新人軍人と人食い魔法使いの多分壮大な物語が始まるきっかけとなる一ヶ月
ガラガラと重厚な柵が閉まる音がする。俺の後ろで。
ああ、とうとう俺の命運も尽きたな。
頭のどこか冷静な部分でそう考えるが、俺自身はそう冷静じゃない。体は誰が見ても分かるくらいガタガタと震えているし、涙も鼻水も垂れ流しでみっともないったらない。
ほら、柵の向こうの軍のお偉いさんがせせら笑っている。
「新人君、何もそう脅えることはない。第一子の魔法使いと言っても、人語は操るしちょうど先日人間を食したばかりだ。すぐに食われることはなかろう。一ヶ月間、世話をしたら他の者と交代だ。それまで食われないように世話をすればいい」
その間に食われる者しかいないからこんなに脅えているというのに!
と、反論できたらいいのだが、できたところで一時的に俺の溜飲が下がるだけだ。世話の期間が短くなるわけでもない。
「はは、精々頑張ってくれたまえ」
二重の柵が閉まりきり、お偉いさんの声も遠のく。
二重の柵の向こうには更に厚さ五十センチはあろうかという重厚な金属製の扉が何枚もあって、更にそれらが高い壁と鉄条網に囲まれた広い敷地の中にあるということを、外から来た俺は知っている。
厳重に過ぎる。
しかし、それに足る化け物がこの中に隔離されていることもまた有名なことだった。
今の俺はまさに獅子の檻の中に放り込まれた子羊に違いなかった。
「音がしない……今は寝てるのか……」
現状確認のために出した声は、自分でも哀れに思うほど掠れきっている。
まあ仕方がない。俺、多分近い内に食べられて死ぬし。
身よりもなく金もなく、一応目的はあるけど先立つものが何もない。そんな俺だが、目的を果たすためには一番近道だろうと思われる王国の軍に有り金叩いて入隊を志願した。
俺には目的しかなかったから、軍に入れば食い扶持も稼げるし目的に近づけるなら一石二鳥かなと思ったのだ。
しかし、無事入隊はできたものの、研修期間に仲良くなった同期にうっかり俺の目的を零してしまったのが不味かった。
うんまあ、俺の目的というのが有り触れている上に超無謀なのだ。そんなん出来る訳ないだろと笑われ、気づけば俺は同期の中で死に急ぎ野郎と有名になってしまった。こんなことになるなら言うんじゃなかった。
で、軍の新人には試練というか生贄というか、そう、人食いの化け物の世話係を新人から出すという悪しき風習があったのだ。ちなみに大昔に化け物を手懐けた人が存在するらしいので新人の試練だ成功すれば一気に昇進だと言われているが、国軍の記録の中には世話係で食べられなかった奴はいないらしい。泣けてくる。
当然ながらそんな役やりたい奴なんぞ誰もいない。今までは新人の中でも身元とかしっかりしてなくて死んでもいい奴に押し付けていたらしいが、案の定白羽の矢が立ったのがこの俺だ。満場一致で放り込まれた。
一応世話係としてやることといえば、毎日化け物の拘束具の点検をすること、用意された化け物の食事を運ぶこと、以上だそうだ。
しかし、それってつまり化け物と直に接触するってことだ。そりゃ死ぬって。
化け物は雁字搦めに拘束具付けてるらしいが、同じ空間に住まなきゃならないだけで死ぬって。
相手は強力な魔法使いだ。手も口も封じられていたところで、人間なんて無詠唱で一捻りだろう。
俺は陰鬱に溜息を吐いて、その微かな音にすらビクついた。ああ、欝だ。
未だにガタガタ震える体を押し付けて蹲っていると、どれくらい経ってからか、奥から音が聞こえてきた。ジャラジャラと大量の鎖を引き摺る音だ。
息も心臓も止まった。勿論恐怖で。
いっそのこと、ショック死できたらどれだけいいだろうか。生きたまま魔法使いに食べられるとか嫌過ぎる。
俺は魔法使いも、魔女だって見たことがある。人間と相違ない容姿、いや人間なんかよりもずっと整った美しい容姿をしていた。しかし、その美しい容姿で、生きたまま人間の皮を剥ぎ肉を噛み千切り、内臓を引き摺り出して脳みそを啜るのだ。無理、嫌、死にたくない。
ガチガチと歯がなるのを、歯を食いしばって音を立てないように努めた。恐怖で嘘みたいに涙が零れて、体が冷え切っているのが分かる。
音はどんどん近づいてくる。やめてくれ、こっちに来ないでくれ。
祈るように手を組み、姿を見たくない一心で身を縮こまらせ目を硬く閉じた。
鎖の音は最初部屋を隔てた向こうにいたけれど、多分もう俺のいるのと同じ部屋まで出てきている。暗い場所に音だけが響いた。
もう食べられるしかないんだろうか。だとしたら痛くないようにお願いしたい。
一時期は目的を果たすまで死ねないとか思っていたけど、普通に無理。ここまでくると詰みだ。来るなー、来んなー、食べないでー!
入り口の隅でブルブル震えていると、やがて音が止まった。俺のすぐ近くで、である。
すぐ近くで、頭を垂れる俺のすぐ正面に気配がする。
俺の死にそうに息を切らした感じと違って、ごく平静な息遣いが聞こえる。
こちらを見下ろしている視線を感じる。
しばらくしても動かないので、俺は恐る恐るゆっくりと、そりゃもうゆっくりと目を開いた。石畳の地面と、その前方に小さな、餓鬼が履くようなエナメルの赤い靴がある。可愛らしく丸いシルエットのそれには、足首に不釣合いなゴツい金属の足枷がついて、そこからぶっとい鎖を幾本も引き摺っていた。
何も考えず、俺はゆっくりと視線を上へ滑らせる。
子鹿みたいな華奢な足には白いタイツを履いていて、そこにふわりと白いレースとビーズに彩られた黒いスカートが降りている。太腿にはこれまたゴツい革のベルトがキツく巻かれていて、それが手首に同じく巻かれたベルトと繋がっていた。これでは碌に手も上げられなさそうだ。黒いコルセットの上に白いふんわりとしたブラウス、肩のところにも拘束用のベルトがばってんに締められていて、その上の細い首には足枷と同じような重そうな首輪が掛かっている。首輪からもジャラジャラと鎖が落ちていて、それが両足首の足枷とガッチリ繋がっていた。
首輪の上に載ったこれまた小さな顔は、にんまりと笑みを浮かべている。桜貝のような唇、まろい曲線を描く頬、髪は白と黒のツートンカラーで、スカートの裾のところまで広がっている。レースのふんだんに使われたボンネット、それの陰になっているにもかかわらず、血のような鮮やかな赤色の瞳がうっそりと細められているのがよく見えた。全体的にあどけないのに瞳だけが壮絶に色香を感じさせる、絶世の美少女だった。
しつこいまでに彼女の容姿を細かくつらつらと挙げた訳だが。
一言で言うなら想像を絶していたのだ。昔見た魔女にも匹敵する美人だ。
「君が新しい世話係?」
俺と目が合って、やっと彼女が口を開いた。子供独特の甘い声の中に、媚を売る娼婦のような響きがあった。
俺は未だにガッチリと祈りの形をした手を解くことなく、静かに頷く。
震えも涙も鼻水も、驚くほどぴたりと止まっていた。
「ごめんごめん、そんなに脅えないで。次は殺さないように気を付けるよ」
多分毎回言っているのだろう。信用ならん。
「魔法使いのナグだよ。驢馬の魔女の第一子さ。君の呼び名は?」
魔法使いに名前を教えてはいけないのは常識だ。魔法使いは名前一つあれば容易く相手を害することができる。だから呼び名を教えろと言ったのだろう。
俺は口を開いた。
「ヨーテ。故郷を滅ぼした魔女に復讐したいとかほざいてたら、貧乏くじを引かされた。短い間だろうけどよろしく」
するりと皮肉げな自己紹介が出てきて、自分でも驚いた。
俺、たまにこういう時あるんだよな。緊張し過ぎだかなんだかで振り切れて、頭のどこか冷静な部分が前面に出てくる。火事場の馬鹿力って奴か?ううん、ちょっと違う気もするけど。昔この状態で口八丁だけでヤバい状況を切り抜けたこともある。
今回も上手く作用してくれるかは、まあ希望的観測すぎるが、ガタガタ震えて何も話せないよりはマシだろう。
彼女は俺の豹変振りに少しだけ目を丸くして、すぐににまにまと笑った。
何でコイツこんな笑顔なんだ。餌が来たからか?なんて嫌な奴だ。
「なんだ、酷い顔だからてっきり脅えてるのかと思ったけど、案外平気そうだね。おいでよ、君の部屋を教えてあげる」
彼女――ナグはそれだけ言うと、重そうな鎖を引き摺って踵を返した。よく見れば足枷から引き摺る鎖には人の頭ほどもある鉄球が一桁じゃ足りないくらいは付いている。
とりあえずそんなん引き摺って歩けるナグの怪力に戦慄した。
見た目は綺麗だが間違いなく彼女は化け物だ。
◇
「……ここがトイレ、その隣がバスルーム。食事は運ばれてくるからキッチンはないよ。悪いけど全部僕と共用だ。死体や人骨が転がっているとか血が飛び散っているとかはないから、遠慮せず使ってくれ。分からないことがあったら質問してくれていい。ああ、君顔が酷いんだった。洗面所で洗ってきていいよ」
「……どーも」
彼女の態度は、ひとまずは人を食うとは思えない程度には穏やかだった。
俺は洗面所で涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を洗いながら、とりあえずは冷静になった。
一応言葉は通じている。
今は腹が満たされているのか何なのか、俺を食べようとする素振りは今のところ見受けられない。
そう、ビークールだ俺。今余裕があるこの時に、対策を立てんでなんとする。俺が今後生き残れる可能性は、今この時の情報収集とか何か色々に掛かっている!
