苺ジャムクッキー
美咲は春の初試験で学年一位となった。
もともと頭がいいし、時間に余裕がある限り勉強にせいを出していたからだろう。
しかし、二位との差は少しだけ。
油断すれば追い抜かれてしまうかもしれない。
「勉強頑張らなくちゃね。せっかく、楽しみなこともできたんだけど……」
学業を疎かにしないことを約束して、なんとかこの高校に進学することを叔母に許可してもらったのだから、手を抜くわけにはいかないのだ。
苦手な国語の教科書とにらめっこする。
「おきつねさんへのお礼、どうしよう?」
つい、気が逸れた。
こちらは楽しみな用事だから、優先的に考えてしまう。
「あ! ……だめだめ、これは勉強を頑張ってからのお楽しみにするの!」
あわてて頭を振った。
艶やかな黒髪が揺れる。
「まずは勉強だね。それから家事も頑張る。
今日の夕飯は何にしようかな……昨日のお吸い物の残りと合うメニューで……あっ」
美咲ははたと思い至る。
「いなり寿司。おきつねさん、好きかな?」
ただキツネのコスプレをしているだけだから関係ないかな……と苦笑いして、夕飯メニューを決めた美咲は勉強を再開した。
*
朝。美咲は朝ごはんとお弁当を2人前ずつ作り終えてから、こっそりとお菓子作りを始める。
「クッキーにしよう。傷みにくくて摘みやすいし、材料も今あるもので作れるから」
豪華な材料を使った特別仕様にはできないけど、軽いお礼の品としては無難だろう。
これだけで豪華すぎるつげ櫛のお礼になるとは考えていないので、これから、たまに良いものを差し入れるつもりだ。
今後も付き合いが続くといいな、と美咲が照れたように笑う。
(おきつねさんは、甘いものが好きらしいし……。喜んでくれるといいな)
「よし」と腕まくりをした。
小麦粉、バター、砂糖、卵を正確に計量して混ぜていく。人気のクッキーレシピをWEB検索した。
まとまった生地を棒状に伸ばして、包丁で均等に輪切り。
真ん中を指で押して窪みを作る。
「苺のジャムを入れて……っと」
オーブンで焼くこと15分。
こんがりときつね色のジャムクッキーができあがった。
「いい匂い!」
美咲は甘い匂いを名残惜しく思いながらも、すぐに窓を開けて換気する。
クッキーを作ったことをごまかした。
「苺は春の季節ものだから、風流なものが好きなおきつねさんが気に入ってくれるかもしれない。……まあ、年中手に入るスーパーのジャムなんだけどねー」
早朝の冷気にあてられて、早くもクッキーが冷めてきた。
苺ジャムクッキーと普通のクッキーが10個ずつ。
一人でも消費できる量を、と考えて少なめに作った。
「さあ。学校に行く前に【四季堂】に寄って行こう」
美咲は足取り軽く家を出ていった。
***
「おはようございます」
【四季堂】の扉の前で、美咲が声をかける。
しかし返事がない。
そういえばまだ開店時間なわけがないんだ……と、しょんぼりうな垂れる。
困ってしまい、立ち尽くす。
「……お入りなさい。いらっしゃいませ」
招き狐が返事をして、扉が開いた。
美咲はハッと顔を上げる。
「おはよう」
目をこすりながら、沖常が現れた。
「どうしたんだ? こんな朝から……」
「あの。早朝に尋ねてしまってごめんなさい。これを差し入れようと思って」
美咲は急いで小さな器を渡す。
「クッキー、お好きですか?」
「もちろん。俺に?」
寝ぼけ眼をぱちぱちさせて、にこやかに笑った沖常を見た美咲は、ホッと頷いた。
「あのつげ櫛の礼……などと考えていないか?」
ぎくりとして、冷や汗をかく。
「……私があげたくて作ってきました、もらって下さい!」
「お、おお。そうか」
勢いに押されて、沖常はクッキーを受け取った。
押し付けられた透明な蓋の内側に、赤色を確認する。
「赤いクッキー?」
「苺ジャムです。春らしいかなって」
沖常が目を輝かせたので、美咲は(ひと手間かけてよかった)と嬉しくなる。
本当は花の抜き型で型抜きもしたかったが、朝はバタバタするのでそこまでできなかった。
次こそは型抜きも、と美咲が意気込む。
(こんなに喜んでくれてる。えへへ……嬉しい)
ふと、くんくん、と沖常が鼻を動かした。
「……いなり寿司の匂いがする」
「えっ!?」
美咲がカバンから自分のお弁当箱を取り出した。
「よく分かりましたね、しっかり蓋が閉じられているのに。これです。……お好きだったら、召し上がりますか?」
「いいのか!?」
狐耳をピンと立てて喜ぶ沖常は、まるで本物のキツネみたい、なんて美咲は面白く思った。
「どうぞ。また、夕方に器だけもらいに来ますね」
「ありがとう」
「どういたしまして。それでは学校に行って来ます」
ぺこり、とお辞儀をして美咲が背を向ける。
「行ってらっしゃい」
声をかけられて、思わず振り返った。
手を振っていた沖常が「ん?」と不思議そうに首を傾げる。
「い、いえ、なんでもありません。行って来ます」
(こんな風に送ってもらうのって、いつぶりだろう……!)
