[chapter:3]
[chapter:3]
――だとしたら、どうする。
恋人の命を奪うのか。
孝史の想いをだますのか。
突然押し付けられた問いに、答えなど出ないまま、覚醒と睡眠を繰り返す少し浅い眠りで目が覚めた。
夢は見たような、見ないような、という頭重の起床を迎えて、ベッドボードの上に置いてある時計を見れば、午前五時。
無理矢理持ち上げた頭をぼすり、と枕へと落とす。
「――人殺しの加担は、したくねえなあ……」
だからって孝史を人形でだますのもどうかと思う。
殺すってどうやって殺すのだろうか。刃物で刺したり首を絞めたりするのだろうか、到底そんなことをしたいと思わないし、手伝いたいとも思わない。
そんな正解も答えもない疑問がぐるぐると頭の中で浮かんでは消えてゆく。寝起きも手伝って考えすらまとまらない。
「――……どうしろってんだ」
その疲れたつぶやきは、枕の中でくぐもって、押しつぶされるように消えた。
二度寝もできそうにない、ともそもそと顔を動かす。
まだ陽も登らない、けれども薄明るい部屋で、ベッドの隣に敷いてある布団をそうっと見やれば、
――そこに横になっている店長と目が合って、理はびくりと体を震わせた。
肘を立てて、手の上に頭を乗せた横寝で、ベッドの上を見上げていた。
理を観察するような視線に、どうしたらいいのかわからずしばし見つめ合う。
「お……おはようございます」
「ああ」
「よく眠れました?」
「お前のデカい独り言がなけりゃな」
からかうように言われて、かっと顔が熱くなる。
「き――聞こえてました?」
「さてね」
聞こえてる。絶対聞こえてる。と気恥しくなりながら枕を抱えてうつ伏せになって、店長から視線をそらす。
「人間は面白いな」
そりゃ俺のことかい。投げやりな気分になりながら唇をすぼめる。
「あんたほど達観してねーよ」
「いや、お前は間抜けだ」
即座に言い返されて、肘で体を勢い良く起こす。
「はあ!?」
「わかりやすいしな」
ははは、と軽快に笑い飛ばされて、起き上ってベッドの上であぐらをかきながら枕を抱える。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だ、が――」
さすがに腹が立ったので、抱えていた枕を店長の顔面に投げつける。
油断でもしていたのか直撃して言葉が止まった。
ざら、と中のビーズが音を立てながら枕が落ちる。
避けそうな気もしていたが、まさかクリーンヒットするとは思わず、理は「ええと」と視線をそらす。
「――意外に鈍いんスね師匠」
「――あ?」
やばい。
枕片手にゆらりと立ちあがった店長に、「わああ、すみません!!」と両手を合わせるが、容赦なく振り上げられた枕の一撃をくらって横倒しに倒れる。
「いてえ!!」
「俺のセリフだ」
店長がベッドに膝を乗せ、マットが沈んで体がずれる。枕の追撃に殴られつつ枕をつかめば、
「ちったァ反省しろ」
と枕を引っ張る感触がなくなって、代わりに両脇腹をつかまれて息を飲む。
「ぎゃ」
そのままわしゃわしゃと揉まれて枕に顔を突っ込んで悲鳴を押しつぶす。
「ややや、やめ……!!」
くすぐってえ、やめろこのバカ師匠!! 呼吸が乱れて暴言が形にもならない。
じたばたとベッドの上で暴れることしばし、抵抗する理と、それを押さえこむ師匠の静かでうるさい攻防の後、全面敗北した理が「すみませんごめんなさいもうしません」と謝罪の言葉を息も絶え絶えに繰り返して、状況が収束した。
「す――すみませんでしたぁ」
最後の謝罪を素早く口にして、ようやく離れた手に大きく息をついて脱力する。
「――わかればいい」
理がぜいぜいと息をするのを見おろして、ふー……と店長は大きく息をついた。
全力抵抗したのにものともしない。一見痩身で非力に見えるのに、どういうことだ、と大の字になって酸素を大きく吸い込みながら粗い呼吸を繰り返す。
「いやこれおかしいっしょ」
色々と理不尽だ。
「なにが」
床の布団の上に片膝を立てて座る店長が、崩れた髪をうざったそうにかきあげた。