具体的に何をすればいいのかとかはさっぱりだが、何か、頑張って絆す糸口を探そう。
……我ながらふわふわした思考過ぎるな。
タオルで顔を拭いて洗面所を出ると、ナグは外で大人しく待っていた。
こちらを見て、またにんまりと笑う。
「うん、顔を綺麗にすれば中々男前じゃん。しかし体が細いね、ちゃんと食べてる?」
「食いでがなさそうってことっすか。よっしゃ!」
「んーまあそうだね。食いでがなさそうでも腹が空けば食うけどね」
「絶望した!」
なんてことだ、俺を食っても美味しくないよ作戦は無理ということか。
「というか、毎日食事は運ばれているのに何故腹が減る?」
「魔法使いの魔力の源的エネルギーが人体にしかないから?」
「なるほど?」
何故疑問形?
とりあえず国から支給される食事は人肉とかではなく普通の人間が食べる食事だということは判明したな。
人肉を支給しろとかそんなことは言えないが、何とかしてほしいものだ。何とかした結果が世話係という名の生贄だと思うと泣けてくる。
俺がさめざめとしていると、ナグがツートンカラーの髪を揺らして首を傾げた。
どうでもいいけど、彼女の髪は左右に綺麗に色が分かれていて謎過ぎる。どんな遺伝子だ、意味が分からない。
「そういえば、君はさっき興味深いことを言っていたね」
「……?言ったか?」
「言ったよ。故郷が魔女に滅ぼされたとか何とか」
「ああ」
俺は一つ頷いた。
まあ、故郷と言っても魔女領と隣接した小さな開拓村だ。悲しいことに、滅ぼされたところで国は認知すらしてくれないだろう。いつ魔女や魔法使いに滅ぼされてもおかしくない、そんなよくある村だ。
「僕はここ数百年ずっとここに篭りきりなんだ。外で魔女がどんな活動をしているのかいまいち把握できていなくて。君の故郷は何の魔女に滅ぼされたの?」
微塵の後ろめたさもなくそんな質問をしてくるとか、やはり魔法使いはよく分からない。
まあ勝手に触れちゃいけない認定されて腫れ物のように扱われるよりよほど良いけれど。
「さあ?」
「さあって。魔女は世界に七人しかいないんだよ?分からないの?」
「魔女の顔しか見ていないんだ。故郷の奴は俺以外皆死んじまったし、何の魔女かなんて分からない。隣接する魔女領の魔女だと思うけど、闇雲に逃げたから故郷の場所も分からないんだよ。開拓村なんて地図に載らないし、腐るほどあるし」
「僕は全員の魔女の顔を知っているから、特徴を教えてもらえば分かるかも」
「知ってどうする?お前復讐に協力してくれたりすんの?」
「魔法使いの僕に、魔女に歯向かえって?」
ナグの挑むような真紅の瞳に、俺は肩を竦めて見せた。
世界には、魔女は七人いる。彼女らの命は永遠で、ずっと昔から人間の脅威だった。魔法使いは魔女の子供だ。魔女ほどじゃないけど魔法を使えて、魔女と同じく人間を食べる。
ナグは驢馬の魔女の第一子と言っていたから、驢馬の魔女の子供なのだろう。
そりゃ親殺しなんてしないだろうな。
「別にやってあげても良いよ。魔女殺し」
「え、出来んの?」
しかし、ナグが言った言葉に俺は反応した。
魔法使いは大体盲目的に自身を産んだ魔女を慕っているから、そんな言葉が出たのは正直意外だ。魔法で歯向かえないように、とかはされていないのだろうか。
「魔法使いは生まれが違えば仲間意識もあまりないよ。人間だって他国に愛国心なんかないだろ?特殊な事情がない限り自分を産んだ魔女以外に情はないね」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」
言われてみればそんな感じもしてきた。
「それに、戦力的な意味で魔女を殺せるのかという問いなら、君は運がいい。魔女に対抗できるのは同じ魔女だけだけど、僕は魔女を糧に産まれた魔法使い、魔女にすらちょっとだけ対抗できる多分唯一の魔法使いだよ?魔女によっては多分殺せる。多分ね」
「ちょいちょい曖昧な単語混ぜてくんなよ」
魔女を糧に産まれた魔法使い、とはなんだろうか。普通の魔法使いとなんか違うのか?
俺は田舎者だから魔法使いの生態とかをよく知らない。
魔女は七人いるということを知っているだけで、具体的に七人にどういう特徴があるのかもさっぱりだ。
しかし知っているような素振りをして俺は聞いてみた。
「ちなみに、どの魔女だったら殺せんの?」
「単体でなら土竜の魔女と兎の魔女は多分殺せる。人間の軍の協力を得れば、猿の魔女と猫の魔女と蝿の魔女も多分いける。蝙蝠の魔女と驢馬の魔女は無理」
土竜の魔女、兎の魔女、猿の魔女、猫の魔女、蝿の魔女、蝙蝠の魔女、そして驢馬の魔女。
なるほど、確かに七人いるな。
全員動物の名前で呼ばれているのか。それすら初めて知った。
「魔女の名前言われても俺には分からんわ」
「自分で聞いたくせに」
ナグが拗ねたように頬を膨らませた。
正直可愛いけど人食い魔法使いだと思うと恐怖しかない。
恐怖といえば、ナグのこの態度も不可解すぎて恐怖だ。
定期的に送られてくる死んでもいいような世話係の一人である俺に対して協力的すぎる。
それともなんだ、世話係には皆にこんな態度を取って、油断したところを食ってるのか?
「お前、なんでそんな協力的なんだ。目的が分からなくて怖い」
「ん?簡単だよ。そろそろここで引き篭もってるの飽きた。でも僕誰か責任者いないと外に出られないだろ?出ても良いけど大騒ぎになるし。君は話が分かりそうだから、君に懐いたことにして、君の復讐を手伝うという名目で出ようと思って」
「はあ」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。
俺にとっては願ってもいない話だ。
食べられずに済むし、魔法使いを手懐けたということで一目置かれるだろう。復讐に協力してくれるならそんなに都合の良いことはない。
けど何か、めっちゃ身構えていただけに「はあ」って感じだ。
「熱心なところ悪いけど、俺実はそこまで復讐に燃えてたりはしないぞ。なんかそういう目標掲げてないと燃え尽き症候群というか無気力症というか、そんな感じだからそれを目的に生きてるだけで……あ、待ってやっぱめっちゃ復讐したくなってきたー!」
「君って奴は保身に熱心だよね」
うっかり本音をぽろぽろしていたら、ナグが不意に笑ったので慌てて撤回する。
唇を捲り上げて歯を見せた肉食獣みたいな笑い方だった。
続けていたら食われていたんじゃないだろうか?なんだコイツ超怖いな。
「そういう気に入らない奴は食っちまえみたいな思考良くないと思う」
「笑っただけでしょ。それに、気に入らない奴は食べないよ。殺すだけ」
同じじゃないかと俺は震えた。君達にとってはねとナグは笑った。
◇
さて、ナグとの生活は、食われるかもしれないという恐怖さえなければそう悪いものじゃなかった。
彼女は朝起きて、魔力を一時的に完全に封じる薬を飲み、その薬の効力がある僅かな間だけ拘束具を外して水浴びをする。その後、新しいドレスに着替えて、俺が手伝いながらまた拘束具を付ける。
これが世話係の仕事の一つ、毎日拘束具の点検をすることに該当するようだ。
今日の彼女の出で立ちは、赤いチェック柄のエプロンドレスにバイオリン型拘束具、足には縄で脚を曲げたまま固定するような拘束をされている。所謂屈脚固定縛りという奴だ。
幼げな容姿なだけに相変わらず犯罪臭増し増しである。
彼女はその格好のまま一日の大半をじっとして過ごす。
動くのは日に三回の食事と、用を足すとき、後は寝るときだけだ。
俺もやることが特にないため、一日の大半を彼女に付きっ切りで過ごした。
取り止めもない会話をしながら、拘束具で碌に手も動かせない彼女に食事を食べさせたり、ベッドを整えたりしている。
一応世話係だからな。
トイレは流石に手伝わない。彼女も魔法で何とかしているようだ。
「ここまでちゃんと世話をされたのは久しぶりかもしれない」
「え、マジで?」
ポツリと呟かれたナグの言葉に俺は顔を顰めた。
サボって良いなら俺もサボりたい。と言っても娯楽が何もないところなので、サボったところでやることがないのだが。
「最近は根性なしが多くてね。世話係用の部屋に篭ってガタガタ震えるばかりで、着替えもさせてくれないんだ。食事とトイレは自分で何とかするけど、拘束具は勝手に外すと王城に分かるようになっているから外すに外せなくて、困るんだよ」
「分かっちゃいたけど外そうと思えば勝手に外せるんだな、それ」
拘束具の意味がない。
魔力を封じる薬も本当に効いているんだか怪しいものだ。
改めて、彼女は俺をいつでも食い殺せるんだなと思うと恐怖で体が震えた。
「君は怖い怖いと言いつつちゃんと世話してくれるし、会話も成り立つから楽しいよ。世話はしてくれるけど、話しかけても「食べないで」としか言わなかったり、反応がなかったり、口説いてしかこない人もいたからね」
「最後の奴は頭おかしいな」
俺の言葉にナグはクスリと笑った。なんだか楽しそうだ。
こちらはいつ殺されるのかと恐怖で日夜神経を擦り減らしているというのに、ムカつく奴である。
「……お前さっきから俺のことやたら褒めるけど、この程度の奴過去にもいただろ。国軍の記録では世話係は悉くお前に食われてるらしいじゃん。そいつらは何かお前に気に入らないことをしたのか?このままお前を楽しませていれば、お前は俺を食わないでくれるのか?」
