家庭の玄関
美咲は家に帰ってきた。
薄暗い夕方のことだ。今日は四季堂の手伝いの予定はなくて、いつもより早めの時間。叔母は寝ているはずである。
それなのに。
玄関に人影。
思わず、入るのをためらう。
(なんだろう……)
美咲を送った緑坊主の風は、もう帰ってしまったあとだ。
先ほど、バイバイと手を振ったのだから。
心細さに足をもじもじさせながら、美咲は思い切って扉を開けた。
「ただいま帰りました」
叔母の機嫌が悪い。と、顔を見て明らかにわかった。目尻が驚くほど吊り上がっている。こんな状態は美咲も見たことがなかった。
じーーと穴があくほど眺めてくるので、美咲も目を逸らせない。
「な、何かありましたか……?」
「あんたねぇ!」
いつも通りのヒステリックな怒り声だ。
先ほどまでの異様な雰囲気からは解放されたため、美咲はちょっとホッとしてしまったほど。
しかしそれを気づかれてしまうと怒りが増すにきまっているので、にこやかすぎずしょんぼりしすぎない、絶妙な表情を顔に貼り付ける。ひくっと唇の端が揺れた。
「昨夜、商店街を歩いていたじゃない?」
「!?」
どこでそのことを……と言いたいところだが、飲み込む。言ったら肯定になってしまう。
叔母は昨夜、家で寝ていたはずだ。予定はカレンダーに書かれていなかったのだから。基本的に夜間外出をする人ではないし、美咲が昨夜帰ってきたときにはリビングから寝息が聞こえていた。
(何をどこまで知っているの? こわい……!)
美咲が息を呑んでいる間に、叔母が追い立てるように口を開く。
「夜遅くに一人で出かけるなんて、何考えてんのよ!? ご近所の目ってもんを考えられないの? 高校生にもなって!?」
また、美咲は唖然と口ごもるしかなかった。
だって情報が間違っているのだ。
(おきつねさんとずっと一緒にいたのに……一人きりって、どうしてそんな誤解を? いや見られていても困るけど……着物への言及もないのはどうして?)
叔母が追求してきているのは、美咲が夜間外出していたということのみ。
「……ごめんなさい。最終帰宅時間の19時には間に合わせましたが……」
「うるさいッ」
「商店街に行ったことも、ごめんなさい。文房具がなくなって」
「そんなの昼間に買いに行けばいいじゃない?」
「放課後には勉強をしてて」
「イライラする! まったく可愛げがない子!」
叔母の追求はもはや破綻している。
何に対して怒ってるのか、軸がブレまくり「美咲を叱りたい」一心のようだ。
空気が濁っているような感覚があり、美咲はつい口元を押さえた。呼吸がしづらい。叱責はその動作にまで及び、あれこれと難癖をつけて30分にも及んだ。
(おかしい! 叔母さんが怒るのはいつものことだけど……お気に入りの連続ドラマも見に行かないし、同じお叱りを何度も何度も繰り返してる。会話がループしているみたい。……うん、やっぱり同じ言葉を言うんだ)
美咲は記憶を反映させて、叔母の言葉を改めて聞いて、完全一致したことにゾクゾクと背中を粟立たせた。
叱られる怖さが、どこかホラー的な怖さにシフトする。
叔母の顔もどんどんと歪んできている気がするが、もはや目を合わせられない。
「聞いてなさいよ!?」
「あっ」
叔母が美咲の手をつかんだ瞬間。
どろり、という感触があった。
泥を塗りたくられたような、気持ちの悪いぬかるみ。
(手汗をかいていた?)美咲が気味の悪い不快感に鳥肌をたてる。
「やっ……!」
蒼白になった美咲が拒絶すると、叔母は意外にもあっさりと離れた。
フラフラと二歩後退すると、ぜえぜえと息を整えている。
「しゃべりすぎたわ。あんたのせいで……」
またあの会話が始まる? と美咲が怯える。
(ええと。どういうことなの、どうすればいいの……? 叔母さん、病気の前兆とかなのかな? う……おきつねさぁん……)
不安になったとき、美咲の頭に浮かんだのは沖常の柔和な笑顔だった。
それだけで少し勇気付けられる。
頭の中で、彼の真名を呼んでみた。
(……私に勇気を分けてください)
ごくりと生唾を飲みくだす。
カバンの中に手を入れると、叔母は怪訝そうに眉を潜めた。
美咲はハンカチを取り出した。
「……お気分が悪そうなので。どうぞ」
「なによっ」
そのあと、ハンカチに手を伸ばした叔母が、叩き落とす前に。
ピンポーン、とチャイム。ガラガラと横開きのドアが開けられる。
美咲と叔母はぽかんと振り向いた。
「どうも~」
「こんばんは」
綺麗な女性が二人。だいたい二十代後半だろうか、と美咲がアタリをつける。
叔母の影はゆらゆらと不安定に揺れていた。
今日は早め更新。
読んで下さってありがとうございます!
明日でちょっと救われますので、暗いとこですがお付き合いください(。>ㅅ<。)




