友人の気遣い★
翌日。
朝からふて寝している叔母を横目で見てから、お弁当をみっつ持って美咲は家を出た。
学校に着くと、真里とほのかを攫うように腕を掴み、屋上へと連れていく。
「もー……! びっくりしたよぉ!」
「なはは」
ピンときたほのかが、快活に笑った。
「褒めてもいいのよ?」
「真里。だって事前に連絡もなかったから、びっ、びっくりした……」
「連絡しようにも、美咲はスマホ持ってないじゃん。それにこういうのは早いほうがいいと思って?」
痛いところを突かれた美咲は(うっ)と口ごもった。
美咲をいつまでも家に繋いでおきたい叔母が、スマホを持たせるわけがないのだ。
不安げな上目遣いで、美咲は友達を見上げた。
「そんな顔するなって」
「叔母さんには良いって言われたんでしょ?」
「「それか、何かあったの……?」」
ドスの効いた低い声で尋ねられた美咲は、ビクッとして慌てて否定した。
「う、ううん! それはないよ。いつもより叔母さんが優しかったくらい……あ、ほら、私が勉強に精を出してるから? 機嫌が良かった? みたいな?」
「「そっか〜」」
真里とほのかの機嫌が直ったようなので、美咲はホッとした。
二人の背後に、かの母親らの般若を見たような気がしたのは内緒だ。
「あのね……美術教室やスポーツジムにこれから通うの? って思って。それって」
「「ああそれフェイク」」
「フェイク……?」
「美咲、【四季堂】でバイトしてるでしょ? バレたらまずいわけじゃん」
「そこで習い事のフェ……カモフラージュってわけ。うん、こっちの方が分かりやすいか」
「そだね」
「基本的には【四季堂】の口実に使ってもらっていいよ。もし美咲が美術や体育をやりたくなったら、うちに来る日を作ってもらってもいいし。……美咲!?」
はらはらと流れ始めた美咲の涙は、止まることがなく──
これまで抑えていたものが、じわじわと溢れてくる。
「ご、ごめん……っあの……二人とも、お母さんも、優しいなあって……!」
「そりゃ、美咲が優しいからでしょ……」
「そだよねぇ。普段から親切じゃん、私たちにさ。だからお返しがあるんだよ」
「そうそう」
真里とほのかは美咲の両脇にただ寄り添った。
涙を拭くのは、自分たちじゃないと思ったから。
美咲は沖常からもらった宝物のハンカチで、涙を拭いていく。
「……ずっと、自分で頑張らなくちゃって思ってたの。一人だけで」
「うん」
「でも、多分、けっこう疲れちゃってて」
「うんうん〜」
「まだ大丈夫って思ってはいるんだ、だって恵まれてることもあるから。この女子校に通えたし、最近だと、【四季堂】や二人との出会いもあったでしょぉ? ぐすっ、だから〜」
「でも美咲が恵まれてるからって、辛いこと辛いって思っちゃいけないことないでしょ」
真里が言い切って口をへの字にして、一枚のスケッチを突きつける。
「これ、美咲が落ち込んでる時の顔なんだからね!」
「まーた盗撮ならぬ隠し描きしてるし……」
「こないだの店主さんといた時のスケッチと大違いでしょ!?」
「……こ、こんな顔してたの……?」
「そ。美咲の家の話題になった時にね」
スケッチの少女はまるで亡霊のようだった。
泣きそうな顔を必死にとりつくろって、目が歪んでいる。そこににじむのは、苦くて酸っぱい苦悩だ。白い顔、と、鉛筆で描かれている以上に感じる。真里の筆は美咲の本心をまるっと見逃さず、あらわにする。
「これはこれで綺麗な顔だとは思うけどね、芸術って観点ではさ……。悲しみをテーマにした作品もある。でもあたしが描きたいのは、美咲が一番映える絵なのよ。あなたの感情で一番美しいのは、喜びなんだわ!」
「……美咲。真里、どストレートで、自己解釈交えてるからショック受けてない? 大丈夫?」
「だい、じょう、ぶぅっ」
美咲は「はあ」と熱い息を吐いた。
涙をまたハンカチに吸わせる。緑色が五月らしく鮮やかに、涙の潤いで色を濃くする。
美咲が目をこすってしまっても、いたわるように癒してくれる「生命の茶葉で燻したカラクサ模様のハンカチ」だから。
沖常が絵を描いたそのまま時の筆の感触のように、柔らかく目を撫でられているような感触を、美咲は感じていた。
「っありがとう!」
美咲はお腹の底から声を出して、二人に言った。
「お、おーう」
「うん、どういたしまして! あっはっは! はーよかったよかった。気分転換できたみたいだね〜」
真里とほのかもニコッと笑った。
「うん、人生の気分転換したような気持ち」
美咲が空を見上げる。
さわやかな風が若干の暑さをふくみ、夏の始まりを匂わせている。
新たな居場所【四季堂】と、二人の友人、家庭の転機。
新しい季節が始まるのだと、美咲は未来を明るく見た。
「そんなに? でもまあ、分かるっちゃわかるわぁ」
「転換期ってあるよねぇ」
真里とほのかも、美咲につられて空を見上げる。
「……ねー、眩しくない?」
「一気に雲が晴れたよね? なにこの驚異的なタイミング」
「美咲、ちょっとそこに立ちなさいよ」
「ん……?」
真里が驚くべき速さでスケッチをする。
「光の中に佇むみずみずしい姫神風よ」
「ぷはっ! 目尻の涙がいい味出してる! 美咲、目のとこがウルウルしてるね〜」
「ちょ、恥ずかしいよ〜!」
美咲が赤くなって、真里のスケッチを胸に抱いた。
それからもう一度、眺める。
絵の中の少女は、鉛筆で白黒に描かれているだけなのに、光をめいっぱい浴びていることを想像できるくらい輝いていて、弾けるような笑顔はとびきり美しかった。
まるで自分じゃないみたい、と美咲は思ったが、それを言ったらきっと真里は怒ってくれるのだろう。
「すご……! こんなの、どうやって描いてるの?」
「対象物の線をところどころ飛ばして描くのよ。それが光の演出。あとは影の濃淡。現実に見えている以上に、対象物の本質を強調すること。ただの模写じゃなく、美しく咲かせることよっ!」
美咲だけにね! とドヤ顔で面白くないことを言った真里は、ごまかしにほのかをどついて自分で赤くなって。
屋上には三人の鈴を転がしたような笑い声と、いたずらな風が微笑んでいた。