ふと気になったので、聞いてみた。
できれば俺を食べないという保障がほしいところだが、それはまあ措いておいて、彼女の態度がどこまでも穏やかなので、それがいつ豹変して襲ってくるものなのか俺は気になったのだ。
ナグはぱちりと俺を見上げて瞬きをした。
「まあ、そうだね。君のような態度の人はずっと前、僕がここに閉じ込められた当初は多かったよ。その頃僕はとある人間に懐いていた、というか惚れていたから、その姿を見ていて親しみを感じていた者もいたんだろうね」
「え、魔法使いって人間に恋とかすんの?」
俺はぎょっとして思わず顔を引き攣らせて彼女を振り返る。
初めて知った。意外過ぎる。
「失礼だな。魔女に連なる者は愛情深いんだよ。人間に限らず恋くらいするさ。第三子の魔法使いだって、生涯一人を愛し抜くと有名だろう?」
「え、知らない。てか第三子?お前は確か第一子とか言ってたよな?何か違うの?」
「これだから最近の若者は教養がなくていけない!」
ナグが何やら大袈裟に嘆きだした。
「魔法使いには三種類いるのは知っているだろう?」
「え、まあなんとなく?あれだろ、確か強さが違うんだろ?講義で習った」
「本当にそれしか知らないの?君魔女に復讐したい割に魔女や魔法使いに対して無知過ぎないかい?」
俺はすっと視線を逸らす。不勉強なのは自覚しているところだ。
しかし田舎者の教養のなさを舐めないでほしい。俺は文字すら読めない。
「まあいい。説明してあげるよ。魔法使いは皆等しく魔女の子孫だ。魔女は人間を食べて子を産み、私兵を増やしてる訳。それが魔法使いね。魔法使いには大きく分けて三種類いる。第一子と第二子、そして第三子だ」
酷く単純な名前だな、とそんな間抜けな感想を抱いた。
「第一子が、魔女に直接腹を痛めて産んでもらった魔法使いさ。普通の人の子のように腹の中で約一年、大事に育ててもらう。その間魔女は大量のエネルギーを必要とするから、大量の人間を食べる。その分、産まれてくる子は強力だよ。魔女に次ぐ力を持っている。まあ身篭っている間に食べる人間の量と質にも寄るけどね。僕がこれ、第一子の魔法使い」
得意げにナグが胸を張る。
第一子の魔法使いは、魔法使いの中でも力が強く魔女に大切にしてもらいやすいそうだ。
寿命も魔女に次いで長く、そしてたくさんの人間と長い時間を消費する分、第一子は結構数が少ないらしい。
「次に第二子ね。第二子は、魔女が人間一人を食ってその場で産む魔法使いさ。量産型の私兵だよ。ゾンビだという見解を持つ学者もいるけど、人が魔女の腹に収まった後吐き出されて全く別の生命として産まれるからゾンビではないね。強さは食った人間に寄るかな。第一子と第二子は人間を食べるし、魔女の忠実なる僕だからね、人間とは全く違う生き物なんだよ」
よく魔法使いと言われて想像されるのは第二子の魔法使いなのだとか。
魔女と第一子は、強い分貴重だから滅多に魔女領からは出てこない。そこで捨て駒の役割を果たすのが第二子の魔法使いらしい。
軍がよく討伐する魔法使いも第二子とのことだ。
「で、第一子や第二子の子孫、それが第三子。彼らは魔法が使えるくらいで後は人間とそう変わらんよ。人肉食の習慣もなければ、魔女に仕えてる訳でもない。ただしょぼいとはいえ魔法が使えるから、人から魔女の血縁として恐れられる。魔女領でも半端物扱いだし、可哀相な奴らさ」
「へえ」
第三子の魔法使いは、地域によっては人間と共に過ごしたりもしているらしい。
目から鱗だ。魔法使いは全部人間を食うものだと思っていた。
遠方の国では、第三子の魔法使いはエリートとして取り立てられることもあるそうだ。
その上、愛情深く一人を愛するから、一部の女性の間では優良物件とされているのだとか。
「僕が外にいた頃は、そういった恋愛小説も出回っていたんだが、今はそうでもないのかい?」
「俺、字が読めないからそういうのは詳しくない」
「君は大抵のことに無知じゃないか」
「俺の年齢聞く?十八歳だよ。王国の建国当初からここに幽閉されてるお前と違って、云百年も生きてないの。生まれてこの方知識を積む暇もなかったしな!」
何せ生まれが開拓村だ。
特技は農業と料理ですを地で行く超田舎男児なのだ。八歳くらいから農業に従事していた俺に文字とかいう都会の嗜みを行う余裕はなかった。
「その割にウィットに富んだ返しをするよね、君」
「そうか?」
「そうだよ」
彼女の方が言い回しが芝居掛かっていて面白い感じがするのだが。
彼女は相変わらず俺を見てにまにまと笑った。
そういえば、最初に聞いた今まで食べられた世話係は何故食べられたのかや、彼女の恋の話を聞きそびれたと気付いたのは少し経った後だった。
◇
「今日は魔女の紹介をしてあげよう」
また別の日の昼の食事後、彼女が言った。
雨の強く降る日だった。
俺が世話係としてここに放り込まれてから十日ほど経っていて、この頃になると彼女は毎日のように魔女や魔法使いに関する知識を俺に披露してくれるようになっていた。
まあためになる話なので、俺も大人しく聞いている。
「正直、君ほどの田舎者でもなければ常識なんだが、僕は親切な魔法使いだからね。魔法使いにしか知られていないような情報も込みで教えてあげる」
「それ俺が知って大丈夫な奴?お前は知り過ぎた……バクリッ、とかにならない?」
「用心深いね君は」
用心深いも何も最優先で俺が懸念すべき事柄である。
「大丈夫だよ。君はこの後僕と一緒に故郷の復讐に行く予定だろ?予備知識として知っておいて損はない」
「あれ、本気だったんだ……」
俺は何とも言えず遠い目をして呟いた。
初日からちょくちょく復讐を手伝ってやると誘ってくれる彼女だが、俺はいまいちその言葉を信用できないでいた。
彼女は真面目な話と同じくらいからかってもくる。からかいなのか本気なのかいまいち判断がつかない。
「言っただろ。ここにいるのはもう飽きた。君も過ごして分かっただろうが、ここには娯楽がないんだ。センチュリー単位でここで大人しくしていた超一途な僕をむしろ褒めてくれても良いと思う。やってきた世話係をからかうぐらいしか本当にやることがない」
「なんて悪趣味な奴だ」
娯楽がないことには同情するが、俺にとって死活問題なことを趣味にするのはやめてほしい。
ちなみに、今日の彼女の服装は燕尾服風のジャケットの付いたドレスに、両腕を背中側で一纏めにするアームグローブ、太腿と脹脛に両足を一纏めにする革の拘束具を付けて窓辺で体育座りをしている。頭にのったシルクハット風の飾りがお洒落だ。
どうでもいいが、何故毎度服に合わせて拘束具も変わるのだろう。
どうして拘束具にこんなバリエーションがあるんだ、用意した奴楽しんでないかこれ。
「さて、話を戻すが、魔女は世界に七人いることは知っているね?蝙蝠の魔女、猿の魔女、土竜の魔女、驢馬の魔女、猫の魔女、蝿の魔女、兎の魔女の七人だ」
俺は静かに頷いて見せた。流石の俺でも魔女が七人だということは知っている。
にしても動物のチョイスが謎だ。その動物から生まれた魔女なのか、魔女がその動物を好むのか……。
「まず一人目は蝙蝠の魔女さ。一言で言って意地悪な奴だ。原初の魔女と言われているね。一番有名じゃないのかい?私兵も多い。第一子も第二子もいい感じにね。魔女領の戦力としては一番規模の大きな魔女だと思うよ」
とりあえず総合的に見て一番強い魔女らしい。
そういえば、ナグが戦力的に倒せない魔女は生みの親である驢馬の魔女と、この蝙蝠の魔女だと言っていた気がする。
「続けるよ。二人目が猿の魔女かな。正直直情的で頭の悪い魔女だと思うよ。ああただ、魔女単体で見て一番戦闘力が高いのはこの魔女だ。まあよく八つ当たりで私兵を食い散らかしているそうだから、あの魔女の元には行きたくないね」
刺々しく言い捨てる様子から、ナグは猿の魔女が嫌いなのだと分かった。
特に何か言うつもりはないが、ちょっと意外だ。嫌いなものなんて無さそうなのに。
「三人目が土竜の魔女。んー奴はねぇ、一言で言って小物。七人の中だと一番弱いと思う。でもずる賢いね。弱い分やらしい立ち回りをする奴だ」
魔女同士は基本的にあまり干渉しないそうなのだが、土竜の魔女は唯一他の魔女と交流を持つらしい。
金魚の糞だよ、とナグは鼻で笑った。辛辣だ。
「四人目が、麗しの僕の母君、驢馬の魔女。めんどくさがりやで、私兵も滅多に作らない。確か第一子は僕で三人目だったと思う。でも、その気になれば単体でも強いし、一番無害なように見えて一番思考がやばい。だって僕を産むときその方が強力になるからって自分を食ったんだぜ。目的さえ定めちゃえば選ぶ手段がめっちゃ効率的でめっちゃえぐい」
俺はひえっと小さく悲鳴を上げた。
いつだか言っていた、ナグが魔女を糧に産まれた魔法使いだと言うのはこのことだろう。
自分を食べるってなんだそれ。狂気を感じる。だから子供のナグもこんなに狂気的……。
「今失礼なこと考えなかった?」
「滅相もない」
なんだろう、寒気がする。
