美咲の家庭事情
”家庭という場所ではない”。
美咲の住処においては、悲しいことにこの表現がピッタリ当てはまる。
窓のカーテンがことごとく閉められていて、どの部屋も薄暗い。かろうじてカーテンの下に昼の日差しがちらちらと申し訳程度にのぞいている。
電気をつけるのは美咲がいる部屋だけだ。
朝にはキッチン、夜には自室だけ。
この家にいるはずの叔母は、ずっと引きこもっているので、もう目が暗闇に慣れてしまっているのか電気の明かりを好まない。最近メガネをかけ始めたようだ。どのように注文したのかといえば、おそらくネット通販で。たまたま同期してしまった美咲の電子タブレットには、連日注文品の通知が届いている。
それはいつか離れるための証拠にできるだろうから、今は何も言わない。
美咲は玄関で靴を揃えた。
リビングに向かう。
叔母は二階から降りてこなくなった。静かで、音楽もテレビの音もない。冷蔵庫などの電子音だけがよく聞こえる。
顔を合わせないようにできるだけ二人は入れ違うことが、暗黙の了解になっている。
(ごはん、ほとんど食べられてないな。冷めてる)
テーブルの上の料理は、肉・野菜・お米がバランスよく乗せられていたのだが、叔母が適当につまみ食いして残りは腐ってしまっていた。ラップをかけ直していないので、饐えた匂いがする。
食べ物の神様に心の中で謝りつつ、捨てることしか美咲はできなかった。
ここには”叔母が住んでいる”のだ。
叔母の家という場所だ。
美咲のいるべき場所ではない。
(って昨日も言われたな〜。こっちに突撃してくることはなくなったんだけど、たまたま会った時にぶつけられる言葉の威力がキレキレというか……)
美咲は皿洗いをしながらため息を吐いた。
引きこもって好きなことをしているはずなのに、叔母は常に機嫌が悪くてイライラしているのだ。
お金があって、家があって、美咲は言いなりなのだから、何が不満なのだろう? とも思うのだけれど……
中学生の頃、美咲の両親が事故で亡くなり。
保護者として名乗りを上げたのがこの叔母だ。
美咲が継いだ遺産を「教育のため」として家を買うことに使い、己の生活費として使い、当の美咲をまるでお手伝さんのように使っている。
(罪悪感からのイライラ?……)
例えば、の思考であったとしても、美咲のこの考え方は彼岸丸にとても叱られたことだろう。
人の悪いところの一つなのだ、自分の心を守るために悪行を無かったことにするのは。相手を改善させず、やがて自分も壊してしまう、人間二つを全部壊す先送りをするだけ。
しかし美咲には力がないことも彼岸丸なら理解するだろう。
そして贔屓をしているのだし。
(ん? 二階から悲鳴……ゴキブリでも出たのかな)
あの部屋だけは掃除できないからね〜、と美咲は諦めた。
ちょっぴり胸がすいたような気がしたので、そのことについて(私って嫌な奴だな……)とそれこそ罪悪感を抱くも、六月は素直になるための月。雨を浴びた花のように爽やかな気持ちで、美咲は心にある影を認めた。
自分には嫌なところがある。
嫌いな人があわてていると、胸がすいてしまうような。
(最近あった注文はデスクトップパソコンだったっけ? インターネットにハマってるのかなあ)
大きな荷物が届いたので叔母を読んだら、あんたが受け取っておいて、と言われたのだ。
その時の叔母はすっぴんだったのだが、化粧をしていない以前に、クマのひどい窪んだ目に荒れた肌。不健康に太った輪郭に、ぎょっとしたものだった。あの見た目に気を使っていた叔母がこんなに変わるとは想像もしなかった。
陽のあたる外で仕事をすれば叔母は元に戻れるかもしれないが、それを提案するには、美咲と叔母の溝はあまりにも深くなってしまっている。
(うーん、用があったら降りてくるかな?)
尋ねたほうが怒られそうだったので、美咲は(せめて明日のご飯は豪華めにしようか……)と動き始めた。
玉ねぎの皮をむく。水にさらして、包丁でみじん切りにしていく。
トントントン、と一定のリズム。
正しく作れば、きちんと完成品してくれる。
この家においては、その保証がもっともホッとする。
美咲は料理が好きだ。
けれどどこか義務感のようになっていたのが、最近は【四季堂】のおかげで楽しさを思い出せた。
こねたひき肉の量は多い。
ボウルからあふれそうな量を、丸く形作っていく。
肉からたまに覗くみじん切りの、玉ねぎ、にんじん、初夏のピーマンにインゲンマメ。
そして喜んで食べてもらうことを思い浮かべながら、まあるく成型して、フライパンいっぱいに並べた。
じゅうぅ、と焼かれていくのはハンバーグだ。
叔母の好物でもある。
【四季堂】に持っていくのは初めてのことだ。
ふと影が動いたような気がした。
見渡すと、
(薄暗い家って影の中にいるみたいだ)
「影の神様」
呟いてみたけれど返事はなく。
ほんとうになんてことはない思いつきだった。
「いないか〜」
それならば、いるところに行けば会えるのではないか。
(ちょっと愚痴を言うのもいいかもしれない)
自分にあった嫌なところに気づいて、一人で抱え込むのはちょっとつらくて、でも沖常たちのような綺麗な存在に言うのは憚られて。
そういうのは是非ボクに教えて♪ と影の神様が去り際に囁いていったから。
なんて友達の選択肢が少ないのだろう。と美咲は嘆きたくなった。
かといってたくさんの友達に関わってニコニコしている自分は想像できないのだけど。昔から、控えめで、友情は狭く深くというタイプなのだ。
(たまたま影の元をいただいた縁もあるし……)
学生鞄に、ビー玉のような影の元をそっと入れた。
自分のお弁当と、【四季堂】へのおすそ分けと、もう一つタッパーを……。
翌日。
自由な選択をしたあとの美咲は、足取りがいつもより軽やかだ。
読んで下さってありがとうございました!
美咲ちゃんちょっとずつつよくなーれ(。>ㅅ<。)




