心剣
武士は、武士ならば、武士として……
武士武士というものだから武士太郎などと揶揄している者がいるのも知っている。だからと言って間違っているとは思っていない。父の教えは武士として当然のことだと思っている。父の厳格な教えの結果でもあるこの性格は私の最大の誇りでもある。不正を嫌い、それを実直に行っていく性格は、殿に高い信頼を得て、しかるべき地位につけていただいている。
自分で言うのもなんだが、文武ともに能力がある。剣の腕は、当藩の中に敵なし。……というのは、先日までの話。最近、殿は武蔵と言う者を客人として迎えている。ただの客人ではない。相談役として相談事をすることもしているようだ。
正直この武蔵という男を私は信用しきれていない。幾多もの真剣勝負に勝ち続け名をはせた剣豪ではある。武士としては、生死をかけたいくつもの戦いを勝ち続けたところは、確かに称賛に値し多くの武士が憧れを持っているのも理解はする。
しかし、この男にはよくない噂がある。なんでも、試合で十歳の子供を斬ったというのだ。いくら試合とはいえ十歳の子供を斬るなど……。その話が本当なら、武士の風上にも置けぬ。むろん数多くの武勇に嫉妬した者による作り話である可能性も否定できない。実際本人に確認してみるしかあるまい。
武蔵が来てからどのくらいがたってからであろうか。武蔵に直接問うことができる機会があり、問いただしてみた。武蔵は、なんの悪びれもせず、誇りもせず、十歳の子供を斬ったことをただ肯定した。
十歳の子供を斬っておきながら、何も心を動かす様子のない武蔵の態度は許すことはできない。このような男は、当藩には不要だ。
そうこう考えているうちに、気づいた時には試合を申し込んでいた。
後日、公式の場で武蔵との試合が決まった。
後から聞いた話しでは、武蔵の答えを聞いた時の私は声こそ抑えていたが、その場で武蔵を斬り伏せんとする勢いだったそうだ。正直自覚はない。試合の決まりごとの話し合いもはっきり覚えている。それほど理性を失っているように見えたのだろうか。
試合の決まりは、相手が負けを認めるか、斬り伏せるなど、行動不能にするかである。時間切れによる引き分けはなく、引き分けは相打ちの時のみである。
試合の日の朝が来た。
迷いはない。妻は心配そうにしている。天下一と言われる剣豪と試合をするのだから当然だ。しかし、天気と同じように晴れ晴れとした気持ちでいる自分がいる。この試合で勝てば、一気に名が挙がる。剣の世界で天下を取ることになる。家の名も挙がる、家に大いに貢献することになる。子供を斬るような者に相談を行っていた殿も目を覚ましていただけるに違いない。
いつもの試合着を着て帯とともに気も引き締める。天下一の剣豪との試合、若干の緊張はあるが問題ない。父より引継ぎし刀を身に着け、鞘から抜いてその刀身を確認する。名のある刀ではないが、それでも、良い刀であることはその輝きや波紋からわかる。刀に問題がないことを確認し、鞘に刀を戻す。大きく深呼吸する。
「いってくる」
そういって家を出る。家の者は、心配そうに送りだしてくれる。町の人たちに好意的に声をかけてもらいながら試合場に向う。
試合場には、殿をはじめ多くの者がいる。試合場はいつもより人が多い。普段は来ないような者までいる。天下一の剣豪の試合だからであろうか。
武蔵は時間に遅れることもなく試合場に来た。試合場に人がそろい定刻となると淡々と試合の開始が宣言された。それまでは特に異常なことはなかった。これまで伝え聞くところでは武蔵は策士である。試合前に何か挑発などの策をやるものとばかり思っていたので拍子抜けだ。
しかし、試合開始の合図で私が刀を鞘から抜いたとき異変が起きた。武蔵が、刀を落としたのだ。明らかに意図的に鞘に入れたまま落とした。私が思わず刀を拾うよう声をかけると、武蔵が腰を落とし、刀を拾うかに思えた。
