五月の食卓・猫娘の好み
「メニューは何を予定していますか?」
厨房に入り、店のものとは違うエプロンを身につけた美咲が尋ねる。
ひらひらフリルがついた白いレトロエプロンだ。
花姫が届けてくれた逸品。
「今日は猫娘の好物の魚料理。五月が旬の初鰹のタタキにしよう」
「いいですね!」
美咲がぱあっと顔を明るくする。
「ほう。魚が好きか?」
「あっ……は、はい。基本的に食材はすべて好きです。すみません食いしん坊みたいで」
「四季を存分に楽しめるな。素晴らしい」
沖常がにこやかに頷いた。
また食材として魚を仕入れておくのもいい、と今後を楽しみに二人で会話する。
「あっ。おきつねさん、もしかして捌くところからですか……?」
「いや。それだと時間がかかるので、あちら側で捌いてもらった」
机に置かれたのは、見事な赤色の鰹の柵。
鰹は鮮度が落ちやすいが、この身の色はとても新鮮だ。
美咲がうっとり見つめたので、沖常が(本当によい表情をするから色々と喜ばせたくなるんだよなぁ)と考えた。
「漁師が奉納した初鰹を、神の世で海の神が受け取り、こちら側に届けてくれたというわけ。
すぐに氷で締めたので鮮度が保たれている」
「とんでもない貴重品ってことですよねーー!?」
「ははは。奉納、そして美咲の調理と、二度の手間を経た初鰹のタタキなら猫娘も満足することだろう」
「責任重大ー……!」
美咲が天を仰いだ。
しかしそんなことをしていると、冷蔵室から出した鰹がさっそく傷んでしまいかねない。
処理は早く、だ。
美咲は魚を丸ごと捌いた経験がなかったので心配したが、幸いにも柵が用意されているので、あとで切り分けるだけ。
「タタキは火で炙りますよね」
「そう。鰹は皮と身の間に寄生虫がいるので、食する場合に火で炙って浄化するのだ。
それが漁師間で鰹のタタキがはやった理由だ」
「「「「そして美味いしなー!」」」」
「そうそう。狐火たちよ、鰹の表面を炙ってくれ」
沖常が鰹を宙に浮かせる。
神様の力技である。
「「「「はいよっ」」」」
狐火がくるくると鰹の周りを飛び回り、こんがりと表面を炙った。
いい香りが厨房に広がり、美咲が思わず深呼吸する。
「これをよく冷やす。”冬の風呂敷”を使おう」
沖常は鰹の上に薄布を敷いて、上にさらに雪模様の風呂敷をかぶせる。
壱、弐、参、肆〜と狐火たちが楽しげに数えた。
風呂敷を取ると、鰹はよく冷えて身が締まっている。
「時短だぁ。すごい」
美咲がつぶやいて、包丁を持った。
まな板の上に置かれた炙り初鰹を切るのは、美咲の仕事だ。
スッと迷いなく刃を入れていく。
断面の白(炙られた皮)と赤(新鮮な身)のコントラストが美しい。
切り身を少しずつずらして、見栄え良く皿に盛り付けた。
「よし。初鰹のタタキは完成だな」
「上に青じそとか玉ねぎとか、薬味は……? あっ、猫娘さんだからもしかして毒になってしまいますか?」
美咲は犬しか飼ったことがないが、ペットたちには食べられない食材があることを思い出す。
「そう。よく気付いたな。猫娘は玉ねぎ、イカ、貝、チョコレートが食べられない。まあ神なので死にはしないが、具合が悪くなるそうだ」
「そうなんですねぇ。おきつねさんは……?」
美咲が狐耳を見つめる。
「俺は上位神なので大丈夫。四季のものを満足に食べられないとなると、彩の神として情けないではないか」
「す、すごいです! そうなんだ。好き嫌いがないの、一緒ですねぇ」
沖常がぱちりと瞬きした。
「ああ、一緒だな」
笑いを堪えている様子。美咲が(あれっ)と発言を振り返る。
「上位神に「一緒」なんて言った恐れ知らずの大うつけは美咲が初めてだな」
「ちょー大物」
「すんごーい! ぷぷっ」
「沖常様、ちょー面白がってる」
「ああああああすみませーーん!」
美咲がやっと気づいて叫んだので、沖常がとうとう笑い声をあげてしまった。
その間も涙目の美咲の手はてきぱきと動いており、四つあった柵をすべて切って盛り付けた。
沖常は「よくやった。初鰹は鮮度が命」と褒めつつも、涙目で作業をこなす光景のギャップでさらに笑ってしまう。
「……なーに騒いでるにゃあ。ねー! おーなーかーすーいーたー!」
「とても楽しそうですね。はやりの言葉、時短。ほう。覚えておきましょう」
騒がしさが座敷にまで届いて、猫娘と彼岸丸が顔を出した。
もっとも、この二人は騒がしくなくても抜け目なく諜報していたかもしれないが。
「辛抱ができないやつだなぁ」
「できましたよ」
美咲と沖常が鰹のタタキを運んだ。