「次、五人目は猫の魔女。彼女は欲しがりさんかな。人間の小国を一つ支配してることで有名じゃん?あれ、人間狩るより差し出してもらいたいってだけで国一つ乗っ取って定期的に生贄もらってるだけだから。あと他の魔女の私兵も使役してる、自分で作るより人のが欲しいってタイプ」
ああ、噂では聞いたことがある。魔女の支配する国があるって。
しかし差し出してもらいたいから国一つ乗っ取るって、魔女っていちいちスケールでかいな。
「六人目が、蝿の魔女。私兵の数だけなら他の魔女と比べ物にならない断トツ一位だけど、ほとんど第二子だから戦力的にはそんなでもない。純粋に、食べるのが好きで食べてたら私兵増えてたってだけな魔女だよ」
それもそれで怖えな。
あまりに食いまくるから、大体魔女領の周囲の人間国家と戦争しているらしい。
いずれ自滅するんじゃない?とナグは冷徹に言った。
「最後の七人目が兎の魔女だよ。他の魔女と違って魔女領を持たず、人間に紛れて生活してる魔女。転々と移動しては、移動先で人間食って私兵にして現地に私兵を置いてまた移動してる。彼女はねー、何考えてるか分かんないようで、何も考えてないと思うよ」
兎の魔女の存在は、人間国家側も名前を伝え聞いただけで、魔女領が存在しないため実態が掴めない幻の魔女として有名らしい。
なにそれ怖い。
「以上、魔女の紹介でしたー。感想は?」
ナグはにこりと笑って話を締めくくった。
そしてナグは話の終わりに毎回こうして感想を求めてくる。
感想って言われてもなー、と言うのが正直なところだ。
「……ナグって魔女のこと見下してる?」
絞り出して、出てきたのがこれだった。
魔女を説明する彼女の口調は始終飄々としていて、どこか馬鹿にしたような響きを含んでいた。顕著なのは土竜の魔女と蝿の魔女だが、他の魔女も一貫して同じような感じである。
ナグはクツクツと小さく笑った。
「君こそ、復讐は良いの?この話は故郷を襲った魔女を特定するのに役立ちそう?」
「あー、それ聞く?残念なことに、少し絞れてきちゃったよ。できれば特定したくないんだけど」
「そりゃまた。なんで?」
ナグが血色の目を瞬かせる。この瞳に見詰められるのは心底居心地が悪い。
俺は目を逸らしてガシガシと頭を掻いた。
しかし鮮血みたいな瞳に観念して、俺は嘆息してから口を開く。
「――特定したら、復讐したくなっちゃうだろ」
「馬鹿だなぁ」
「馬鹿ってなんだよ」
確かに俺は頭がよろしくはないが。
「ん、違うよ。魔女って馬鹿だなって思ってさ」
「はあ?」
「君みたいな人間を作っちゃうから、魔女は馬鹿なんだ。いずれ魔女なんて皆殺しにされるよ。人間って怖いんだもん」
何だろうか、俺みたいな人間が魔女を殺し尽くすって言いたいんだろうか。
言いたかないけど俺程度に魔女を皆殺しにできるわけがないだろう。恐ろしい人食い魔法使いが人間は怖いと言うなんて、中々愉快なギャグだ。
「君、復讐とかあんまり乗り気じゃないって態度だけど、その実結構ガチだろ」
「まさか」
俺は笑う。
「やだよ復讐なんて。一応目標として掲げてるけど、しんどいし面倒だ。何より俺は命が惜しいんだ」
真面目な顔をして言い切ってやる。これも俺の本心であることは確かだった。
◇
突然だが、魔女も魔法使いも、大体外見は妙齢の美女だったり壮年の美青年だったりすることが多い。
それに比べてナグの外見年齢は十三から十五程度のように見える。今まで見てきた魔法使いに比べて随分と幼げなのが、ふと気にかかった。
「僕は魔女を糧に産まれた魔法使いだよ?外見年齢くらい自由自在だから。これは前に惚れてた人間の趣味」
「お前の想い人、幼女趣味だったのか……」
「幼女って程じゃないでしょ。第二次性徴が終わったけどまだ少女特有の不安定さが残るくらいの年齢が良いらしい」
「やめろよそういう生々しい話」
「生々しくないだろ!」
ドン引きである。
しかしナグが珍しく声を荒げた。想い人の話には少し過剰反応してしまうらしい。ちょっと可愛いところもあるじゃないか。
ナグの想い人とナグの関係が気になるところだ。大昔に彼女を手懐けた人物が存在するらしいが、それが想い人なのだろうか。
おそらく本気を出せばナグはいつでもここを出られるだろう。しかしこの状況に甘んじて、あまつさえわざわざ国の許可を取ってからここを出るために俺なんぞを利用しようとしているのは、ソイツへの義理立てか?
彼女の話だと、ここから出るのも一時的で、まだ王国の管理下に収まろうとしているし。
「お前の話って聞いても良い?」
「僕の話?ああ、何で人間に捕まって大人しくしているかって?」
「大人しくねーよ、悉く世話係食いやがって」
いや、魔法使い的には十分に大人しいが、できれば世話係を食べるのもやめてほしい。
主に世話係になってしまった俺みたいな人種的にはナグは全然大人しくない。
「えー、だってほら、僕だって我慢してるとはいえ食欲はあるわけでね?」
「はいはい」
「話を戻せって?んもう、分かったよ。っても、魔法使いの生態を考えれば実に簡単な話さ」
ナグは肩を竦めた。
ちなみに彼女の今日の出で立ちはシンプルに棒枷で、両手首と両足首が棒の両端に繋がれている。服はフリルの多い甘ロリ風ドレスだ。
てか、ナグの服ってドレスってよりロリータファッションなんだよな。用意している奴に対する疑問は尽きない。
「魔法使いってさ、ああ、第三子を除いてだよ?精神がクッソ不安定なんだよ。簡単に言うなら、依存先が必要なのさ」
「ほう?」
「この人のために働く、この人のために戦う、この人に褒めてもらいたい、この人が自分を肯定してくれるなら他に何もいらない、この人は誰にも渡さない、この人の心が欲しい……。有体に言うなら第一子と第二子の魔法使いが魔女に忠実に仕えるための精神構造とでも言うか、とにかく特定の人をロックオンしてその人に盲目的になるんだ。ヤンデレという奴だ」
ナグがにまにま笑って歌うようにそう言った。
なるほど、魔法使いが魔女に忠実なのは、魔女に精神的に依存しているからなのか。
魔法使いの“魔女のためなら命すら惜しくない”という戦いぶりは、人間にも広く恐れられている魔法使いの厄介な特徴の一つだ。
「普通はね、魔法使いは産んでもらった魔女に依存する。ただ、稀に違うものに依存する魔法使いもいてね。それが僕。僕は母君に放置されている間にうっかりとある人間に依存してしまってね。奴の命でここで家畜みたいに生活してるってわけ。健気だろ?」
「はあ?ケナゲ?」
「君ちょっと最近生意気じゃないかい?」
「超健気っすね!」
「君のそういうところ嫌いじゃないよ」
ナグが鋭い犬歯を見せて笑ったので、俺は慌てて彼女を褒め称えた。
俺はナグのこういうところを面倒臭いと思っている。言わないけど。
「お前のさ、その依存先って奴と想い人は、同じなんだよな?」
「なんだ、彼のことが気になるの?そうだよ、惚れたから依存した。惚れるつもりなんてなかったんだけど」
「恋ってそういうもんだろ」
「え、君が恋を語るの?大丈夫?ちゃんと経験ある?」
何だろうか、かつてなく馬鹿にされている気がする。
「――聞く?アイツの話」
「いやなんで俺に聞く?勝手に喋れよ」
「はあ。やれやれだね」
「なんだよ」
ナグはやれやれ女心の分かっていない男だ、恋人出来たことないだろう?と言いたげに首を振った。こればかりは決して被害妄想じゃないと思う。
お前こそ面倒臭い女の癖に!俺は拗ねた。
「まあまあ聞きたまえよ」
「おう。拗ねてるけど聞いてやる」
俺は拗ねながらも頷くと、ナグはちょっと意外そうな顔をした。話を聞かないとでも思ったのだろうか。馬鹿にしないでほしい。
なにせ俺は原点を忘れない男だ。もしかしたらこの話が、ナグから食われずに生き残るヒントかもしれないのだ。正直聞く以外の選択肢がない。興味津々だ。
ナグの態度が始終穏やかだから時々忘れかけるけど、コイツ人食い魔法使いなんだもん。
「……まあいいけど。そうだな、王国建国のちょっと前の話だ」
「お前のちょっと前ってどれくらい前なんだ?」
「人間の青年が少年だった頃、くらい前だ」
なるほど、まあ十年二十年程度か。
「麗しの母君が寝ている間、僕は色々なところを放浪していたんだがね?兎の魔女に教えてもらった人間を狩る方法を試してみようとしたのが彼との出会いだった」
「ああ、人間に紛れて人間狩るおっかねえ魔女か。どんな方法?」
「うん、簡単に言うなら色仕掛けだ」
「ブッ!!」
俺は盛大に噎せた。
「何やら兵士に襲われている彼の前に全裸で躍り出たという今考えれば腹を抱えて笑うしかない所業をやらかしたわけだが、まあ襲われていちゃあ色仕掛けも何もないからな。兵士を親切に撃退してやったのだ。全裸でな」
「待て待て続けるのかよ!ツッコミどころ多い!」
そして出会った当初からいきなり兵士に襲われていた想い人も謎過ぎる。
犯罪者なのだろうか?ナグのせいで俺の彼に対する印象は性犯罪者的なものが強い。いや、ナグに勝手に魔法で好みを覗かれ勝手にこの見た目に変化され迫られた可哀想な人という解釈もあるが、ナグはあれで中々常識的だ。そんなことはしない……いや、俺との出会いから四桁にはいかないまでも云百年は前の話だ。彼女の常識がその間に培われた可能性もある。全裸で飛び出した辺りその線も濃厚だ。えー……?
