究極のかるた00
始めに言っておこう、この物語は消して報われる話ではないことを。正直に言ってしまおう、誰1人として幸せになることはないと。ただ言ってしまえば、不幸せな話でもないということ。
目は口ほどに物を語る。人間は九〇パーセントの情報を資格から判断し、評価する。例えば、ショートケーキを食べるとしよう。見た目が綺麗であれば、美味しそうだとか、食欲をそそられ、味覚もしれを美味しいと認識するのだ。あとは、視覚化したもののテイストがどれくらい精密に表現されているか。〇パーセントであれば、不味い、若しくは、予想に反した、美味が訪れる。それが一〇〇パーセント精密かつ正確であれば、それが正解なのだ。かもなく不可もない美味なのだ。
つまり言いたいことは、視覚が正常に機能してさえすれば、生きていけるのだ。人間の視覚が一〇〇パーセント完璧に機能することがあるのならば、言葉も要らなくなる。目で会話をするのだ。かつて先人たちがそうしていたように。
けれども、進化するにつれて怠慢していき、文明は潰れた。進化を望んだ。利便を望んだ。多くを欲した。欲だけを満たした。理性と本能を放棄した。
積もる話。雪が積もる話。
銀骨牌は黙々と仮面を作る。雪の降り積もる山で独り、黙々と仮面を作る。
いつもなら轟々と降る雪の音、火が燃え上がる音以外は何も聞こえない。だが今日はどうやら違ったようだ。ガタン___物体が骨牌の小屋を叩く。不思議に思った骨牌は腰を上げ、出入り口の戸を開ける。周りを見回しても、人影も物陰もない。だったら、上下を見回す。上には降ってくる雪。下には、もうすぐ埋もれそうな、恐らく男であろう人が倒れていた。彼女は肩を叩いてみる。反応はない。どうすべきか悩みに悩んで、一分ぐらい悩んで、目の前の死体のように埋もれてしまっている男を引きずり上げた。引きずり上げ、家にも上げた。
なかなか目を覚まそうとしない。そしてなかなかの見目麗しい青年だ。頰をペチペチと叩いて見せても、以前の通り全く反応しない。もしかしてもう死んでしまったのでは、と心臓に耳を当ててみれば、聞こえない。そこで骨牌は思い出した。
そうだ____耳が聞こえないんだった。
そう思い出して、彼女は納得して頷いた。ちょっと、可笑しな話だ。
だったら、雪の降る音も、炎の燃え上がる音も聞こえてはいない。もちろん、彼が戸を打った音も然り。だったらなぜ彼女は気づいたのだろうか。
骨牌は耳が聞こえない。だから眼を凝らした。究極に眼を養った。音が聞こえなくても、微かな動きにも反応できるようになった。例え正面から見えていなくても、視覚からの情報を全てにした。
今、骨牌の目に映る青年の眉目秀麗な顔はさぞかし美しく見えているのだろう。正に彼女は初めて見る異国から来たであろう青年の金色の髪、そして透明感のある碧の瞳に見惚れていた。
そこで骨牌は違和感を覚えた。瞳の色が分かったということは、目が覚めているということではないだろうか。
彼は骨牌の腕を優しくトントンと叩いた。そして口を開くのが伺えた。
「あ、の…近い、です」
彼女は聞こえてはいないが、なんとなく察して上半身を起こす。青年の方も同じように、起き上がった。
「ありがとう。君が助けてくれたの?」
彼は知らないから、彼女の耳が機能していないことを知らないから、そのまま話し続けた。彼が話しているのは、全世界共通語であったため、なんとか理解はできた。だからそれには頷くだけ。
もっと前は、共通語なんてなかったみたいだけれど、今はそれがある。けれどそれは骨牌にとってはとても些細なことで、共通語が有ろうと無かろうと、その眼は全てを見ている。
「僕は、ヨシュア・シャルンホルスト。君は?」
「…ぁ、か、るた。シ、ロガネ、カル、タ」
辿々しく、自分の名を口にした。ヨシュアは少し眉を寄せた。彼女の言葉があまりにも継ぎ接ぎで幼子のようだったから。
「えっと、君は、カルタは、喋れないの?」
