第17話 準備は進む
ダガルを乗せ、ドローンで黄金の止まり木亭に戻る。
あっ!
所長に挨拶の習慣のこと言うの忘れてた!
まあいいか、魔大陸から帰ってきてからで。
わたし、このクエストが終わったらギルドの雰囲気変えるんだ。
フラグを立ててみるセシルであった。
ドウラら農民たち、商業ギルドメンバー、鍛冶師たちの姿は既にない。かなり人が減ったが、まだそこそこの数が表にいる。セシルは例によって広く場所を開けさせ、ドローンを着陸した。
「ドローン見たさかと思ったけど、なにかに並んでる?」
黄金の止まり木亭の入り口から行列が伸びていた。
「ああ、トイレ列でさぁ。今朝から飯時になると並ぶみたいっすよ」
ダガルが解説してくれた。朝ごはんは寝坊したので、そんな騒ぎになってるとは知らなかった。
トイレットペーパーがなくなるはずだ。
ミーシャちゃんが二つ目のトイレを所望したのも。
行列の横をすり抜け、食堂に入るとほぼ満席だった。この世界、夜は遅めなのかもしれない。
ミーシャちゃんやおかみさんが料理やカップを持って走り回っている。商売繁盛、結構結構。
「あっ、姉さん、お帰りなさい!」
声を掛けてきたのはオーガ族のゴズデズ。ウェアウルフ族のジックとオーク族のチョーキーも同じテーブルだ。元ハンターのテレスピンは見当たらない。
「そして金ハンター登録、おめでとうございます! 俺たちも鼻が高いです!」
ダガルとのやり取りのプレイバックのようだ。
「ああ、ありがとう。で、頼みがあるんだけど」
「承知しました!」
「しかと承った」
「姉さん、ダガルの旦那、俺っちもやりまっせ!」
「まだ何も言ってなんだけど……」
「姉さんの依頼を断る理由がありません!」
「ゴズデズ、あんた性格変わってない? まあいいわ、頼みというのはね」
アレー王女の指名依頼をかいつまんで説明する。
「魔大陸……?、ですかい」
「怖い?」
「怖くはないですが、今の話が本当なら、相当やばいところですぜ。第一、どうやって行くんですかい? 船で行ったところで壁が越えられないのでは?」
「ふっふっふっ。おめえたち見てねえな。俺と姉さんは空を飛んだんだぜ」
「空を!?」
「”どろーん”ってのでな。表に現物があるぞ。空を飛べりゃあこっちのもんだ」
「姉さんは飛べるんですか。なるほど、それで。サイバーンの翼も納得でさあ」
「サイバーンの時は違うのを使ったけどね。魔大陸に行くのもドローンとは別のものを用意するつもり」
「で、魔族やら大魔王やらとは」
「むやみに戦うなっていわれてるから、刺激はしないつもり。向こうから襲ってくるなら仕方がないけどね。魔大陸に行く乗り物にちょっと工夫するから、大丈夫だとは思うけど」
「で、俺たちは商人や鍛冶師らを護るってことでいいんすね」
「うん、ちょっと人数が多くなりそうだし。護衛任務は得意なんでしょ、みんな」
「わかりやした! じゃ、出発前の前祝いってことで、飲みやしょう! 飯と麦酒追加で!」
「はーい!」
厨房奥からミーシャの返事が聞こえた。顔を見ずとも声で誰の注文かわかるのだろう。食事は基本おまかせだから追加の一言だけで注文が通る。エルムも人数分が用意されるようだ。
そしてエルム麦は麦酒の材料だった。固有名詞を覚えたので、派生で『麦酒』でも特にエルム麦を原材料としたものが『エルム』と変換されるようになった。
「あっ、わたしは果物ジュースでお願い!」
「はーい、神姉さま!」