涙目になったことを気づかれないように、美咲はもう振り返らずに学校に向かった。
予想外のプレゼントをしてしまって、カバンは軽くなったけど、胸はぽかぽか温かい。
沖常は美咲が見えなくなるまで、店の前で見送っていた。
「ふむ。昨日よりも、髪に艶が出ているな。つげ櫛をきちんと使ったようだ」
狐耳をぴょこぴょこ揺らす。
とても機嫌が良さそう。
「あのつげ櫛を使うことで、様々な悪意を祓う効果がある。君を守ってくれるだろう」
独り言を言った。
うずうずと器を開けて、我慢できずに立ったままクッキーをひと齧りした。
苺の風味が口の中に甘く広がる。
「うん。美味いな」
「あーーー!」「行儀がわるいぞ」「独り占めはよくない」「ちょーだい!」
様子を見ていた狐火がすっ飛んできた。
「俺のために作られたものだぞ?」
「「「「狐火は沖常様の分身みたいなものだし」」」」
「屁理屈だけは上手いな。まったく、誰に似たのやら……」
「「「「沖常様」」」」
狐火たちが声を揃えて言った。
沖常は「むむむ」と眉を寄せる。
「独り占めなんて大人げないことはしないさ。ほら、おいで」
狐火を誘って店内に戻った沖常は、奥の和室でお茶を淹れる。
クッキーの器を開けてやった。
「わー!」「きれい」「これはいいものだ」
狐火が口々に言って、ジャムクッキーを頬張る。
「美咲はとても器用だな」
沖常は二枚目を食べて、春の風味をじっくりと味わった。
そして、お弁当箱をこっそり開ける。
形良く作られたいなり寿司をひとつ手掴みして、ひょいと口に収めた。
「甘く煮た揚げと、ゴマと酢飯。シンプルでこれはまた美味い」
「ああー!」「沖常様、ずるい」
「何を言う。主人が一番先に食べるのは当然だろう?」
「「「「ぶーぶー」」」」
狐火たちもいなり寿司を食べ始める。
沖常は添えられたおかずにも最初に手を出して、また騒がれた。
「全部美味かった! はぁ、満足だ。味覚が満たされている」
「そうだなー」「美咲はいい娘だな」「ところで沖常様よ」
「なんだ?」
「このいなり寿司は美咲の昼食だったのでは? もう食べてしまった後だけど」
「…………あっ」
沖常が空になった弁当箱を見て、口元を押さえる。
口端についた米粒をこっそり食べた。
「……代わりのものを差し入れるか。久しぶりの外出になるなぁ」
「「「「おおー!」」」」
「何か作るか」
「おおおおーーー! 悪いことは言わない、やめておけ」
「…………」
狐火の苦言が沁みる。
沖常は、これまで自分が料理した時のことを思い出した。
ことごとく失敗しては、かわいそうな残骸を作り出していたのだ……。
彩りを司る神として仕事をする時にだけは、食べ物を作ることもできるのだが。
しばらく沈黙していると、
「こんにちは」
【四季堂】の裏の扉から、可愛らしい声がかけられた。
華やかな桜柄の着物を着た女の子が、風呂敷包みを持って立っている。
「お狐様?」
「ああ、ちょうどいいところに来た! 四月の花姫」
沖常はいつになく弾んだ声で返事をして、花姫から包みを受け取る。
不思議そうにしている花姫に「いつもの捧げものだな?」と確認した。
花姫を見送り、お重の中身を、小さな弁当箱に移した。
「では、美咲に弁当を届けることにしようか」