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間違って生まれてきた君へ  作者: ケケロ脱走兵
2/8

間違って生まれてきた僕 (1)

 先生、先日はお忙しいのに登校するよう説得するためにわざわざ

家にまで来ていただいてありがとうございます。またその後、心の

こもったメールまで送ってくださって、僕も何とかして先生の期待

に応えなければと思っています。その時にも話したように、別に勉

強が嫌だから行きたくないとかではないのです。先生は社会に出て

から困ると言いましたが、実はそんな先のことなどどうだっていい

です。どう言えばいいのか、社会のことなんてまったく関心があり

ませんし、それどころか煩わしささえ感じます。と言うのも、独り

で居ても寂しくはありませんが、人と一緒に居ると何か話さなけれ

ばと落着かなくてついには孤独さえ感じることがあります。たとえ

ば、野球にまったく興味のない者に無理やりバットの振り方を教え

てバッターボックスに立たせてもきっとうまくいかないでしょう。

関心のない世界で競わされて苦しむくらいなら、あっさりあきらめ

て人生をショートカットした方が楽じゃないかと思う時があります

。ただ世界は野球だけではないから自分の道は自分で探すしかない

と思っています。こんなことを告白するのは先生だけで、もちろん

親にも言いません。実は、毎日いったい自分は何のために生まれて

来たのかということばかり考えています。もしも神が存在するとい

うなら、実際には存在しなくたって、それでもまったくかまいませ

んが、しかし、人間が理性によって生きていく限りはまず自分とは

何であるかを理性的に知らなければ本能、つまり感情にゆだねるこ

とになってしまいます。しかし感情は相対的な好き嫌いでしか判断

できませんから、会ったことのない個人を憎んだりはできないから

、人はいつも物事を考えた末に最後の選択を感情に放り投げてそれ

までの理性による判断を台無しにしてしまいます。つまり先生のよ

うに最後には「考えても答えは見つからない」とあきらめてしまい

ます。こうしてわれわれはこれまで理性による思考を感情による決

断にゆだねてどれほど誤まってきたことでしょうか。しかし僕はあ

きらめたくありません。自分とは何であるかを独りでいる時も社会

の中にあっても確信できる自分自身を見つけ出さない限り一歩も前

には進めないと思っています。

 たとえば「愛国心」という言葉がありますが、そもそも国家とは

国民の感情の対象である機関でしょうか?理性的な決断が求められ

る国政を愛国心、つまり感情にゆだねてもいいのでしょうか。愛国

心の下で国家を語る人たちは理性的な判断を下す以前にすでに結論

が前提されています。彼らの理性的な視線は愛国心というレンズを

通って歪められます。つまり感情を守るために理性が歪められてい

るのです。そもそも政治が伝統文化とともに語られることに驚きを

禁じ得ません。こうして我々の理性的思考は感情的な前提とあきら

めによる決断によって縛られているのです。

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