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[chapter:終章]

[chapter:終章]


 そろそろバイトの上がりも間近で、煙草や熱気でよどんできた店内の空気と対照的に、気分も明るくなる。

 レジの近くに置いてある順番待ちの表を見ながら、案内が済んだところまでマーカーで線を引く。次の客を案内しなければ、と視線を落とせば、雑な字で『サカキ』と書いてあるのが目に入る。人数は一名だった。おひとり様ならカウンターでいいかな、とマニュアル通りに「一名でお待ちのサカキ様ー」と声をかければ、何人か待ちがいるはしご客の奥から、見慣れつつある甚兵衛姿の美人がひょっこり顔を出してきたので硬直する。

「よう」

「――なんのご用ですかお客様」

 この時間の居酒屋は、ご覧の通り忙しいですけどね。営業スマイルが引きつりそうになるのを我慢しながら聞けば、店長は自分のことを指差した。

「俺」

「はい?」

「これ」

 ぴ、と順番待ちの表を指差す。ようやく店長の言わんとすることを理解して、理は順番待ちの表と店長を交互に見る。ついでにちゃっかり要求もつけたした。

「あんたサカキって言うんだ? あとカウンターでいいスか」

「名前ねえって言ったろ。ないってことはなんでもありってことだ。どこだ」

 カウンター席は個室の反対側だ、前回来た時とは別の廊下を案内していると、同僚が個室側の方に膝で座って頭を下げているのが見えた。

 なんだトラブルか? と思いながらちらりと視線を向ける。

「このカラアゲ、注文していないんですが」

「すみません」

 ありゃりゃ、注文間違いか。とその背後を見ながら通り過ぎようとして、ぴた、と足が止まる。

 中の客は、理を見て目を細めた。

「食べるから構いません。――ああ、お疲れ様です」

 ひたりとこちらを見上げて、あからさまな作り笑顔を浮かべて片手を上げられて、血の気が引く。

 一見仕事帰りのサラリーマン、に見えなくもない白都が、涼しい笑顔を浮かべていた。

「いつからこの店は人外魔境になったんだ」

 思わず一歩下がってつぶやく。

「おや、それは俺も入っているのか」

 背後から心外だ、とでも言いたげな口調で店長がつぶやく。

「当たり前だろ」

 むしろお前が筆頭だ、と言いたげな理の視線を受け流して、理の肩に手を乗せて、店長が横にならぶと、恐ろしくきれいに微笑んだ。

「で、お前一体こっちに何の用だ」

 というか俺バイト中なんだけど、と理はそっと店長の腕をつかんで引き離す。

 トラブル回避はホールの務め、というかこのひとたちが揉め出したら止められる気がしない。

 理は廊下の奥を指差しながら、確認するように店長を見上げた。

「喧嘩は外で、飲むなら中で、どうしますか。ちなみにカウンターはあそこです」

「ここでいい」

「マジか」

 あっさりと言われた言葉に、今度こそ営業スマイルを引っ込めて、理が小さくツッコむ。

 店長は至って本気らしく、しかも白都も異論はないのか「どうぞ」といいながら正面を手で示す。

「積もる話はなくもない」

「喧嘩は勘弁ですよ!!」

「うまくやりますよ」

 何をどうすればうまくなるのか見当もつかないまま、理以上に状況が分からないであろう同僚が『なに、お前の知り合い?』と言いたげな視線を理に向けながら、失礼します、と小声で言って、立ち上がって、「すまん。よろしく」と理に小声で言って背後を通り抜ける。

 あいつ逃げやがった、賢明な判断に恨みたくなりつつ、

「生ひとつ」

 店長からオーダーが入って、表情や感情が抜け落ちるのを感じながら条件反射でハンディをエプロンから抜き取って条件反射で操作する。

「僕カルーアミルクで。――それで」

 白都が理を見上げた。

「上がりは何時ですか」

 と見つめられて言われて顔が引きつり、蛇ににらまれた蛙の気分を味わう。正直関わりたくない。

「二十二時だよな」

 しかしけれども、ほとんど同時に言い放たれる店長の声に、いつぞやのやり取りを思い出す。同じ感情が去来した。

 ――ああ。

 天にも祈る気持ちで理は天井を見上げる。

 嘘をつけば後が怖い。逃げられるわけもない。つまり、

「――はい、二十二時です……」

 関わらない、という選択肢だけは選べない事を理解して、重い声で理は質問に答えた。



 バイトが終わって卓に合流するが、険悪な空気は変わってもいなかった。

 むしろ酒が入っているせいかさっきより悪化しているように感じられて、店長の横で体を小さくしながら沈黙を守る。

「お前の短絡的なやり方は嫌いだ」

「効率と言って下さい。どうこう指示されるいわれはありません」

 険悪な空気の中で、理はいまいち味を感じないカラアゲを咀嚼しながら、炭酸飲料を口に運ぶ。

「相変わらず生意気だな」

「年寄りは気が短くて参ります」

 バイトで疲れているというのに、疲れるやり取りに巻き込まれて、食べなければやっていられない、と目の前の出汁巻き卵の皿をさり気なく引き寄せて、個数を無視して口に運ぶ。

