魔王に子パンダが贈呈されました
ただただ、魔王と赤ちゃんパンダを絡ませたかっただけのお話です……。
長いようで、短かったワタシの生の最後は、大切な人たちに看取られるとても穏やかな死だった。
横たわるワタシの周りに、お気に入りのオモチャが囲むように置いてくれている。
――嬉しいな、ありがとう。
ワタシのために泣いてくれるなんて、本当に恵まれてると思う。
でもね、大丈夫なの。
これが自分の寿命だって、知ってるから。
ワタシにも、生まれ変わりってあるかな。
ほら、キミがよく読んでた『てんせい』のお話。
もし、ワタシにも起こったらね。
――新しいご主人にも、得意な『お手』と『取ってこい』、あと『ごろん』もしてあげるんだ。
◆
外交目的として、動物が送られることが近年多くなっている。
ドラゴンやグリフォン、その国ならではの動物を送り合い、友好関係を築き上げることを目的とした狙いがあるようだが、果たしてそれが正解なのか定かではない。
中でも、魔法という特殊な能力を扱えることができる『魔族』には、よく外交動物として力のある生き物がたびたび贈呈されていた。
魔族の長、魔王がそれを望んだわけではない。
その力に恐れた人間達が、いつの間にかそのような下手に出る行為を始めたのだ。
そしてまた、本日も。
東の大陸『紅華国』より、小さな檻が魔王城に届いた。
――コロンっ。
暖かかった箱の中身から、突然外に放り出される。
「……なんだ、この丸っこいのは」
「紅龍の赤子では、明らかにないようですね」
人の声が聞こえた。
やっと、新しいご主人のところに着いたみたい。
「初めて見るな。なんだこれは」
「……どうやら、同封された資料によると、パンダという生き物のようです」
「間抜けた名だな。特性は? 火を吹くか、それとも飛行ができるのか?」
「……いえ、この資料には何も。主に愛玩とだけしか」
「きゅう」
ふんふん、と目を瞑ったまま匂いを嗅ぐ。
まだ生後数ヶ月、体の動かし方がよく分からない。
前とは色々と違うようで、どうもコロコロと右へ左へ転がってしまう。
「きゅう」
ふう……こんにちは、ワタシ、パンダ。
名前はまだ決まってない名無しだよ。
ちなみに、前は『犬』だったんだけど、寿命死して次に目が覚めたらパンダになってたんだ。
ワタシにも生まれ変わりってあるのかな、とか死ぬ間際思っていたりはしたけど、パンダは予想外である。
でも、パンダが何なのかは知ってたよ。
テレビで下野動物園のパンダがよく映されてたし、家にもパンダのぬいぐるみ――犬用オモチャ――もあったから。
ただ、どうやらここはワタシが知ってる世界ではないみたい。
なんだっけな、そうそう、前ご主人が見ていた小説のジャンル――異世界のようなのだ。
それも話を聞いていると、手違いで魔族領に送られてしまったらしい。
本当は紅龍とかいう、火を吹く強いドラゴンが贈呈される手筈だっとか……まずいですよ! ワタシは火を吹くこともできなければ飛ぶこともできない、食肉クマ科だよ!
「クンクン、クンクン」
「なっ、お前……魔王様のお召し物に何をしている!」
まずは気に入って貰わねばと、二人の中で権力が強そうな人に擦り寄ってみた。
床に付きそうなくらい長い衣服の袖を軽く噛んで、ぐいーっと引っ張ってみる。
そしたらもう一人の男に厳しい声をあげられた。
――え、待って今、魔王様っていった?
自称魔王みたいな? 前主人も一時期発症してた中二病的な?
