わたしは、これからエルフ姫が見せてくれる()()にもとても興味があるよ」

「そうだ、それだ。どろーんもないし、一体どうやって行くんだ?」

「まあまあ。まだ姫も出てきておられぬ。それよりも紹介しよう。彼は商業ギルドのアントロノード。マークスとは既に顔見知りだが、あらためて。私の信頼する部下の一人だ」

「アントロノードです。マークスのようにアントロと呼んで戴ければ」

「よよろしく! アントロさん」


 シュバル同様渋いおじさんだ。セシルはちょっと噛み気味に挨拶した。


「お姉さま、皆様、お待たせいたしました」


 門番に護られるようにして、アレー王女が従騎士姿のガリウズと共に玄関を出てきた。王女は昨晩のドレス姿から動きやすいキュロットパンツにビスチェを合わせたスタイルだ。王女らしくフリルやレースなどの装飾がふんだんに施され、スポーティかつエレガントなスタイリングである。


(ああ、こういうデザインが昨日聞いた王都で売ってる服なのね。可愛いなあ。でもすぐひっかけて破れそうよね……)


 どう見ても戦闘用ではない。優雅にすぎる。

 シュバルたちが片膝をつき首を垂れた。遅れてダガルたちハンターも膝をつく。

 あ、そうだった、とセシルも膝をついた。今は王女の身分に戻ってるしね。


「面を上げてください。これから共に旅する身。王族への礼儀は省略してかまいません」

「かしこまりました。王女殿下」


 シュバルが返事をする。なんとなく庶民側の代表ポジションになっているが、誰も異議を唱えないのはシュバルの人徳かもしれない。


 ガリウズは大きなトランクを二つ両手に下げていた。アレー王女の私物だろう。


「それ持ってここまで旅してきたの!?」

「ばかな。自分で運んでいたらいざという時にお護り出来ん。移動中は人夫(ポーター)を雇う」

「なるほど」


 さすがは王族の旅行だ。そしてセシルはそんな王族ご一行相手でもマイペースである。


 ブー、ブー、ブー。


 突如セシルの革袋が鳴った。中から取り出したのはハンディ無線機……小型のトランシーバーだ。


「チェックメイトキングツー。こちらホワイトルーク。オーバー」

『チェックメイトキングツー。レッドビショップよりホワイトルークへ(セシルの奴、このやり取りの意味が分からんが、魔道具の起動呪文かなにかなのだろうか?)。たった今アドセット駐留軍からの指名依頼を断った。相当怒っておったからそちらに向かうと思われる。オーバー』

「ホワイトルーク了解。ただちに対処する。オーバー」


 セシル(ホワイトルーク)がハンターギルドに預けてきたトランシーバーでバララッド所長(レッドビショップ)が緊急事態を連絡してくれたのだ。指名依頼を断るのに王女からの依頼書を見せているはずだから、町で唯一の貴族用ホテルであるここにすぐやって来るだろう。


 にしてもセシルのコン〇ットごっこに付き合わされる所長、知らぬこととはいえやはり残念な人物になっている。


「軍がこっちにやって来るみたい。面倒になる前に出発するわよ!」


 セシルが手を上げると、上空のドローンが降下してきた。ジェスチャ入力だ。途中ですっと2機に分かれる。重なるように飛んでいたのだ。そしてホテル前の道路にソフトランディングする。


「おおっ、どろーんは既に空で待っていたのか! すげえ! しかも2機も!」

「さすがに1機ではこれだけの人数と荷物を運べないからね。さあ、早く乗って」


 セシル、アレー王女、ガリウズ、シュバル、マークスが1号機に。

 ダガル、ゴズデズ、ジック、チョーキー、アントロ、コレクトが2号機に乗り込んだところで、(ひづめ)の音が近づいてきた。


 フルプレートアーマーを着こんだ騎馬隊だ。先頭は旗を立て持っている。エトアウル王国の紋章が大きく刺しゅうされた軍旗だ。

 残念ながら出発は間に合わなかったようだ。


「そこな一行! 待て、待て、待てえ!」


 馬を駆けさせながら大声で叫んでいるのは軍師サムゾーだ。結構な歳だがよく声が通る。それに揺れる馬の上でよく舌を噛まないものだ。セシルは素直に感心した。エラそうなのは気に入らないけど。


「私たちは見てのとおり出発するところよ。待ってられないわ」

「何を言っておるか。偽造公文書での軍徴用違反疑惑だ。どこにも逃がさんぞ」

「は?」

「それにそんな檻の中で出発とはいったいなんだ。馬に繋ごうにも車輪すらないではないか」


 ああ、ドローンのことまだ知らないのね。でも偽造って何のこと?


「指名依頼を受けたハンターどもよ! ハルド王国王女のわが国への入国記録などはない。街道警備の我々が知らぬことだからな! したがって王女からの指名依頼をアドセットのハンターギルドが受け取れるはずはないのだ。依頼者は公文書偽造の被疑者、ハンターどもは参考人として軍が拘束する!」

「なるほど。サムゾー軍師殿。貴殿は失礼ながら中央の約束事について明るくないご様子ですね」

「貴公はシュバルトリウス卿か。どういうことか?」

「外交上の訪問でない場合、主に警護上の理由から王族が他国に入国する際は貴族名を用いるのが通例です。王族に何かあった場合、国交に大きな影響が出ます。事情によっては戦争状態になりかねません。ですが、貴族であれば両国とも争いはありません。なにがあっても個人の責に帰せますから」

「身分を偽ったということか! それはますます見過ごせんな」

「長らく街道防衛の任にあり、ご存じないのもやむを得ないことと存じますが、王族が複数の貴族名を持つことは公然の秘密、いわば常識です。わがエトアウル王家もアーズマン公爵やジルケッタ公爵など複数の貴族名を使い分けておられますよ」

「ぐっ……(知らんかった)」

「今回はお忍びの旅行。ですが、ハンターギルドには警備上の理由から本来のご身分を明かしていただいたということです。ですから、国境の記録にハルド王家の通関記録がなく、かつハンターギルドの依頼書がハルド王家のものであるのは当然なのです」

「……」

「それより良いのですか? 軍師殿の発言、他国の王家に対する暴言と取られても仕方がないと思われますが」


 サムゾー軍師は弾かれたように馬を下り、地べたに這った。


「知らぬこととはいえ、誠に申し訳ございません! このサムゾー、一生の不覚! 深くお詫びいたしまする!」


 土下座だ。頭をゴリゴリと地面に擦り付けている。

 他の騎士たちも右に倣えで下馬し土下座する。


「サムゾーとやら、誤解が解ければよいのです。貴方も何か事情があったのでしょう。この場でのことはなかったことといたします。では、ごきげんよう」


 アレー王女が優雅にほほ笑んだ。それを合図に、セシルはドローンを離陸させた。

 強い風が周囲を薙ぎ、兵士たちが驚愕する。


「ひ、人が空を飛んだ!」


 サムゾーが呆然と口を開けたまま見上げる中、テレスピンが手を振った。


「気をつけろよーー!」

「いってきまーす!」


 セシルの声が空に響いた。

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