しかし、武蔵はその場に胡坐をかいた。そして、目をつむった。落とした刀は、少し動けば手に取れる位置ではある。さすがに場の者たちがざわつき始めたが、武蔵に変化はない。
武蔵は策士である。うかつに斬りかかるのは危険だ。無防備の相手となれば、勇んで、上段から斬りたくなる。しかし、それを躱された場合地面に刀がぶつかり、刀が破損することも考えられる。破損しなくても、大きく体制が崩れてしまう。そこを武蔵が落とした刀を拾い反撃、または、私に打撃を与え刀を奪うことも考えられる。
武蔵は私がそんな素人のような失敗をするとでも思っているのだろうか。ここは、様子見のため、寸止めを行うのが得策。
気勢を上げ上段から、一振り。頭の直上紙一重で止める。武蔵は、眉一つ動かない。縦横斜め、突き一通りやってみたが動かない。
おかしい。
これでは試合にならない。
刀を取るよう武蔵に声をかける。
何の反応もない。
もう一度寸止めをやってみる。体に当たらぬよう振り抜いてみる。それでも反応はない。何度かやっているうちに、武蔵の気合で私の刀が止まっていると言い出す者まで出てきている。どうしたものか。武蔵が刀を取らなければ試合にならない。気勢を上げながら何度も刀を振る。刀を取るよう武蔵に何度も声をかける。試合の際中にもかかわらず稽古をしている気分になってくる。父との厳しい稽古の日々がよみがえってくる。
稽古?違う。これは試合なのだ。このまま武蔵を斬ってしまえば、私の勝ちだ。そう斬ってしまえばいい。
いや、そんなことできるはずがない。無防備の者を斬るなんてことを私ができるはずがない。十歳の子供を斬った武蔵を批判してきたのだ。そんなことをしたら、今まで自分のしてきたこと、言ってきたことをすべて否定してしまうことになる。
武士太郎などと言われても町の人たちや殿から信頼されてきたのは、口先だけでなく行動を伴ってきたからだ。ここで無防備の初老の者を斬ったとなったらすべてご破算。名声を得るどころか、家の終わりだ。
そんなことできるわけがない。
永遠と素振りをしているが、どうすればこの試合を終えることができるのだろう。さすがに疲れがたまってきた。
どうすればこの試合は終えるのだろう。
日が落ちれば再試合になるだろうか。そういえば、時間無制限三日三晩かかろうとも途中で試合を止めないこと、引き分けの条件として両者相打ちで共に行動不能となることを、試合の決まりとして武蔵がことさら強調していたのが思い出される。
このまま武蔵が座り続け、私が武蔵を斬ることなく刀を振り続けてもどちらも傷つくことはない。行動不能になることがないのだから、永遠と試合が行われることになる。
刀を持つ手に疲れがたまっていくのが実感として感じる。息も少し荒くなってきた。
疲れ、
まずい、
もしかして武蔵はこれを狙っていたのか。私は、剣の腕では、決して武蔵に劣らぬという自信がある。いやむしろ、年齢からくる筋力や体力の違いで私のほうが有利だと考えていた。体力と筋力に任せて押し切ってしまえば勝てると思っていた。
その優位性が今失われようとしている。今、武蔵と剣を交えて勝てるだろうか。相手はずっと胡坐をかいて座ってただけ。体力は万全。
いや、ずっと胡坐をかいていたのだ、すぐに体を動かそうとすれば硬さが出るから、こちらの疲れのことを差し引いても五分で行けるだろうか。刀を取った直後に短期で決めれば、十分勝機はある。
いや、そもそも武蔵は、私が無防備の状態の武蔵を斬れないと確信して座り続けているに違いない。ということは、斬られないのだから、体をほぐした後刀を取ってくるに違いない。そうなると分が悪い。
こちらも武蔵と同じように胡坐をかけばよいのか。同じように無防備な私なら、武蔵は斬ることができないのか。いやそれはない十歳の子供を斬った男だ。容赦なく私は斬り付けられるだろう。