「騒ぐなクラウド。服ぐらいなんだというんだ」
「いやしかし……」
「にしても、どうしたものか。俺は愛玩する獣なんぞいらんのだが」
「アン?」
魔王と呼ばれる男の袖に引っ付いていると、おもむろにお腹に手のひらが入ってきて、軽々と高く持ち上げられた。
「まるで毛玉だな」
赤い瞳と目が合った。
暗い髪色に、ちらりと見える耳が少しだけ尖っている。何ともいえない禍々しい気配に、ヒンッと情けない鳴き声が出た。
「ふっ」
すると、魔王が小さく吹き出した。
「これでは、到底火を吹きそうにないな」
「いかがいたしましょう。どうやらこの生き物、品種改良されたようで、成長しても本来のパンダのような体の大きさにはならないようです。本当に愛玩目的だけですね」
「……そのようだな」
「……魔王様?」
「ああ、そのようだな」
――魔王、すごい見てくるじゃん。
持ち方に些か雑さはあるが、先ほどからじっとワタシの顔を見詰めている。
クラウドと呼ばれた男が何度か声を掛けているのに、曖昧な返答が続いていた。
「きゅう」
試しに魔王の手を毛で覆われた両手でタッチしてみる。そのまま、はむはむと手首を甘噛みした。うーん、犬のときの癖が色濃く出てしまうな。
「気が変わった。クラウド、こいつの寝床を用意してやれ」
「なっ、魔王様!?」
「俺は執務に戻る」
魔王はクラウドにワタシを押し付け、さっさと部屋を出て行ってしまった。
呆然とした様子のクラウドと、ワタシ。
手違いでここに来てしまったけど、送り返されたりはしなくて済んだのだろうか。出来ればもう、暗くて狭い、周りがどうなっているのか分からない檻には戻りたくないから、そうだったら嬉しいんだけど。
「全く魔王様は……このような面倒事を……」
「きゅう」
クラウドはワタシを良く思ってはいないらしい。
ブツブツと、送り返そうだとか、紅華国の使者を呼んで……とか独り言をぼやいている。
歓迎されていないのは、ショックである。
クラウドも立場のある人っぽいので、仲良くなろうと小さく鳴いてみたが――めちゃくちゃ迷惑そうな顔をされてしまった。
おかしいなぁ。
前の世界ではパンダって無条件に愛されてたはずなのに。
◆
――こんにちは、ワタシ、パンダ。
まだ名前は決まってないよ。
赤子だということで、ワタシの寝床は城の中。
暮らし始めて数日が経過したようである。
「全く……なぜ私がこんなことを……」
ミルクを飲ませて貰い、ゲップも済ませて、その後は血行を良くするために全身をモミモミとマッサージしてもらう。
くどくどと文句を言いながらも、ワタシのお世話をしてくれているのは、魔王の補佐官クラウド。
前世のパンダと違って、ワタシが生まれ変わったこの世界のパンダはそこまで尽くさなくても普通に育っていくのだが、同封された飼い方の説明の通りにやらないとクラウドの気が済まないようで、結果至れり尽くせりの暮らしをしているワタシである。
「そう気性を荒くするな、クラウド。なんだかんだ言いつつ、存外それを気に入っているんじゃないか?」
そうそう。だいたい一人のくせにここまで動物のワタシに話しかけてくるぐらいだし、クラウドって悪い奴じゃないよね。……って、この声は。
「あん!」
執務を終えた魔王がワタシの元に現れた。
一応、この人がワタシのご主人ということになる。
クラウドの膝から下りたワタシは、手足を懸命に動かして扉に背を預けて佇む魔王の足元を目指した。
うんせ、うんせ。
犬の時と違って、パンダってお尻が重いんだよなあ。なかなか動くのが難しい。
「とろいな」
一生懸命来たっていうのに、第一声がそれかい。
だがワタシはめげない。
アウアウと構って貰うべく、魔王の足元にゴロンと寝そべってアピールを始めた。
魔王はまだ無反応。
ええい、これでどうですか。
「……芋虫。みたいだな」
「きゅう」
――これは酷い!
◆
またある日のこと。
――おはよう、ワタシ、パンダ。
まだ名前は決まってない。まだ名無しのまんま。もう忘れられてるんじゃ?
「きゅう」
そんなワタシは藁の上で大の字に寝そべっていた。
ご飯を食べたら寝て、起きたらまたご飯。ゴロゴロするのは嫌いじゃないけど、やっぱり一日数回は散歩したいと思ってしまうのが、中身ほぼ犬の性。
ここが魔族領ってところで、普通の人間とは違った種族だというのはここ数日で理解した。
が、日々の生活は人間も魔族も変わらないようである。
時刻は朝方。城の中はしんと静まり返っていて、早起きしたワタシは暇だった。
あー、散歩したいよう。
ちょっとでいいから、動き回りたい。
そうしてゴロゴロ、ゴロゴロと檻の中を転がっていると、入り口がひとりでにキィっと開いた。
え、まじ?
あのクラウドが鍵を掛け忘れるとかありえなく無い? いや、そういえば……昨日の夜、最後に檻に来たのは毛布を取り替えてくれたメイドさんだった。
「きゅう」
少しだけなら、と。
ワタシは誘惑に負けて檻の外に出てしまった。
開きっぱなしになっている部屋の扉から廊下へと出て、右と左どちらに行こうかと考え、何だか好ましい匂いがした左方向へと進む。
……ああ、尻が重い。
散歩は楽しいが、こうもヨロヨロとした歩みなのは不自由である。もういっそ、転がった方が早いんじゃ。試してみよう!
