逆さまのてるてる坊主
「こんなに日照りが続いたんじゃあ、紫陽花姫に文句言われちゃうかもねぇ」
影の神はしゅるりと細長くなると、紫陽花の影に、帰っていった。
晴れから雨にしちゃっていいよってことさ! と付け加えて、最後にその長い手を振った。
紫陽花の下で、影が色濃くたたずんでいる。その下には小さなダンゴムシが這っていて、影から神様に見られていることなんて気づいてもいないのだろう。
「騒がせたね、紫陽花姫……雨を戻すから許しておくれ」
沖常は紫陽花の花弁をそっと撫でると、軒先のてるてる坊主をつかんだ。湿っぽい灰色の布地を触ってから、くるりと上下をひっくり返す。
「逆さまのてるてる坊主の効果を見てみるといい」
みるみる雨雲が吐き出されてゆく。
空が灰色のふっくらとした雲に覆われて、しとしとしとしと、雨が降ってきた。
景色はやんわりと暗くなってきて、紫陽花の葉の影が薄くなった代わりに、景色全体に影がいるように感じる。
沖常の尻尾がブルッと一度震えて、ぶわりと膨らんだ。
「わ!」
「……美咲は庭よりもそちらに夢中か」
「す、すみません。ふかふかの尻尾がとてもすごく大変素敵で……!」
「ふっ」
「笑われちゃいました」
「なんでもない。なんてことないよ。触っても気にしない」
「え、いいんですか!?」
「そのような顔をしていただろう」
「はいしていました。ではあのすみませんでもお言葉に甘えて失礼しますっ」
沖常はあいかわらず威圧感があるのだが、理由もわかったことだし、今回はその圧のせいにしてしまうことにして、美咲はずうずうしくも白銀狐の尻尾に触れる。
太めの毛質で芯がしっかりしているが、ふっくらと柔らかい。白銀色がするりするりと指の間を通っていく。指を通り抜ける間に曲がると、ツヤが輝かんばかりだ。わずかに青みがかっている不思議な変色は、狐火たちの青い炎を連想させた。
すうーっと手のひらを動かして撫でると、ひたすらに心地よい。撫でるたびにさらに艶めきを増すところなんて、宝石を磨いているかのようで楽しい。
まさしく「夢中」だ。
「美咲、美咲……」
「さすがに撫ですぎだぜ」
「おれたちも感触がちょっと繋がっているんだ。それ以上は多分、沖常様の膝が砕けちまう」
「あっごめん!」
美咲が手を離すと、沖常は軽く頷いただけで、顔を逸らしてしまった。
頬はわずかに赤く、やっていいと言ったものの恥ずかしくなってしまったのかもしれない。
でもやりたくてやってしまったので、人間はきっとズルイ。
蚕の成虫が、ひらひらと飛んできた。
沖常の肩に留まる。
「蚕婆様が着物を作り終わったそうだ。美咲、今日のバイトはここまで」
「何もしていませんでした。ごめんなさい……」
「俺が誘ったのだからいいさ。それに影の神の相手をして愉しませてやっただろう。そら、これを置いていった」
沖常が包みを手渡そうとするので、美咲は手のひらをお椀の形にして待った。
巾着のような包みは重さがまるでなくて「影に重さがあるとでも?アハッ」と今にもカゲクンさんの声が聞こえてきそうだった。
黒い包みからコロンと出てきたのは、漆黒のビー玉のような道具だ。
「『影の素』夏の暑い日に使うといいだろう。日差しがあるところで理想的な影になってくれる。近くに木があれば影を伸ばして木陰にしてくれるし、街灯のような細いものでも美咲を涼ませるのに十分な影になるだろう」
「ひんやりしそうでいいですね。近頃の夏は驚くほど暑いですから、熱中症対策に『影の素』、塩飴、麦茶で乗り切ります!」
「とてもいいな」
さらりと言って沖常は微笑んだ。
そして美咲の背中をそっと押す。
「お行き。今の俺はおそらく肆の影響がつよい、美咲を余分に不安がらせてしまうかもしれない。炎子たちに送ってもらいなさい」
美咲の手を引いて、炎子たちが走り出す。
美咲は振り返って、雨に負けないように声を張った。
「おきつねさん、……また話したいです!」
「うん」
沖常は穏やかに手を振った。
(……不安に思うことはないです、っていうのは違うんだ。今日のように不安を感じることも実はあるけど、それは誰に対しても感じることがあるし、それ以上におきつねさんたちと居るのは楽しいから、一緒にいたくなるんだよね)
「また明日」
玄関先で美咲が炎子たちに、言付ける。
ビニールの傘をさす。
しとしと、しとしと、雨が影を濡らす夕暮れを、美咲は足早に行った。
(……帰りたく、無いなあ)
読んで下さってありがとうございました!
下積みも終わったのでグンと進めていきますね。
夏編では、美咲の家庭環境と、心理がおおきく変わります。よい偶然に恵まれますように