「そもそもお前何しに来た」

「貴方の性悪さを教えに」

 ふと空気が動く気配に横を見れば、双方立ち上がっている。

 気づけば店内がいやに静かで、人の気配がない。


 ――うまくやりますよ。


 白都の言葉を思い出す。そういう意味でうまくやられても困る。

 店長は備え付けの箸箱を抱えて、白都は爪楊枝が刺さった小さな筒を手にしている。

 先に白都が、その筒から爪楊枝をつかんで店長に飛ばす。店長は屈んで座布団を持ち上げてガードした。座布団に次々刺さる爪楊枝を見ながら、このひとたちは何でもありなんだな、と他人事のように思うが、結局規模が違うだけで、やっていることは酔っぱらいの殴り合いだ。

 酔っ払いは手に負えない。

 箸箱からプラスチックの箸をつかみだして、指の間に挟み込みながら店長が腕を突きだす。

 理は個室のすみに移動して、ぎりぎりまで背中をぴたりとつけてカラアゲを食べながら、

「……備品で乱闘しないで下さい」

 小さくつぶやくと、ふたりの動きが不自然にぴたりと止まる。

「――なんか白都さんのやり口わかった気がします」

「なんだ、人間に見抜かれてるぞお前」

 ひひひと店長が理の言葉に笑う。

 いい加減にしろ、とやけくそになって、理は『命令』した。

「いや、あんたも一緒だ。いいから座れ!!」

 声と同時にびたんと店長と白都のふたりが、上から透明な何かで押しつぶされるように潰れる。

 やっぱり、と理は口をへの字にする。これは夢だ。

 店内が静かになった瞬間から、これは自分が見ている夢だ、と確信していた。

 自分の部屋の時には良いようにされてしまったが、今回はなぜか思い通りにできる気がして、とりあえずやりたいことを口にすれば、その通りになった。

 逆をいえば――ここなら怖いものなどない。

「てめえの支配が甘いから」

「飲みすぎましたかね。深度が甘かった」

 ぼそぼそと愚痴るふたりを前に、カラアゲの皿を抱えて立ち上がる。

「いい加減にしてくれませんかね」

 理の言葉に、ふたりは気まずそうにちらりと視線を合わせる。

「さっさと解けよ、俺まで巻き添えだろうが」

「くそ」

 店長が口を尖らせ、白都が腕を持ち上げて、ぱちん、と指を弾いた。

 次の瞬間、理は座席に座ってカラアゲを箸で挟んでいるところに景色が一変して、はっとする。挟んでいたカラアゲが皿の中へと転がり落ちた。

 ざわめきが戻り、食器がぶつかる音や、どこかの卓から、何回目なのか分からない『かんぱーい!!』という呂律の回らない声が遠く聞こえてくる。

 理が顔をあげれば、ふたりが立ち上がる前と同じように対面で座っていて、険悪ににらみあっている。

「夢で逆支配とかお前の腕落ちたんじゃねえの」

「うるさい。酔ってるせいだ」

 静かな空間からにぎやかな空間に放りだされたような感覚の混乱に、理は「おえ」と小さくえずく。

「うう、なんか気持ち悪い」

「よかったな。お前も立派な人外の末席仲間入りだ」

「まったく嬉しくない」

 そのままテーブルに頭を突っ伏して、この飲み会はいつまで続くんだ。とげんなりすれば「逃げたか」という声。

 のろのろと視線をあげれば、目の前から白都の姿が消えていた。

「ろくでもねえことしかしねえなあいつ。――おい」

「……なんスか」

 テーブルに頬をつけて、理が店長の方を向きながら重い口を開けば、

「バイト辞めろ」

 命令じみた言葉に目を丸くする。

「店に来い。望み通り弟子にしてやる。覚悟はいいな」

 あんまり今は望んでいないのだが、このままではまた白都が来ないとも限らない。

 店長を『師匠』と呼んだ時点で、もう自分も逃げられないのかもしれないな、と思いながら、理は怖々気になったことを聞き返す。

「……覚悟? な、なんの?」

 ビールジョッキを片手に、店長が不敵に笑う。

「この仕事は不条理だ。清濁合わせ飲む覚悟だな」

 店長はもう片方の手を懐に突っ込んで煙草を取り出し、「まアもっとも」とテーブルに潰れる理を楽しげに見おろした。

「――あの二人の手を結んでやった時点で、お前も同罪だけどな」

 片手で火を灯すと、ひと呼吸目を吸いこんで、煙草をくわえたまま、ふうっと天井にむかって煙を吐き出す。揺らめいて天井まで伸びた煙は、よどんだ天井付近に漂う煙のかすみに混ざってゆく。

「にしても」

 ゆっくりと体を起こす理へ、にやりと店長は笑いかける。

「ずいぶんヘッタクソな蝶々結びだったな」

 まず蝶々結びから教えてやろう。そう言われて肩を落としながら、前途多難な弟子入り生活を迎えそうな状況。理の心情を知ってか知らずか、

「とりあえず乾杯するか」

 と店長がジョッキを持ち上げたので、理も残り少ない炭酸飲料のグラスを手に取り、軽くがつんとぶつける。

 もう知ったことか、とやぶれかぶれな気分になりながら、一気に薄くなった飲み物をあおる。

 そして、白都が姿を消した時から気になっていたことを口にする。

「――っていうか、これ、食い逃げですよね?」

「なるほど、そうとも言うな」

 っていうかそれ以外にないだろう。と理が渋い表情を浮かべると、

「この間は連れまわすために色々おごってやったが」

 店長が手を伸ばして、テーブルの硝子の灰皿へと煙草の灰を指で弾いて落とす。そして――

「今日はワリカンな」

 早々に理不尽な死刑宣告を言い渡してきた。


終。


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