すやり霞のお気に入り
大和絵によく描かれている雲(すやり霞)そのままのものが、ふわりふわりとまとわりついて、美咲から離れようとしない。
どうしようかと沖常を見上げると、狐面の目のくり抜きから見えた沖常の顔は物憂げに微笑んでいて、それを不思議だなと感じていると、助け舟を出してくれた。
「美咲は触れても大丈夫」
「わ、私“は”?」
「ただ懐いているだけだから」
脱力した。
「この清め雲には、名の通り清める力があるんだ。まれに、穢れたままのものが神の世に紛れてくることがある。その場合はこやつらが絡めとって外に放り出す」
「穢れ……花姫が祓った、泥のような?」
美咲は理解しようと努めている。
花姫が与えた神気のなごりが花の感性に引き摺り込んでしまうので、わかったようなわからないような微妙な心地だ。
(穢れというと泥が思い浮かんでしまう……)
おそらく花姫たちはこの商店街にあまり来たことがないのだろう。だから穢れのイメージが少ないのでは。
(それは、困る)
美咲は、理解できる自分でありたい。
なんとなく身を任せて流されてしまうには、自分の経験なんてまだ少なくて頼りないのだと、神の世に来てから尚更思う。
沖常が纒う神気の、なんと厚くて深いこと。
もっと教えて、と羽織の裾をツンと引いた。
やはりすんなりと与えてくれるのだ。
「まあ泥にも似ているかな……。泥人形の小鬼型のものも見たことがある。
"ここには""居てはいけない"ということ。それぞれの世界にはそれぞれ居るべきものが違うからね。混ぜてしまうとよくないんだ。花は大地に咲くし、鳥は地下でなく空を飛び、シロクマは寒い地方にいる。息ができる場所と息ができない場所があるんだよ」
「……なんだかよくわかった気がします?」
「乙女の花園には俺がいない方が良い」
「ピンときました……!」
「そう、いいものでも悪いものでも、居るべき場所が違うんだ。
ちなみに、無駄のいっさいない生活は息ができません、と美咲は言っていただろう。それでは無駄なお散歩も好みかなと、俺はここに誘った。ほら、ふさわしくなった、気がするだろう?」
美咲はやっと安堵の息を吐いた。
そういうもの。
曖昧なもの。
(……覚えてくれていたんだ)
意味のないこと。
それは美咲の心を自由にする。
それすらも(意味がなくてもいいのかな?)と縛ってしまいがちな難しい人の心を、沖常はほどいたのだった。
四季の流れのように、どうすれば一番よいかを知っている。
美咲の心の隙間から、影がにじんだ。
黒い狐の尻尾のように足元で揺らいだ。
ぱくん、と清め雲がまるごと食べて清めてしまって、遠くにもっていってしまった。
「なんだか、足取りが軽い……気がします?」
「それはいいな。もうしばらく歩いて行こう」
白銀の狐耳がピンと立ち、沖常は笑顔を携えている。
となりには狐面をつけた美咲がいて、振袖がなびくと、美しい着物がそっと注目を集めることになった。
”六月の狐の嫁入りだ”と、あとで噂が一人歩きするようになる。
二人に話しかけてくるような無粋な真似はされなかった。
なにせこの大通りにはお忍びの上位神もやってくる。沖常は「参」の尻尾を戻していたことで、いつもより神気がつよかった。名の通った神のお忍びなのだろうと、遠巻きにしつつも商店街はひそやかに活気を帯びた。
呼び子の声がすうーーーっと通り抜けてゆく。
踊りを披露している神はいっそう高く舞い。
清め雲がはしゃいでよく飛びまわるので、いたるところで神々が転ばされていた。
(こんなにたくさんの神様たちが生活しているのに、生活臭がないっていうか、大きな神社にお参りをしにきたような、深い緑と土と冷気のしっとりとした空気……)
美咲が深呼吸をする。
沖常も同じ仕草をしてみせて、にっと笑った。
「あ。あれはなんですか?」
美咲が指差す先。
通りのはるか遠方に、天まで続くほど長い、黄金の階段がみえている。
そのさきは雲の中にすっぽりと埋まってしまっていて、どこに繋がっているのかもわからない。
読んで下さってありがとうございました!
四季堂は日常系だなあとしみじみ思いますね(*´ω`*)




