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家庭の玄関2

 


「あ、あの」

「町内会の者です~」

「回覧板配りに来ました!」


 確かに、その手の中には回覧板の青い板が。


 差し出された美咲が思わず受け取ってしまうと、にこりと二人に微笑まれた。ポッ、と見惚れてしまうくらい愛情深くて素敵な表情だ。懐かしいくらい……と、つい亡き母のことを思い出してしまう。


 美咲が頭を振って妄想を追い出そうとする前に、心地良いさわやかな夜風が、玄関から入り込んで全員の髪を揺らした。


「きゃあっ」

「あ、ちょっと肌寒くなってきたね」


 でも今日は居てくれてよかった! という女性たち。


 美咲は首を傾げていたが、叔母はヒクヒクと顔を引きつらせている。


 接客業をさぼって家に引きこもっていたため、昔は大得意だった愛想笑いの技もすっかりさびついてしまっていた。



「ここは町内会の縁が濃いのよぉ! これからよろしくね~椎名さん。あっはっは!」


 その笑い方が(ほのかに似ている)と美咲は気づいた。

 そして、屋上で話していたことを思い出す。


「あの、違っていたら申し訳ないんですが……もしかして御神楽女子高校の、ほのかさんのお母さんでしょうか?」

「そうよ!」


 にかっ! と快活に笑うと、ますますほのかに似ている。


 ほのかは薄茶色のショートヘアと日に焼けた肌なので、黒髪褐色肌の母の方がより活発な印象を受ける。

 それから背が大きい。

 美咲が見上げて話さなくてはならないくらい。


 隣にいる女性は小柄だ。栗色の髪をハーフアップにして複雑に編み込み、花飾りを芸術的に散らしている。


「真里の母です。美咲さんですね? 娘から話はかねがね聞いております」

「ひぇ」


 へんな声が出てしまった……

 出会ったばかりの頃の真里のようなキツイ対応をされるのでは? と構えていたので、百合の花のようなおしとやかな微笑みを向けられて驚いてしまった。

 しゃなりと腰を曲げて礼をする動作まで洗練されていて、真里の母は美しい。


「娘と仲良くしてくださってありがとう」

「い、いえ! こちらこそ。真里さんとは席も近いので……」

「まあ」


 美咲は嘘をついた。

 強引に休み時間のたびに二人が机にやってくる、が正解のニュアンスだ。


 しかし察しのいい美咲は、真里の母の瞳の鋭さに気づいた。


「……娘がご迷惑をおかけしていないか心配でしたのよ。美咲さんから客観的にうかがって安心しました」

(やっぱりーー!)


 美咲はどぎまぎする胸を撫でて、サービススマイルを浮かべた。


 今は叔母に背中を向けていられるので、リラックスして笑うことができた。


「回覧板を届けることと」

「美咲さんにご挨拶することと~」


(やることは終わった、なのかな)


 美咲が安心するような、まだもう少しいて欲しいような、複雑な気持ちで、指をそわそわさまよわせた。


 また、夜風がふわりと吹き抜ける。

 美咲の手から、渡しそびれたハンカチが落ちてしまった。


「「あっ」」


 叔母の足元へ。

 来客二人がじっと眺めていたので、叔母はぎこちなくハンカチを拾う。


「……あとで洗濯機に入れておくわ。さっき渡してくれようとしてたから、今は、借りとく」

「は、はい。ありがとうございます」


 美咲は冷や汗を流して仰天しつつも、おとなしくぺこりと頭を下げた。


「「まあ……」」


 空気が凍える。

 友人の母たちは、どこか凄みのある笑みを浮かべている。


 美咲は(しまった!? でもなぜ!?)と悩んでいるが、客観的に見たら「ハンカチを貸してもらって洗濯機の話題」「ハンカチを貸したほうがお礼を言う」というのは随分とおかしいのだ。