「そしたら彼はそりゃもうそれ打ってつけの護衛だ逃がしてたまるかとばかりに僕を構い倒してくれてね?面白かったからしばらく口車に乗せられて護衛をやってやったのだ」
「全裸で?」
「流石に途中で服は着たよ。やむを得なかったんだ」
どんな状況だ。俺はツッコミかけて、抑えた。
落ち着け俺、色仕掛けとか全裸という言葉に動揺しすぎである。
ナグは呆れたように笑って、続けるよと言った。
「彼は本当に四六時中兵士に襲われていてね。まあ襲ってきた奴を食うことで飢えを凌げていたし、そういう意味であれはなんとも美味しい状況だった。魔女の元に侍っていない魔法使いは多少なりとも食い扶持に苦労するのだよ。下手に食い散らかすとあっという間に人間に群がられて数の暴力で殺されてしまうからね。そういう意味では兎の魔女の人間に悟られずに人間に紛れて私兵を増やす手腕は素晴らしい。おっと、話が逸れたな」
ナグが軽く謝るのに、俺は無言で頷いて続きを促す。
ナグの話が逸れるのはいつものことだ。大抵は自分で軌道修正するので、俺は話が逸れたことを指摘したことはない。ちなみに、逸れたまま戻ってこない話は、多分ナグにとって触れてほしくないか話すのが面倒臭い話だ。一緒に過ごしてまだ半月とちょっとだが、俺はその辺をある程度学んでいた。
「まああれだ、彼もちょうど襲ってきた人間の死体の処理に困っていたからね。襲ってきた人間は合法的に食べても良かったのだよ。ウィンウィンという奴だ」
「嫌なウィンウィンだな」
俺の中でナグの想い人の犯罪者度が上がった。
「で、しばらく彼と旅を続けているうちに、うっかり惚れてしまったのだよ」
「超省略したぞコイツ」
「おかげで扱き使われまくった。下手すりゃ魔女にも匹敵する魔法使いである僕をだぞ、ご褒美えっちと頭撫で撫でだけで、ボロ雑巾のようになるまで使い倒すのだ。あれこそドメスティックバイオレンスだ。全く」
「なんて事言ってやがるセクシャルハラスメントだ!」
「ガタガタうるさい男だな」
いやお前それは聞き捨てなりませんぞ。
思わず座っていた椅子をガターンと倒して立ち上がった俺を、ナグは鼻で笑って一蹴したわけだが。
女は男に散々デリカシーがないと言うが、この手の話については女の方が無神経な場合だって多いことを俺は主張したい。ナグも見た目は美少女なんだから恥じらいを持ってほしい。こっちが居た堪れなくて困る。
「面倒臭い男だな」
「お前にそんなこと言われるなんて屈辱すぎる……面倒臭い女の癖に……」
「いや泣くなよ」
泣いてないやい。
「――話を戻すぞ。まあ、そういうわけだ。僕のそういった健気過ぎる尽力のおかげで、彼はこうして国を追われた日陰王子から、一国の初代王にまで成り上がれたわけだ」
「――……ん?え?は?今なんて言った?」
「あれ、僕の前の依存先、言ってなかったっけ?」
この国の初代国王だ。ナグは唇を濡らして短くそう言った。
ふぅんと俺は頷いた。そりゃもう、一瞬で冷静になった。
初代国王は有名だ。演劇の題材にもよく使われている。さて、何でそんな風に使われているかって?
決まっている、演劇の題材に選ばれるくらい劇的な人生を送ったからだ。
初代国王は、歴史に記される限り初めて魔法使いを従え祖国を乗っ取って君臨し、その晩年を従えた魔法使いに食われて終えた男なのだ。
◇
一人の人間が、そう何人も魔法使いを従えられるとは思えない。そもそも魔法使いを従えるなんてことを成し遂げたのは、多分初代国王くらいなものだろう。俺でも知っているくらい有名なのだ。つまりそれは、それだけ有名になるほど他に例がないってことだと思う。
初代国王が従えていた魔法使いは、ナグだけだと考えるのが自然な流れだった。
「お前、食ったの?」
「食ったよ。実に至福の味だった」
彼女は俺の問いに、顔を赤らめて微笑んだ。口からちらりと覗く舌がゾッとするほど扇情的だ。
何故この問いにそんな顔をする。これだから魔法使いは意味が分からない。
俺は頬を引き攣らせた。こればかりは怖がるなという方が無理だろう。
「惚れてたんだろ?」
「ああ。だから食べた。美味しかったよ。僕が魔女だったらこれで子供が作れたのに」
ゾッとした。おのれは虫か!なんか交尾後に雄を食べちゃう系雌なのか!
思わずそっと距離を取ってしまった俺は間違っていないはずだ。
なんだろう、なんとか絆そうとしていたが絆されていたのは俺の方だった感じがひしひしとしている。
彼女が人食い魔法使いだったことを改めて思い知った気がした。
まだ彼女に俺を食べようとする様子はない。世話の期間である一ヶ月まで、あと四日だった。
「……頼むから食べないでくれよ」
「すっかり警戒しちゃったね。ちょっと仲良くなったと思ったのに」
「俺もそんな気がしてた」
「でもまだ減らず口が叩けるのは、君の人柄かな?」
「曲がりなりにも一ヶ月弱を一緒に過ごしたお前への信頼だよ」
「嬉しいことを言うね」
にまにまと俺がここに来た頃のようにナグが笑った。
感情の読めない表情だ。そもそも魔法使いは人間と価値観が大分ずれている。
人間が喜ぶことじゃ喜ばないし、悲しむことじゃ悲しまない。人間が怒ることじゃ怒らないし、その逆も然り。人間が怒らないことでも怒るときは怒るのだ。
何がナグの感情を動かすのか分からない。
あと四日間無事に生き残れば俺は解放されるけれど、いつナグが穏やかなにまにま顔を取り去って襲ってくるのか分からないのだ。……いや、コイツのことだしにまにましたまま食われそうではあるけど。
そう考えると、四日間は気が遠くなるほど長かった。
「――君程度の人間は、別に珍しくもないんだよ。僕がここに入った当初は、みんなそんな感じだったから。友のように気安かった。いつしか、そんな人はいなくなったけど」
「え、いきなり何」
不穏なこと言わないでほしい。
俺は知らず後ずさった。ナグがゆらりと立ち上がる。
今日の彼女の出で立ちは、拘束衣のようなものだった。腕を組む形で固定するベルト、揃いのベルトが太腿から足首にわたって要所で両足を繋いでいる。
全体的にゴシックな感じの黒いレースが彩るドレスが彼女の赤い瞳を引き立てていた。
「いつだったか、言ってただろ?君は、俺程度の奴過去にもいただろと。今までお前が食った奴は、何か気に入らないことをしたのかと。このままお前を楽しませていれば、食べないでくれるのか、と」
確かに、言った気がする。まだここに来た始めの頃だ。
ナグが何故人を食べるのかを漠然と知りたくて、あわよくば俺を食べないという保証が欲しかった故の質問だ。
それで、ナグにはぐらかされた覚えがある。
俺はじりじりと後ずさった。
何故今さらそんなことを掘り返すのだ。不穏すぎて嫌な予感がフルスロットルである。
「君程度、過去にたくさんいたさ。君より話しやすい人だって、たくさんね。分かる?」
「分かります。分かりました。分かったので落ち着いてください!ちょっとまってまじで勘弁して」
俺は早くも泣きが入りだした。
ナグは不穏なことを言いながら俺に近付いてくる。俺はずりずりと後ずさるようにして無様に逃げ回るが、多少広めとはいえこの牢獄のような場所、いや正しく牢獄の中で逃げ回れる範囲など高が知れていた。
とん、と背中に冷たい壁が当たり、俺の行く手を阻む。ぶわっと全身から汗が吹き出るのが分かった。
ナグは目前まで迫っていた。今彼女は腕を拘束されているが、自由であれば手を伸ばせば俺に触れられる距離だ。大きく一歩踏み出せば、胴体同士が触れるほどの距離。
白い顔に埋まった一対の紅玉が爛々としていて、それが余計に恐怖を煽った。
もしかしなくてもこれは、食われる、のだろうか。
想像しなかったわけではない。俺はそもそも食われるためにこの中に放り込まれたようなもんだ。
けれど、ナグの様子があまりにも穏やかで楽しそうで、何より俺がナグとの日々を楽しんでいたものだから、時々忘れていた。
ナグは本当に俺なんて食べてしまえるんだと。
やっぱり魔法使いはよく分からない。さっきまで喋り合っていた相手なのに、彼らは殺して食べてしまえるのだ。
俺は祈るように手を組んだ。腰が抜けてずるずると壁伝いに座り込む。化け物がこちらを見下ろしていた。しかし不思議と、体は震えなかったし涙も鼻水も出なかった。
「……食うのか?」
「うん、どうしよう。食べたいな、お腹が空いた」
もう食べられるしかないんだろうか。だとしたら痛くないようにお願いしたい。
一時期は目的を果たすまで死ねないとか思っていたけど、普通に無理。ここまでくると詰みだ。
化け物は切なげに顔を歪めて、俺を見下ろしていたのだ。間違っても食べられても良いなんて思ってはいない。ただ、俺はどうやって食べられるのだろうとゾッとするような想像を、綺麗な赤い瞳を見つめながらわりかし普通に考えた。
「君は食いではなさそうだけれど、美味しそうだ」
褒められているんだか何だかよく分からんなと、頭のどこか冷静な部分がぽつりと考えて、意識が途切れた。
◇
ぐしゃり。
何かを握り潰すような不快な音が聞こえる。
それに伴って、ひいいっという搾り出したような短い悲鳴も。
目を開ければ先程と大して変わらない光景が俺の目に広がっていて、どうやら俺は一瞬気絶したようだということが理解できた。先程と違うのは、真っ赤な瞳が俺を見ていないこと。
「何の用だね、下士官殿」
「たッ、タイミングが悪かったかねッ?」
かつて聞いたことのないようなナグの冷ややかな声。
そして変にひっくり返った軍のお偉いさんの声が聞こえた。
え、と横を見れば、少し離れた二重の柵の向こうにいつかのお偉いさんがやや逃げ腰でこちらを見ている。よく見れば柵の一部が大きく歪んでいるような……は、どういう状況?
