[chapter:4]
[chapter:4]
思考を止めて店長の元へ駆けよろうとするが、後ろからえりをつかまれて阻まれた。
引っ張られて首が締まる。
「扉は閉めるものです」
それでも店長へと必死に手を伸ばそうとした指の先で、身を乗り出して部屋に戻ろうとしている店長が見えた。
その距離を断絶するように、誰も触っていないガラスの掃き出し窓が勢いよくスライドして閉じた。
次いでジャッと派手な音を立てて遮光カーテンが店長の姿を遮った。勢いでぶわっと揺れる濃い灰色の重いカーテンの動きを目で追う。
逃げようとする抵抗空しく、えりを引っ張られて、引き戻されて尻もちをつく。
「――ッ、――……!!」
えりと首の間に指を入れて首が絞まらないように必死に抵抗しながら、部屋にもう一つある窓を見るが、同じようにカーテンが閉まっていて、揺れるカーテンに絶望的な気分になる。
静まり返った部屋に外からの音は聞こえない。
「――まったく、探しましたよ」
「く、くるし……!!」
穏やかな声はこの状況で恐怖心しか刺激してこない。
とにかく苦しいやめろ、とじたばた暴れて蹴りを入れようとすれば、「うるさい」と床に落とされて、みぞおちに蹴りを入れられる。
呼吸ができない痛みに、這いつくばって腹を押さえてうずくまる。っていうかてめえ土足で入りやがって、と視界に入る黒い革靴が涙で滲んだ。
というか、これは、
――命の危機というやつでは。
今更ながら状況を飲み込み、蹴られた腹の痛みで現実として理解する。
抵抗する手段がない。そもそも相手は人間ですらない。
助けを求めようにも店長は閉めだされ、入ってこないところをみると、もはやそういう何かが起きているんだろう、としか思えなかった。
「あの引きこもりが店からでるとは予想外ですが、一体何を考えているんですかね」
冷ややかな視線を向けられる。痛みでにじんだ涙が視界の邪魔をして、強くまばたきしながら、鼻をすする。
知るかボケ、俺が聞きたい。枕を投げた程度でこんな一日になるとは思わなかった。
胸中でつける悪態をつきながら、這いつくばったまま距離を置こうと後ろへといざる。
「邪魔が入るのも面倒ですから、行きましょうか」
どこへ、なんで、むしろ入ってほしい邪魔。
腕をつかまれて引きずられる、夢の中の痛みがよみがえって体がすくむ。
今度はあの痛みを夢ではなくて実際に体験することになるのか、と本能的な恐怖を感じて、ここで抵抗しなければ後戻りできない、と白都の腕を引き剥がそうと腕をつかむ手に爪を立てて、床に足を突っ張って「やめろ」と叫ぶ。
「生意気な」
苛立った声に、やけくそになって腕を振り払おうとする。
「俺に触るな!!」
瞬間、ばちん。と静電気のような、電気がはじける音が響いて、腕の感触がなくなる。突っ張っていた足のせいで体が勢いよく後ろに転がった。
受け身も取れないまま、床に勢いよく突っ込む、頭だけはなんとか抱えて、転がった先で体を縮める。
「――師匠ー!!」
助けて。とプライドかなぐり捨てて祈るように助けを求めれば、がたん、がしゃーん、と横手から派手な音と、硝子が割れるけたたましい音が響いた。
掃き出し窓に体当たりをしたらしい。
部屋の内側へ倒れた掃き出し窓は硝子が割れて、散乱する硝子の上に仁王立ちになる店長の姿が見えた。
一気に様々な感情が浮かぶ。助かった。まずいことになった。これ親にすげえ怒られる。混乱してよくわからないまま、半泣きで理は「ありがとうございます」と涙声で口走る。
何がどうありがとうなのか自分でも意味はわからない、それは店長も同じだったようで、「なにいってんだお前」と半ギレで言い返された。
「で、ですよねー……」
店長の左肩は硝子のせいかざっくりと切れて、濃紺の甚兵衛の色を深く染めていた。
