帰路のおさんぽ
リリリリ、と時計が鳴る。
野原の真ん中に置かれていた、目覚まし時計だ。朝も夜もなく、時間の感覚を失ってしまうこの花園において最近活躍している道具。けたたましい音は紫陽花姫が持ち込んだ。
「あまり風流ではないな」
「せやねえ。この花園にはあまり合わない。けれど紫陽花姫が気に入っているからしょうがなく……」
「……あたしも失敗したとは思ってるネ」
「それは早ぅ言うて!?」
ちょうどいい口実ができた、と沖常は微笑んだ。
「ここに合う時計を今度作ってみせよう。それで帳消しになるだろうか?」
「わあ、お狐様からの神具!」
花々が色めきだった。
また作成を手伝うことになるだろう、と思った美咲は、この花園の特徴を眺める。きっとこの花園に似合うものをとこだわるのだろうから。
「ええよ、ええよ。おつりがくるわねえ。楽しみやわあ」
「すべての花の色を入れてね」
「いい香りがしないと」
「蜜のような艶がほしいわ」
「──わかったわかった。花姫の神具づくりはこれだから大変なんだ」
沖常は苦笑しながらも、商品を求められて嬉しいらしく、獣耳がピクピク揺れている。
(こういうところがずるいんだよー……)
それを美咲が見上げていると、
「ないすたいみんぐ、だったかな。帰ろう」
「ふふ。彼岸丸さんたちに教えられたんですか?」
「なうい」
などと沖常が言うので、美咲は笑いながら沖常の着物の裾をつまんだ。
「うつむいている暇はないぞ? しっかり前を向いて」
「わっ」
──手を取り合った男女は、霧の向こうに消えてしまった。
つむじ風が花々をうっとりと揺らす。
それはまるで神隠しのように。と花姫が唄った。
「……沖常様ってば、あちらは帰還の縁じゃないのに、どちらに行く気やろうねえ?」
「「「あらあらぁ」」」
キャーーー! と花姫たちが甲高い声を上げる。
振袖をふわりと揺らして絨毯の上に集まって、大きいものも小さいものも、お菓子をつまみながら恋の話に花を咲かせる。
とりとめのない妄想が、実を結ぶのかは、神様にもわからないのであった。
霧にふんわりと包まれながら空を飛ぶような心地で、美咲は沖常と歩いている。歩くといっても足の裏は何かをとらえた感触がなく、夢の中のような不思議な感覚だった。
紫陽花姫に連れられてきた花園への道よりも、よほど長い。
「おきつねさん。ここはどこなんですか……?」
「やっと聞いてくれたか?」
振り返った沖常はどこか悪戯っぽく歯を見せて笑っていて、美咲は唖然とした。
(こ、こんなおきつねさんは知らない……)
さっきの尖った爪といい、尻尾を戻しているような気がする。
着物の袖口から狐火たちの炎が見えている。しかし額の数字が見えず、どれが沖常から「分かれて」いるのか把握できない。
いま尻尾があるとしたら、肆ではなさそうだが、はたして。
そんなことを考えていると、沖常は自由に話を進めた。
「神の世なんだよ」
「ここも、神の世……ですか」
「正確には神の世の抜け道のようなものだ。似たものでは、商店街から【四季堂】に続く細道も"そう"。誰が通っても良いけれど、見つけられるものは限られている。このような道があると知っているもの。悪戯っぽい「参」であるとか」
「あ。じゃあおきつねさん、今、参ちゃんの尻尾が戻っているんですね!」
正解を教えてもらったので、美咲の顔がパッと華やいだ。問題集を解いた時のような爽快感がある。
「尻尾が戻る。美咲は実に正確な言葉を使うなあ」
よしよしと沖常が美咲の頭をいかにも自然に撫でた。
いつもより遠慮のない触り方に、どきりと心臓がはねた。
「気負ってくれるなよ」
(……ああ、こういうところはどの狐火ちゃんでも、おきつねさんでも、変わらないなあ。安心する)
「ありがとうございます」
「うむ」
沖常が美咲の首筋に顔を埋めて、すんすんと鼻を動かした。
肩の力を抜かせるためとしても、これはびっくりさせられてしまう!