――疲れた。
どれほど廊下を進んだか知らないが、体力の限界か、集中力が切れたのか、ワタシは廊下のど真ん中に座り込んで動けなくなっていた。
やってしまった、これはまずい。
戻りたくても気力がない。
こんな所をクラウドに見つかるようなものなら、こっぴどく叱られるに違いない。
「お前……こんな所でなにをしているんだ?」
ヒンヒン小さく唸り続けること暫し、珍しく驚いた顔をして廊下を歩いて来たのは、魔王だった。
「小バエでも入り込んだのかと思えば、あの奇妙な鳴き声はお前のものか」
小バエってちょっと。
酷い言い様だが背に腹は変えられない。
最後の力を振り絞って、魔王の足元へと転がる。
「馬鹿め、脱走してきたのか。それで疲れてこんな所でぐずっているとは、本当に馬鹿だなお前」
そんなに心細い声を出してしまっていたのか、魔王はワタシを抱き上げると、丸まった背中を何度もぽんぽんと優しく撫でてくれていた。
あーん! 魔王様! ご主人様!
二回も馬鹿って言われたけど、ありがとうご主人様!
「……面倒ではあるが。この毛並みは褒めてやれるな」
魔王はワタシの丸い耳の部分を摘んだり、動かしたりと、興味深げに触りながら、何か言っている。
「きゅう?」
「さあ、クラウドに小言を吐かれる前に、帰してやるとしよう」
それから戻るまでの間、魔王はワタシの耳をずっと弄って遊んでいた。魔王ってば、意外と動物の扱いがお上手のようだ。
ワタシの檻が置かれた部屋まで魔王に連れて行ってもらうと、哺乳瓶を片手に恐ろしい形相で仁王立ちするクラウドが待っていた。
――ヒンッ、ごめんなさいごめんなさい!
◆
脱走事件以来、執務の気晴らしと言って魔王はたびたびワタシを外へ連れ出してくれた。
どうも、ワタシ、パンダ。
ちなみに名前は未だに決まってない。
名無しのパンダです。
「きゅう」
「……おい、もう疲れたのか? ただ転がっていただけじゃないか、お前」
そんなこと言われても、赤ちゃんパンダの体力なんぞこんなものである。
魔王は呆れつつ、ペタンと地面にくっ付けて動かなくなったワタシを持ち上げ、腕にお尻を乗せる形で抱きかかえた。
魔王は最近、雰囲気が優しくなったともっぱらの噂だ。城のメイドたちが話していたので、本当なんだろうけど。
おそらくワタシのようなファンシーな生き物を抱えてウロウロしているのが影響じゃなかろうか。
そして密かにワタシの耳の手触りにご満悦だということも知っている。歩きながら飽きもせず、ふにふにと触られてりゃ気づきますわ。
『あら、パンダちゃん。魔王様にお散歩させてもらっていいわねー』
そうワタシに声をかけてきたのは、魔王城で飼われているグリフォン姐さんだ。
魔王城では、ドラゴンやケルベロス、グリフォンなど多くの生物が飼われている。その中には他国から贈呈された生き物もいるだろう。
その生き物たちが暮らす小屋や、草原を歩いて回るのがワタシの散歩コースだった。
「アンアン!」
――グリフォン姐さーん!
この姐さんは、ワタシが初めて散歩した日に話しかけてくれた気前の良いグリフォンである。
不思議なことにワタシは、姐さんの言っていることが理解出来ていた。
他の生き物もそう。
逆に彼らはワタシがなにを言っているのか分からないみたいだけど、動きや鳴き方で何となくなにを言いたいのか察してくれていた。
『今度背中に乗せてあげるわよ〜』と言われたが、吹き飛ばされそうなので遠慮しておくことにした。
◆
「――魔王様」
「なんだ」
「執務中にその者を机で遊ばせるのは、やり過ぎなのでは」
魔王の執務中、ワタシは彼の広い机の端っこで、何をするわけでもなく、ゴローンと体を伸ばして寝ていた。
檻に四六時中いても息が詰まるし、最近では魔王の執務中のペンを走らせる音が気に入っているので、ワタシとしては良い具合に退屈しのぎが出来ているのだが。
さすがに行き過ぎじゃないかと、クラウドから声がかかった。
「息抜きも必要だろう?」
「逆に息抜きしているのは、このモノのように思いますが」
――なぜバレたし。さすが鋭いクラウドさん。
魔王様の邪魔になります的な小言を漏らしながらも、強行してワタシを退かそうとはしないので半分クラウドは諦めているのだろう。
ワタシも端っこで大人しく草を噛んでいるだけなので、執務の邪魔はしていないし。
「それに、見てみろクラウド」
「はい? 何でしょうか」
「――おい」
「あん!」
いきなり魔王から手を差し出され、反射的にワタシは『お手』をした。
最近、ワタシがお手を出来ると知った魔王は、気が向くと手を出してくるようになった。