彼女は黙った。否。もとより喋ることは殆どないのだけれど。ただ、彼女の心が、と言った方がいいのだろうか。耳が聞こえないのなら、文字を書けばいいのに。彼女はそうしなかった。骨牌は喋ることを選んだ。骨牌自身も自分自身に疑問符を浮かべた。なぜ、口で会話をしようと思ったのか。なぜなのか、どうしてなのか、分からない。解らない。判らない。
そしてまた、骨牌は喋ろうとした。そしてその口を自分の手で塞いだ。紙と筆を持って書いてそれをヨシュアに渡した。
黙々とそれを読んだヨシュアは今度は申し訳なさそうに眉を寄せた。だからヨシュアが謝罪を口にする前にその口をこの口で塞いだ。
次は眼を丸くして固まった。彼女はこう言うのだ。
「しゃざい、は、ふよう。しらないほうが、とうぜん。つまり、きにしてない」
ゆっくり、はっきりと、そう告げた。ヨシュアと骨牌は視線を合わせたまま二人とも離そうとはしない。この時ヨシュアは骨牌の瞳に魅せられていた。言葉を発するにしても、表情にしても、特に感情の起伏を表すでもない彼女。しかし、その瞳には彼女の優しさという気遣いが現れていた。彼女の目には言葉以上に多くのものが語られていた。黒い深淵のような瞳に鉱石と言う名の言葉が埋められていた。
一目惚れした。
そう、彼女の目に。
正に一目惚れ。
「僕と夫婦にならない」
唐突に発せられたプロポーズの言葉。何故かそう告げたヨシュアの声が聞こえた気がした。骨牌は首を傾げ、何故だ、と、ジェスチャーした。
「君の目は、僕を見てくれている。よくわからないけど、あったかい。君の目は僕の知らないことを知っているみたいだから。だから君の目に映るものすべてを僕にも共有させてほしい」
ヨシュアもまた同様、真っ直ぐと只々骨牌を見つめた。その目に偽りは見受けられなかった。見目麗しく、内面も麗しい。全くもって彼は透明だった。真実だった。求婚を受けた。骨牌も、彼の目に一目惚れしたのだった。
合縁奇縁。正に縁は異なもの味なものだった。
ところで、君はどこから来たの____?
問うてみても返事が返ってこない。アクアマリンの目は濁った。淀み、不安の色を映した。
「それが、覚えてないんだ。僕の名前しか、わからない。僕が要シュアだってことも、しっくりきてる訳でもないけど、ぽろっと出たんだ。しっくりはこないけど、当てはまってはいるんだ」
不安を抱えながらも淡々と彼は言葉にした。混乱していることは聞かなくとも目を見れば明らかだ。
もしそれが記憶喪失ならば、そうだとして、如何して結婚を申し込んだのか。彼が普通で正常ならば、記憶がない自分に対して不安で恐怖で縮こまってしまうだろう。けれど、彼が普通じゃないのはすでに解っていた。初めてあった相手に、ましてや記憶喪失で、結婚を申し込むこと自体、いい意味でも悪い意味でも異常なのだ。
「よ、しゅあ、は、おもいだしたい?」
「このままでもいいと思ってるよ、僕は」
言い切った。さっきの瞳濁りはなんだったのか。顔を伏せているから真意は読み取れない。嘘かもしれない。記憶喪失自体、嘘なのかもしれない。逆に忘れたいことがあるのかもしれない。できることはない。安易に踏み入れていいものではないことを理解している。それは、ただ面倒ごとに巻き込まれたくないのかもしれない。けれどそんな理由で片付けられるほど彼女自身も簡単に出来ているわけではない。彼女に怒りは無い。悲しみは無い。喜びは無い。楽しみは無い。ありとあらゆる感情を持ち合わせてはいない。人間の独特な習慣である共感が出来ない。
決して彼女に救いを求めてはいけない。彼女は真か偽か。それだけ。救いを求めてしまえば、現実を突き付けられる。地獄を見る。
ヨシュアの雰囲気を見て骨牌も沈黙を続けていた。誰も口を開かない。誰も、というか、二人しかいない。誰も、というのは複数が過ぎる。恐らく彼女から口を開くことはないだろう。耳が聞こえないのだから。自ら苦行に勤しみことは無意味。無駄な努力。だから待った。
