新生姜のこんだて
翌日の夕方、美咲は細道を抜けていく。
細道の終わりで足を止めた。
そこからじっと見る一軒家には【四季堂】の看板が掲げられている。
(おきつねさん、どう思ったんだろう? 昨日は感想を聞かないままに、彼岸丸さんに見送られただけだったからなあ……)
きっと、気に入ってくれている。
そう思いながらもドキドキしてしまう。
店に近づいていくと、立て札が立っていた。
ーーー
・ここは雑貨店です。
・季節の彩りがあります。
・代金はおてごろです。
・一見歓迎。
ーーー
「んー……文面はわかりやすいけど、一般的ではないかな。けれど和風雑貨を求めてくるお客さんには、これくらい文学的な表現の方がいいのかも。これから誰がやってきてくれるのか、検証と改善を重ねていこう」
「手厳しいな。しかしながら美咲がこの店のことをよく考えてくれているのが分かるよ」
「おきつねさん! 招き狐からの言葉は挨拶からって決まっていたんじゃないですか?」
「お帰りなさい」
「ただいまですっ」
玄関扉を開けた。
沖常は着物の上に、割烹着を身につけて、なぜかマスクを着用していたのだ。
台所にやってきた。
【四季堂】の奥にある土間が台所とされており、調理棚や窯があって、煮炊きができるようになっている。ボウルの代わりに木製の桶、いい匂いのする木のまな板に、加治の神様が打った包丁。名のある職人が奉納した漆食器。
古きよき風情を残すかたわら、炊飯器や冷蔵庫など現代の機械も置かれている。
さて、今日のバイトは炊事。
人が手ずから作った食事は、神への供物として、良い力となるのであった。
「そして食材は”新生姜”なのですね。だからマスク」
「さよう。俺は……あの香りが少々苦手でな。うまく調理してもらえると助かる」
(それは狐としての本能のせいですか。その、梅舞いのために尻尾を戻していらっしゃる影響ですか)
言えない。
沖常が自己申告してこないので触れにくい。
あの割烹着は尻尾を隠すためではないだろうか。
それにしても気になる。
(おきつねさん、食べ物の好き嫌いはないって仰っていたから、絶対に尻尾の影響が味覚にも現れているんだろうねえ……)
ふりふり、チラチラ、もふもふ。
美咲はパンと自分の両頬を張った。
雑念成敗。
「どうした!?」
「蚊がいたような」
「まだ早いような気がするが……」
「私、蚊に好かれやすい血の質なんですよ」
さっさと調理にとりかかってしまおう。
「この新生姜はきれいですね。皮が薄くてほんのりピンク色、香りもみずみずしくて新鮮そうです」
木箱に入っている特上品だ。
地方の神からのおすそ分けなのだという。
「人が長年をかけて作っていった芸術品だものな。受け取らないわけにはいかなかった。自然に生えている生姜はもっとこう、癖が強くて筋っぽくて……」
「おきつねさん、鼻の頭にシワが寄ってます」
「……狐だった頃、生姜をわずかにかじったことがあるんだ。好奇心でな。すると舌がヒリヒリとしてたいそう後を引いた。しばらく喉が痛くて水を飲まないといけなくて、川の側から離れられなかったほどだ」
「結構なトラウマですね……でも頑張っていてえらいです」
「見逃してはもらえないらしい」
「そういうお気持ちでもなかったでしょう?」
「俺から炊事を頼んだのだからなぁ」
軽口を言えるくらいには、沖常も気を持ち直してきたらしい。
美咲が新生姜の表面をさらりと水に流していくと、匂いが薄くなって、ツンとした角が取れて爽やかさが残った。その調和に(本当にいいものだ〜!)と感心する。
「おきつねさんが好きな食材と合わせたいです。この籠の中の、どれにしましょう?」
地方の神々からの贈り物は、毎日届く。
最近はとくに、台所で料理をしてくれる従業員がいるらしいぞと噂がたって、贈り物が増えたそうだ。
籠の中に、初夏の恵みをたっぷりと含んだ食材が並んでいる。
「じゃがいもはどうだ」
「いいですね。今の季節は新じゃがですから、とくに美味しいですよ! レシピはどうしようかな……」
「冷蔵庫に海産物もあるが、見てみるか?」
この台所には食材を冷やしておく昔ながらの保冷庫があるが、それと別に、沖常は「冷蔵庫も使ってみたい」と体験中だ。
扉を開けるときにワクワクと獣耳が揺れるので、美咲もつい嬉しくなる。
(!! 尻尾がチラッと見えた……!?)
くうう、と美咲は悶えた。
でも口をつぐむという選択をしてしまったのは自分なので、我慢、我慢。
「イカを足したいです。新じゃがとスルメイカ、生姜の香りの爽やかな煮物です」
「とてもいいな」
沖常がペロリと舌なめずりをした。
想像力豊かな彩りの神は、料理をバッチリとイメージできて、食欲も湧いてきたようだ。
美咲は手からはみ出るような大ぶりの新じゃがを持って、水に晒していく。赤茶色の柔らかい土はぽろぽろ剥がれて、皮の薄いじゃがいもがあらわになった。均等できれいな色は豊かな大地の恵みの証。
包丁の顎(刃の尖ったところ)を使って「じゃがいもの芽」を取っていく。毒があるので、芽の周辺をぐるりとえぐるように。そして皮を剥いたら。一口大に切って、水を張った桶にいれておく。
「じゃがいもに当たったこともあったなぁ……」
「トラウマ大集合じゃないですか!? それなのに選んだんですか。まとめて克服しようとする姿勢、えらいですねぇ」
後日、この返答は大変よかったですよと彼岸丸から手紙が送られてくるが、それは置いといて。
「じゃがいもの芽に毒があると知らなくてな」
「芽だけではなくて、皮も微毒です。皮を剥いて、じゃがいもの毒は水に弱いのでさらして、もし皮が緑色になったじゃがいもであれば無理に食べないようにします。加熱して毒素が消えるものではありませんから」
「詳しいな」
「お母さんが教えてくれました」
美咲はすべてのじゃがいもを一口大に切りわけて、桶を傾けて水気を切ってゆく。
伏せた横顔には髪がかかっていたので、どのような表情をしているのか沖常は見ることができなかった。声は明るいままだったが、はたして心はどうか。
沖常は表情の想像ができなかった。胸がきゅうっとするような感覚は初めてのものだ。
初めてのものはなんでも楽しむ沖常であったが、この感覚はなんだか不安だった。
六月はなんでもあらわにしてしまう。
花瓶にいけられた紫陽花が笑っているようだった。
読んで下さってありがとうございました!
徐々に狐っぽさを増す白銀狐です。
マスクは美咲がつけていたのを羨ましがったので、紙マスクを分けてあげたのでした。




