六月の楽しみ方
「月の初めですもの。エプロンに花を咲かせましょ?」
紫陽花姫が、美咲の着ているエプロンを指先で引っぱった。
「よろしくお願いします」
「どのような紫陽花が良いかしら。どのような雨模様が良いかしら」
了解はとっているのに、紫陽花姫はエプロンの端をもってパタパタと揺らして遊んでいる。
美咲は静かに待つ。
「……あら? 紫陽花と雨模様って決まっているのでしょうに、っていうかと思った」
「え? 紫陽花っていろんな色がありますし、雨模様の表現もさまざまですし」
美咲はくるりと店内を見回して、微笑んだ。
多彩な雑貨が好きでここのバイトをしているのだ。
うふふふふふふと紫陽花姫は愉快そうに笑う。
「良い子を選ばれたのネ、お狐様!」
雨粒がはじけるような音で、パチンと爪を鳴らした。
みるみるエプロンが色づいていく。
「……桃色の紫陽花になっちゃった!?」
「だんだん濃くなるグラデーションピンクの紫陽花に、ハートマークの雨の波紋。アタシってばイケてる!」
ピースピース! と紫陽花姫がキメた。
この勢いに美咲は呑まれるばかりだ。どうしましょう、と助けを求めて沖常を見つめる。
「まあ、これはこれでよいか」
沖常がさりげなく一歩近寄ってくれたので、紫陽花姫はそちらに向かって説明を始めた。
「紫陽花は、ピンク、ブラック、イエロー……多様な色や形がございますものネ。今日のお着物はどのような花弁を模そうか迷ってしまいますモン。毎日違う色でなければイヤだもの」
なるほど、と美咲は腑に落ちた。
紫陽花の花言葉は「移り気」。
つまり「トレンド」が「キャハっ・ピース・ハートマークの雨模様」なのだろう。
まるで小さなギャル。それなのに仕草が流れるように美しかったり、言葉遣いがたまに他の花姫のように丁寧になるのは、根の部分はしっかりと淑女なのだ。
「ふう、お仕事完了」
「これこれ。花姫として花の株を持ってきてくれたのでは?」
「そうでした。エプロンに花を咲かせるってお仕事が楽しすぎて」
「新しいものは面白いからなあ」
うむうむ、と沖常と紫陽花姫が頷きあう。
創作魂を持つもの同士、相性は良いらしい。
これまで雨や影の憂鬱を聞かされていた美咲は、沖常の雰囲気がいつものように柔らかくなったことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「紫陽花の株をお届けネ」
紫陽花姫は着物の袖にずぼっと手をつっこむと、とうていそこに入っていたとは思えない立派な鉢を取り出した。
おっとと、とよろけるほど重い鉢だ。
目が点になっていた美咲は、あわてて鉢に手を添えた。
「ありがとうネ。まだまだあるよ」
「まだぁ!?」
本当にどんどん出てくる。
「スターライト、ミノヤカザグルマ、インクレディマリー、ウィルドリリィピンク、オトメノイノリ、インペリアル、シキザキアジサイ……」
「ええと、そういう名称なんですか?」
「そうヨ。紫陽花の新品種は毎年たくさん作られているモン。毎日アタシが着替えても足りちゃうくらいに」
床にたくさん置かれた鉢の中央で、紫陽花姫はそれはそれは可憐に笑ってみせた。
「美しい花に会いたいという、人の願いと祈りが込められているな」
沖常の声の優しいこと。
紫陽花農家の人々の努力を思い、感動しているようだ。
「アタシ、どれが一番良いかなって選べなくって。鉢選びも目移りしちゃうの」
「はは、六月は毎度そうなるなあ。いいよ、すべて運ぼう。中庭に植えるにふさわしいものばかりだから」
「ありがとうネ!」
こんなふうに愛嬌たっぷりに、与えてもらうことをまっすぐに感謝できたなら。
美咲が羨ましく思うくらいに、紫陽花姫は愛されることに慣れているようだった。
雨雫が空から贈り物のように連日降りそそぎ、職人が一年をかけて手塩にかけて新しい色や形を作る、紫陽花というもの。
「きれいだなあ……」
「知ってる!」
紫陽花姫の瞳に映った美咲は、なんだかギリギリ保たれたような泣きそうな微笑みを浮かべていた。
「あら? なんだか元気がない」
「えっ」
「お狐様のせいネ!?」
「えええっ」
紫陽花姫はきりりと目尻を吊り上げると、ぷっくり頬を膨らませて沖常をにらんだ。
「アタシ見ていたモン。お狐様ってば女心をわかっていないの」
「ふむ?」
「私もわかりません! 私も私の心がわかりませんから! ね? ね? 喧嘩はつらいですっ」
「喧嘩はしません。花のようにしとやかに、囁いて差し上げるだけ」
しとやか、とは?
ここにいるのはビショビショの着物にビニールカッパを着て変顔をした幼女である。
定義を見失うなあと美咲は思った。
「さっきは雨の憂鬱な話ばかりしてたでしょう」
「それは間違いない」
「六月は気持ちゆらめき、悩みが深くなってしまう…………いいじゃない! それは自分を見つめるのにぴったりネ。水たまりを見つめたら自分が見つめ返してくれる。影は濃く、自分の悩みをどこまでも打ち明けられるのだわ」
紫陽花姫はくるりとテンポよく足を運んで振り返り、美咲の瞳をじいっと見上げた。
「濡れてみなければ、濡れるのが好きか嫌いかもわからないモン」
「……むぐ?」
口に押し付けられたのは、六月の花菓子。
これを食べたなら、一定時間、花姫の香りを纏う。
美咲の世界が見違えるようだった。
雨の音にわくわくする。
手を引かれるままに、玄関を飛び出してしまう。
美咲はおどろくほど心地よく曇天を浴びた。
むわっと包むような湿気は極上の毛布みたいで、リラックスした心が雨の弾けるリズムとともに踊るようだ。
紫陽花姫が導くステップのリズム。
趣味の独学だというので、少々ずれているが楽しくて仕方ない。
「うーむ……俺の感性が鈍っていただろうか?」
「お狐様! いいじゃない! いつも変わらず豊かな感性が揺らいでみせたのだモン、面白いわ! ねえそれって何千年ぶり?……お狐様は大事にしたいあまり、ちょっと繊細になってしまわれたのよ。それもまた貴方様なの」
梅雨の合間に、お日様の日差し。
美咲は花のように素直にあたたかさを浴びた。
「くしゃみをする前に、ね」
沖常がそう言って、肩にふわりと大きなタオルを
かけてくれた。
濡れっぱなしで平気だったのは花姫の影響を帯びていたからだ。だんだんと花の香りが抜けていって、ただの人として雨上がりの地面に佇む。
光る空を見上げて、深く深呼吸をした。
沖常も似たようなことをしたので、笑ってしまった。
読んでくださってありがとうございました!
バタバタしてて遅くなってしまった(。>ㅅ<。)汗
幽霊は興味深そうに遠巻きにながめておりました。