「タイミングが悪いどころの話じゃない。次の補充は四日後じゃないのかね?もしかしていつまでも死体が上がらないから焦れたのかな?安心したまえ、補充はしばらく必要ないよ。僕は彼が気に入ってしまった」
「――はッ、そうかい……!」
お偉いさんは幽霊でも見たような顔で俺を二度見した後、苦し紛れにふんと鼻を鳴らした。
はてさて。
俺は周囲を見回した。変わらず俺は壁にもたれて床にへたり込んでいて、そこにナグが上から覆い被さってきている。時間はやはりそう経っていない。俺はナグに追い詰められてここに座り込んでいたのに間違いはない。ナグは変わらず腕を拘束されていて、手を自由に動かせる様子はない。なら柵の歪みはなんなんだろう。明らかにぐにゃりと変形した柵は一ヶ月近くここで生活した俺には見覚えもなくて、先程のぐしゃりという音と関係があるのだろう。ナグが魔法でやったのか?
そして今まで気付かなかったが、二重の柵の向こう、分厚い金属の扉が開いていて、軍のお偉いさんと何人かの軍人が恐々とこちらを見ていた。いつの間にあそこにいたんだ。
どうやら、俺が食われんとするちょうどそのタイミングでお偉いさんたちはここを訪問してきたようだった。柵の歪みはナグの八つ当たりと脅しの産物か?
ナグにとってはタイミングが悪いどころの話じゃないのだろうが、俺にとっては奇跡のタイミングだ。俺、お偉いさんのこと嫌いだったけどちょっとは感謝してやらんこともない。
「おい!新人!」
「へ?あ、はい」
「仕事だ!」
「はあ……?」
いきなりなんだろう、世話係はもう良いのだろうか。
俺をせせら笑ったお偉いさんも魔法使いのことは怖いようで、必要以上に大きく張った声が分かるほどに震えていた。
「緊急事態だ、王都中心部に第二子の魔法使いが現れた。至急対処せよ」
え、なにそれ死ねって言ってる?
流石に声には出さなかったが、顔には出ていたらしい。お偉いさんに睨まれた。
第二子の魔法使いなんて十人から三十人程度の一部隊で対処する相手だ。まさか俺一人ってことはないだろうが、何故入隊して一年も経っていない新人を差し向けるのだ。碌に戦えもしないぞ。
王都中心部にいきなり出現する魔法使いも魔法使いである。いきなりどうした。
「詳細は?」
口を挟んできたのはナグだった。
彼女は溜息を吐いて体の力を抜き、もすんっと俺の胸に体を預けてくる。どうでも良いけどこの体勢恋人みたいでなんか嫌。
「……ッは、半刻程前、王都西街大通りにて突如魔法使いが出現したと西街警邏隊から報告がありました!真っ直ぐ王城方面へ向かっています!半狂乱になっており、住民、軍共に被害多数!魔法の規模から、第二子と推測しました!」
「あー、今特務部隊は遠征中なんだっけ?それで僕に伺い立てに来たの?ならそう言ってくれないかな、不愉快だよ」
お偉いさんに促され詳細を話す下っ端軍人に、ナグは低い声で言い捨てた。可哀想に彼は真っ青になって震えている。
そして話が読めてきたぞ。
緊急事態とはいえ俺みたいな新人一人呼び出すためにお偉いさんたちが来るわけがない。彼らはナグに力を貸してほしくてここに来たんだ。で、どういうわけかナグが俺に懐いているように見えたから、俺を動かすことでナグも動かそうってことか。
え、ナグ動かなかったら俺死ぬじゃん。
「いーよ。場所が場所だし今回は出てあげる。ヨーテ」
「おう」
返事をしてから気づいた。
あれ、俺コイツに名前呼ばれんの初めてだ。
「行くよ、ちょっと付き合って。続きはその後」
「続きに関しては是非遠慮したいです」
俺の知る限りあらゆるジェスチャーで辞退したい旨を訴える。
ナグは思わずといった風に笑って、立ち上がった。ガラガラと重厚な音を立てて開く二重の柵、俺よりも立場の高い軍人たちが避ける中を、彼女は実に堂々と歩き出した。とりあえず俺もお偉いさんに敬礼をしてからその後に続く。
軍人たちが見守る中、俺たちはあっさりと厳重な敷地の外に出てしまった。
敷地の外にはお偉いさんよりも何だか偉そうな軍服を纏った人がいて、ナグは迷わずそちらに向かっていく。にまにま笑ってスキップするような軽い足取りで歩く様は、まるで友人の下にでも遊びに行くようだ。
ナグが居心地悪くついていく俺に耳打ちしてくる。
「たまにあるんだ、こういうの。彼の国が荒らされるのは僕も本意じゃないから、まあやばそうな時は従ってる。あまりに便利使いされそうだったら遣いの奴を殺して送り返してるけど。最近はそういうの見極めるの上手い奴が軍師にいて、要請があったら仕方なく使われてやってるよ」
「……知らなかった」
「僕が言うこと聞くときもあるって広まったら調子乗る奴が絶対いるもん。僕がたまに出動していることは軍の上層部とか王族とかその辺しか知らない機密だよ。いつもはもっと正体が分からないような外套とか着せられるし、そもそもあんな下っ端は敷地に入ってこないんだけど、今回は例の軍師に利用されたっぽいね」
俺にとってのお偉いさんを下っ端呼ばわりとは、ナグの立場が窺えるな。
……というか利用されたって何なんだろう。
ナグはゴシック調のスカートをふわふわと揺らして拘束用のベルトをチャラチャラと鳴らしながら、明らかに強張った表情をした偉そうな軍服を着た一団の前で、軽く淑女の礼をした。
「ご機嫌よう、お目にかかるのは初めてかな。驢馬の魔女の第一子、ナグと申します」
「……お初にお目にかかる、私は第三軍参謀長のダワイ。便宜上、貴女を魔法使いと呼ばせてもらう」
「お好きにどうぞ、ダワイ」
ナグに向かって頭を下げたのは、恰幅が良く頭髪も寂しく、しかし険しい目をした勲章をたくさん付けた軍人だった。
参謀長とか言っていたか。やっべぇお偉いさんじゃん。軍の中では多分上から四番目とか五番目とかに偉い人じゃん。流れでついて来ちゃったけど、俺ここにいて良いの?
俺はすっかり恐縮してしまったが、一方のナグはどこ吹く風だ。呼び捨てだし。
「で、西街大通りに第二子だっけ?殺せば良いんでしょ?」
「話が早くて助かる。だがその前に一つ確認させてくれ」
「何かな?」
ダワイ参謀長はそこでチラリと俺を見た。ビクッと硬直する俺。え、なに?
「……彼がここにいるのは、“そういうこと”で良いということか?」
「確信してるからあんな不躾な遣いを寄越したんじゃないの?まあ、その通りなんだけど」
「そうか」
ナグの舐め腐った言い方に眉を顰めるでもなく、ダワイ参謀長は考え込むようにその二重顎を撫でる。
俺はビクビクしっ放しだ。話に出た“彼”って俺のことだよな?もっと事情を分かる感じに話してくれないだろうか。得体の知れない恐怖だけが募る。さっきから冷や汗が止まらないんだが。
ナグがとぼけた表情で呟いた。
「……そういえば、軍規的にこういう会話はヨーテを通した方が良いのかな?」
「待って待て待て、俺を矢面に出すな」
「はあ?君が矢面に立つんだよ。僕が一人で出たら国中パニックだろう」
当然のようにナグがそう言うが、俺はブルブルと首を振る。
冗談じゃない。俺はただの世話係だろ?お前が極秘で軍事行動できることすらさっき知ったんだぞ。そんな話を俺にされても困るんだが。いいじゃん、お前ちゃんと話もできるし、実行するのはお前なんだし。
それに、なにより。
「なんで?てことは俺しばらくは殺されない?このまま有耶無耶にしたかったけど、俺さっき食べられかけたよな?お前に」
「食べても良いなら頂くけど?」
「嫌です!ごめんなさい!」
「延命できたと思って大人しく矢面に立っときなよ」
「え、お前守れよ?お前と違って俺の命は吹けば飛ぶぞ。物理的にも社会的にも」
「儚い生き物過ぎないかい?」
「まあ、守ってあげるけど」とナグは呆れたように肩を竦めた。
お前言ったな?聞いたからな?絶対だぞ?