「な、面白いだろう?」
「い、いや……むしろこれはもう、犬では……」
くつくつと可笑しそうに笑う魔王に、クラウドは驚愕した様子だった。
ちなみにあと二つ、出来る技があるんだけど、それにはいつ気づいてくれるかな。
◆
――それから一ヶ月。
こんにちは、ワタシ、パンダ。
はい、未だに名無しなんだけど。
さすがにちょっと、寂しい。
魔王城での暮らしは居心地の良いものだった。
初めは無関心だったけれど、最近では構わない日のほうが少なくなっている魔王。
小言を言いつつ、一番ワタシの衛生面や体調管理に気を使っているクラウド。
そして、ワタシにと赤いスカーフを縫ってくれた城のメイドさんたちや、妹分が出来たと可愛がってくれるグリフォン姐さんや、他のみんな。
なんだかんだと満足していたワタシは、すでに忘れていた。
ワタシは手違いで魔王城に送られてきた、外交目的のパンダだったということを。
「大変申し訳ございませんでした! 我が国の不手際にも関わらず、確認が上手くいかずに、引き取りがこんなにも遅れてしまって……」
謁見の間には、魔王に向かって腰を低くしながら謝罪する紅華国の使者の姿があった。
食後に昼寝をしていたワタシは、気がつくとクラウドに両脇を抱えられ眠ったまま同席させられていた。
身をよじらせ、床に下ろしてもらうと、謁見の席に座っている魔王がこちらをチラリと見てくる。
――あ。魔王、少しだけ不機嫌だ。
「こちらが、本来贈呈されるはずだった紅龍です。どうぞお受け取りください」
紅華国の使者が、籠からあどけない足取りの紅龍を取り出した。
「ですので、そちらの熊猫は直ちに連れて帰りますので……」
寝ぼけていたワタシだが、この状況には慌ててしまう。
縋るように後ろにいるクラウドを振り返るが、彼は顔色を変えずに、ただ正面を向いていた。
前足で引っ張ってみても、無反応で泣きたくなる。
――ここから、出て行くの?
やっと仲良くなってきたと思ったのに、連れて行かれないと駄目なの?
「魔王様」
「――そうだな」
それが同意なのだと思ったワタシは、ショックのあまりぺたりと座り込んでしまった。
――ああ、でも、そうか。
クラウドは元々、ワタシを紅華国に戻そうと言っていたし。魔王だってワタシの名前を付けてはくれなかった。
それはつまり、初めからワタシはいなくなることが決まっていたということ。
「はい。直ちに引き取りますので」
紅華国の使者が、ワタシのほうへ近づいてくる。
逃げようかとも思ったが、逃げたところでもうこの国にワタシの居場所はないのだろう。
――大丈夫、慣れてる。
だって前の世界でだって、ワタシは最初、捨てられた犬だったんだ。
「大人しく入るんだ! ほら!」
抵抗はしないが、進んで檻に入ろうともしない。
そして痺れを切らした使者が強引にワタシの首根っこを掴もうとした、その時。
「――おいで、ムスビ」
魔王の声が謁見の間に響き渡った。
しん、と静まり返る空間。
魔王を見る。
またあの赤い瞳と目が合った。
「どうした。お前の名前だろう」
赤子をあやすように、笑いかけた魔王は、こっちへおいでと手を伸ばした。
――なんだ、それ。
ムスビってワタシの名前?
今まで名前なんて決めてくれなかったのに。
しかもそれ、前に「こむすびのようだな」って言ってたけど、まさかそこから取ったんじゃなかろうな。
「きゅい!」
自分の心とは裏腹に、ワタシは魔王のいる玉座へと走り出していた。
前よりもしっかりと足を動かせるようになったと思う。
「相変わらず、とろいことだ」
足元へと近寄ると、魔王は皮肉を漏らしながら、しっかりワタシを抱き上げた。
「ということだ、紅華国の使者よ。帰ってくれて結構だぞ」
「え、ええ!? そんな、それでは……」
「後の話は私が引き継ぎましょう。どうぞこちらへ」
唖然とする使者の肩に手を乗せたクラウドは、使者と共に謁見の間から出て行く。
クラウドの顔はどこかホッとしていて、いつもの何倍も穏やかな表情をしていた。いつもソレならいいのにと思う。
「……あの紅龍も引き取ることにしよう。仲良くするんだぞ、ムスビ」
「あん!」
嬉しくなって大きく鳴く。
魔王は満足そうに、ワタシの耳をふにふにと触り出した。
――こんにちは、ワタシ、パンダ。
名前はムスビ。その由来は「こむすび」と、紅華国の言葉の「結び」を掛けて魔王が決めたんだって。後者はいいけど、前者はどうかと思う。
そして今は楽しい毎日を、魔王城で過ごしてます。
自己満足ですが、ありがとうございました。