猫のマタタビキーホルダー
(それにしても近いな。……まだ膝の上なんだけど?)
「美咲の膝の上にい続けるつもりか? 猫娘」
沖常が美咲の内心を代弁するように、にやにやと尋ねる。
猫娘が唇を噛み締めて羞恥に耐える顔になった。
しかし離れない。
離れられない。
「その匂い、なんとかして!! 美咲! くうう……しっかりとマタタビの匂いを纏いよってからにー!」
「ええええ? 心当たりがありませんが」
「ご神木のマタタビに生命茶を吸わせて乾燥、お狐様が猫に加工したキーホルダーを身につけていれば匂いが移るに決まってるにゃあああああ!」
「お、おきつねさーーん!?」
二人の絶叫を受けて、沖常が観念した。
炎子が美咲のカバンを持ってくる。
「ホレ。猫に好かれるマタタビ製のキーホルダー。美咲には必要な縁だと思ったから、盾は少々頑張ってしまったようだ」
「うっっっ……ずるい! おきつねさん、ちょっと、ずるい……」
「勢いをなくすな美咲! もっと言ってやれ! とんでもなくずるいにゃああの上位神様!」
「上位っ……! 明言されると胃の負担がぁ」
「根性見せるにゃあ!」
「黒猫さん厳しい」
「むず痒い名称で呼ぶなああああ」
沖常と狐火たちが顔を背けた。
「無理」と呟きながら笑っている。
さっき女子高生の漫才を見せられたあとに、さらにこの追撃は正直腹筋がもたない。
「はあ笑い疲れた」
「ほーう。随分と楽しそうにゃあ? お狐様ァ……」
猫娘がじっとりと刺すような目で沖常を見上げる。
美咲の膝の上で。
沖常がまた笑った。
「話が進まないにゃあ!!!!」
猫娘がプンスカしながら黒猫姿に戻った。
これなら、膝の上に乗ったままでもビジュアルがきつくない。
美咲もほっとしたようだ。
喉を撫でようとするとフシャーッと威嚇されたので、そこは慣れてからのお楽しみにして、ひとまず背を撫でてやる。
おとなしくなった。
「幸運の黒猫を捕らえようとは、お狐様もヒトのように強欲になってしまったにゃあ」
猫娘が皮肉を口にする。
「そちらから寄ってきただけだろう? っと、建前だ。そんな風に睨まないでくれ。
キーホルダーを贈った時には、正直、お前たちのことを警戒していたんだ。【四季堂】でアルバイトをする美咲に、彼岸丸がどう出るのか分からなかったからな。
猫娘がせめてあちら側ではなく、中立でいてくれると助かる、と考えた」
「ふむ。まあウチは彼岸丸様に雇われていたから、どちらにつくかと言われたら、あちら側だったにゃあ。
中立を望むにしては、やけに強烈な神具を使われたわけだけど?」
猫娘がフンと鼻を鳴らす。
「沖常様、美咲のこととなると張り切りすぎちゃうんだぜ」
「勘弁してやってくれよ」
狐火たちのひやかしの言葉に、沖常がごほんと咳払いした。
猫娘が、花姫たちが話していた噂話を思い出す。
ははーん、とヒゲを揺らした。
沖常が真剣な顔になった。
「猫娘がその気になれば、美咲を見限って幸せを逃すこともできるだろう。
そうすると学校や家庭にバイトがばれて、困ったことになるのでは……と考えた」
「ふむ。まあ彼岸丸様は贔屓をしないからにゃあ。幸運とのご縁を根こそぎ切っていく、なーんてこともあったかも。鬼だし」
黒猫が瞬きする。
実は彼岸丸様と打ち合わせをした際に実際にそのような選択肢も聞いたが、「かも」と濁した。
顧客情報はむやみに漏らさないと決めているのだ。情報屋は信頼が命。
(バイトがばれる未来があったかもしれないの!?) 美咲がぶるっと震えた。
「猫娘が幸運を運んでくれたおかげで、美咲はクラスメイトの友達ができて、彼女たちはバイトのアリバイ工作を手伝ってくれるのだという。助かるな」
沖常がとりつくろうように、愛想のいい笑顔を猫娘に向けた。
「…………あっ!? 今回真里とほのかと仲良くなれたのって、もしかして……!?」
黒猫がぴしんと尻尾で美咲を叩く。
「ド鈍感」
「ありがとう!」
美咲は感謝の気持ちを込めて、猫の一番気持ちいいところを丁寧に撫でてあげた。
喉をすりすり……
「何するにゃああああ!?」
一瞬うっとりととろけた表情になった黒猫が、ぶわっと毛を逆だたせて人型になり、美咲の首筋にかじりついた。
「いったーーーい!?」
「ああ、これは甘美……じゃなくて。お狐様、これでいいにゃあ?」
「うん、助かった。猫娘の噛み跡がつけば、特別な幸運が訪れる。さらに悪いものを祓う力もある。良かったな、美咲よ」
「説明が先に欲しかったです……」
美咲がひりひりする首筋に手を当てる。
血は滲んでいなかった。
猫娘の噛み跡(神痕)は本人たちが話している通り、特別な印なのだ。
「お狐様の望みは、この美咲のアルバイトが認められること。悪いものを寄せ付けないようにすること。より良い縁に恵まれるよう、ウチを味方にすること。これで間違い無いにゃあ?」
「その通り。助かった」
「対価は高いにゃあ」
猫娘がツンと顎を上げて、手のひらを上にして差し出す。
神がたっぷり働いた対価を要求しているのだ。
それに見合うだけの報酬を払わなければならない。
美咲がハラハラと二人を見る。
(私の事情を気にかけてくれたから、こんなに複雑な感じになっちゃったんだよね……!? ど、どうしよう。私が何かお礼するべきところだと思うのに、そうしたいのに、何もないよ……っ)
「美咲」
「ひゃい!?」
思いがけず沖常に名前を呼ばれた美咲はドキーン! と心臓を跳ねさせて、妙な声で返事をしてしまった。
ふっ! と沖常が噴き出すように笑う。
「今日のご飯を作ってくれ。猫娘の好きな献立だ。準備はしてある」
「えっ!?」
それでいいの!? と美咲が目を剥く。
「……フーン。人間からの供物、が対価というわけ? まあいいにゃあ。今日のとっておきの献立なら、対価として認めてあげなくもない」
「さすがに諜報が鋭いな。献立を把握しているのか」
猫娘が満足して良かった、と沖常が機嫌良く耳を揺らす。
「おや? 今、ウチと組んでる存在をお忘れなのかにゃあ……」
「こんばんは。ご相反に預かるために駆けつけました。本日もお狐様たちと食卓を囲めると思うと楽しみで仕方ありません。誠にありがとうございます」
猫娘がニヤーリと呟くと、彼岸丸が現れた。
この者も諜報に長ける。
沖常が頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。
してやったり! と猫娘が心から満足した笑顔になる。
鬼をダシにした大変失礼な対応なのだが、彼岸丸はまるで気にしないどころか場を楽しんでいる。メンタルが強靭である。
「心を込めて調理させて頂きます!!」
美咲の胃がきりきりと痛むのだった。