猫娘で慣れていなかったら、美咲はこの神の世で悲鳴を上げてしまうところであった。
(た、耐えられてよかった……)
「美咲。神の匂いが残っている」
「あ、花姫さんたちがくれた花粉団子の影響だと思います……神様のような香りを纏うのが、乙女の花園に入れてもらう前提になっていたので」
「伝統的な作法だな。人間が神の世にいるためには条件があるのだ。神に近しい身なりをしていること。神気を纏っていること。清水の霧を浴びられるほど善良なこと。
よくあるのは神職の人間が、修行を納めて巫女服などで正装したのち、つかのま神の世にやってくるなど。まれに美咲のように、神々のお気に入りとなった人間が条件を満たしてやってくることもある」
「私、すっごい体験をしていますよね……」
「せっかく神の残り香があるのだから、すこし散歩しようか」
「ええ!? いいんですか?」
「上位神がいいといっているんだから、いいんだろうな?」
沖常はまた歯を見せて笑った。
やがて霧が晴れてくる。
周りの景色が見渡せるくらいになった。
「……!」
「自然の上に、人の作りし家々。ここはそのような光景を気に入った神々による【商店街】なのさ。そういうの、好きだろう?」
こくこくと美咲は頷く。
「ごらん。神事にかかわる商品がずらりと並び、呼び子の声が道々を通りぬけてゆく。それに誘われて気ままに店頭にゆけば、欲しいものがおのずと見つかるんだよ。縁がきちんと結ばれるんだ」
沖常は懐から葉っぱを取り出した。
六月の雨水を吸い、美しい緑色に色づいた季節の”いいもの”。その上にころころと色づいた石を乗せてみせる。ただの小石かと思えばあまりによく輝いていて、美咲はギョッとした。
「お代は葉の上に乗せた金や銀、水晶に翡翠に珊瑚、魚に野菜にどんぐりなどでも──。神ならばそのものの価値が分かる。素晴らしいものの取り替えっこなのだよ」
美咲の口をそっと塞いで、沖常は詩のように唄った。
一番近くの店にさりげなく手を差し出すと、店主が持っていったのは六月の葉っぱのほうだった。拾った宝石の原石よりも、彩りの神が色付かせた葉のほうが価値があるのだ。
代わりにもらったのは、狐のお面。
美咲に渡されたので、素直に顔につけた。
この状態なら、まったく気負うことなく周りを見渡せる。
沖常は頬紅のおかげで、上位神としては注目されなくなっている。
そうっと歩き始めた。
今度は、地面がきちんと感じられる。踏みしめられる。
土の道を、てんで様々な容姿をした神々たちがあっちこっちに移動している。
あるものはタヌキのような容姿に着物をひっかけていて、あるものは水神のような魚の尾を浮かせてぬらりと歩んでいたり、足元を転がっていったのは土団子を持った虫の神だ。
道の横には家々が等間隔に並び、小ぢんまりした商店であったり、普通の民家の玄関先で長机を出していいものを売っている。
この区画整理は京都のよう。
道が碁盤の目のように区切られている。
(迷ってしまいそう)と美咲は思ったが、聞こえてきた鼻歌を聞いて合点がいった。
京都に伝わる「通りの数え歌」によく似たものを、神々は鼻歌交じりにつぶやいている。
その文化が消えないように。きちんとここに在れるように。
(いつからこの状態なんだろう。碁盤の目って、平安京の時代だったはず……)
きょろきょろしていた美咲のすぐ前を「霧の塊」が通り過ぎていった。
「わっ」
「清め雲だよ」
大和絵によく描かれている雲(すやり霞)そのままのものが、ふわりふわりと美咲にまとわりついてきた。
(ちょっと可愛らしいかも)
読んでくださってありがとうございました!
神の世の商店街は、四季堂スタイルのようですね