店を出ると怪我をするし、死ぬ、と言われたことを思い出す。ついでに、白都にその制約がない、ということも。
店長は正面に立つ白都を見た。
「お前もお前だ、いい加減にしろ」
どいつもこいつも、と聞こえる低い声に、あれ、なんで俺もその範疇に入れられちゃってるの? と首をかしげながら、壁に張りついて体を縮める。
白都を見れば、手がやけどでもしたかのようにただれていて、舌打ちをしながらその手を見おろしていた。
「うちの従業員に手を出すのはやめてもらおうか」
宣言するように店長が言い放ち、白都が忌々しげに眉間にしわを寄せた。
白都のてのひらのやけどが、みるみる色が薄くなり、ただれがおさまって、きれいに治ってゆく。
反面、店長の出血は変わらない。血液を吸いきれなくなったそでから血がしずくになって落ちる。
「当たり棒はこいつが持っている。願い主も保護した。お前の出る幕じゃない」
仏頂面だった白都がそこで、ふっと鼻で笑う。
理はその表情を見ていて気づく。
そして慌てて店長を見上げる。
髪型や格好、雰囲気が違うので気づかなかったが、
「――あんたら似てないか」
「持っているのは当たり棒だけですかね」
「うるさい黙れ」
理と白都の言葉を店長が一気に切り捨てた。
「貴方の中途半端なやり方には反吐が出ます」
「黙れと言ってるだろーが。お前が何出そうと勝手だが、手出し無用だ」
そして理を見おろして、
「――お前もいい加減目を覚ませ」
不機嫌そうに言われた。
「へ……?」
「これは暗示と夢だ。お前の」
「そんな生ぬるいものと同列にされるとは心外ですね」
「負け惜しみとは無様だな。見下している人間に怪我をさせられた気分はどうだ」
「無様なのは貴方でしょう。ここなら貴方を消し去れますよ」
「言うじゃないか」
理解が追いつかない口喧嘩に、どうしたらいいのかわからないままやり取りをながめていると、店長が舌打ちをした。
「てめえも出歯亀してんじゃねえよ。一人前に部外者気どりか」
「――ならせめてわかりやすく説明して下さい!!」
「人の喧嘩に口つっこむな」
「すごい矛盾してる!!」
なにこれどういうこと!? という、
――自分の大声で目が覚めた。
「――……あれ?」
漂ってくる煙草のにおいに、呆然としながら顔をあげる。まばたきの一瞬で景色が一変していた。
部屋の壁際に縮こまっていたはずなのに、今は部屋の中央付近に立って、ベランダを腕組みして店長をながめていた。
店長は、開け放たれた掃き出し窓の外で煙草を吸っているし、部屋の中には硝子もなく、きれいなままだ。
ふー……、と夜空を見上げて、疲れたように店長が煙を吐き出した。
「あれ」
ぐるりと室内を見回しても、白都がいない。
何一つ変わらないベランダで、のろのろと店長が手に持っていた簡易灰皿を開いて、短くなった煙草を放り込む。
理はその腕を見て沈黙する。
肩口は切れて、硝子で切った肌は血が染みて、甚兵衛は赤黒く変色して固まりかけていた。
「――遅いんだよ」
「あれ、え、あれ? あれ夢じゃ」
「まったく厄介な奴に見つかったもんだ」
「夢じゃなかった。夢なのに、夢じゃなかった……!!」
悪夢あふれる方向の現実に絶望しながら叫ぶ。
「恨み深いから、お前も巻き添えだな。ご愁傷様」
店長は部屋に戻ると、掃き出し窓とカーテンを片手で閉めながら、当たり前のように言い放つ。
「なんで!?」
「あいつの邪魔したろ」
あっさりと言われて愕然とする。うっかり納得しかけるが、慌てて首を大きく左右に振って、「いやいやいや」と否定しながら顔をあげて、部屋に戻ってきた店長につめよる。
「っていうか、恨まれてるっぽいの師匠でしょ!!」
それもあるな、とあっけらかんとうなずくと、理の言葉を認めた。
