[chapter:序章]
[chapter:序章]
だるい。とにかくなんかだるい。
すっきりしない気分がずっしりと体にのしかかる。
理は数回まばたきをして、のろのろと周囲を見回した。
そう広くない四角い部屋。壁は白くてまぶしいぐらいで、遠近感が麻痺しそうだった。
その部屋の中、理は丸イスに座って壁際でうなだれていたようだった。
――なんでこんなとこにいるんだっけ。
わけがわからないままぼんやりしていると、反対側のドアが開いて、誰かが入ってきた。
そちらに顔を向ける。
部屋の中に入ってきたのは二人の男性だった。まったく見覚えはない。
ひとりは、生真面目そうな雰囲気の、フチなし眼鏡をかけたショートカット。黒いスーツが真っ白い部屋と対極的で、部屋の中で輪郭が際立っていた。外見は若く見えるが、若者らしい軽い印象はない。
もうひとりは、少し面長の、太フチ眼鏡をかけた短髪で、薄手のカーディガンを羽織った穏やかそうな若い男性だった。
理は重い腕を持ち上げて目をこする。
なぜだか先程から感覚がおかしい。
目で見ているはずなのに、まるでテレビの画面でも通して見ているように感じてしかたがない。
寝起きは良い方なんだけど、寝ぼけているのかな、と現実なのか夢なのかよく分からないまま伸びをする。
二人は理を気にした様子もなく会話を続ける。フチなし眼鏡がいかにも真面目な口調で確認するように言葉を繰り返す。
「孝史さんは人を探しているんですね」
「すみません。困っていたんです」
太フチ眼鏡をかけた男性――孝史が、フチなしメガネに頭を下げた。
その男性はにこりと優しく笑う。
「良いんですよ。お困りの方を助けるのが僕たちの仕事ですから。綾さん、とおっしゃる方をお探しなんですね?」
「ええ、恋人でしてね、一緒にくるはずだったんですが」
フチなし眼鏡が、その言葉に返事もせず、何もない部屋の中央に両手を差し出した。
差しだだされたフチなし眼鏡の動作に反応するように、白くて丸いテーブルが浮かび上がるようにあらわれた。その上に十五センチぐらいのぬいぐるみの人形が置いてある。
その人形の脇に手を入れて、フチなし眼鏡はそれを持ち上げた。
アンティークの白いレースに飾られれて、薄い茶色の刺繍糸が揺れた。
「こちらでしょう?」
その人形を見て、孝史は数回まばたきをして、それから破顔した。
「――……ああ、綾、こんなところにいたのか」
それを見て、理のだるさもふっ飛ぶ。恋人を探していたのに、なぜ人形で納得するのか。
違う。それはあんたの探している恋人じゃない。
ただの人形だ。
だまされている。
反射的に理は立ち上がり、声をかけようとするが、なぜだかうまく声がでない。
近づこうとするが、水の中でもがいているような感じで、まるで前にすすめない。
「あ、それじゃあこれ」
孝史が人形を受け取り、嬉しそうに微笑んで、ズボンのポケットからなにかを取り出す。
手のひらより少し小さい。細長い木の棒は、理にも見覚えがあった。
少し前に脚立から落ちて見た、夢のような出来事を思い出す。
人生の最期に、アイスの当たり棒のようなものを持った、運がある人だけが訪れることができる駄菓子屋。願いごとをひとつだけ叶えるその店の、願いと引き換えになる当たり棒。
ここもそうなのか。じゃあこれ夢か。
混乱しながら叫ぶ。
「渡しちゃダメだ!!」
今度は叫ぶことができた。やりとりをしていた二人が理の声に驚いて振り向いた。
「貴方、いつからここに……」
驚くフチなし眼鏡を無視して、理は床を蹴る。今度は動くことができた。
そのまま、孝史に体当たりするように突進して、その手から当たり棒を奪う。
「それは違う!! ただの人形だ!!」
とにかくコイツに当たり棒を渡してはならない、その一心で叫ぶ。
逃げようとしたところで、フチなし眼鏡に左腕をつかまれた。
そんなに力があるようにも見えないが、骨が軋むような痛みに息もできない。
「――仕事の邪魔をしないでもらえますかね」
「離せ!」
「それを渡せ」
「いやだ」
頑固ですねえ。と声が聞こえて、次いで、ぼきん。と鈍くて重い音が聞こえた。
折られた。
反射的に理解するが、その途端に痛みが薄れ、膜がかかったように鈍くなる。
なんだこれ、と混乱しながら足をばたばたと動かして暴れるが、抵抗をものともせず軽々と引き寄せられる。
えり首をつかまれて引っ張り上げられて体が浮かぶ。間近で見る端正な顔はどことなく見覚えがあったが、とっさには思いだせない。
「ああ、なるほど」
フチなし眼鏡が感心したような声をあげた。
視界が白くかすむ。やべえ、気絶するかな、と意識が遠のくのを感じながら歯をくいしばる。
痛いような痛くないような曖昧や感覚のなか、そいつが顔を寄せてきた。
薄く笑っているのにその眼光は鋭い。食い入るような視線が怖くて、当たり棒を強く握りしめながら、顔をわずかにうしろへ動かす。
「――駄菓子屋の硝子玉を持っていますね」
意味の分からない言葉に眉をひそめる。
「どちらも、渡してもらいますよ」
薄れる意識の中、どこか遠くにその言葉が聞こえた。
目の前がすっかり白く霞んで、体が軽くなる。そして――
びく、と体が大きく痙攣した。
「――……っ!?」
目を大きく見開けば、見慣れた天井とシーリングライトが見えた。
ばっと布団を蹴りあげながら、勢いよく体を起こす。そこは見慣れた自分の部屋だった。
「――……夢」
やけにリアルで、リアルじゃなかった。
変な夢だ。
脂汗で体がべたついている。
夢にしては、感触はリアルだったな。と理は自分の手を見下ろし、手を閉じたり開いたりして動きと感触を確かめる。
やはり夢であることにほっとして、そして、ずり落ちたパジャマのそでの下に目をやって、
――沈黙する。
そこには、左腕には、くっきりと何かにつかまれたような赤黒いアザが残っていた。
「――なんだ、これ」
混乱したまま、理は小さくつぶやく。
寝る前と何一つ変わらないはずの部屋に、そのつぶやきは転がって消えた。