それでも髪が落ちてきて、舌打ちをしながら髪を解いて結い直す。
「枕一発の代償じゃねえよコレ」
「分不相応に師匠に手なんぞ上げるからだ」
じろりとにらまれて、反射的に小さく両手を上げてギブアップを全面に出す。
「――次やったら死ぬほど後悔させてやるからな」
「うーわー……」
何をされるかなど考えたくもない、と理は小さなうめき声をあげながら、ギブアップのまま小刻みに首を左右に振って、しませんしません、と主張した。
+++
どこかなげやりに、店長は小さくつぶやいた。
「しかしせわしないね、人間は」
休日の繁華街となれば人も増える。
理は立ったまま電柱に寄りかかって、店長を見おろす。
店長は、アイス屋の軒先に置かれたベンチに腰かけて、道を行き交う人や車を見ながら、小さなプラスチックスプーンでチョコチップアイスを口に運ぶ。
普段見ない角度の店長のつむじを見てから、そろりと周囲を見る。
近くの女子高の制服を着た数人が、同じようにアイスを食べながらちらちらと店長を盗み見て、内緒話を小声でしているのが見える。
かっこいいとか言ってるんだろどうぜ、中身は結構おっさんだぞ。と理は胸中でぼやく。結局見た目でそれはわからない。
世の中不公平だ、とアイスを食べ切って空っぽになったコーンをかじる。
溶けたミントアイスが染み込んだコーンの味は少しミスマッチで、やっぱりカップにすりゃ良かったな、と女子高生からも店長からも視線をそらして小さく嘆息する。
人探しにしてはのんびりと始まった散策は、やはりのんびりと午後を迎えていた。
食事はおごってもらったし、今だって贅沢言いながら食べているアイスも「俺が食べたい。ついでだ」と金を払ってもらってしまった。
昨日の居酒屋から金を出してもらっているので、ラッキーと思いながらも、そろそろ申し訳なくなってくる。
とはいえ、年齢不詳とはいえ、相当年上と思われるこの年長者が欲しがるようなもののお金を払いきれるか自信はなく、そもそも『自分の欲しいものぐらい自分で買うから引っ込んでろ』ぐらい言われそうだ、と道路の反対側にある洋服屋の出入り口をながめながら考える。
コーンの欠片が道路に落ちて、濃い灰色の鳩が、これ食べていい? とくりくりした目で少し遠目から理の様子をうかがっている。
『鳩にエサをあげないで下さい』という看板を一瞥して、大きな欠片だけ拾う。
そして電柱に寄りかかりながら、洋服屋への人の出入りをなんとなくながめていると、下から店長に「欲しいのか?」と質問されてぎょっとする。
なんとなく、買ってやろうか? に似た響きが含まれているように聞こえて、恐る恐る視線を店長に向ける。
「い、いや……、それより綾さん探しが先っスよね」
「……え? あ。ああ」
理に言われて思い出しました、とばかりにうなずく店長に、こいつ目的忘れてるんじゃねえだろうな、と眉をひそめる。
何でこんなにサービス精神旺盛なんだ。気味が悪い。と残りのコーンをかじってしまうと、アイスを食べ終わった店長が立ち上がり、「煙草吸いてぇ」と渋い表情でぼやいた。
長身美人が残念な表情でイメージ打ち壊す言葉を吐くのを見ながら、
「時代ですよ」
と、健康時代の到来を教えてやれば、「俺には関係ねえ」と口をへの字にした。
そしてありのままの、的な音楽を鼻歌で歌い出しながら、理の手元のカップコーンの包み紙を取り上げて、行儀悪くカップアイス用の小さなスプーンを煙草のようにくわえてゴミ箱へと歩く。
――本格的に親切で気味が悪い。
なんだ、なにがあった。俺なんかしたっけ。
枕の打ちどころが悪かったのか、という結論が出かかったところに「さっさと行くぞ」と背後から脛を蹴られてバランスを崩して電柱にしがみつく。
「いってえ」
「そういや電車に乗ってみたいんだった」
「はア!?」
突然言いだす謎の要求に理は目を丸くする。
「人間が詰まってるのをみかけたことがある。あれ乗り物なんだろ?」
「時間帯によりますけど。多分今はそんなに詰まっていませんよ」