「「美咲さん」」

「……はいぃ!?」

「真里から聞いているわ。あなたが美術教室に通ってくれるんだって! 楽しみにしててね、きっと美術の成績を伸ばすから。私、講師としての腕は確かなのよ」

「ほのかとスポーツジムに通ってくれるって聞いてるよ。もちろん、ウチが経営してるとこのね。最新機器を導入したばかりなのよ〜体育はまかせて!」

「…………!?」


 寝耳に水! 美咲が慌てて首を横に振るまえに、ガシッと握手される。


「ほほほ。その反応、やっぱり真里が無理やり言い出したのよね。でも引き受けてくれるなんて、美咲さん優しい。私、あなたのこと気に入りましたから」

「美咲さんからはお勉強を教えてもらうから、習い事は無料でって、ほのかに頼まれてるのよ。そーいうことで」


 名刺をもらってしまった美咲。

 そこに書かれた月額料金に目が飛び出しそうになり、それを無料でなんて、と何も言えなくなってしまった。


 叔母にも二人から挨拶があり、名刺の住所を見て目の色を変えている。

 有名な高級住宅地だ。

 もしもこの二人に悪い印象を持たれてしまったら、あっという間に悪い噂が町内中に広まるだろう。


 叔母はとにかく世間体を気にするタイプである。


「「椎名さん、よろしくお願いしますねぇ」」


 最後に小さくついた「ぇ」にえもいわれぬ圧力を感じる椎名家であった。


 叔母の返事は、


「……わかりました」


 肯定。

 よそよそしい笑み。


「よかったわ! 保護者の方に許可を取らなくちゃって思っていたの。あー本当に今日はついてる〜!」

「いいご縁になってよかったわ。美咲さん、じゃあレッスンの時間は19時まで」


 ──【四季堂】のバイトと同じ時間帯だ、と美咲は気づいた。


 真里とほのかが、何か配慮してくれたのだろうか。


 この状況だと、叔母は頷くしかないだろう。


 真里母の瞳に、またしてもイタズラっぽい光がピカリとして、(ああこの人はおしとやかに装っているけど実に真里の母らしい)と美咲が察する。


「御神楽女子校の特待生の成績に貢献できるって、約束できますわ」

「ねえいいでしょう?」


 駄目押しの言葉は、叔母に向けられていた。

 きらきらした奥様の笑顔に当てられて、叔母はしょぼしょぼした目を細める。


「特待生として頑張りたいと、うちの者も言っておりましたから」

「いえーい!」


 ほのか母に肩を組まれた美咲。がっしり守られているような安心感がある。


「あの……」


 美咲はがちがちにこわばった顔を叔母に向けた。


「まあ、なぁに? いってらっしゃい。お二人のご家庭に迷惑をかけないようにね。帰宅もゆっくりでいいから……」


 叔母はねとやかな声をかけた。

 ゾワゾワ! と美咲が鳥肌を立ててしまったのは、たまたま風が入ってきたからとごまかせた。

 くるくる、風が回る。


「あ、そっか開けっ放し。やーね、ごめんね~」

「つい。うちの玄関って自動ドアだから」

「我が家もよぅ」

(個人の家庭で自動ドア!? すごい……高級住宅街の本物のお金持ちって、そんな感じなんだぁ)


 美咲が感心している横で、叔母は思いもよらなかった格差の認識に悔しがっている。


 玄関前を通りかかった、犬の散歩をしている主婦が手を振っている。


「こんばんは~」

「あら! こんばんはー!」

「ご挨拶回り? お疲れ様ですー」

「いえいえー」


 ご近所にも顔が広い、友人母二人の効果は絶大であった。


 椎名家をちょっと興味深げに覗いた主婦はほがらかな微笑みを美咲と叔母にも向けて、ほほほ、と目元に優しいシワを刻む。

 叔母は(噂好きなタイプだ!)と気づいた。


「……美咲さん……素敵な友達付き合いができてよかったわね。これからも、学生生活を楽しみなさい?」

「ひゃい!?」


 にこやかぁ〜な叔母のエールに、美咲がこくこくと頷く。


 ちいさな目を好奇心でパチクリさせた主婦が、にっこり笑って立ち去っていった。絶対に噂になるのだろう。椎名家は仲が良さそうだ、と。

 叔母が美咲にキツく当たることはできない。




 ──友人母二人が帰っていって、玄関にはポツンと美咲と叔母が立ちぼうけているばかりになる。


「……今日はもう疲れた。……あんた」


 叔母が鼻から息を吸い込んだ時、先ほどの奥様たちの華やかな香水の香りがハッと口をつぐませる。


「……あんたも、さっさと、休みなさいよッ」

「……はい」


 美咲はぺこりとお辞儀をすると、キッチンに行く。

 叔母の夕食を準備して、自分はサッと食べると二階の部屋にこもった。


 ドクドクと早鐘を打つ胸を押さえて、目尻に滲んだ涙をぬぐう。複雑な感情が、ぐるぐると渦巻いていてとても寝られそうにない。


(おきつねさぁん……)


 沖常と出かけた時にもらった小さな化粧ポーチを取り出して、すんすんとにおいを嗅ぐと、ようやく少し安心できた。

 春のあけぼのの香水をシュッと一拭きして、気絶するように眠りに落ちた。








読んで下さってありがとうございました!

感想返信明日させていただきますね(。>ㅅ<。)

ありがとうございます♡

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