窓ぎわの風鈴
沖常の口から前の従業員について語られるのは珍しくて、美咲は息を呑んだ。
「いろいろ教えてもらったんだ。美咲のように一日のうち一時間ほどバイトをするのではなくて、住み込みだったなあ。店舗の端でいいからと寝転がってしまって、まあ当時はそれも普通だったんだよ。数十日であったが、小さな知恵をたくさん教えてもらって、人は生活を便利にすることに長けているなあと感心したものだ」
ずいぶんと生活様式も違っていた頃の人のようだ。
どの時代の人?
一緒に生活をって?
と美咲は知りたくなったけど、根掘り葉掘りするものでもないしと口をつぐむ。
(でも、あの【四季堂】の奥の座敷に行ったのは私だけなんだっけ……?)
モヤモヤするようなムズムズするような、雨のせいにしてしまってもいいだろうか。
「俺は季節の彩りを生業としていて、それを楽しんでもいるけれど、生活を便利にすることについては人間が一番上手だな。美咲が【四季堂】を改装してくれているように」
沖常がふと指差した店の隅にも、変化がある。
床掃除のための箒とちりとりはコンパクトサイズで、ワンタッチで箒の柄が伸びるので棚の下もしっかり掃除ができるし、背が高い沖常も腰を痛めずに使える。
インテリアショップで買った除湿機は、この店内の湿度を快適に保っている。
「除湿機まで受け入れてもらえるとは思ってもいませんでしたけど……見た目が明らかに機械だし」
「はは、良いものは使うべきだ。自然の産物も、人の工夫も、どちらも良いものだよ」
「はい」
おおらかな懐に美咲は安心させられる。
もし店長が沖常でなかったら、この「古き良き」が似合う店内に機械を置く提案なんてできなかっただろう。
ここには自分の居場所がある。
美咲はそのことに救われている。
(それだけでいいから)
前の従業員のことを尋ねるのはやめて、笑みを浮かべた。
今やるべきは、本日のバイト時間を有意義に使うことだ。
「おきつねさん。夏商品を棚に並べていってもいいですか? 展示のバランスが悪かったら指摘してくださったら直すので……」
「ああ、一任しよう。俺はこっちを終わらせるよ」
沖常は日誌を書くらしい。
鬼がよこした特別な営業日誌。人の子を働かせている場合必要なのです、現代では、と……ルールを突きつけられては沖常もこの厄介なものを受け取らざるを得なかった。
ぺらりとめくると気が遠くなる。
(ああ、項目の多いこと。勤務時間、扱わせた商品の数、業務内容、服装チェック…………! 縛るところは人の良くないところだぞ。美咲には言わないが。彼岸丸に愚痴を言ったら、『大人数が集う社会にはルールが増えるのです』と地獄界の業務冊子を読ませられそうになったな……あいつは人の悪いところが凝縮されているのか?)
と、不満は彼岸丸で発散させておいた。
彼ならこう言うだろう。「美咲さんは癒しで私は発散、それにてお狐様の創作意欲が保たれるのでしたら是非採用いたしましょう」と。
沖常の筆は乗らない。
ちょっと書いては、ちらり。ちょっと書いては、ちらり。
視界の端に美咲と炎子がくるくると動いているので、どうしても気になってしまう。
(まあ感性を養うためということで)
物は言いようだ。
うまいこと自分の機嫌をとったら日誌が捗るかもしれないのだ。うんうん。
美咲たちはいったんすべての雑貨を出して、色や種類別にわける。炎子から雑貨の説明を興味深そうに聞いている。
窓際の風鈴は「海鳴りの風鈴」──江戸時代後期に沖常が作ったもので、あの頃はガラスの風鈴といえばいっとうオシャレだったのだ。海の祠に収められたものを、海の神から譲られた沖常は、しばらくそれを模倣したガラス風鈴づくりに熱中した。
風鈴がそよぐと、「リーン」と涼やかな音を追うように海の「ザザーン」という波も鳴る。
リーン、ザザーン、リーン、ザザーン、とこれが面白いのだ。
海に行きたくなる衝動が満たされて、不用意に近づかなくなる。盆の夜には海に誘われる人が出る──それを防いであげるためにも、このような海鳴りの風鈴を毎年作るのも沖常の仕事のうちだ。
炎子たちに「ヒューどろろ」とおどかされた美咲は、肩をびくっと揺らした。
(そうそう、あれを店舗に飾る流れは偶然だったが、美咲が来るときにあってよかったかもしれない)
六月の美咲は思ったよりもたくさんの悩みをくっつけていたから。
風鈴のさわやかな音が、心を清涼に保ってくれるといい。雨除けと、晴れ呼びと。
読んで下さってありがとうございました!
ちょっと暗いですね(。>ㅅ<。)
次は「紫陽花姫」で明るくなりますので……!
(小話)
「海鳴りの風鈴」はお盆のねいろ。沖常が毎年新品を作っていて、海の神様が浜辺で鳴らしてくれるそうですよ。人は波打ち際から引き返して来られて、魔(怨霊)除けにもなるそうです。