「おお、ならちょうどいい。それどこだ?」
電車に乗車する気満々の店長に、あっち、と駅の方向を指差せば、楽しそうに歩きだしてしまう。
「え、え?」
「案内しろ」
本当に人探す気があるのか。でも店長には店長の考えがあるのかもしれない、と理は半信半疑のまま外国人に道案内をする感覚に陥りながら、駅へと向かってゆく。
しかしけれども結局――
電車に乗って、降りた先でふらふらと散策し、直観と適当で入ったこともない道に入り、迷いそうになりつつ歩き、そして見かけた和菓子屋で団子をおごってもらい、また歩いて、と完全に本来の目的を見失った散歩を終えて、帰宅できたのは夜だった。
少しずつ何かをお腹に入れてしまったのでそう食欲がわかないが、ちゃっかり夕食の席に同席している店長はすべてを平らげて、理には見せたこともない営業スマイルで「おいしかったです」と母親に賛辞を送るのをながめる。
部屋に戻って、遠慮もなく煙草をくわえる店長を見ながら、
「――あんた絶対綾さん見つける気ないだろ!?」
問い詰めれば、煙草に火をつけながら理を見た。せめてベランダで吸ってくれ、と窓を親指で指差せば、「今時ホタル族とは流行らんよ」とぼやきながらも大人しく部屋を横切ってベランダへと向かって行く。
掃き出し窓を少し開くと、置きっぱなしになっていたサンダルをつっかけてベランダへと出る。
「確かに、見つかったら奇跡だな」
あっさりと言われて、やっぱり、と小さくつぶやく。
「じゃあ俺ら今日一日なにしてたんスか」
「気配ばらまいてた」
あっさりと言われるが、意味が分からずに理は眉をひそめる。
「お前はあの男の当たり棒をもっている。お前の気配をあの男のものと勘違いして綾が釣れるはずだ」
当たり棒。気配。あの男と勘違い。――釣れる。釣れる?
言葉はわかっても意味が理解できない。理は眉をひそめて店長を見る。
「なんか話がみえないんスけど、人探しですよね?」
「正確には、幽霊探しだが」
ふー、と煙草の煙を吐き出し、店長がうっすらと笑った。
――正確には、幽霊探し。
言われた言葉を頭の中で繰り返す。
ぽかん、とする理の顔を見て、
「ようやく気づいたか、馬鹿め」
不敵に笑った。
「おい、ちょっと待て」
理は顔が引きつるのを感じながら、ベランダの柵に寄りかかって優雅に一服している店長をにらむ。
「つまり死んでるってことか?」
「だな」
「だなじゃねえよ、あんた昨日!! どうするって――!!」
「『だとしたら』っつったろ、仮定の話だ」
「は、あああ!?」
地団駄を踏む勢いの理とは対照的に、店長は煙草を挟んだ手で口元を隠すと、くくく、と肩を震わせた。
「ちょっとからかったら勝手に悩んでるみたいだから、教えてやろうかとも思ったんだが、」
じろ、と鋭い視線が理へと向く。端正な顔でにらみつけられて、その迫力に理の言葉も詰まる。
「ムカついたから黙ってた」
「――……!!」
枕の一撃の報復と制裁は一日続いていたらしい。
店長の真剣な顔も一瞬で、戸惑う理の顔を見て、ふっと店長が鼻で笑う。
「にしても鈍いなあ。お前は生きてる人間を探すのに、こんな方法でのんびり探す気か?」
見つかるものも見つからなくなるな。と皮肉られて、反論の余地もない。
歯噛みしながらジト目で店長をにらみ、それからふと気付く。
「つまり、もしかして、――……幽霊が家にくるんスか」
「面白いものが見れるぞ」
煙草の煙が風に乗って横へと流れる。懐から簡易灰皿を取り出しながら、ふぅっと風下へと煙を吹く。
「――嫌な予感しかしないんですけど」
「白都に見つかって痛い目見るよりマシだろ。――いや、」
腕組みをしていた理は、背後に人の気配を感じて動きを止める。
店長は理をにらみつけた。正確には――その背後を。
「遅かったか」
店長の言葉に組んでいた腕を解く。
それはつまり、
理が、まさか、まさか、とゆっくり顔をめぐらせて背後を仰ぎみれば、そこには、まさかの通り。
数日前の夢で見た、黒いスーツにフチなし眼鏡の男性――白都が立っていた。