「やっぱり、結婚はやめようか」
_____どうして?
「得体の知れない男なんて気持ち悪いでしょ」
_____おもわない。
「僕も自分を信じられない」
「そう、だからなに。それで、ぼくにほれたのは、うそ、だということ?きみは、ぼくにうそ、を、ついた。うそは、つみになる。きょうき、にもなる。しんじつにもなる」
「…違う。僕が君を慕っていることは真実。ただ君は得体の知れないものを信じきれる?」
「ぐもん。ぼくは、ぼく、には、ほんとうか、うそ、か、それだけ。しんじる、しんじない、のかんじょうをつかうのならば、ぜんしゃのほう。かんじょうというがいねんは、ぼくにはない。ぼくのめは、きゅうきょく、きょくげん、さいあくのめ、だから」
_____あなたは、しんじる?ぼくのこえを__ことばを__ぼくの、めを。
__________きもちわるいなんて、みんなおなじな方が、よっぽどきもちわるいよ。たぶん。
「信じられないわけがない」
女の曇りのない目は一瞬で曇った青年の目を晴らした。
その日二人は婚姻の儀を執り行った。永遠の契りを交わした。血の繋がりを超えた関係。
吹雪も止んだ雪山の空は余りにも正しかった。今まで見てきた空は不正解。幾億光年も昔の星は活き活き輝いた。一等の星は太陽より眩しいとさえ思った。それは目の前の女性もまた然り。
山を幾分か登り、長い階段に差し掛かりそれを降る。等間隔に鳥居が並んでいる。降り、降ってようやく果てが見えた。社と、その手間には小さな池。一面氷鏡だ。中央には祠が建っている。
「きて」
彼女はそっと手を引いた。冷たかった。まるで彼女自身が氷のようだった。
されるがままに従った。
「ここは…」
「すてきなところでしょ、わたしはわからないけど」
ここが一番星が綺麗だ、とも言った。嘘ではなかった。その通りだった。綺麗の単語では表現できないくらい。言葉では到底できない表現が必要なくらい。
ヨシュアの頬に流れ星。ひとつ。またひとつと、こぼれ落ちていく。
「なぜ、ないてるの。かなしいの。さびしいの。こわいの」
じっと見つめられていた。すべて見透かされているような、けれど追い詰められてるわけでもない。ただ真実を、ただひたすらに求めている。
「悲しいし、寂しいし、怖い。全部だよ。それと、ちょっと懐かしい。僕はここに思い入れがあるみたい」
「…ぼくは、しらない。けれど、あなたが、しっている」
手を出して、とカルタは言った。従う彼の掌の上に彼女自身の手を重ねる。
「ぼく、銀骨牌は、あなたに、すべてをささげます。その道が降り続ける吹雪で例えその未来が見えなくても。えいえんに___」
「私、ヨシュア・シャルンホルストは、あなたに全てを捧げます。
ちゃんとした儀式でも、誓いでもないけれど、丁度いい。
つつがなく、滞りなく、晴れて夫婦になった。
「しあわせってこう言うことなのかな」
「それは、きみしだい。よしゅあが、しあわせだというのなら、それはしあわせになる。そうするけんりがある。あなたたちはみんなもってる。じぶんで、きめていい。だれからもしばられてはならないもの。その、あしで、てで、くちで、みみで、めで___きめていい。決定権はあなたにある。よしんじられるのは、自分だけ、あなただけ」
_____これは私たちの物語。
_____僕たちが全てを憎んだ話。
_____絶対に嘘をついてはいけない。嘘をつけない話。