「しかし生憎、お前も人ごとじゃない」
「なんで!?」
「それは――」
なめらかに返事をしていた店長が黙る。
黙って、そして、わずかに笑った。
「――……従業員だから?」
「元をただせば師匠のせいでしょうよ!!」
「しょうがないだろう。主義主張違えれば反目する」
「それで従業員が死ぬ思いするっておかしい!!」
「なるほど」
店長が至極真剣な顔で大きくうなずいた。
嫌な予感がしつつ、店長の言葉を待つ。
「これが、親の因果が子に報うってやつか」
「やっぱてめえのせいじゃねえか!!」
ツッコミを入れたところで、店長が、し、と指を立てて口に当てた。静かにしろ、という動作に、理も気がおさまらないままではあったが、逆らえば後が怖いと口を閉ざす。
部屋の出入り口のドアを見て、店長が薄く笑った。打って変わって楽しげだ。
「そんなことより、お姫様のお出ましだ」
「ああもう、なんなんだ次から次へと」
店長が部屋のドアをじっと見る。
こうなったらさっさと恋人の幽霊を孝史に引き合わせてしまえば良いんだ、と憤慨しながら考えて、理は静かにドアの方を見つめる店長を見上げる。その店長が口を開いた。
「悪霊になってないといいな」
ぽつ、とこぼされた言葉に、理は店長を見上げて無表情になる。
「――あくりょう」
なんだそれは。と表情と感情をなくして、無感動に単語を繰り返す。
「恋人探してうろうろしている内に、悪意やらなんやら吸着して、人間に対して害悪を持ってねえといいな。って意味だ」
「すみません。そこの説明はあんまり聞きたくありませんでした」
かり、と廊下から壁をひっかくような音が響いた。静かな部屋にやけに大きく響く。
白都とはまた違った恐怖心がわきあがり、理は「どうするんです」と店長に確認する。
「そりゃ、恋人にお相手が待ってることを伝えて願いを、――ん?」
そこで店長が首を大きくかしげた。髪がさらり、と揺れる。
「そういやお前、あの男の当たり棒どうした」
言われて気づく。そういえば、と理は室内を見回す。
自然と、当たり棒を持っている。と言われて理解して納得して疑問にも思わなかったが、夢以来、その物を見たり触ったりした覚えがない。
「――……あれ?」
なんとなくポケットを叩くが、持っているはずもない。
思い返しても、孝史が白都に差した当たり棒を奪取した記憶が最後だ。
「なくした?」
思わずつぶやいたその言葉に目の前の店長が「まさか」と笑う。
「確かに気配はお前に――……おい」
唐突に店長が笑いを引っ込めた。理はポケットに突っ込んだ手を出しつつ店長を見上げる。
「はい?」
「服脱げ」
「は!?」
「さっさとしろ、世話しか焼けねぇなてめえは!!」
怒鳴りつけられて、右手でえり首をつかまれる。あれこれさっきもされたな? と勢いに負けて引っ張られる。
部屋のドアから、かりかりと音がした。
廊下側にいる何者かがドアをひっかくような音と、その距離の近さに驚く。
状況の理解が追いつかないままでいると、店長に片手でシャツを引っ張り上げられて、そのまま乱暴に頭から抜かれる。耳やらあごやらが布で強く擦れて痛い。声にならない悲鳴を上げて、文句を言おうとしたが、肩を押されて無理矢理座らされた。
「やっぱり同化してやがる」
その忌々しげな声に、なにがどうなってるんだ、と胸を見おろして、ぎくりとする。
理の胸の中央近く、アイスの棒が張りついていた。
というか……
「――食い込んでる……!!」
粘土に強く押しつけたように、皮膚にアイスの棒がめり込んでいる。風呂に入っていて目にする機会はあったはずなのに、まったく気がつかなかった。見ているようで見ていなかったのか、と青くなる。
店長は呆れたように眉をひそめて、がりがりと頭をかいた。
「あーあーあーあ……お前なあ」