ひとまず約束を取り付けて満足した俺は、そろっとナグのやや後ろからダワイ参謀長を見上げる。
彼は静かに俺たちの会話が終わるのを待っていた。ただ、その目が少しだけ驚いたように俺を見ているような気もする。気のせいかもしれない。
ていうか偉い人の前で普通にナグと会話してしまった。不敬とか言われないかな。
「……終わったかね」
「失礼いたしました。ヨーテ二等兵、お話拝聴いたします」
「うむ」
観念してナグの隣に並び、俺は敬礼した。
ダワイ参謀長が目で合図し、横の部下っぽい人が話すのを一字一句聞き逃さないように集中する。
「ヨーテ二等兵、貴君を今回緊急措置として、一時的に第三軍参謀長の直轄とする。王都西街大通りの五区を進行中の魔法使いの下に、呪い仔――その魔法使いを率いて急行、排除しろ。もちろん、住民の安全に十分留意するように」
「はっ、ヨーテ二等兵、拝命いたしました」
最敬礼して承った。
うわ、何気にこれ初めての実戦なんだが。
手足が震える。今更になってガチガチに緊張してきた。……えっと、この後どうするんだっけ?このまま辞して現場に向かえばいい?それともお偉いさんが去るまで敬礼の姿勢で待つんだったか?いやそれは式典の時とかの話で……。
ぐるぐるしていると、ナグがさっさと俺を魔法で持ち上げた。
――持ち上げた!?
「じゃ、僕らは行くね~」
「お、おっ前敬語使え!俺が不敬で首切られたらどうすんだよ!?」
「それはないと思うけど……まあ、失礼いたしました。終了したら報告に伺えばよろしいですか?」
「あ、ああ……」
「承知しました。じゃ、ヨーテ行くよ」
「落とすなよ!?あと俺乗り物弱いから安全運転で頼む。あれだろ、飛ぶんだろ?」
「君、図々しいな」
ナグは煩わしそうに俺を睨め付けたが、一つ溜息を吐いて頷いた。
「肩に掴まりなよ」と言われたのでその通りにすると、トットッと歩くようにして空に昇っていく。
他の軍人が見守る中、俺たちは空へ舞い上がった。
「おー……、魔法だ」
「足動かして、僕に合わせて。ほら、1、2、1、2」
いつの間にか、俺とナグは二人で並んで空中を歩くような様相になっている。
風が強く体を叩き、服がバタバタとうるさく音を立てた。上空は空気が冷たい。耳の先が少し痛いのが、なんだか新鮮である。
初めての体験に、少しだけ心が浮き足立つ。
それはナグも同じだったようだ。
「はー……、こんなに堂々と空を飛んだのは久し振りだ。うーん、思った以上の開放感。これだけでも君を矢面に立たせた甲斐があったかもしれないなぁ」
「俺がいなくても、今までも軍事行動で外に出たことはあったんだろ?」
「いやぁ、僕専任の監督者がいないから凄い制限が掛けられててさぁ。禁止事項のオンパレードだよ。少しでも違反しようものなら電流責めをしてきて、うざったいったらない」
「それ殺す勢いの電流じゃないのか?うざったいで済むのがなぁ……」
会話をしつつ、それなりのスピードで空を進む。眼下の住民が俺たちに気付いてざわめき始めたのが目の端に見えた。が、軍服を着た俺がナグの肩を掴んでいることでパニックにまではなっていないようだ。
なるほどな、確かに魔法使いが堂々と行動するには軍人が目に見える形で監督し、安全だと一目で分かる形にしなくてはならない。
しかし軍人でも魔法使いに触るほど近づくのは普通に怖いし命の危機だからな。監督できる軍人がいない、だからナグは堂々と行動できなかったんだ。
――意外と話せば普通に会話できるのに。
いやでも俺さっき食われかけたんだっけ?ダメじゃん。
まあ、それは措いておいて、任務をこなそう。
とりあえず空から見れば混乱具合から魔法使いのいる場所は一目瞭然だ。ナグもそちらに向かって足を進めている。
「……今更だけど、俺お前と一緒に前線に立たなきゃダメ?物陰から見守ってたいんだけど」
「味方がパニックになるよ」
「……守れよ」
「僕を誰だと思ってるんだ。第一子だよ?第二子ごとき、ハンデを負っても負ける気しないね」
いや負けるなんて思ってねーよ。守ってくれよって言ってんだよ。俺を。
ナグは赤い目を弓なりに細めて思わせぶりに笑った。
「現場に着いたら、大雑把でいいから指示出ししておくれ。分かりやすく従ってることを示せるから楽だよ」
「え、下手に動き制限してやりにくくならない?」
「第二子程度なら大丈夫でしょ」
なら良いが。
悲鳴や怒号が聞こえる。現場はもう近い。
見下ろせば、逃げ惑う人々が見えた。軍人も結構集まっている。街中だから大規模な武器は持ち込めないし、王都に魔法使いが現れるなんて建国聖戦以来の出来事だ。つまり相当珍しい大事件。
そう考えると混乱を少なく抑えている方だろう。今回の最高指揮権を持っているのはあのダワイ参謀長だろう。友人が少ないからその手の噂に疎い俺だが、やり手な人なのかな。
「降りるよ」
「おう」
返事をする。
と、いきなり足場が消えた。
「へ?」
すんっと体が重力に従う。空気が下から上に向かって肌を撫でた。
「ッわあああああああああああああああああ」
「うるさい」
うるさいって言われても。
落下独特の恐怖が俺の芯を突き抜けて、しかし次の瞬間ふわっと体が空気に受け止められた。
ナグの方はダァンッと石畳を砕いて豪快に大通りのど真ん中に着地している。ヒラリと黒いレースのスカートが遅れて舞い降りて、更にチャラチャラと拘束具のベルトが重そうな音を立ててひっ下がった。
目の前には長髪の美麗な青年魔法使い。
背後には飛び道具を構えた軍人達。
虚を突かれたのか、場が一瞬静まり返る。
その場だけから、喧騒が遠のいた。多分これを狙ってわざとこういう降り方をしたんだろう。事前に言ってくれ。
俺はナグの目配せを受けて声を張り上げた。
「第三軍参謀長直轄、ヨーテ二等兵だ!この魔法使いは引き受けるので市民の避難誘導に回ってくれ、第三軍参謀長の命令である!」
もう一度それを繰り返す。
言い終わるのを待たずに、ナグが魔法使いに向かって走り出した。魔法使いもすぐに手を翳し、呪文を唱える。
何かが顕現する前にナグの跳び蹴りが炸裂した。あら、意外と野蛮。
魔法使いは咄嗟に両腕を横に広げ、光の盾を展開する。長髪が光を散らしながらパッと宙を舞った。あっちの方が魔法使いっぽいぞ。
しかしパリーンッと音を立てて光の盾は砕け散る。そのままナグの細い足が魔法使いの顔面に突き刺さった。勢いのまま張っ倒し、顔を踏み台にして宙返りをして俺の下に戻ってくるナグ。
ガッチガチに拘束具を付けられてるのによくやるな。
「……どうだ?」
「どうって?殺せるかって問いなら余裕だけど。あの魔法使いの状態なら、まあよくある栄養失調とか暴走とかじゃない?詳しいことはちゃんと調査しないと分からないけど」
「ふわっふわだな。とりあえず建物の被害を出さないように上手いこと殺してくれ」
「ふわっふわだね」
ナグは頷いた。
「うーん、どうにでも料理できるけど、大技をぶっ放したい気分」
「おい建物の被害出すなよ?」
ナグはうんうんと考え込んでいて、聞いてるんだが聞いてないんだかよく分からない。おい聞け。
やがて、パッと顔を輝かせた。
「僕の十八番使ってあげる。腕のやつ取っていい?」
「え、再三言うが被害出すなよ?修理代とか請求されたら困るんだ。守れるなら良いけど」
「君、小心者なんだか図太いんだか分かんないな。おっけ、守る守る」
軽く何度も頷くナグ。
いまいち信用できないが、まあ良いだろう。
ガチャガチャと腕を拘束する拘束衣のベルトを外してやった。
その間も魔法使いはビィインッとかバチバチィッとかえらい物騒な音を立てて光線を放ってきているが、ナグが魔法を使っているのか全部途中で藁に変わっている。
ふわふわハラハラと落ちてくる藁がシュールだ。どうしてそれをチョイスした?
