間違って生まれてきた僕 (3)
先生、ご無沙汰してます。前回のメールでどうも僕は先生に思わぬ
水を向けてしまったようで、繰り返しますが僕は政治や社会にはまっ
たく関心はありません。たとえ日本が原発事故による放射能汚染で滅
亡しようと、或いは「次の戦争」で新しい帝国に敗れて再び一億国民
が懺悔することになったとしても、そもそも絶望へ転化するほどの希
望は持ち合わせていませんのでどうだっていいです。ただ、政治家た
ちはまた同じ過ちを繰り返そうとしていると言いたかっただけです。
先生はロマン・ロランのことばを引用して、「人は幸福ならんがため
に生きているのではない」と言いましたが、生きることにすら惑って
いる自分にとってはむしろ不幸である方が迷わずに生きれるのではな
いかとさえ思っています。つまり僕は幸福ではないから「間違って生
まれてきた」と言っているのではありません。ただ、一言で言って生
きることがまったくつまらない。まるで見飽きたテレビドラマの再放
送を観ているように退屈で、このまま最終回までダラダラと続くくら
いならいっそスイッチを切ってしまいたいと思っています。そもそも
僕自身は「誕生」に合意した覚えがないのだから、自己が確立すれば
自らの責任で改めてこの世界で生きることに同意するのか、それとも
拒絶するのかの決断を下すべきだと思います。実際、一度ゴミ袋を被
って自死を試みましたが、最後の最後に耐え切れなくなって自分で袋
を破ってしまいました。この世界は苦痛という門扉で守られていまし
た。
先生は三島由紀夫って読まれたことがあります?あっ!失礼しまし
た、先生は国語の教師でしたよね。その三島由紀夫の小説に「午後の
曳航」というのがありますが、その中で主人公の少年とその仲間たち
が猫を殺して解剖をする件が描かれています。告白すると、じつは僕
もかつて猫を解剖したことがあります。とは言っても彼らのように生
きている猫を投げつけて殺したりはしませんでしたが、たまたま家で
飼っていた猫が死んでしまったので、ただその死に方がじつにおかし
な死に方で、たぶん外で自動車とぶつかったのだと思うのですが、そ
れでも野垂れ死にするわけにはいかないと思ったのか、家まで全力で
帰ってきて、彼女のために昼間は何時も開け放してあった勝手口の引
き戸の中に入った途端に倒れ込んで死にました。母がいつまで経って
も動く気配がないので見に行くと冷たくなって横たわっていた。彼女
はまるでわが家で死ぬために最後の気力をふりしぼって帰ってきたと
しか思えません。もしかすると猫だけではなくすべての生きものは自
分の死に場所というのを弁えているのかもしれません。外傷もなく一
切血を流さずに安らかな死に顔でした。母が保健所に連絡をして引き
取りに来るまでの間に、僕は物置小屋に置かれたダンボール箱の中の
ゴミ袋に入った死体を取り出して、カッターナイフで恐る恐る腹部を
裂きました。三島由紀夫は少年たちにその内臓を「美しい」と言わせ
てますが、僕は何度も「美しい」と自分に言い聞かせましたが、可愛
がっていた猫だっただけに罪悪感が先行してとてもそんな客観的な目
で観ることができませんでした。では、なぜそんなことをしたのかと
言うと、動物の仕組みに関心があったからです。子供たちが時計やラ
ジオを分解してその仕組みを分かろうとするように、単純に興味本位
からでした。ただ、機械なら分解すればおおよその仕組みは理解でき
ますが、なぜ動物は自ら動くことができるのか知りたかったからです
。つまり、生命体の運動を生み出す根源はそもそも物理現象なのか、
しかしそれだけなら自ら運動して増殖し進化する生命現象は生まれま
せん。つまり、生命体からすべての物理現象を取り除いた後には一体
何が残るのだろうか?たとえば、そこに目には見えないけれども霊魂
のようなものが残ってもまったくかまわなかった。いや、そういった
ものがあるのだと信じていた。つまり「生命とは何か?」が知りたか
ったのです。