「えっ、なんでそこで俺が悪いみたいになってんの!?」
がちゃ、とドアノブが動く音に、はっとする。
見ていると、がちゃ、と再びドアノブが回された。
「ええと、なんか怖……っだあああっ!!」
「怖いとは何事だ。愛情だろう」
理の悲鳴をよそに、店長は理にのしかかりながら呆れたように返事をしてくるが、それどころではなくなっていた。
胸に食い込んだ当たり棒を剥がそうとしているのか、当たり棒が食い込んでいるところに爪を立てられて、激痛が走る。身体的なもの越えた、本能的な何かを刺激する痛みと、それに伴う恐怖で無意識に抵抗する。
逃げようとするが、店長が理の体に馬のりになってきて、体重で押さえこんできた。
どんっ、とドアが叩かれる音にびく、と肩が震える。
次いで、どんどんどんどん、とドアが連打されて、店長の腕をつかんで拮抗しながらドアを見る。
「どうみても怪奇現象。恋人の命奪いにきたレベル……!!」
「そうだな。このままだとお前の命が奪われるかもな」
「お姫様っつーか、モンスター!!」
「嫌なら大人しくしてろ」
肩を突き飛ばされて、床へ背中をしたたかにぶつける。
痛いとうめきながら薄く目を開けば、理の体の上に乗った店長が、片膝で理の左肩を踏みつけてきた。
がり、と爪が胸の当たり棒との境界を削る。
「――いっ」
痛いどころの騒ぎではない。次いで指が体に食い込む感触に、息がつまる。
「――……!!」
「暴れん、な」
何かがつかまれて、無理矢理引き剥がされる感触と、神経に直接何かされているような痛みにぼろぼろと涙がこぼれる。
「――っ、――っく」
「……もう、少し」
痛いというかなんというか、とにかく衝撃にすら感じる何かに、歯を食いしばる。
めり、と木が軋む嫌な音が響く。あるいは体のどこか、骨とか皮膚の音なのかもしれないが。
長いようで短い時間ののち、不意に、無理矢理引っ張られる痛みが途切れた。抜けたらしい。
解放感と安堵で、全身に入っていた力がどっと抜ける。
マジックテープの心情はこういう感じかもしれないな、と考えながら脱力する。
「――最悪だ」
大の字でうめけば、店長に不自然に胸を撫でられる。引き抜かれた傷口がどうなっているかなど見たくもない。
「よしよし、良い子だ」
「あああくそ、死ね!!」
「生きてはいないな。死んでもいないが」
ぎっ、と蝶つがいが軋む。店長に踏まれながら頭をのけ反って逆さまにドアを見れば、ドアの隙間から白くて細い指がドアをつかんでいるのが見えた。
「やっぱ怪奇現象じゃねーか……」
「まあ、相手からしてみてもそうじゃないか?」
気われて気づく。店長は丁寧に解説してくる。
「恋人探して必死に部屋の中に入ったら、半裸の少年が男に踏みつけられてるんだからな」
その言葉に天井を見上げる。
「幽霊相手に醜態さらすって、どうなんスかね」
「いわゆる『びっくりするほどユートピア』よりマシだろう」
全裸で除霊を試みる、という残念な奇行の話題に理は渇いた笑いを浮かべる。
「師匠は電車乗ったこともねーくせに、どうしてんな話は知ってんスか」
「『客』から聞いた」
「ずいぶん残念な客がいたもんだなおい!!」
店長は、理のツッコミを無視すると、膝立ちで立ち上がる。
手に持っていた当たり棒をドアに向かって印籠のように掲げた。
そして、転がった理を踏みつけたまま、ドアの裏にいる影へと声を張り上げる。
「――お前の当たり棒をよこせ!!」
どうでもいいけど踏まれた肩が痛い。
ぼんやりそんなことを考えながら、理は店長を見上げる。左腕は怪我が痛いのか、だらんと下げて動かしもしない。
痛いのはわかるが、こんな形で八つ当たりされても困る。
「願いはなんだ、言え!!」
――まるで強盗のような口調で、店長は宣言した。