果物ジュースも、果物の固有名詞を覚えればアップルジュースやオレンジジュースのように変換されるようになるだろう。
「セシルの姉さん、食事はいらないんですかい?」
料理に手を付けないセシルをゴズデズが気遣う。
「いや、さっき食べ過ぎて。これだけでいいわ」
ミーシャが持ってきたジュースを飲むだけだ。
「ハンターは食べられる時に食べておくのも仕事っすよ」
「チョーキー、お前はいつも喰い過ぎで動きが鈍いだろ」
「魔法使いに機敏さは要らないっす。にしても、魔大陸の飯ってうまいんすかね」
「いや、飯屋がそもそもあるのか?」
「そりゃあるだろう? 魔族だって飯ぐらい喰う……よな?」
ダガルが同意を求めるが、みんな知らんぷりだ。というか魔大陸のことなんて誰も知らないのだから、ふりじゃなくて本当にわからないのである。
「でもすごい人数ねえ。お金取ったらいいのに」
セシルが行列を眺めながらつぶやく。トイレは奥だから、ぐるりと食堂を囲むようにして並んでいる。個室を二つにしたこともあり列の進みは結構早いが、終わりは一向に見えない。
時間的に夜ご飯が済んだタイミングだから、波のピークなのかもしれない。
「取ってるよ」
ミーシャが料理を運びながら教えてくれた。
「お父さんが銅貨1枚だって。それでもこんだけ並ぶの。神姉さまの温水洗浄トイレ凄いの」
ちゃっかり500円取ってる!
「たっか! てか、それならタオル代とペーパー代貰おうかなあ」
タダで創造しているもので金をとろうとするセシルも大概である。
「ほんとだ。お父さんに言っとく」
「いや、冗談よ。宿代タダにしてもらってるし、これ以上は悪いわ」
「でも神姉さましばらくいなくなるの。巻紙とタオルは一杯置いていって貰うってお母さん言ってたの」
「うっ。前言撤回。有料で」
でもそうか、数日のつもりだけど、えっちゃんがなかなか見つからないケースも考えられる。手を打っとく必要はあるか。
まあそれは後回しで。
などとやり取りをしていると、商業ギルドのひとりが食堂に現れた。シュバルさんの使いで、アレー王女の支度は朝8時に整うとのこと。
「わかりました。では8時に『華麗なるアドセット』にお迎えに参りますとお伝えください」
「承知いたしました。セシル様」
使いは深々と礼をして去っていった。
うーん、スマホがないからいちいち連絡に人を使うの不便よね。これもなんとかしないとね。
「というわけで、ダガル以外はギルドに寄って依頼を受けて。で、明日の朝お姫様の宿の前に、8時だよ全員集合!」
は? という顔をされてセシルは顔を赤らめた。
地球でやったとしてもネタが古すぎるぞ、セシル!
「遠征の準備はこっちでやっとくから、持ってくるものは自分の手荷物程度でいいわよ! はい、解散!」
照れ隠しに大声を出して、いったんお開きを宣言した。
さて、魔大陸への準備である。セシルは自分の部屋に戻った。
いくつか整理することがある。
この黄金の止まり木亭と農場そばの水源は繋がっているが、途中の上下水道は実はない。空間を直接繋いでいるのだ。
電気も同じである。電線があるわけではない。空間を折り曲げて、ワープさせている。
つまり、時空の錬成だ。錬成だから、セシルがいなくなってもそのままである。
生み出したものは消えない。
この時空錬成による空間の門を使えば、魔大陸まで一瞬で行けるだろう。だが、懸念があった。
生きているものを生きたまま転移出来るのか?
