屋上の黒猫
美咲たちが立ち上がって、屋上扉の近くに進んだ時。
「にゃー」
「あっ」
黒猫がまたしても現れた。
真里は画材を引っかかれないように胸に抱き、ほのかは興味深く猫のアクションを観察する姿勢。
美咲はというと、スケッチそのままの笑顔で黒猫を迎えた。
「ふふ、いいことありましたよ〜!」
「当たり前にゃあ!」
黒猫の口から、少女の声が発される。
「「……しゃべったー!?」」
「フン」
黒の尻尾で地面をパシパシ叩く黒猫。
もとい猫娘。
ぐるるっと喉を鳴らして、美咲を睨むように見上げる。
「美咲。お前……あのデートだけがウチの幸運だと思っていたのか? 見くびられたもんだにゃあ! ウチはね、もっとすごいんだから。……」
黒猫がクイっと顎で真里とほのかを指す。
幸運、黒猫、真里ほのか、夜に見られていたことも……と美咲が頭の中で組み立てていく。
「……!!」
「言っとくけど思考まで操れにゃいから。それをしたら堕ちるモン。ウチは、良縁を引き寄せるのっ」
「ありがとう!」
美咲は黒猫を抱き上げて、ぐりぐりと頬ずりする。
これまで身につけていた御守りのマタタビの香りが、強烈に効く!
くるるるっと猫娘の喉が勝手に鳴って、体温急上昇。
「やーめーるーにゃあああ!? ふにゃあぁ……」
黒猫がくてんと足の力を抜いて、ヒクヒク痺れたように痙攣する。
「ああっ!? ち、力加減はしてたんだけど……」
(だってそこじゃにゃあもん……)
風がびゅああっと吹き抜けて、マタタビの匂いが拡散した。
黒猫はひょいと頭を起こすと、肉球で美咲のほっぺをぺしん! と叩いた。
「ばか美咲! ウチ……お魚が食べたいっ」
「は、はい」
「もーいくからねっ」
黒猫がフラフラと歩んで、べしんどしんと真里とほのかに体当たりしていく。
足取りが定まらなさすぎてフラフラしていたところ、風が黒猫の足を浮かして、屋上から運んでいってしまった。
やーめーるーにゃああ、と名残の悲鳴が聞こえている。どうやら足がつかない高所の移動は怖いらしい。そりゃそうだ、と美咲もぶるっと震える。
しかもおそらく運んでいったのは緑坊主だろう。こわすぎる。
真里とほのかが、美咲(と書いてファンタジープリンセスと読む)にこわごわと尋ねる。
「美咲、あのさぁ、さっきの……」
「お礼はお魚料理っと、メモしとこう。ん? そうだ、二人にもお礼を渡さなくちゃね」
美咲が手提げ鞄から、お弁当包みをふたつ取り出す。
はい、と差し出された真里とほのかは、視線が釘付けになった。
実は、朝練していたため朝食を食べそびれていたのだ。
「二人とも、いつも学校に来てから購買でご飯買って食べてるよね? だから……たまには手作りもいいんじゃないかなって」
「まじ! うれしー!」
「美咲、料理上手だものね。家庭科の調理実習でも完璧だったし」
「あはは。二人は?」
藪蛇だったな……と美咲は思い出した。
たしか真里とほのかの調理実習チームでは、フライパンが爆発していた。
案の定、二人は気まずそうに顔を逸らしている。
そんな他愛もないことを話していたら、黒猫が喋ったことなんて話題に出す暇もなくチャイムが鳴った。
美咲たちは足早に教室に戻る。
(夢でも見てたのかな……そうよね……)
(まさかね〜。猫が喋るなんてねぇ〜、ありえないもん……)
そんなことよりも、一限目のテストの方が大事だ。
母たちに協力をしてもらった分、学校の成績を下げないことを、真里とほのかは約束したのだ。
おかげで今朝は自主練に加えて勉強もしてきて、いつもよりいっそう忙しくて腹ペコだった。美咲のお弁当のことが頭から離れない。きっと一限目が終わり次第、食べ尽くしてしまうだろう。
階段の踊り場で、美咲が振り返る。
ふわりと微笑み。
「二人とも、本当にありがとう。これからも友達でいてね」
「「もちろん!!」」
「なんか……熱量がすごい?」
「そうかな。そうかも」
「ねーねー。これからもお弁当作ってほしいんだけど……! 材料費とお賃金出すから、美咲、作ってくれない? 第二のバイト」
「ええ!?」
「それいい。すごくいい。どうよ週一くらいで!」
「「お願い!」」
「……二人とも、ええと、ついでに作ろうか?」
「それはダメ。毎日は大変だから週一、材料費とお賃金」
「せめて材料費だけでいいけど」
階段の踊り場でいったん歩みを止めながら、三人がこそこそと話す。
「そういうの良くないのよ。あとでこじれるから。あたしたちと美咲、ずっと友達でいるんでしょ。だからダメ!」
「それにお母さんたちが許さないよね〜、商人だもん。技能のお願い事をするときにはビジネスライクってね。等価交換」
(……あ)
美咲は気づいた。
(【四季堂】も、そうかも。対価は等しく、よいものを。あっちはだいぶ感覚的だけどね……)
美咲の中で【四季堂】の存在感は大きなものだ。対価、という価値観にすんなりと納得できた。
心に五月の風が吹き、【四季堂】を思い出す。
店の外観から、内装から、鮮明にイメージできた。それくらい大好きな場所だ。
(お小遣いを稼ぐことができたら、私からもまたおきつねさんにプレゼントが買えるかも……?)
沖常がその気になれば札束でなんでも買ってみせるんだろうが、彼が普段から言っているように、気持ちがこもったプレゼントを贈るのはまた特別なのではないか。
「ええと。学校にはどう言う……?」
「「そりゃ、親が多額の寄付をしているのでね?」」
「えっ!?」
冗談なのか本気なのか聞く前に、教室についてしまった。
世の中一枚板ではないのだ……と美咲は思ったが、全てを明らかにしてほしいと思うほどに潔癖なわけでもない。
よほど極悪なやり方でなければアリなのだろう、とおおらかに構えた。
その後、お弁当作りの報酬の渡され方は、食材の買い出しに一万円札を渡されて「お釣りはとっておいていいよ」と言うお小遣い方式であることを知る。
美咲は快諾した。
──放課後。
鞄に荷物をまとめて、足元に風の誘いを感じながら、美咲の胸は高鳴っていた。
今日からは心置きなく、大好きなあの場所へ。
「「美咲、いってらっしゃい」」
友人たちが手を振ってくれている。
「いってきます!」
美咲の笑顔はみずみずしく輝いている。
読んでくださってありがとうございました!
一章完結まであと少しです〜!




