影色のハンバーグ
学校の屋上には濃い影ができている。
地上よりも太陽に近いため、だろうか。今日に限ってはちょっと違う気がしていた。
なので美咲は、取り出しかけた「影の元」を鞄にしまい直して、試しにそのまま呼んでみた。
「影の神様」
──屋上のソーラーパネルの下の影が蠢いた。
ゆったりと持ち上がって、二メートルを超える人型になる。影色の髪と肌と、銀の瞳をもつ上位神だ。
“かぱり”と口が開いた。
「びっくりしたぁ……。ボクに用かい? 喜ばしいね! けれど、彩りの神にはあまり近づかないようにって言われていたんじゃないのかい。従業員が店主の言いつけを破ってしまうなんて、実は君、悪い子?」
「"私は"そんなこと言われてないですよ?」
「……確かに! 近づいちゃあダメって言われたのはボクの方だったね。ということはあとで叱られるのはボクなのか。なんてことをしてくれたんだあーー!!」
カラカラと乾いた声で影の神が笑う。
あまりに愉快だったためか、ビヨーンと四メートルにまで伸びた。
小さくなって下さい! と美咲が慌てて注意する。
こんなに伸びたら、グラウンドからも屋上の影が丸見えになっているだろう。
陸上部が使っているホイッスルの音が、ピッと鋭く鳴っている。
「なぁぁに、普通の人間にはボクの姿は見えていないから心配ないよ」
と言い放った影の神だがそれどころではなく、影から飛び出たので太陽に焼かれてしまって「アッチッチッチ……」としぼんだ。しょんぼりと心までしぼんでしまっているように見える。
「大丈夫ですか……」
「グスン……そのためにボクに注意したんだね。とんだ優しい子だった。さっき悪い子なんて言ってごめんね」
「うーん。そうでもないかも。ちょっとは悪い子かもしれませんね」
「そうなの!?」
驚いたけれど今度は伸び上がらなかった。
えらかったですね、と美咲が面白そうに言った。
パチクリと瞬きした影の神と目が合う。にいっと影の神は笑ったので、美咲もつられた。
「ハンバーグを作ってきたので召し上がりませんか?」
「供物だ!」
人間が手ずから作った料理は、神にとっての供物となり、大変美味しく感じられるそうだ。
こてりと影の神が首を傾げる。
「どうしてボクに?」
「とくに意味はないんです」
「ええ……?」
「作りたいなと思った時に、材料があったから作っていました。素材をアレンジしたら、黒い色のハンバーグが作れるなって思って、その時にふとカゲクンさんのことが頭に浮かんだので」
「それって……恋じゃん……?」
「違います」
ふと、意味のないことをしてみたくなっただけなのだ。影の神の色のハンバーグを作ってみる。思いついたから、やってみただけ。
思った時に思った行動をするのは、美咲にとって勇気がいることだった。
その壁を突破してみたかったから。
ついでに渡しに行くのは、もっと勇気がいったけど。
できた。
「嫌がられたりはしないだろうと思って……」
「そりゃあそうだよぉ。ボクのような上位神を見ることができて、話せるほどの縁も持っている人間なんてどれだけ貴重だと思ってるんだい? 自然の神のうち、あたりまえに世にあり過ぎてかえって気づかれずに社を建ててもらえないものがいてね。影であったり彩りであったり」
「おきつねさんも?」
神社には祭られていない、ということか、と美咲は理解した。
花姫たちが教えてくれた、小さな白銀狐がいた祠は、もう風化しているのだろう。
「彼も稲荷とはまた違うからね〜。認識してもらうために店をやっているところもあるんじゃないかなあ?」
「違うかな、って思います」
「そう?」
「そうだ、やろう、って思ったらおきつねさんはやれちゃうから。きっと、店をやってみたくなったから始めてみて、そういえば現代の人と話せるじゃないかって気づいて、人の道具を知ったり感性を分けたりしてくれるようになったんじゃないでしょうか……。多分……」
自分の言ったことも憶測だと気づいた美咲は、だんだん声が小さくなっていく。
「そういえば彩りの神は感性に身を任せているからね!!」
なぁるほど!! と影の神はたいそう愉快そうに、まるで正解のように、美咲の意見を喜んだ。
立ちっぱなしだった美咲に、座るようにと影の神は言った。
そして二メートルの体を曲げるようにして自分も隣にしゃがみこむ。
太陽の光に当たらないように気をつけると、自然と二人は密着した。
影からはなんの匂いもしない。
沖常からはいつもみずみずしい花や緑の香りがするのだが。
「影には影のルールがあって、なんと箸を使ってはいけないんだよ〜」
「使うのがあまり得意ではないんですか?」
影の神が持とうとした箸は無残に地面に転がってしまった。
一瞬、影の神は真顔になった。
ごまかすようにケラケラ笑った。
長い指と小さな弁当箸はたしかに相性が悪かっただろうけど、それにしたって影の神の指使いは「ぐちゃぐちゃ」である。
(苦手というか、やったことがない子どものような……?)
影の神には神社や祠がないという。
当然捧げられる供物にも縁がなく。箸を持つような機会もほとんどなかったのではないか。
輝くような光を放つ供物を、いつも影から、羨ましくみているだけだった。たとえ下位神であっても、自分宛てに捧げられた供物を他のものには分けてあげられないから。
美咲は箸を眺めて、真剣に悩んで、意を決して口を開いた。
「もし問題なければ、ですが……」
「食べさせてくれるって! ありがとう」
「ほ、本当に問題ありませんか? 神様のルールに反しませんか?」
「彩りの神にあとで叱られるのはボクだけだし、そのボクが良いって言ってるから是非!」
「……では僭越ながら……」
期待に満ち満ちているのが、妙にそのまま伝わってきてしまったから。
美咲は観念した。
料理のおすそ分けは、こちらから持ちかけた気まぐれなので、それなりに責任を感じているし。
弁当箱からハンバーグを箸でつまんで、影の神の口に入れる。
「──!! 美味しいっ」
「よかったです」
ホッとした。
味が口にあったことも、縁が繋がれたような感覚がなかったことにも。
なんとも危なっかしい気まぐれになってしまった。
でも、少しだけ自由を掴んだような気がして、美咲は影につられるように微笑んだ。
ホッとひと息の回になってくれました(*´ω`*)
読んで下さってありがとうございました!