実は、水路に溢れていた排泄物に雑菌がいなかったのだ。ARマーカーで水路最適化をした際に気がついた。
空間転移は生物を殺してしまうのだ。
だから、イオン殺菌を浄水に施したのは念のためである。生物と無生物の間に位置するウイルスやバクテリオファージが死滅するのかどうか不明だからだ。
空間転移が生物を殺すメカニズムがわからないため、人を運ぶのは無理だ。原理が分かれば対応も出来るだろうが、今は別の手段が必要である。
それは既にイメージがすんでおり、1000分の1の模型も作ってみた。上手く動くだろう。
組み立てる素材の錬成にはマルチ山脈の一部を使う。人が住んでいないので、少々削っても大丈夫だろう。
あくまで素材として使うので、概念は鉱物のままだ。
浄水処理場を作った時と同じである。あれも土地を素材にエンジニアリングセラミックのプールを作った。
やや強引だが、イメージさえ明確なら、新たな概念を創造で生み出せる。
巨大な構造物だが、複雑というわけではない。イメージを明確にし、作り始める。
遥か彼方で稲光が起きた。マルチ山脈の錬成が始まった。後は時間の問題である。
さて、しばらく留守にする。この魔改造した部屋のことはおやっさんたちに伝えておく必要があるだろう。
掃除に入ってびっくり! はちょっとね。さすがに失礼だろう。
食堂が一段落したところを見計らって、おやっさん、おかみさん、ミーシャちゃんを呼ぶ。
部屋に入るなり、三人が目を飛び出させて固まった。
そしてユニットバスを見てさらに驚く。
「お風呂!? シャワー!? なにこれ! で、ここにも温水洗浄トイレ!」
「か、鏡だと! 初めて見た! 俺ってこんな顔だったのか!」
「何このせっけんのいい匂い! でなんでせっけんが液体なの!?」
「ガラス窓! 外が見えるぞ!」
「ベッドフカフカ―!」
ミーシャちゃんがシングルベッドの上で弾んでいる。
「ええと、ひととおり堪能したわね。ええと、ちょっと改造しちゃって……。ごめんなさい」
「なんで謝る! こりゃすげえ! 全部屋こんな風にしてくれりゃ、大繁盛間違いなしだ! トイレだけであの行列なんだからな!」
「いや、しないわよ」
そんなことしたら大騒ぎだ。
トイレの噂だけでもヤバいような気がしているのに。
「ええ……。そうなのか?」
「そのかわり、わたしがいない間、この部屋を好きに使ってくれていいわ。ほかの人に秘密にしてくれるならだけど」
そもそもこの宿はおやっさんのものだし、ただで泊めてもらっているセシルの許可がなんでいるのかだが。
「これ、湯が出るのはどうなってる?」
「電気温水器が風呂の裏にあるのよ。水はトイレ同様山の方から持ってきているの」
空間転移だが、山の方からなのは間違いない。
「水とお湯、食堂の厨房でも出るようにしてくれないか?」
「え?」
「毎日井戸まで汲みに行ってるんだが、結構大変でなあ。湯も薪で沸かしているから、朝早くから仕込まないといかん。ミーシャにも手伝ってもらってるんだが、今はまだましだけど冬場が辛くてね」
なるほど。
キッチン近代化は必要かも。水を汲んだり湯を沸かしたりする労力を料理に振り分けてもらえれば、もっとおいしいものが食べられるかもしれないし。
それにきっと下水もないんでしょうね。衛生状態の改善は食中毒防止の観点からも大切ね!
「わかった。厨房を使いやすくキレイにするわ! そのかわり」
「美味いもの食わせろだろ! わかってるよ! 神姉ちゃん!」
「さすがおやっさん!」
セシルと宿のおやっさんがハイタッチを決めていた頃、悦郎は周りが余りに騒がしいので目を覚ましていた。
繭から顔を出すと、大地が震動し、周囲の岩が空中に持ち上がっていた。
「おおお、なんだなんだなんだ!?」
悦郎は夜でも昼間のように物が見える。宙に浮かんだいくつもの岩の塊が、稲妻の中で幾何学的な形状の金属に変化し、空中で組み上がっていくのが分かった。
「ありゃ、飛行機か? いや、どっちかというと、船?」
いや、あれは……。あの形は……。
まるでゴリ〇テか飛〇艇か? はたまたヤ〇トかマク〇スか?
そのシルエットは、懐かしの昭和アニメで見覚えがあるものだった。ということは、アレを作り出している奴は、地球から来た転生者!
俺と同じ境遇の奴がいる。悦郎は確信した。