拘束衣を解くと、ゴシック調のゴツいベルトと黒いレースの隙間から小さな手が出てくる。手は一番に拘束する部分だから、ナグの場合は手が解放されている状態の方が極端に少ない。
くーっと伸びをするナグは見たことがないくらい清々しい表情をしている。飄々としているが、やっぱり何だかんだ相当ストレスは溜まるんだろうな。
「で、どんな魔法を使うんだ?」
「まあ見てなよ」
痺れを切らしてか、魔法使いが突っ込んでくる。
今更だけど、魔法使いはにまにまと狂ったように笑んでいて、口から出るのも言葉だというのは分かるのだが、ハッキリした動きの割にムニャムニャと不明瞭な声で、明らかに正気じゃない感じがする。歌っぽく聞こえるのが不思議だ。気のせいだろうか、体の動きもどこか引き攣っている気がする。
ナグはふわりと両手に淡い光を纏い、向かってくる魔法使いに同じく突っ込んでいった。
勢いよく振り下ろされるワンド――魔法使いの杖――を、ナグは頭だけ傾けて避け、手で受け止める。
触れた瞬間、触れた部分からワンドがニュラリと変形と変色をしだした。
咄嗟に魔法使いが手を離し、落ちるワンド。高らかに音を立てて石畳に当たる頃には、それは金塊になっていた。
「……錬金術かよ」
触ったものが金に変わるとか、一儲けできそうだな。
ナグは小柄な体で次々と手を伸ばし、魔法使いの足を掴めば足がドロリと金色に溶け落ち、髪を掠めればパラパラと金箔が降り注ぐ。なんとも奇妙な光景だ。
幽閉されていた時から思っていたが、ナグの魔法は呪文も唱えなければ変化も唐突で華々しさに欠け、魔法らしくない。
下手すると「え、今魔法使ってたの?」くらいに気付きにくいものも多かった。
俺が見たことのある魔法は、どれもこれもゾッとするほど美しく派手で分かりやすいのに。
「麗しの我が母君曰く」
ナグが口上を述べる。
魔法を使う時の決まり文句だ。
「魔法とは観念である。概念ではない。豊かさを要するものであり、豊かさを食い潰すものである」
ナグはどんなに些細でも魔法を使うとこれを言う。たくさん使う時は全部使った後に纏めて言うけど、言わなかったことはない。
長いから面倒くさいとぼやいていた。面倒くさいから魔法は最低限しか使わないのだと。
確かに長い。その上、割と言うたびに内容が違う。言ってることも小難しいし。哲学かな。
確か以前は、魔法とは愛ではないとか魔法とは活動であるとか、意味分かんないことを言っていた。
だからとりあえず俺は聞くたびにこう聞くようにしている。
「それはどういう意味なんだ?」
「つまり魔法には心を使うんだよってことだよ」
どういうことだよ。
何が「つまり」なのか、関連性がいまいちよく分からない。
彼女曰く、これを言うと楽に魔法が使える、謂わば呪文みたいなものなのだそうだ。だったら呪文唱えろよ。意味が分からない。
俺が分かることは、とりあえず彼女が普通の魔法使いとはどうやら違うらしいということのみだ。
好き好んで人間に捕まってる時点で分かり切ってることだな。
ナグはガンッと足を振り下ろし、石畳に魔法使いを押さえつけた。
両手はまだ淡い光を纏っている。首を掴めば、勝負は終わるだろう。
それを忠実に実行しようと、ナグが手を伸ばした。
「ナグ」
俺は咄嗟に声をかける。
特に危機感を覚えたわけでも、必要に迫られたわけでもなかった。ただなんとなく、声が出た。
「なぁに、ヨーテ」
ナグは油断なく魔法使いの後頭部を踏みつけ口を塞ぐことで呪文を封じ、こっちを振り返る。
「やっぱり生け捕りにしよう。できるだろ?」
「ええ、我儘だなぁ。まあ良いけど」
俺の気まぐれに、ナグは軽く頷いた。
ナグがパッと手を振ると、押さえつけられていた魔法使いが古臭い縄でぐるぐる巻きに縛られる。あっという間に動けなくなった。
実に鮮やかな手並みだ。
俺の計画変更で新しく魔法を使ったからか、ナグがまた口上を述べる。
「麗しの我が母君曰く、魔法とはリスクである。生きとし生けるもの、持てる資源は皆等しく、魔法に資源を使う程に魔法使いは何かを捨てている。曰くそれは充実である。であるからして魔女は愚かなのだ」
「……なにそれ」
「つまり魔法には心を使うんだよってことだよ」
やっぱり意味は分からなかった。
◇
ナグの手にかかれば、十人から三十人程度の一部隊で対処する第二子の魔法使いも、雑魚なんだなぁ。
……と、現在俺は現実逃避をしている。
あの魔法使いを生け捕りにした後。
現場の指揮官に挨拶し、俺とナグはまた空を歩いてあの敷地の傍へ帰ってきていた。
ダワイ参謀長達はまだそこにいて、引き摺ってきたぐるぐる巻きの魔法使いにギョッと目を剥いていた。まあ普通はそうなるか。
魔法使い専用の実験施設がこことは別にあるらしいので、引き取ってもらった。
「――結局、あの魔法使いはなんだったんだ」
「言ったでしょ。栄養失調とか暴走とか、そんな感じだよ。必要なものが調達できないと、やがて魔法使いは全身の筋肉が引き攣りだして、魔法を使わずにはいられなくなる。笑ってるように見えただろ?あれ別に笑ってるわけじゃないんだ。たまーにね、たまーに、魔女の元に侍ってない魔法使いがいるんだ。そういう魔法使いにはよくあることさ」
「急に王都の中心に現れたのは?」
「元々住んでたからでしょ」
コイツ説明が面倒くさくなったからって適当なことを。
「……」
溜息をつく。
俺は後日階級が上がり、元々世話係が終わったら配属される予定の部隊とは別の、特務部隊というところにナグと一緒に配属されるらしいという話を聞かされた。
そして、一応軍規なのであと四日間は敷地内にいてくれと、ナグと共に二重の柵の中に戻された。
それも妙に丁寧な扱いで、である。
――つまり、そういうことだった。
「俺、お前のこと手懐けた判定されたんだ……」
「言い方が酷く癪だけど、まあそういうことだね」
そういうことだった。
現実逃避もしたくなるというものだ。
いまいち現実感と安心感がない。
「いや、うん、軍の方に手懐けた判定されたのは分かった。うん分かった。でも俺実際にはどうなの?手懐けたの?ナグ」
「それ本人に聞く?」
「本人にしか分からねえじゃねえか」
「確かに」
ちなみに、帰ってきてからナグは一回着替えている。なんでも、拘束具は一回限定のもので、一度外すと魔力を抑える効力がなくなるらしい。だから毎日変えていたんだとか。
拘束具が変わる理由は分かったが、デザインに関しては謎のままだ。もう謎のままでいい気もする。
現在のナグのファッションは、妖精みたいな花の散りばめられた淡いドレスに花冠。そしてゴツい金属の椅子に備え付けの金属の枷で、両手両足、胴体と首が拘束されている。椅子とドレスの対比が今までで一番ヤバいかもしれない。
「……君程度の人間は、別に珍しくもないんだよ。僕がここに入った当初は、みんなそんな感じだったから。友のように気安かった。いつしか、そんな人はいなくなったけど」
おっとぉ。その台詞聞いたぞ。たった数時間くらい前に。
あの時は食べられる恐怖が勝ったが、今はちょっと続きが聞きたくて俺は大人しく耳を傾ける。
なんでだろうか、重い椅子に拘束されてるから動けないだろうという安心感があるからだろうか。まあ魔法があるから関係なく動けるだろうけど。
「君はただタイミングが良かっただけなんだ。僕はね、君が思うよりもずっと家畜のような生活に参っていて、ずっと会話に飢えていたんだ。気安い君の挨拶に、僕がどんな気持ちを抱いたと思う?」
ナグはツートンカラーの前髪の隙間から、赤い瞳を覗かせた。赤い瞳は珍しく俺を見ていない。ただ見た目相応の少女のように気弱げに地面を見ている。
心なしか潤んでいるような気もして、俺は思いっきり怪訝な顔をした。
ナグがしおらしい。
明日は槍が降るのだろうか。幸いにもこの建物は厳重で、槍が降ってこようとも「落下音で外うるせー」程度で済むと思うが。
ナグが「君、普通の人間と比べて相当な変わり者でしょ」と言った。
失礼だな、至って一般的なか弱い人間である。だから食べないでほしい。切実に。
「……馬鹿だな、食べちゃうなんて、勿体無い。ねえ、ずっと死ぬまで僕の話し相手になっておくれよ。君の死因を魔女や魔法使いの食事にはしないよ。僕含めてだ。守るから。復讐も、手伝うよ。だから死ぬまで話し相手になって、死んだらその死体を食べることを許してほしい。――駄目……かな」
赤い瞳が、潤んでいた。
俺はそれを見て、なんとなく、つまり俺は彼女を手懐けたらしいことを知った。
「お前もしかして、俺に依存してんの」
つまりそういうことである。
「……魔法使いは、依存相手から定期的に触れ合ってもらわなくちゃ駄目なんだ。常に依存相手に見返りを求め続けるんだ。食べておいてどうしようもないことだけど、死んだ相手に思い出だけで依存し続けるのは、無理があることだった」
なるほど。つまり彼女は、依存先が必要な魔法使いの身でありながら、ずっと依存先もなく数百年間もここで一人で過ごし続けてきたのだ。
言い方が悪いが、うっかり優しくされたらコロっと好きになっちゃいやすい精神状態だったのだ。たまたま。
それで、たまたま今まで優しくしてくれる人がいなくて、たまたま俺が意図せず優しくしちゃったってことなのだろう。
ただそれだけ。
この魔法使いの性質、難儀だよな。
もしも上手いこと依存先を操れれば、人間誰でも魔法使いを従えられるじゃん。
そうしたら魔女を殺すのだってもっと簡単……げふんげふん。
まあ、人間と魔法使いは寿命が違うから、どうしたって魔法使いは依存先に先に死なれて、別の依存先を探さなければならなくなるけど。
「うん。だから普通は魔女に依存するんだ。いくら好きで食べたくなっても、殺せはしないだろ?」
「好きだと食べたくなるんだ?」
なんか今パワーワードが聞こえた気がする。
身の危険を感じるワードだ。
俺の鸚鵡返しの問いに、ナグはふわりと笑った。
赤い瞳が、やっと俺を見る。
……あれ、なんか今までと種類の違う笑い方だ。
「言っただろ。魔女に連なる者はみんな愛情深いんだ。というより、魔法で自分の心を使っちゃうからそれを補いたくて愛情を欲しがると言うか。とりあえず、好き過ぎて食べちゃうんだよ。お分かり?」
好きな人が自分の血肉になって自分を生かしてくれるなんて、ロマンチックだろ。とナグは笑った。
なるほどヤンデレだと、とりあえず深く考えずに俺は震えたのだった。
――後日、正直顔も忘れていた研修期間に仲良くなった同期に話しかけられた。
「おめでとう、お前出世だってな!あの人食い魔法使いを手懐けた建国以来の偉業で、一気に上等兵に飛び級、特務部隊に配属だって!お前は何かやると思ってたよ!これからも仲良くしような!」
「お前のそういう見殺しにした人間がうっかり成功しても何食わぬ顔で尻尾振りに来る面の皮が厚いところ嫌いじゃないけど……」
「お前みたいな意味分からん単語連発する何気にかなり自己中心的な奴に俺以外の友達できないだろ。まーヤだったならもうお前に近付くのやめるよ。見捨てたのはホントだし」
「お前のそういうよく分かんないところで潔いのも嫌いじゃないけど……」
「やっぱり君変わり者だろ」
ナグも変わり者だがヨーテも変わり者だという話。