どうする。
少し刀を休めるか。
いや今、刀を振るのをやめれば、疲れがたまって刀を止めたと悟られてしまう。武蔵が、刀を取り斬りかかってくる姿が目に浮かぶ。疲れがたまっているのが気取られてはまずい。ひたすら気勢を上げ刀を振り続けるしかない。何か打開策はないのか。武蔵を倒すための打開策は。
どうする、息が荒くなってくるし、手に力が入らなくなってくる。次第に、武蔵が斬りかかってくる姿が鮮明になってくる。
まずい。早く、早く、打開策を考えねば。
斬られる。死にたくない。
どうする。
そうだ、負けを認めれば、それで試合は終わる。
いや大丈夫か、負けを認めるまでのわずかな時間に斬られることはないか。むしろ負けを認めた後に斬られることはないか。十歳の子供を斬った男だ。
大丈夫か、本当に大丈夫だろうか。
そうだ、武蔵が刀を取ってくれれば、試合になる。それまで振り続ければ……
だめだ今刀を取られては、斬られてしまう。
勝絵が全く見えない。
斬られる。死ぬ。確実に。
死にたくない。斬られたくない。
どうすればいい。
今ここで、武蔵を斬るか。勝ちもするし生き残れる。
それはできない。これまで築いてきたものが全て壊れ死より恐ろしいことになる。
どうすれば試合を終わらせられる。
負けを認めればいい。
そうすれば生き残れる。
そうでなければ、斬られる未来しかない。
負けを認めるしかないんだ。
手が震え、刀が鳴り始める。
負けを負けを、大丈夫か、本当に大丈夫か。
負けを認めなければ、あるのは死のみ。
手が、足が動かなくなる。
死にたくない。生きたい。生きたい。
頭の中が真っ白になる。
負いりました。
声が出たであろうか。
分からない。
ただ、刀を捨て、膝を地面に突き、手と頭を地面につけた自分がいる。
場がざわついている。勝負ありと言われたのか。わからない。周りの音を理解できない。
鼓動の音が大きすぎる。
手から汗が噴き出している。
涙も鼻水も体の穴という穴から、水分が噴き出している。
息もできているかわからないほど苦しい。
武蔵が動く気配を感じる。
武蔵が刀を取る音が、まるで耳元でなっているかのように心臓を突き刺す。
武蔵が立つ。
武蔵が、一歩、一歩、近づいてくる。
心臓の鼓動が大きくなる。
自分の首が刎ねられる感覚を幻視する。
試合は終わっているだろうか。
ただただ、待つことのみ。
すべてを武蔵にゆだねる。
武蔵が刀を抜いた音は聞いた記憶はない。もしかしたら記憶違いかもしれない。
高まる鼓動で聞こえていなかっただけかもしれない。
分からない。
武蔵が、一歩、一歩、近づいてくる。
父や母、妻や子、幼き頃の日々、勤めの日々。
様々なことが、思い出される。走馬燈だろうか。すでに斬られているのであろうか。
脇に来る。
足音が、遅く永遠のように感じる。
足音が離れていくと、すべての時間が元に戻る。
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あの試合のことは、今でも藩では語り草だ。武蔵殿が、刀を抜かずに気合だけで倒したとか、あたかも不思議な術を用いたかのように言う者もいる。その場に居なかった者には、そもそも試合はなく武蔵殿の功績を水増しするための作り話とする者もいる。
ただ、私から見てはっきりしていることがある。武蔵殿は私のことを信頼していたのだ。十歳の子供を斬ったことに対する答えを聞いた時、周りの者がその場で斬りかかるのではないかと心配するほど怒りを露わにしていたにもかかわらず、私が決して、怒りにまかせて剣を振ることはないと。無防備に座る自分を斬りつけることはないと。真剣を目の前に突きつけられ、寸止めされようが 間近を振り抜かれようが決して信頼はゆるがなかった。
武蔵殿が歩んできた剣の道はなんと険しく深く、狂気に満ちているのだろうか。